淵の海
迷宮第二層で魔族との戦闘を経験し、地上に戻ってから数日。
傷と疲れを癒したジョーさん達は、今度こそ迷宮最深部を目指すべく旅立った。
当然、俺達はその探索にはついていけない。
普通に断られたし、カミラさんが魔族に狙われたら大ごとになる可能性があるからだ。
そんな状況の今、昼日中の人もまばらな酒場のテーブルで、俺の正面に座るカミラさんが堂々と口を開く。
「それでは、私達も迷宮に潜るとしようじゃないか!!」
「だよね」
「そうだと思ってました」
俺は隣に座るトゥーラさんと視線を交わすと、互いに『仕方ないなぁ』とでも言うような苦笑を浮かべ、カミラさんに向き直る。
と、カミラさんも満足気にふふん、と鼻を鳴らし、話を続けた。
「ふふん、さて、迷宮最深部に行くと言っても、そう簡単なことではない。まずは第二層、宝物塔を抜けなければならない」
「宝物塔を……」
言いながら、カミラさんは迷宮内部の簡素な地図を広げ、その地図上に指を這わせる。
迷宮内部は全て解明されたわけでは無いので、この地図もジョーさん達の話から描かれて販売されている粗雑な物のようだが、それでも旅の指針にはなるだろう。
「とはいえ、だ、今の私達であれば第二階層などは問題あるまい!ふふん、ここは最早考えるだけ無駄だな!スルーだ!」
「え、で、でも……その……例のドラゴンみたいなのがまた出てきたら……」
自信満々なカミラさんに、恐る恐ると言った感じでトゥーラさんが手を挙げて質問する。
ドラゴン、俺達も第二階層でカミラさん達と合流した時に眠っている姿を見たが、なんとも恐ろしく、大きく、圧倒的な迫力を持つ怪物だった。
結局、あの時はみんな疲弊していたこともあって、眠っていたドラゴンをそのままにして逃げ帰ったのだが、もしアレが再び目覚めて第二層にいるのだとしたら……
などと考えていると、俺達の不安を見て取ったのか、カミラさんはまた、にやりと笑みを浮かべて答える。
「心配しなくても良いとも!あんなドラゴンとそうそう何度も出くわしてたまるか!第一、下に降りるルートにあそこを使う必要は無いしな!もう二度とあんなトカゲとであうことはあるまい!」
「……そうだね」
腕を組み、堂々とそう言い放つカミラさんだったが、個人的には今一つ不安が拭えない部分もある。
そもそも、カミラさんがそうやって油断してる時は大体なんだか思いもよらないアクシデントが起こるからだ。
短い付き合いだけど流石にそのくらいは分かる。
と、トゥーラさんも同じ不安を感じ取ったのだろう、俺達二人はまた互いに視線を交わすと、ゆっくりと頷く。
(何が起こっても驚かないようにはしておこう)
そんな俺達の思いに気付いているのかいないのか、カミラさんは尚もゆっくりと、白く細い指を地図上に這わせていく。
「さて、第二階層は問題無しだ!となると、次、第三階層だが……ここが問題だ」
言うと、カミラさんは先程よりも深刻そうな顔付きになり、何かを考え込むように顎に手をやる。
第三階層、このあたりになってくると、行って帰ってきた人間は殆どいない、と思って良い。
第二階層と比べて、極端に情報が少ないらしいのだ。
俺も今まで第一、第二階層で精一杯だったこともあり、第三階層については詳しくない。
「カミラさんは、第三階層がどういうところだか知ってるんですか?」
「おやおや、この私を侮ってくれるなよリガス、当然知っているさ!」
俺がカミラさんに目を向け、問いかけると、待ってましたと言わんばかりに嬉しそうな表情を見せ、カミラさんが口を開く。
「いいかい?この第三階層は通称『淵の海』と呼ばれている。海水で埋め尽くされ、覆われた暗く冷たい階層――それがここだ」
「淵の海……」
「海……め、迷宮の中にですか?」
カミラさんの言葉に、トゥーラさんが驚いたように言葉を返す。
確かに、迷宮の中に海がある、というのもおかしな話だ。不可解に思って当然だろう。
が、そんなトゥーラさんの疑問も、カミラさんは一笑に付すと、更に続けて語り始める。
「何を今更だね、トゥーラ!迷宮の中では何でも起こる!地中である筈なのに森やら塔が存在してるんだ、今更海があったくらいで驚いてはいられないさ!」
「それは――そうですね……」
カミラさんの言葉に、トゥーラさんも納得したのか、ふむ、と、顎に手をやり頷く。
まあ、広大な森林や塔が存在し、どこからか魔物や宝が生まれ、突如として組み変わる迷宮だ。
海くらいはあっても当然なのかもしれない。
というか、それも具現化されたかつての王の記憶、というやつなのだろう。
「さて、そしてここからが本題だが、この淵の海から下に進む為には、一つ……そして最大の問題があるわけだ」
「最大の問題……」
「なるほど、確かに……」
海の階層、そこから下に進む、ということは当然『潜る』ということになるのだろう。
陸地とは違う、潮の流れと浮力と水の圧力に晒されることは想像に難くない。
そしてそこで待ち受ける問題と言えば――
「水中の魔物への対策をどうするか、だね」
「どうやって息をするか……ですね?」
「どのような水着を選ぶか、ということだな!!」
…………
なんて?
―――――――――――――――――――――――
「ち……ちちち、小さくないですか……!?布地が……むむむ、無理ですよぉ!?」
「泣き言をいうなトゥーラ!いいかい?胸が大きいお姉さんはビキニを着るべきなのだ!これは法律で決まっている!」
「き、聞いたことありませんけど!?」
わいわいと騒ぎながら、ああでもない、こうでもないと薄い布地を手に取る女性二人を眺めながら、俺は店のカウンターで大きく溜息を吐くヘムロック翁と視線を交わす。
水着が必要。
そんなカミラさんの言葉に呆れながらも、酒場を出たカミラさんと一緒に行くことになったのは再びここ、ヘムロック魔道具店だった。
水着と言っても、カミラさんの言う水着とは水中防具兼生存装置であるらしい。
つまるところ、水中呼吸の魔術が込められた魔道具としての水着であり、決して迷宮で海に入って遊びたい、とかそういうわけではなかったようだ。
流石にカミラさんも迷宮でそんな馬鹿なことはしないだろう、と思いながらも、カミラさんならあるいは……という気持ちも無いわけではなかったので、そういう疑念が晴れたのは良かった。
それにしても……
「水中呼吸の魔術を込めるだけなら別の装備でも良いんじゃないですか?鎧とか……」
「馬鹿を言え小僧、水中呼吸はあくまで呼吸が出来るだけだ。水中で陸上並みに動けるわけじゃねえ。鎧に水中呼吸をつけたとて、泳げず浮かべずに水中に沈むだけだ」
俺がポツリと口にした疑問に、カウンターのヘムロック翁は面倒臭そうに答えを返す。
なるほど、確かに鎧をつけながら水中を泳ぐのは難しいか……そう考えると確かに水中を探索する為に水着に水中呼吸を付与する、というのは悪くないのかも……
「……と思ったけど、だとしても別にビキニとかハイレグにする必要は無くないですか?」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、今度は競泳用のような、ぴっちりと体を覆う水着を身に着けて試着室から姿を現したトゥーラさんを眺めながら呟くと、ヘムロック翁はペッ、と吐き捨てるようにして俺の独り言に答える。
「んなもん、そっちの方が職人の気が乗るからに決まってるだろうが!女の子には色気もクソも無い装備より露出の高い水着を着てほしい!付与魔術師だってそう思っとるわ!!」
「そこまで熱弁するほどですか!!?」
珍しく激高するヘムロック翁の言葉に、俺がたじろいでいると、どうやら水着を選び終えたのだろうか、元の服に着替えたトゥーラさんと、満足気に笑みを浮かべるカミラさんがカウンター前まで歩み寄ってきた。
「ふふふ、いやあ、トゥーラ、意外と良い体をしてるじゃないか!もう少し自信を持って良いんじゃないか!?私のように!?」
「い、嫌ですよぅ……ふはぁ……恥ずかしい……」
カミラさんの言葉にトゥーラさんが顔を赤らめながら答える。
確かに、トゥーラさんの水着は思ったより……いや、やめろ、俺の馬鹿!パーティメンバーをそういう目で見るな!
全く……カミラさんは女の子だから良いけど、男が軽率に良い体だ、なんて言おうものならセクハラだ。
思っておくだけに留めておけ。
ふう、と息を吐いて俺が自分の精神を抑えていると、カミラさんは先程選んだであろう水着をいくつかカウンターの上に広げる。
万が一、水中で装備が破損した際のことも考えて、水着は各自2枚ずつ持っていくことになった。
つまり、今カミラさんがカウンターに広げた、トゥーラさん用の水着が2枚、俺用の海パンが2枚、カミラさん用の水着が――
「……あれ?カミラさん、俺用の海パンが4枚もありますけど――」
カウンターに置かれた水着を眺めて覚えた違和感を口にする、女性用の水着が2枚しか無いのに対して、男性用の水着が4枚もあるのだ。
俺の分だけなら2枚でいい筈なのに……と、疑問を告げると、カミラさんはポカン、とした表情で、何がおかしいのか分からない、という風に答える。
「こっちの海パン2枚は私のだが?」
「は??」
海パン、よもや海パンで?
カミラさんは上半身裸で海に入るつもりなのか?
あれっ、女性、女性だよな、女性なのに?
と、俺が困惑していると、不思議そうな表情を浮かべるカミラさんの肩を、トゥーラさんが後ろからがしり、と掴み、笑顔で告げる。
「カミラちゃん……水着、私が選びましょうか……!」
「えっ、待て待てトゥーラ!!いや、だって私、その、そういう食い込みとか女性っぽい装備は前のトラウマが……そっ、ちょっ、と、トゥーラ!!!」
かくして、トゥーラさんは笑顔でリベンジを果たすべく、カミラさんを水着と一緒に試着室に押し込むのだった。




