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枯木の王

 しくじった。

 咄嗟に放った雷の魔術が、対面から放たれた水刃とぶつかり、弾けて消えた。

 ここまで来てあの技を放つ人間は一人しか思い浮かばん。

 余計なことをしてくれたものだ。

 私は内心で毒づきながらも、スライム目掛けて二の矢、三の矢を放とうと構える。

 が、それを知ってか知らずか、カミラを飲み込んだスライムはするりと流れるように、立ち並ぶ建物の間へと入り込んでしまった。

 私の魔術は攻撃範囲も威力も申し分は無いが、流石に正確に狙うには対象を知覚しなければいけない。

 隠れる場所が多いこの場では、それこそヒドラやサイクロプスよりも、隠れ潜むのが得意なスライムの方が難敵かもしれん。


「上空から索敵するしか無いか……ダキ……」


 スライムを追う必要がある。

 無論、ダキアも連れて行く必要があるだろう。

 そう考えて振り向いたものの、いつの間にかダキアは姿を消していた。

 私が言うまでもなくあのスライムを追ったのだろうか?

 些か信用ならない男ではあるが……まあ良いだろう、こちらも一人の方が飛びやすいのは事実なのだ。

 一刻も早く鍵を手に入れなければいけないことには変わりはない。

 そう考え、ふわりと中空に浮かび上がった私だったが――


「行かせるかボケェェ!!!」


「む……!」


 突如として上空の私よりも更に上方、天上から激しい雨粒が私の鎧に叩き付けられる。

 水龍剣、そう言っていた奴の魔剣の力なのだろう。

 絶え間なく降り落ちる雨粒は次第に勢いを増し、すぐさま、滝の如き水量となって私の体を押し流す。


「はーっはっは!見たかバァーカ!いつまでも見下ろせると思ってんじゃねえぞ!」


「……不可解な男だ。貴様に私とやり合う理由は無い筈だが?」


 言いながら、降りしきる雨粒の中、私はゆっくりと立ち上がり、前方の男に問いかける。

 第二階層では互いにやり合う必要もあった。

 鍵を手に入れる上で邪魔だったからだ。

 しかし、今この状況であれば、あえて私と戦うという選択肢は必要無いだろう。

 カミラを助けるのならばスライムを追うべきだし、ただ冒険者として迷宮深部を目指すのならば、この騒動に首を突っ込む必要も無い筈だ。

 そう考えていると、それを察したのだろうか、ジョーが苦々し気な表情で口を開く。


「馬鹿言え、お前ここで飛ばしたらすぐアイツ見つけてスライムごと焼き殺すだろうが。どうあっても、お前はここで俺が止めるしかないってわけだ」


「……止められるとでも?」


「さあな、けどまあ……やるだけやってみるしかねえだろ!」


 言いながら、ジョーは水龍剣を構える。

 やはり愚かな、そして真っ直ぐな――なんとも人間らしい男だ。

 私は溜息を吐きながら、腕を突き出し、同じように構えると、再び、私達の間で雷と水が爆ぜ合う音が響くのだった。



―――――――――――――――――――――



「あああああああああああ!!痛い痛い痛い!!!」


 黒く閉ざされた視界、スライムの体内で肌がじりじりと焼けていく。

 スライムの消化液でゆっくりと、しかし確実に溶かされているのだろう。

 このままではどう足掻いても絶望だが――いや大丈夫!私は天才神官だから!


「ぷはっ……リッ……リジェネェェ!!」


 スライムの消化液に焼かれながら、辛うじてそう唱えると、神聖術の暖かな光が体を包み込み、焼けた肌がじわりと癒される。

 ふっ、どうやら私のリジェネの方がスライムの消化液による継続ダメージより回復量が高いらしい。流石は天才!

 これでスライムに溶かされることは無いだろうが、後はどうやって脱出するか、だ。

 スライム自体は神聖術や魔術に対する耐性が極めて低い。

 一撃ぶちかませば倒せるだろう、が、問題は今の体勢だ。

 私の体は今、スライムの体――体液と言うべきか、それに全身を包まれて締め付けられてしまっている。

 通常のスライムと違い、この黒いヒュージスライムは弾性と粘性を兼ね備えた、言うなれば固まりかけのタールの如きものになっている。

 つまるところ、完全に手足を拘束されて身動きが取れないのだ。

 そして神聖術の攻撃は私のモーニングスターを媒介としてぶちかます必要がある。

 リジェネやヒール程度ならギリギリ唱えられるが、いずれにせよ手足が封じられた今の状態では攻撃の手段が無いのだ。

 天才と言えど神官だからな、ジョーと違って野蛮なことは苦手なんだよ!私は文化人なんだ。

 

「だが、このままじゃ――」


「そうだねぇ、ピンチかもしれないね」


 ぎちり、と、締め付けるスライムの体からなんとか脱出しようと身をくねらせていると、頭上からどこか妖しく、ねっとりした男の声が響く。

 と、突如としてスライムの体が跳ね上がり、そして――叩き付けられる。


「あぶっ!」


「ふふふ、すまないねぇ、少し我慢しておくれよ?」


 スライムがクッションになりながらも、勢いよく石畳に叩き付けられた衝撃で思わず顔を顰めていると、ぼんやりとした影がスライムに馬乗りになるのが見える。

 とはいえ、スライムは前述した通り物理耐性が極めて高い。

 石畳に叩き付けられたことも意に介さず、影を飲み込もうと体を広げ、影の手足を絡めとるスライムだったが――


「ふふ、そうそう、目の前の獲物に喜んで食いついてきてくれよ、そら!」


 影はそう呟きながら、スライムの絡めた体を思い切り引っ張り、後ろへ飛ぶと、スライムの体もそれに伴ってずるりと伸びていく。


「おや、そんなに体を伸ばして大丈夫かい?そろそろ――あちらを拘束する力が弱まるんじゃないかな?」


 言う通り、スライムの体が影への攻撃の為に伸び切ったおかげで、私を包むスライムの分量が多いに減った。

 それでもぎちりと締め付けるスライムの体が私の体に張り付いては来るが、私はどうにか手にしたモーニングスターを振り上げ、叫ぶ。


「ホーリーハンマー!!」


 閃光、神聖術の白い光と共に、スライムの黒い体液が辺りに弾ける。

 ふふん、見たことか!やっぱり私にかかればこの程度のスライムは大した相手じゃないな!

 むしろ目下の問題は――

 息を整えながら、先程の影に向き直ろうとした私だったが、いつの間にやら先程の場所から影は消え失せ、私の背後から囁くような声が耳朶に響く。


「はいお疲れ様」


「きさっ……!」


 慌てて振り向いた私だったが、影はそんな私を嘲笑うかのように、何か黒い物質を私の体に巻き付ける。

 さっき伸ばしたスライムの触腕だ。

 スライムの体の殆どは先程のホーリーハンマーで破壊した筈だが、スライムはそれ自身が液体生物。

 サイズこと小さくなったものの、奴に伸ばした体の一部は分離してまだ生きていたということだろう。


「くっそ……!さっき倒したのに!」


「うんうん、助かったよ、鍵ごと君の全身が溶かされでもしたら事だったからね」


 的確に手足を黒いスライムで拘束され、転げる私を見下ろすようにして影――

 人狼、ダキアが不気味ににやけた表情で、私を見下ろしていた。


「さて、あの状況で君がスライムに連れ去られるのは予想外だったけれど――結果として僥倖、僕にとっては良い結果だ。どさくさ紛れに君を追い、邪魔なスライムも排除し、そうしてここに来れたのだからね」


「ここ?」


 ダキアの言葉に、きょろりと辺りを見回すと、周囲には荘厳に美しく光り輝く白亜の壁が立ち並び、広々とした天井には複雑な模様の描かれたガラスの板が嵌め込まれ、外からの光を複雑に反射させ、その模様をきらきらと煌めかせている。

 恐らくはこここそが、この都市の中心に位置する城の内部なのだろう。

 どうやら私を捕食したスライムが逃げるうちにこの城の内部へと入り込んでいたらしい。

 いや、あるいは眼前のダキアがそうなるように誘導したのかもしれないが。


「それで……どうするつもりかな、クソ魔族、ここで私を殺すつもりか?」


 私は縛られた手足でどうにか上体を起こし、ダキアをキッと睨みつけながらそう言う。

 ピンチと言えばピンチだが、こういう場面で舐められたらそれこそ終わりだ。

 奴が私を殺すつもりだとしても、せめて限界まで抵抗してやらねば気が済まない。

 そう意を決していたのだが、しかし、帰ってきた返事は意外なものだった。


「ふふふ、まさか、まだ殺しはしないさ。万が一、ということもあるからね」


「万が一……?」


「ああ、尤も、そうならないと有難いんだけど……」


 ふふ、と、妖しく顔を歪ませて笑いながら、ダキアは城の内部をカツン、カツンと、高く響く靴音を鳴らしながら歩き出す。

 このまま隙を見せてくれたらその間にこのスライムを解いて脱出するんだが……と考える私だったが、流石にそうはいかない。

 ダキアは靴音を響かせながら、何かを探るように城の床に手を置く。

 そしてまた、ふふ、と笑いながら、歩を進め、別の床へ、別の床へと進んでいく。


「何をしているんだ……?」


「ふふ……カミラちゃんは迷宮第二層でのことを覚えているかい?あのドラゴンのことだ」


「覚えてるに決まってるだろう、天才だぞ!」


 忘れようと思って忘れられるものではない。

 何せ始めて見る正真正銘のドラゴンだ。

 流石にアレが出た時は私も死ぬかもと思った。


「あれが封じられていた棺のように、この迷宮には様々な仕掛けが施されている。それは何故だか分かるかい?」


 三つ、四つ、床に手を置いては離れながら、ダキアがこちらに顔を向けて問いかける。


「何故も何も、侵入者を阻むためだろう、迷宮なんだから罠があるのは当然だ」


「ふふ、その通り、それも間違いではないけど――それ以上に重要な理由がある」


 五つ、六つ、変わらず床を撫でながらダキアは語り続ける。


「この迷宮はね、待っているんだ。いや、むしろいずれ戻る時の為に設置しておいた、というべきかな」


「戻る……?」


「ふふ、決まっているだろう?この迷宮を創り出した者――かつて、古の王国を創り出し、そして世界の支配者となった偉大な人物」


 言いながら、ダキアは城の広間の中心、私のすぐ傍へと再びゆっくりと戻ったかと思うと、虚空へ向けて拳を突き出し、グッと力強く握りしめる。

 獣の如き唸り声と共に膨れ上がったダキアの腕は、見る見るうちに太く、荒々しい毛に覆われ、突き出した拳からは――自らの爪が手の平に突き刺さっているのだろう。

 そうして拳から噴き出した血が、純白の城の床へぼとぼとと落ちると、白い世界の中に突如として現れた赤い鮮血に反応したのか、先程ダキアが触れた床が淡い光を放ち、城の床に真っ赤な紋様が浮かび上がる。


「魔法陣……!?何の……うわっ!」


 私が驚く間もなく、床全体、浮かび上がった魔法陣から眩い程の光が放たれ、辺りに熱風と白煙が巻き起こる。

 やがて光が収まり、目を開けた私の瞳に映ったのはダキアに加えて、魔法陣の中心に立つ一人の影。

 小さく、折れ曲がった背をどうにか杖で支えて立っているような、枯木のような老人だった。

 何だこの爺さんは。

 訝し気に老人を見つめる私を他所に、ダキアはその老人を確認すると、恭しく膝を突き、頭を下げる。

 老人はダキアのその態度を見ると、満足気にゆっくりと頷き、気だるげな、絞り出すような細々とした声を、その枯木の洞の如き口から吐き出した。


「ダキアよ……大儀である……面を上げよ……」


「はっ、魔王様」


 魔王様。

 そう呼ばれた老人の声に応えるように、ダキアが顔を上げると、老人――魔王は、再び細々とした声で語り出す。


「やはり……正解であった……いずれ戻る時が為……転移魔法陣を……」


「……こいつが」


 魔王。魔王だと?

 ダキアの話ではこの迷宮を作り出した魔術師、古の王国を統べた世界の支配者であり、そして我らが神に敗れ魔族の王に落ちぶれた男。

 ――こんな枯木みたいなジジイがか?

 言ってしまっては何だが到底信じられない。

 私は神官、天才神官だ。生物の生命力を感じ取る能力であれば超一流だろう。

 だが、この老人からは生命力を殆ど感じない。

 どちらかと言えば迷宮のアンデッドに近いのではないかと錯覚しかける程の老いさらばえた魂、触れればぽきりと折れてしまいそうな枯木の如き肉体には、微塵も威厳といったものが感じられない。

 こんな男が魔王だなんてとてもじゃないが……そう感じ、訝し気に眺める私に気付いたのだろうか、魔王は落ち窪んだ瞳でじっとこちらを見つめ、ゆっくりと口を開く。


「おお、おお……その首飾りよ……それだ……ああ、少女よ……その姿こそ……」


 ゆっくり、ゆっくりと、ふらつきながらも杖を突き、歩を進める魔王の声に呼応するかのように、私の呪いの首飾りがぼんやりとした光を放つ。

 まただ、ドラゴンの時、ダゴンの時と同じように、白く淡い光が首飾りを包み込んでいる。


「ああ……これぞ……これぞ……余は……これで、ようやく――」


 カツン、カツン、杖を城の床に打ち付ける音を響かせながら、ゆっくりと歩を進める魔王。

 そしてその背後で、ダキアが身を起こし、魔王に付き従うかのように背後に歩み寄ったその瞬間。

 ぽきり、と、あまりにも軽く、小さな音が響いた時、人狼の邪悪な腕が、枯木のような老人の首を握り砕いていた。



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