私はレティシア・ランべ―ル
私には前世の記憶が少しだけある、本当に少しだけだけど。
覚えているのは大勢の群衆の中で1人の少年がこちらに指を指していたこととギロチンで処刑されたこと。
本当にそれは前世なの?夢の話じゃないの?と言われるかもしれない、でもこれは確かに私の前世であると確信できる。
私には生まれつき普通の人とは違う特徴がある。
冬の凍えそうな寒い日に教会の孤児院の前で捨てられていた赤子の私の首には何故か1本の線が痣のように浮かんでおり、多分産みの親もそれを気味悪がって捨てたのだろうと教えてもらったことがある。
私が大きくなってもその痣は消えないまま。
私は物心ついた頃から毎日前世の記憶を夢で見る。涙を流し震えながらギロチンの前に立つ私、人々は私に向かって喉の奥が見える程に口を開けて罵声を浴びせる、死ね死ね死ねと耳にこびりつく言葉、髪を乱暴に掴まれてギロチンの台に頭を押し付けられる―――小さい頃はその記憶を見る度に号泣してシスターに縋りついた。今では慣れてしまっているがそれでも恐ろしい記憶。
その記憶の私は土や血で汚れているけど立派なドレスを着ていたから、前世の私は貴族だったのかもしれない。どんな罪を犯したのだろう、何故前世の私は殺されなければならなかったのだろう、分かるはずがないのに不思議と考えてしまう。
私が8歳になった時、孤児院に1人の貴族の男がやって来た。
彼は孤児院の子供達を物色するかのように見て回る、私は怖くなって何人かの幼い子供達を部屋の奥に隠していた。その貴族は私を見つけるとニヤリと怪しい笑みを浮かべ指を指す、嫌な予感しかしなくて恐怖で震えているとペコペコと貴族に頭を下げ続ける神父様に無理矢理前に連れていかれる。
「貴様の名前はなんだ?」
「……レティシアです。」
「ふむ…痩せていて見窄らしいが顔立ちは良い、おい神父こいつを養子にする、直ぐに準備をせよ。」
私は我儘を滅多に言わない子供だったので何も持っていなかった、私を姉と慕ってくれている子供達に行かないでと泣きつかれてしまったが何とか振り切って貴族の用意していた馬車に向かう。
私にとって家はあの孤児院だった、家族は神父様とシスター達と兄弟のように仲の良い子供達だった。少しずつ遠くなる孤児院をぼんやりと見つめながら泣きそうになるのを懸命に堪えていた。
貴族の男はランべ―ル伯爵家の当主だった、伯爵家と言っても歴史が古いだけの名ばかりの貴族で資金不足に常に悩んでいる癖に領民から高い税を巻き上げ、借金をしてまで毎日パ―ティ―や新しいドレスに宝石を買うような馬鹿な人達だった。
何故私を養子に迎えたのか理由は分からないが、伯爵家の人間達は私を快く迎えることは無かった。首に走る線のような痣を気味悪がり、呪われた子だと部屋を遠くの場所に移されてろくに食事も与えて貰えなかった。はっきり言うと確かに貧しかったがまだ孤児院の方がマシな生活を送れていた。義理の母や姉達にも会う度に虐められていたしそれを見たメイドにも酷い扱いを受けた。
でも味方もいた、若いメイドのナタリーは私に対する扱いの酷さに涙を流し、仕事の合間に食事を用意してくれるなどの身の回りの世話をしてくれた。長年執事として仕えてきたパトリックは私に伯爵令嬢として最低限必要な社交界での教養や基本的な文字や歴史、地理、経済について教えてくれた。私は学問については前世の私の記憶で何となく覚えているのだろうか飲み込みが早く、直ぐに覚えた。パトリックは義姉もこれくらい勉学に対して意欲があり賢ければいいのにと感動しながらさらに教育に熱を入れてくれた。
そうして苦労しながらも支えてくれる人達に恵まれて私は14歳を迎えた。誕生日は知らないので私は孤児院に拾われた日を誕生日にしている、お祝いしてくれたのはナタリーやパトリック、後は仲のいい使用人達くらいだがそれでも幸せだった。
その日に私はランべ―ル伯爵もとい義父に呼び出されたので執務室に向かう。途中で義母と義姉が泣きながら寄り添って歩いている所を見たので嫌な予感しかしない。
「お姉様!」
と愛らしい声が聞こえるので振り向けばランド―ル家の跡取りとされているまだ6歳の義弟のアレクサンドルがこちらに向かって小走りで向かってくる。伯爵家の家族は皆私を気味悪がり嫌っているがアレクサンドルだけは私をお姉様と慕ってくれている、とても可愛い義弟だ。
「アレクサンドル様、私は確かに義姉ですがお義父さまに聞かれてしまってはまた怒られてしまいます。」
「でも僕はお姉様が1番好きなんだもの…ねぇアレクって呼んでくれないの?お姉様にアレクって呼ばれるの大好きなんだ。」
青色の目を潤ませて見つめてくる…私はこれに弱いのを知っているので6歳ながら恐ろしく賢い子である。この子が次期当主ならランべ―ル家はまだ少しはマシになるだろう。
「もうアレク……お姉様を困らせないで、ね?後で絵本を一緒に読みましょう…いい子で待っていてね。」
「うん!お姉様、僕いい子で待ってるよ!!」
その後アレクサンドルを部屋に帰るように促すと再びお義父さまの待っている執務室に向かう。私が約束の時間の少し前に来ても遅れても怒るのでぴったりの時間に行かないといけないのである。
扉の前で小さく深呼吸をしてノックをする。
「……お義父さま、レティシアが参りました。失礼してもよろしいでしょうか?」
「入れ。」
ランべ―ル家に来て6年が経ったが義父と会話する事はほとんど無いのでとても緊張する。背中に冷や汗が流れるが何とか心を鎮めて部屋に入る。義父と目が合う、この家に来てから毎日周りの人間の顔色を伺って生きてきた私には今の義父は少し困っているような悩んでいるように見えた。
「いくらお前でもランべ―ル家が長年資金不足に悩んでいる事を知っているだろう?」
「はい、お義父さま。」
その原因は貴方達の金遣いの荒さと杜撰な領地の管理方法ですけど、と心の中で付け足しておく。口に出せば1週間は地下室に閉じ込められるだろう、1度…いや3回ほど酔った勢いで入れられた事があるが真っ暗闇の環境で食事も水も無く本当に死ぬかと思った、あれ以来私は暗闇が苦手になった。
「ガルニエ家を知っているか?」
「はいお義父さま、ガルニエ準男爵家のことですね。商家上がりの新参の貴族ですが、貴族になり得るだけの潤沢な領地の資源と資金が特徴だと以前書物で拝見しました。」
実際にはパトリックに教えてもらったが言ってしまうと、義姉が授業を嫌がって彼を追い出す度にその時間を使って私に教えてくれていた事がバレてしまうので黙っておく。
「知っているかと聞いたのだ、知っているだけで良い。」
「申し訳ございません。」
「その家からエリザベートに婚約の申し込みが来たが、結婚すれば我が家には祝い金として充分な資金が入るそうだ…だがエリザベートは自分よりも身分が下の者と結ばれるのは嫌だそうでな…。」
成程と思った、この先の展開が読めすぎて笑いそうになるのを堪える。資金は無いが名ばかりの伯爵家と資金や資源に恵まれているが爵位の低い準男爵家…確かにお互いにメリットがある。
先程義母と義姉が泣きながら去っていったのはこれが原因か、あの2人はプライドが高いので身分な下の人間の元に嫁ぐなど有り得ない話なのだろう。
「そこで、だ。レティシアお前が義姉の代わりに嫁げ。」
「はいお義父さま。」
拒否などして無駄である、諦めて受け入れるしか無い。私の人生は常に都合よく誰かに利用されて捨てられるばかり、余程前世の私の行いが悪かったのだろう。
「エリザベートは体調不良の為、義妹のレティシアを嫁がせる。まぁそれでいいだろう、あの小汚い孤児院からここまで育ててきてやったんだしっかりと恩返しをしろ。」
「伯爵家の人間としてしっかりと努めてまいります。」
頭を下げれば義父は満足そうに頷き、部屋に帰れと指示をする、部屋に帰るとナタリーが心配そうに出迎えた。
「レティお嬢様!エリザベート様が泣きながら帰ってきたかと思えばしばらく1人にしろと仰るので来てみれば…パトリックさんから聞きました、なんということでしょう……お嬢様…。」
「泣かないでナタリー…こうなる事は分かっていたわ、多分養子に迎えられたのも何れこうする為だったのよ、今までありがとう。」
気の強いナタリーが泣く所は初めて会った時以来だった、アレクサンドルが私をお姉様と慕うように私もナタリーを姉のように慕っている。そんなナタリーが泣く所を見るのは自分の事よりも辛い。
「ナタリー、私頑張るわね。貴方が育ててくれたんだもの…お義父さま達の為だなんて嫌だわ、私はナタリーやパトリックさん、他の使用人達とその家族の為に嫁ぐのよ。貴方達に恩返しが出来るの…そう考えればとても名誉なことよ。」
私、レティシア・ランべ―ルはまさかその後に死ぬ事になるなんてこの時は全く思っていなかった。
質素な部屋にメイドと令嬢が2人寄り添って泣いていた。