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二章(1)浦上村国という男

「父上が亡くなられたか……」


  小寺則職(こでらのりもと)からの密書が置塩城(おきしおじょう)二の丸書院の赤松政村(まさむら)のもとへ届けられた。

政村は密書を開いて読み、使者に対してこう呟いた。


  大永(たいえい)元年(1521年)九月十七日に赤松義村(よしむら)が討ち果たされた。その衝撃的な事件はすぐに国中に広まり、赤松家中に波紋を広げた。


 浦上村宗(むらむね)は、何度も戦いを挑んでくる赤松義村が邪魔だったのだろう。赤松家中のこれ以上の混乱を望まない洞松院(とうしょういん)が、浦上村宗のこの行動を支持していたのも想像できる。

 一応、下手人は不明ということではある。とはいえ、浦上村宗領の室津(むろつ)(たつの市)で、義村は殺されたのだ。おそらく、村宗の手の者がやったに違いないと、密書の中で小寺則職は述べていた。十歳の赤松政村も、村宗と洞松院が話し合って、父を殺したのだと思っている。


 父が討たれたという一報を受けた政村には、様々な感情が湧き出てきた。

 父が死んだということを素直に受け入れられない戸惑い。

 次は自分が殺されるのではないかという不安。

 浦上村宗が犯人とは決めつけられないが、彼に対してこみ上げてくる怒りと恐れ。

 そして、ついにこの時が来たか、という思いも政村にはあった。

「ここまで全て、浦上村国(むらくに)と話しておった通りに進んでおる」

 

 さて、浦上村国とは誰か。

 赤松政村と村国の出会いは半年前の(えびす)まわしまで遡る。


 父赤松義村と、浦上村宗の「和解」に違和感を持ちつつ、夷まわしを見ていた政村。小寺則職に対して疑念を吐露するも、則職は村宗の策謀を見抜くことができていなかった。


 しかし、村国は違ったのである。


----------


御屋形様(おやかたさま)。私は浦上因幡守(いなばのかみ)村国と申す者でございます」


 夷まわしも披露し終わり、宴も終わりに差し掛かってきた頃、政村に声をかけてきた男がいた。彼は四十歳くらいの年齢だろう。頬から顎にかけて、豊かな髭をたくわえており、荒武者のようにも見えた。


 浦上家の者から挨拶を受けるとは少し気分が悪い。とはいえ、相手の話に合わせることも必要だ、と政村は思った。

「村国と言ったか。わしは、家臣の名も全然覚えてはいないが、浦上家の者じゃな。掃部助(かもんのすけ)(浦上村宗)を助けるのじゃぞ」と応じた。


 それに対して、村国は予想外の返答をしてきた。

彼奴(きゃつ)を助けるなど死んでも御免にございまする。奴は我が仇敵(きゅうてき)にございますれば」


 政村は驚いて、村国をじっと見た。しかし、嘘をついているようには見えない。

 そういえば、浦上家中も一枚岩ではないということを、父や小寺則職から聞いたことがある。政村は思い出した。


「何を言う。どこで掃部助の家来が聞いているか、分からんぞ」

 村宗の仇敵と言ってはばからない、この男に、政村は興味を持った。とはいえ、村宗の手の者も多くいるこの場で話を聞き出すわけにもいかない。政村は冷静な対応を心がけた。


「しっかりしていらっしゃる。夷まわしを見ていた時の御屋形様には幼さも感じたが。あれが、まるで演技のように思えるほどじゃ」

 そう言って、村国は首を傾げ、目を見開いて、幼君を仰ぎ見た。


 演技であると見抜かれていたか。政村は苦笑する。

「なかなか面白い奴だな。夜も更けて、少し眠いのじゃが、この後、書院に来ぬか。お前に色々と話を聞いてみたい」

「恐悦至極に存じまする」村国は謹んで、政村の依頼を受けた。



 置塩城二の丸書院。

 赤松政村は小姓の定阿(じょうあ)に人払いをさせ、ここに村国を通した。

 夜も更け、他の赤松家臣は山上の宿所に泊まっている。傀儡師(くぐつし)一行も、今日は山上に留まり、明日、城を発つという。


 戦国時代の夜は暗い。二人の間を照らすのは、畳敷きの上段の間と下段の間の間に置かれた和蝋燭のみである。和蝋燭の揺らぐ炎の周りだけ、明るい空間が生まれ、お互いの表情を読み取ることができる。


 余談だが、和蝋燭の芯は和紙で、蝋は(はぜ)の実を搾ってつくったものなど植物性の原料からできている。現在よく見られる西洋ろうそくに比べて太いが、(すす)が出づらく、蝋も垂れにくい。

 初出は『太平記』に見られることから、室町時代に広がったものと考えられる。とはいえ、上層階流のみに用いられたもので、当時としてはかなり高価な品であった。


 さて、当主たる赤松政村は、家臣である村国に比して一段高い上段の間に座する。

「因幡守(浦上村国)よ。そなた掃部助を敵と言っておったが、今まで何度も彼奴と戦っておるのか?」と、政村はやや前のめりの姿勢になって尋ねた。


「掃部助の先代、美作守(みまさかのかみ)(浦上則宗(のりむね))の代から、何度も刃を交えておりまする。まあ、全て負けておりまするがな」


 浦上分家である浦上村国と、則宗・村宗と続く浦上宗家の間の戦いの歴史は長い。


 まず、一度目の戦いは、明応八年(1499年)のこと。

 当時、専横を奮っていた宗家の浦上則宗に対し、村国が反旗を翻したのが始まりである。播磨・備前の国境地帯で戦闘は繰り広げられた。播磨国の中山城(たつの市)を拠点として村国は善戦し、則宗を白旗城(上郡町)に追い詰めた。しかし、則宗の懐刀であった家臣の宇喜多能家(よしいえ)の活躍によって押し返され、村国は敗北した。


 二度目は永正十六年(1519年)のこと。

 赤松義村に協力して、浦上村宗討伐に参加し、村宗の本城である備前国三石城(みついしじょう)を囲んだ。三石城内には動揺もあったが、宇喜多能家がよく兵をまとめて抵抗した。そして、義村軍は船坂峠(ふなさかとうげ)の戦いで敗北、播磨国へ押し戻されて攻撃は失敗した。


 三度目は翌年、永正十七年(1520年)のこと。

 これも赤松義村と協力して、村宗を攻めた。この作戦は大規模で、村宗の本拠地である備前国と、村宗派の中村氏がいる美作国を一気に叩こうという戦いであった。浦上村国は、村宗の本城である備前国三石城を攻めた。一方、小寺則職は東美作の岩屋城(津山市)に籠る中村則久(のりひさ)を攻撃した。赤松義村勢の圧倒的な数的優位があり、村国も今回こそ勝利は間違いないと思った。


 しかし、またしても宇喜多能家が八面六臂の活躍をする。朝駆けを繰り返すことで、劣勢の岩屋城を支え続け、最後には小寺氏家臣の裏切りをも誘い、美作戦線を勝利に導いたのである。

 これにより、義村は備前・美作からの撤退を余儀なくされ、逆に播磨国への村宗勢の侵入を許す始末。この敗戦によって、義村は隠居を迫られ、政村が次期赤松宗家当主として立てられたのであった。


「ううむ。全て負けておるのか……。しかし、宇喜多和泉守(いずみのかみ)(能家)には毘沙門天が味方にでも付いているのかの。聞けば聞くほどに怖いわい」

 村国の三度の敗戦全てに、宇喜多能家の名が出てくることに、政村は驚いた。


「宇喜多和泉守は智勇に優れた武将と名が高うございます。島村弾正左衛門(だんじょうざえもん)貴則(たかのり)と共に、浦上宗家を支える柱の一つでございますゆえ」

 村国は飄々として答える。

「さて、長々と辛気臭い話をしてしまいましたが。御屋形様が夜更けに拙者を書院まで、お呼びだてくださったのは、こんな昔話を聞くためではないでしょう」


 村国のその呼びかけを受け、政村は緊張をほどくために大きく息を吐いた。


 そう、彼を呼んだのは、自身の胸のざわつきを抑えるため。浦上村宗が父の義村に再び従うという話を聞いた時、本来なら喜ばしい話であるのに、政村はそれに何とも言えない違和感を持った。

 頭のよい村国ならば、胸の奥から湧いてきて止まらない、このぼんやりとした疑いの心を晴らしてくれるのではないか。そう思ったのだ。


「……その通りじゃ。長い間、浦上宗家と戦ってきた、お前だから聞きたい。掃部助が父上にまた従うという話は、本当のことだろうか」

 この問いの先に、どんな答えが待っていたとしても知りたい。政村はそう思った。


「恐れながら、拙者の思うことをそのまま申す前に、確認したき儀がございまする」

 村国は神妙な面持ちで上座にいる主君を仰ぎ見た。

「確認したいこととは、何じゃ」

「御屋形様にはどのようなことでも受け入れる、強い御覚悟がありまするか」


「勿論じゃ」

 即座に政村は答えた。


 村国は幼君の堂々とした佇まいに感銘を受けるとともに、いたく気の毒に思った。そして、その覚悟に応えるように、声を張って申し述べた。


「その雑説は笑止千万のものと心得まする。性因(しょういん)様(赤松義村)に、掃部助が臣従するなど真っ赤な嘘。性因様を再び陥れるための、掃部助の謀略に他なりませぬ」


 村国は率直に思うところを話した。


 三度の戦に勝ち、優位に立つ浦上村宗が、今更、義村に臣従することは有り得ないこと。

 しかし、義村が将軍家の跡継ぎ候補である亀王丸(かめおうまる)を外護しているのは、村宗にとって脅威であること。

 恐らく、今回の主従の「和解」の話は、赤松義村を油断させ、亀王丸を奪い取るために村宗側が喧伝したものであると考えられること。

 もし、この推測が正しいものであったとしても、村宗が義村への臣従を声高に叫んでいる限りにおいては、村宗の謀略を妨害する術はないということ。

 そして、亀王丸が一旦、村宗の手に渡れば、誰も村宗を敵に回すことはできないこと。


「なるほど。掃部助が亀王丸様を手に入れるために、このような怪しい噂を流したということか。とても嫌な気分じゃが、よく分かる話じゃ。まあ、彼奴のやろうとしていることを知っても何もできないというのは、とても辛いが。気休めを聞くよりはよい」

 脇息きょうそくにもたれかかる政村。


 強い言葉とは裏腹に、その腕は少し震えている。視線を右下に落とし、表情も硬い。そして、小さく溜息をついてから、おもむろに顔を上げた。


「で、掃部助が亀王丸様を手に入れた後、父上はどうなるのだろう」

 政村は感情を押し殺した小さく低い声で、村国に尋ねた。


「どうなるとは?」

「生きて、わしの前に戻ってきてくれるのか、ということじゃ」


(幼いながらにして、そこまで先が読めてしまうとは。おいたわしい)

 村国は一瞬、その問いに答えるのを躊躇した。


 しかし、主君は悲愴なる決意をもとに、己に尋ねているのだ。そう考えると、目の前にいる主君を子ども扱いすることは最早できないと悟った。

「掃部助が、先の御屋形様を生かしておくことは考えられませぬ」


「そうだろうなあ。」

 政村は天井を見上げた。

「父上に色々と教えてもらうことは、もうないのだろうなあ……」

 虚ろな表情でぽつねんと呟く政村。


 和蝋燭の穏やかな灯が揺れて、書院の天井を照らす。

 天井は、格天井(ごうてんじょう)となっていて、一つ一つの格子の中には装飾として、藤などの花が描かれていた。置塩城の完成当時は色鮮やかに天井を彩っていたのだろう。しかし、今では色も落ち、くたびれた印象すら与えている。時の流れの残酷さを政村は天井の装飾にも感じた。


「御屋形様、大丈夫ですか」

主君の様子を見ていて、心配になった浦上村国は恐る恐る尋ねた。


「……ああ。心配はいらぬ。もし、父上が亡くなれば、わしは掃部助を絶対に討つ。掃部助が亀王丸様を将軍にしたとしても、関係ない。わしについてくる者も、沢山いるはずだ。わしが立てば、そなたも勿論付いてきてくれるよな、伯耆守」

 政村は、虚ろな表情で流れるように言葉を継いだ。


 政村が父と別れる時、父は「正しいと思う戦い」を続けると子どもに誓った。父はその言葉通り、戦い続けた。

 父にはできれば生き続けてほしい。

 村宗が再び、父に臣従し、父が大名として戻ってくるのであれば、そんな夢のようなことはない。


 しかし同時に、浦上村宗はそんなに甘い男ではないということも、洞松院との刺さるような会話の応酬を普段から聞いている政村は理解していた。

 だから、浦上村国に尋ねた。


 村国の答えた謀略の線がもっとも起こり得ることであろう、そう判断できる冷静な分析力も九歳にして彼にはあった。


 そして、謀略が達せられ、父が死ぬのならば。その父の「戦い」を継ぐ者は、赤松宗家十一代当主である自分しかいない。そのような悲壮な決意も、彼には既にあった。


「それはなりませぬ」

 当主の痛いほどの気持ちを分かっていながら、分かっているからこそ、浦上村国はそれを止めた。

「拙者は弔い合戦に出ますが、御屋形様が勝算の分からぬ戦に出ること、断じて承服できかねまする」


「はあ?何を言っておるのじゃ。頭がおかしくなったか。」

 政村は、もたれていた脇息を投げ捨てて、立ち上がった。

「そなたは一生、わしに掃部助の傀儡であれと申すのか。彼奴を父親代わりにして、わしは生きねばならぬのか。馬鹿なことを申すな」

 呆れを通り越し、怒りに達したか、今にも村国に殴り掛かりそうな勢いである。


 それに対して、村国は冷静に、主君をいなすように応じた。

「まだ起きてもおらぬ仮の話で、そこまで熱くなられるようではいけませぬな。そもそも、御屋形様の悩みが杞憂に終わり、掃部助と先の御屋形様が手を結ぶこともあるでしょう」


「そうなれば良いと、わしも思う。しかし、そなたは掃部助が父を生かしておくことはないと言ったではないか」

 政村は少し冷静さを取り戻したが、なおも不満げな表情である。


「たしかに、拙者はそのように申し上げました。ただ、どちらにせよ、御屋形様には当分、掃部助と戦わず何事もなくやっていただきたく存じまする。何故ならば、拙者にもかなり抜けもありまするが、コトを動かす策がありますゆえ」


「策があると申すか」


 政村は、村国の言う「策」に強く興味を示した。

 政村と村国の話し合いは夜明け前まで続いた。


----------


 さて、大永元年(1521年)九月某日。赤松政村が父の死を知った時まで話を戻そう。

 四月に亀王丸は、浦上村宗に奪われ、そして遂に父義村の命までも奪われた。

 浦上村国との話が現実になる度に、政村は心を痛めた。


 大事なものを失い続ける己の運命に。

 そして、何もできない己の力の無さに。

 

 しかし、村国の読みが正しいのであれば、ここからは反撃を開始する番だ。


 密書の中で、小寺則職は父の小寺政隆と一緒に淡路へ移り、兵を整えて弔い合戦をする旨も示していた。それには、浦上村国も同道しているはずだ。


 己のやるべきことをしなければ。


 覚悟を決めた政村は立ち上がって、使者にこう告げた。

「使いの者よ。則職へ伝えよ。わしは置塩城にいて、淡路へは向かわん。それは、わしが怖がりだからではない。掃部助を油断させるための方便じゃ。であるから、則職も安心して戦うのじゃ。これからもできるだけ、使いを送り、動きを伝えてくれ。わしはそなたらが一所懸命戦うことを信じておる」


「ははっ。必ず、御屋形様のお言葉伝えてまいりまする。」

 そう言い残すと、使者は御殿の外へ駆けて行った。


 怖がりではなく、掃部助を油断させるための方便。口ではそうは言ったが、逃げの手に見えるのではないだろうか。そう思う気持ちも政村にはある。しかし、浦上村国の言っていた「策」を上回る手を政村は思いつかなかった。


 これが反撃をおこなうための唯一の方法である。いつか、時は来るのだ。

 政村はそうやって、自分を無理やり納得させ、父が死んだという絶望を飲み込んだ。


 彼は父の死後もこれまで通り、傀儡を続けることとした。

 いつの日か、父の仇を討つために。

二章始まりました。

浦上村国は二章のメインを張る人物です。

とはいえ、調べても全体像がつかめない色々と謎の多い人物です。彼の活躍は乞うご期待!


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