参上!!!
――――暗い。
暗くて、怖い。
寒い、体が動かない。
感覚が無い、けれども、ぴりぴりとした痛みだけがただただ続く。
もうどれだけの時間、ここでこうしているだろう。
一時間?一日?一年?十年?
時間の感覚がひどく曖昧だ。
つい先ほど『こうなった』ような気もするし、生まれてからずっとこうしている気もする。
分かるのはただ何も見えず、聞こえず、ここには何も無いということだけ。
僕はどうしてここにいるんだっけ、僕は何をして……いや、そもそも……
――僕は一体誰だったっけ?
そんなことさえ分からなくなってきた頃、辺りの冷たい暗闇に変化が訪れた。
暗闇の中を照らすようにして、ゆらりと、仄かな、けれども確かに暖かな光が差したように感じた。
光、そう。光だ。
長らく忘れていた気がする光。
そうだ、あれが光というものだ。
思わず、動かない筈の体を動かそうと藻掻き、出ない筈の声を上げる。
――こっちだ。
そうだ、こっちだ。
こっちに来てくれ。
その光があれば、そうだ。
僕は自分を思い出せる気がする。
僕はどうしてここにいるのか、どうしてこうしているのか。
僕は一体何者なのか。
それを思い出せるような気がして、僕は必死に光を呼んで叫ぶのだった。
――――――――――――――――――――
「あっ……ぶなかったぁ……」
海底神殿の奥深く、瓦礫の隙間を縫って辿り着いた部屋の中で、あたしはホウッと息を吐く。
所々が崩れたこの神殿の一室だったが、沈む過程で空気が溜まる場所だったのか、あるいは迷宮の不思議な力によるものなのか、ともあれこの部屋には空気がある。
ダゴンの巨体では流石にここまでは入り込めないだろうし、よしんばマーマンの一匹や二匹が迷い込んできても、水中でなければ余裕で撃退できるだろう。
まずは一安心、と、魔術で作った篝火に当たりながら人心地つくあたしだったのだが――
「…………」
「…………」
部屋の奥では、死んだように横たわるトゥーラちゃんと、暗い表情でじっと俯いたままのリガス君の姿があった。
トゥーラちゃんはこの部屋に辿り着いた途端に倒れ伏してしまい、リガス君はつい先ほど気を取り戻したものの、事の顛末を聞いてからずっとこうして黙ったまま顔を伏している。
まあ、理由は分かる。
ダゴンから無事に逃げられたとはいえ、カミラちゃんが犠牲になってしまったのだ。
しかもリガス君は油断して攻撃を受けてしまい、そのまま気絶したせいでバーサーカーにすらなる暇が無かったという体たらく。
トゥーラちゃんは自身がかけた石化魔術によって逆にダゴンを強化してしまい、リガス君が気絶する原因を作ってしまった。
その辺りについての自責の念、いくら考えても拭えない後悔のようなものに苛まれているのだろう。
まあ、あたしとしてはカミラちゃんは露骨に魔族嫌ってるし、自信満々の割にはツメが甘いし、なんかやたらと偉そうだし、挙句の果てにあたしごと巻き込んで神聖術ぶっぱなすので知ったこっちゃないのだけれど、この二人にとっては大切なパーティの仲間だったのだろう。
あたしが師匠を失ったらどうなるか、と考えたら気落ちするのもさもありなん、といったところだ。
が、まあ、それはそれとして、次の指針というものを考えなければいけない。
篝火の少し熱いくらいの光を感じながら、あたしはゆっくりと口を開く。
「で、これからどうするの?」
「…………」
「あたしとしては第四層にさえ行ければそれで良いんだけど、下へ向かう階段か何かを探すにしても、この海底神殿を探索しないとだし……」
「…………」
「やっぱりあのダゴン倒さなきゃ行けない、ってなるとキツいな~と思うんだよね、どう思う?」
「…………」
「……いや、何か言ってよ!!」
思わず突っ込んでしまった。
いや、そういう話が出来る雰囲気なのは分かるよ、あたしだって。
あの天才神官(笑)と違って人の気持ちが分からないわけじゃないしね?
でもさあ、冒険者でしょ?こういうことだって起こるじゃない?
さっさと切り替えて進んだ方が合理的なんじゃないの?
と、呆れて溜息を吐くあたしに、リガス君が申し訳なさそうにぽつりと呟く。
「……ごめん、俺がもうちょっとしっかりしてれば」
「それは本当にそうだけどさ」
「っ……」
あたしがすぐさまリガス君に言葉を返すと、やはりというか、また黙って俯いてしまった。
しまった。師匠が普段から厳しいせいか、あたしも自然と厳しい返しをしてしまったかもしれない。
やっぱり人の気持ちは難しいかもしれない。
「……ま、なに?あたしが少し周辺探索してくるからさ、その間に気持ちの整理つけときなよ」
言いながら、あたしは篝火の光を後に、辺りの暗闇に目を凝らす。
さて、ここ自体は神殿の一室に過ぎないが、扉や瓦礫の隙間を通って行けそうな場所もいくつかありそうだ。
それに何より、気になっていることが一つある。
「いるんでしょ、どっかに」
ダゴンから逃げる際に聞こえた声、あたしを導くように囁いた何か。
まさかそのまま人間が住み着いているわけでもないだろうが、あたし達を助けるような行動である以上、ダゴンや魔物では無い筈だ。
と、考えながら中空に問いかけると、再び、ふわりとした、くぐもったような声が耳朶に響く。
『ここ……る……よ……』
「ここ?ここって……この辺だよね?見当たんないけど……」
声に問い返しながら、辺りを見回す。
やはり特に何も無い、暗闇の中に篝火の炎がゆらりと揺れているだけだ。
『あった……い……か……』
「なんて言ってるか分からないんだけど……そもそもあんた誰?どうしてここにいるの?」
正確にはここにいるかどうかも分からないのだが、いるのはいるようなので、再び問いかける。
『ぼく……だれ……か……?』
「そう、人間じゃないっぽいけど、何?魔族なの?じゃなきゃ妖精とかゴーストとか?」
妖精やゴーストであれば、直接目に見えないのも頷ける。
ああいったものは特定の人間……それこそ聖職者でなければ見えない筈のものらしい。
まあ、生者への恨みやらを抱えてレイスやスケルトンと化したアンデッドなら普通の人間や魔族でも見えるのだが、この相手はそうでは無いらしい。
となれば、あたし……というか魔族では見えないもの……聖なるものに類する何か、ということになる。
「しっかし、こんなところにそんなのが――」
言いかけて、ふと、記憶が蘇る。
この海底神殿へ向けて、後続の冒険者を導くように海底へ突き刺さった目印。
そして、そこに縫い付けられた言葉。
「…………勇者、とか?」
ポツリと発したその言葉に反応するかのように、瞬間、辺りに光が弾けた。
「痛ッッ!!!」
弾けた光の粒が神殿の暗闇を照らし、あたしの肌を刺す。
いや、痛っ、痛いって!何!?あたし、さっきからこんなんばっかじゃない!?
高位魔族じゃなかったらマジで死にかけてたかもしれない。
そんな思いを抱くあたしの眼前で、ぼんやりと浮かんだ光が、ゆっくりと人の形を取り始めた。
『そうだ、思い出した、僕は――』
今度は以前よりもはっきりと、力強く響くその声に合わせて、辺りに散らばっていた光が一点へと収束していく。
見ると、先程までぼんやりとしていた光は今、明確に人の――少女の形となって、自信に満ちた精悍な表情であたしを真正面から見つめていた。
「そうだ、そう、僕は勇者、僕の名は――そう!最強勇者!シヴ様だッ!!以後よろしくッ!!」
力強く、明るい表情で高らかにそう名乗った光の塊――シヴ様とやらは、ぽかんと見つめるあたし達に、ニカッと満面の笑みを浮かべて指を二本突き立てるのだった。




