目
荘厳に佇む海底神殿の中にあって、場に似つかわしくない甲高い唸り声のようなものが周囲から忙しなく響く。
唸り声の主であるマーマンの群れ、その中の何匹かが私達を嘲るように笑いながら、手にした銛を次々に勢いよく突き出した。
「こっ……の!」
リガスを抱えたままのカンナが、咄嗟に血の槍を作り出して眼前に迫る刃先を弾き返すと、その隙にと後方から別のマーマンが襲い掛かる。
「させるか馬鹿め!プロテクション!」
が、そちらのマーマンの攻撃は私の作り出した神聖術の防壁に阻まれる。
当然!この私のプロテクションをマーマン如きが破れる筈もないので、すごすご逃げ帰るのみだ、が……問題は……
「数が多い……!」
背中合わせに構えるカンナが、血の槍を構えながら呟く。
そう、マーマン1匹だけなら大した敵ではない。
だが今の私達はゆうに30匹は超えるマーマン達に前後左右、それに上下までもを囲まれている状態だ。
地上であればともかく、連中に地の利がある水中でこの状況はかなりマズい。
先程弾かれたマーマンが後方へ下がると、マーマン達は互いにキィキィとした声を発しながら、次は別のマーマン達が複数匹で銛を手に前進する。
防ぐだけでは駄目だ。一撃で倒さなければこうして後方へ引かれて体制を立て直されてしまう。
が、如何せん、私の神聖術は攻撃がメインではない。
いや、無論、ホーリーハンマーとかを使えばマーマンの1匹や2匹程度なら余裕で屠れるんだが?
だが、ホーリーハンマーは神聖力の消耗が激しい技であることも事実だ。そうそう乱発して良いものでもない。
本来であればこういう多数の雑魚相手にこそトゥーラの魔術が役に立つのだが――
「……ブレイク!」
そう思った矢先、私とカンナの間で杖を握りしめていたトゥーラが、迫るマーマン達へと魔術を放つ。
石化の魔術がマーマン達目掛けて炸裂すると、瞬く間に1匹のマーマンが石像と化し、音もなく海底へ沈んでいく。
が、後続のマーマン達は驚いた様子を見せつつも、特に体のどこかが石化した様子もなく、止まらずに突き進む。
「っ……!なんで――」
「ホーリーハンマー!」
トゥーラ目掛けて銛を突き出すマーマンだったが、その攻撃は私の放った神聖術によって阻まれ、光の鉄槌に体を飲み込まれ、吹き飛ばされる。
見事!やはり私のホーリーハンマーならばマーマン程度は一撃で屠れるのだ!有言実行!
が、トゥーラがウダウダしているせいで使いたくないホーリーハンマーを早速使ってしまった!クソ!有言不実行だ!
思わず私は傍らで杖を握りしめるトゥーラに目を向ける。
「トゥーラ!何をしてるんだ!もうちょっと――」
「す……すいません、や、やってるんです……いつも通りにやってるのに……!」
私の声に怯えた様子で、トゥーラはびくりと体を震わせる。
いつもだったらトゥーラの石化魔術だけで、この程度の雑魚の魔物は一気に石化させられるだろう。
が、先程放った魔術はマーマンの先頭1匹を石化させるのが精一杯の様子だった。
恐らくは、だが、先程のダゴンとの戦闘で、奴にかけた石化の魔術が逆にこちらのピンチに繋がったことを気にしているのだろう。
魔術や神聖術、体に宿した魔力や神聖力といったものは、使い手の精神状態に大きく影響を受ける。
出来ると思えば出来るし、出来ないと思うと途端に出来なくなるものなのだ。
歴戦の冒険者、あるいは私のような天才であれば戦闘中の失敗の一つや二つ、微塵も悔いることは無いが、トゥーラは冒険者としての経験自体はまだまだ浅い。ついでに元来そこまでメンタルが強いタイプでも無いだろう。
戦闘に意識を切り替えようにも、心のどこかで自分の魔術に疑念を覚えてしまったのだろう。
『本当に石化の魔術を撃って良いのか』
『また失敗するのではないか』
そういった不安が無意識に魔術の発動そのものに影響してしまい、威力が十全に発揮されないのだと思う。
……まあ、そういうのはもう少し余裕のある時に経験しておいてもらいたかったが!!
正直すごい言いたいことはあるが、それはそれ!今ここでトゥーラを更に追い詰めるのも愚の骨頂だろう。
そう、私は独りよがりで自分勝手な天才ではない!味方のケアが出来る男!いや、美少女!
「慌てるなトゥーラ、確実に一体づつ石化させるだけでも良い!」
「は……はい、すいません……!」
とは言ったものの、トゥーラの石化が無いこの状況はやはり厳しい。
ましてや、敵はマーマンだけではない。先程まで戦闘をしていたダゴンも、マーマン達の後方から未だにじっと私達を見つめているのだ。
既に右腕の石化は解けているようだが、恐らくは先程の戦闘でリガスとカンナが与えたダメージから、こちらに多少の警戒をしているのだろう。
自身が私達に向かって積極的に攻撃を仕掛けてくる様子は無い。
一応はありがたい状況……と言えるだろう。
「ともあれ――どうする、カンナ!」
「天才大神官様なんでしょ!あんたが考えなよ!」
言っている間にも、マーマン達は絶え間なく銛を突き出し、上下左右から私達へと襲い掛かる。
血の槍に石化魔術に神聖術に、と、私達も上手く防いではいるのだが、流石にこれが続けばそう遠くない未来、私達は力尽きてマーマンの餌にされるだろう。
カンナの言う通り、天才の私が何とかする手段を考えなければいけな――
「っだぁ!?」
私が思案を巡らした途端、突き出されたマーマンの銛が私の頬を掠めて飛んでいく。
私達にいくらか撃破されたためか、マーマン達は遠巻きに私達を見下ろしながら、手にした銛や石を投げる作戦に変更したようだ。
確かに、囲まれた状態で逃げられない敵に対して自ら肉薄する理由も無い。なかなか頭が良い。魚のくせに!
「チッ……!」
舌打ちをしながら飛んでくる武器を弾くカンナを見下ろしながら、周囲を囲むマーマン達がギィギィと耳障りな笑い声を上げる。
ギョロリと光る大きな目で私達を見下し、勝ち誇るマーマン達。
その後方に控えるダゴンも、最早マーマン達だけで十分だと確信したのか、息絶える寸前の獲物を見るかのような、余裕すら感じる瞳をこちらにじっと向けていた。
「……腹立たしい」
「何が!?」
「私はなあ……カンナ!自分が優位に立った途端、これでもう勝ったな!とばかりに余裕こいてこちらを見下してくる馬鹿が大嫌いなんだ!」
私がそう言うと、カンナが物凄く怪訝そうな目でこちらを見つめてきたが、そんなことはどうでも良い。
私はああいう奴らが嫌いだ。何故なら、私は天才だから、私の方が上だからだ!
私が奴らを見下すのは良い!天才だから!実際に優秀なんだから仕方ない!が、奴らは数で群れて優位に立ってるだけだ!一匹一匹はカスにも劣る雑魚モンスターのくせに、それで勝った気でいる!実に愚かだ!
「が……私はそういう奴らに吠え面をかかせるのが大好きだ!!」
じっとこちらを見下す目――あのギョロっとした目を、全部ぶっ潰してやる。
私はそう決意すると、それまでずっと傍らに浮かべていた光――ヒーリングトーチを解除した。
闇夜に閉ざされた深海を照らす為の灯、それを解除したことで、神殿内部は瞬く間に漆黒の闇へと姿を変える。
当然ながら、マーマン達も一瞬、私達を見失い、銛の投擲も中断される。
が、マーマンやダゴン、元来暗い海中に住む生物というのは、海中でも僅かな光を捉えて目で物を見ているのだという。
このままならすぐさま元の闇夜に目が慣れて私達を一方的に襲いにかかるだろう。
そう、このままなら、な!
「カンナ!ちょっと、いやかなり痛いかもしれないが――悪いな!目を閉じろ!!」
「はっ、目を閉じっ、なん……」
「ホーリーブレス!」
瞬間、漆黒の海底に一際明るく強い閃光が辺りを照らす。
ホーリーブレス。神聖術による聖なる光の放出だ。
本来であれば単純に広範囲に神聖力を撒き散らし、周囲のアンデッドを滅する為の神聖術、まあつまり普通のブレス同様、闇の眷属以外には効果の薄い術ではあるのだが――
「■■■■――!?」
「あああああああっっっっっづぅぁぁぁぁぁ!!!!」
やはり、だ!
僅かな光を捉え、暗闇に目を凝らすマーマンやダゴン達にホーリーブレスの閃光が突き刺さる。
奴らは嗅覚や音よりもまず目で獲物を捉えているようだったからな!これで少しの間、奴らの目も眩むだろう!
まあ隣でおもっくそホーリーブレスの光を浴びたカンナは魔族への特攻効果で全身が焼けたようにのたうち回っているが、それはそれ、高位の魔族ならホーリーブレス一発程度で死にはするまい。
「ということでカンナ!貴様の目が頼りだ!今のうちに私達の手を引いて逃げるがいい!」
「この状態でよく助けてもらえると思えんね!!あたし別にあんたら捨ててっても良いんだけど!!?」
「ふふん、捨てていったら、それはそれで困るんだろう?」
「そっ……ああもう!!」
なんとも悔しそうな喚き声を上げながらも、深海の暗闇の中、カンナはしっかと私とトゥーラの手を引いて泳ぎ始めるのだった。




