心砕けて1
残酷な描写があります
「と…う…さん?」
直後、周りの草むらが騒ぎ出す。それに混じって複数の足音も。
「ひっ」と僕はか細い声を上げると、父さんは僕に覆いかぶさるようにして、一緒に馬車の荷台に倒れ込んだ。
同時に父さんは苦しそうに咳き込む。
「あっ、ああっ、と、父さん⁉︎」
父さんが咳き込んだことで僕に唾とそれに混じった血が僕にかかる。
母さんが悲鳴に近い声を上げながら父さんを助け起こす。そして矢を一息に抜いてそれを投げ捨てた。
母さんは更に父さんの傷痕に両手を重ね当てて何かを強く念じ始めた。すると淡い緑色の光が母さんの両手、父さんの胸に吸い込まれていく。
これは僕のような子供の手に負えることではないと判断し、御者さんを探し始めた。
馬車の内側からこっそり御者席を窺うとそこに御者さんはいない。代わりに軽そうな皮の胸当てや、錆びた鉄の剣を手に草むらからこちらを窺っている男達が見えた。前だけなんてことはないだろう。僕はこの馬車が盗賊達にぐるりと囲まれていることを理解した。
父さん達の方を振り返ると父さんの荒い息遣いは収まり、逆に母さんが額に玉のような汗をかいていた。
「父さん、母さん! 盗賊だよ! 囲まれてる! それに御者さんもいない!」
父さんと母さんは互いに頷き合い僕に手を伸ばす。
「ノア、あなたはここに隠れてなさい。…あなた?」
「ああ、僕が出て交渉してくるよ。今仕掛けてこないってことは多分、今貴族用の馬車だってことに気付いたってとこかな」
父さんは以前青い顔ながらそう答えた。
「では私も行きます」
「ッ! 君はここにいるべきだろう! ノアもいるんだ!」
「あなたはいざというときどうするんですか! 第一、戦闘力的にはあなたより私の方が上です!」
父さんは肩を落とし、震える声で呟いた。
「…分かった。ただし交渉は僕が。君は僕の後ろにいて馬車を守ること」
「……分かったわ」
母さんは不満そうに頷く。
僕はそのやり取りをただ黙って見ていることしかできなかった。母さんは手近にあった毛布を僕に被せ、言い聞かせてくる。
「ノア、ここで静かに隠れていること。私達があなたを見つけるまで動いてはダメよ」
そう言って僕を人撫でしてから父さんに続いて馬車から降りていった。
思わず手を伸ばそうとして止めた。僕にできることはここで息を潜め、耳を澄ませることだけだ。
やがて父さんの柔らかい声と、知らない男の野太い声の会話が始まった。
「私はエファーリ男爵だ! 君たちの目的は何だ!」
「やっと出てきたか、悪いが目的は金でも物でもねぇ。あんたの命だよ」
「ッ! どういうことだ!」
「そのままの意味さ、撃てっ!」
その瞬間僕は息を呑んだ。しかし無事を確認することは出来なかった。それと同時にゴトンと何かが馬車に乗り込んできたからだ。
その音を聞いてすぐさま体を丸め、みっともなく歯を鳴らす。
しかし僕の必死の隠密はあまり意味がなかった。
「坊ちゃん坊ちゃん、無事ですかい?」
その言葉に僕はガバッと顔を上げた。そこにいたのは御者席からこちらを覗き込む御者さんの姿だった。
「無事なようですね、さぁ坊ちゃんこちらへ」
僕は一も二もなくその伸ばされた腕を掴む。そして力強く引き上げられ、
首元にあの錆びた剣をあてがわれた。
「ひっ、ぎょっ、御者さん⁉︎」
「大人しくしてて下さいねぇ坊ちゃん?」
歯が再び鳴り出す。怖くて体がピクリとも動かない。
「ど……して…」
その声は無視されたのか聞こえなかったのか、返事はなかった。
御者さんは僕に剣を当てながらゆっくり馬車を降り、その後方。父さん達がいる方へと歩き出した。
そこの光景は熾烈なものだった。父さんは盗賊から奪ったのか剣を振って何人目かの盗賊を血の海に沈め、母さんも髪が振り乱れるのも気にせず盗賊に切り掛かっていく。
だが二人の姿は所々血が滲んでボロボロだった。
ふと御者の男が戦いの後方で腕を組んでその様子を眺めている男に声をかける。
「おいおい、まだ終わってねぇのかい?」
「頭! スンマセン! すぐ終わらせます!」
父さんと母さんもこちらを向く。
「ノア⁈」「ノア‼︎」
二人とも悲痛な声を上げ周りの盗賊を吹き飛ばしてこちらに駆け寄ろうとしてくる。
僕に刃を向ける御者を見て大体の事情を察したのだろう。
御者も慌てることはしない。
「おっと、お二方。そこで止まっていただきやしょうか? 動けばどうなるかお分かりでしょう?」
二人は悔しげな表情をしてその場から動かなくなる。そこをすかさず盗賊達が押さえ込み、体を地に伏せさせて取り押さえる。
僕はそこでようやく声を出せるようになった。
「父さん! 母さん!」
二人は精一杯にこちらを見上げてくる。
「随分と粘りやしたねぇ。まさか二人もやられてしまうとは」
「まさか盗賊を雇っていたとわね。…その子、ノアだけは見逃してくれないかい?」
「へへっ、旦那ぁ、ご冗談を。目撃者や関係者を逃す訳がないでしょうに」
父さんも母さんも身動ぎを繰り返す。
「頭ぁ女を捕まえたってことはお楽しみはありってことですかぁ?」
父さんと母さんの顔が強張る。
御者は一瞬面白そうな顔を二人に向けたがすぐに逸らす。
「いや、ダメだ。あまり時間は掛けていられねぇ。さっさと殺してずらかるぞ」
その言葉に父さんと母さんは更に反抗を強めた。僕も引っ張り上げられた腕以外、足をバタバタさせて反抗した。
父さんと母さんの上に乗っていた男が同時にその剣を振り上げる。
僕は声が出せなかった。二人がこちらを見つめ優しげな、いつも僕に見せてくれる表情を浮かべる。
僕を安心させようとしてくれているのか、最後の言葉を言おうとしているのか。
僕は抵抗することすら忘れて、その振り上げられた剣の切っ先に、魅せられたかのように動けなくなる。
動かなきゃいけないのに、誰かに押さえられているのか、両親に止められているのか、動いてどうすればいいのか分からないのか、ただ動けない僕がそこにいた。
その切っ先は父さんと母さんの首元に吸い込まれるように落ちていく。僕は絶望の表情を浮かべて、盗賊は愉悦の表情を浮かべて、御者は無表情で。
父さんは優しげな目をしていた。母さんは強く僕を見つめていた。
そして、鈍い音を立て、赤い血が溢れる。
二人の首は地を転がった。