バジリスク
――バジリスク
『蛇の王』とも称されるその魔物は、しなやかでありながら、固く、分厚く、長く巨大な胴体を持ち、凶悪な牙を持つ大蛇だ。
その体躯だけでも見るものに威圧感を与える恐ろしい魔物ではあるのだが……最大の特徴はその赤々と不気味に光る邪眼だろう。
バジリスクはこの邪眼で見たものを石化させることができる。
魔力を込めた邪視をその身に受けるだけでも、見られた一部分は石化してしまうし、目が合いでもしたら一発で全身が固まってしまう。
そうして石化した獲物を、バジリスクは保存食として自らの縄張りの中にいくつも確保しておくのだ。
石化したトゥーラが沼地でそのまま放置されていたのも、恐らくは腹が減るまで保存するつもりだったのだろう。
そんなバジリスクが今、迷宮の森の中を逃げる私達の背後から猛然と迫っていた。
「あいつ!なんで俺達を襲ってくるんですか!?」
「ムウ……恐らくは縄張りに踏み込んだからか、保存食を石化解除して持ち帰ろうとしているからだろう」
「ふへぇ……ごめんなさい……!」
叫ぶリガスにテレンスが冷静に返すと、トゥーラが謝りながらも走る。
全くだ!くそっ!私が石化解除してやったのが裏目に出てしまった!
と、逃げる私達の背後、バジリスクがその妖しい目を光らせる。
「隠れろ!」
テレンスの合図を聞き、慌てて大きな木の影に隠れる。
と、次の瞬間、真っ赤な閃光が走ったかと思うと、隠れていた大木の一部がひんやりとした石に変わる。
唸り声を上げながら、その石化した大木を睨みつけるバジリスクの視線を避けながら、テレンスが周囲の倒れた大木のうろへと手で誘導する。
巨大な木のうろの中は、そのまますっぽりと数人が入れるほどの広さがあった。
この中であれば、ひとまず視線を受けることはあるまい。
と、人心地ついたところで、私はやれやれと口を開く。
「ひとまずどうにかなったが……だが、見つかるのも時間の問題だろうね、困ったものだ」
「カミラさん、あいつが今回の異変の原因かな?」
「恐らくはな。バジリスクは本来ならば第三階層に出現するランクCの魔物だ。何も無ければこんなところには出ないさ」
あいつが第一層に出現し、ポイズントード達を住処から追いやったことで今回の異変が起きたのだろう。
凶暴な性質と邪眼を持つバジリスクは自分の縄張りに無造作に石化した獲物を保存する。それ故に縄張りに踏み入る者に関しては敏感だ。
元々ポイズントード達の縄張りだったところを占拠して、更にそのまま縄張りを広げているのだろう。
全く、厄介なことをするものだ。
「ともあれ――どうする?テレンス?あいつに勝てるか?」
「フム、無理だな……儂もCランクの冒険者だが、あくまで斥候だ。戦闘がメインの職業ではない」
「ふふん、だろうね!私のような天才神官ならともかく、斥候程度ではそんなものだ!」
「言うではないか、お嬢さんならば勝てると?」
「はっ、神聖力が足りていて囮になる馬鹿が何人かいれば、楽勝だね!」
「それ、結局無理ってことじゃない?」
呆れたようにリガスが口を開く。
失礼な奴だ。神聖力さえ足りていれば私ならホーリーハンマー2発もあれば倒せるんだぞ。
まあ弱体化してしまった今の体では話は別だが……ともあれ、現状やや倒すのが難しいことは事実だ。
と、なれば、どうするか。
「フム……原因がわかった以上……ここはジョーに助けを求めるしかあるまい」
「むっ、あの馬鹿に……ぐぬぬ……仕方ないか……」
あいつに助けを求めるのは屈辱だ……が、確かにあいつならバジリスクの一匹や二匹、簡単に対処できるだろう。
腐っても街一番の冒険者と呼ばれるだけの実力はあるのだ。
しかし、そうなると新たな問題が出てくる。
「中間地点まで、俺達全員で報告しに戻れるかな?」
「……難しかろうな」
テレンスがちらりと木のうろから外に目をやると、バジリスクがチロチロと真っ赤な舌を出しながら、こちらに近づいてくるのが見える。
キョロキョロと辺りを探しているようだが、そう遠くない内に私達を見つけるだろう。
ここで私達四人全員で飛び出したら、それこそその場で気付かれる。
バジリスクに追われながらジョー達のいる中間地点まで辿り着けるか、と言われたら難しいだろう。
だが――
「貴様一人なら、どうだ?テレンス?」
「……抜けられるとも。これでもC級の斥候だ……が……」
言いながらテレンスは目を泳がす。
身軽なプロの斥候一人ならば突破できる。
が、テレンスは恐らく、私達を置いていくことを不安に思っているのだろう。
テレンスが抜けたら、この場にいるのは天才神官の私と、E級の狂戦士、同じくE級の石化フェチの変態魔術師だ。
うむ、このパーティでは私以外に頼れる者はいないな!テレンスが不安がるのも当然だろう!
だが、それでも、だ。
「それでも――俺達は冒険者だ。危険に身を置かなきゃ成長できない、だよね、カミラさん?」
「ふふ、わかってるじゃないか、リガス」
「伊達に君とパーティ組んでるわけじゃないさ……だから、テレンスさん」
「……ウム……ならば何も言うまい。だが、無理はするでないぞ」
言うと、テレンスは素早い動きで木のうろから飛び出し、巧みにバジリスクの目を盗みながらどこかへと消えていった。
私は奴の姿が消えたのを確認すると、目の前のリガスと視線を合わせ、頷く。
「よし……それじゃあ、カミラさん、俺達はここでしばらく身を守って――」
「よし、リガス!これでようやく――邪魔者が消えたな!
「……えっ?」
「えっ?」
私の言葉に、リガスのみならず、隣で震えていたトゥーラまでもがポカンと間抜けな表情を浮かべて私を見る。
ん?なんだ?変なことを言ったか?
はて?と私が疑問に思っていると、リガスは震えた声で私に問いかける。
「いや、あの、カミラさん……俺はこのままこの木のうろで身を守るつもりだったんだけど……」
「やれやれ、何を言っているんだリガス。私は天才だぞ?」
木のうろで身を守るだと?バジリスク程度から?
はっ、やれやれだな!これだから戦士というのは頭脳が足りていない!
私は呆れたように、はぁ~と大きな溜息をつくと、胸を張ってリガスに答える。
「このまま、バジリスクを倒すぞ!私達だけでな!」




