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一章(5)夜陰に散る

 さて、亀王丸(かめおうまる)が京都で熱烈な歓迎を受け、公方への道を邁進している頃。

 播磨(はりま)には、寺で囚人のような扱いを受け、在りし日の闘志を失った男がいた。


 浦上村宗(むらむね)の騙し討ちを受けた赤松義村(よしむら)である。片島の長福寺から、室津(むろつ)(たつの市)の実佐寺(じっさじ)へ移され、義村は幽閉されていた。


才松丸(さいまつまる)は達者でやっておるかの」

「亀王丸を奪う掃部助(かもんのすけ)(浦上村宗)の謀に何故気付けなんだか……」

 などと独り言を呟く度、長い棒を持った見張りの者から、

「そなたは既に三カ国太守でもなければ、公方の庇護者でもない。囚われておる身の程を知れ」と責められた。時には棒で突かれる。


 寺の片隅で見張りの目にさらされて生きる日々。


 和歌を楽しんだ華やかな生活も遥か昔のこと。来訪者もおらず、独り寂しく部屋にいて考え事をする。寺の外に広がる内海の穏やかな波の音だけが、彼の心を落ち着けてくれた。


 そういった張りのない生活の中でも、見張りの会話から、外の世界の変化については知ることができた。息子の才松丸が元服し、政村(まさむら)と名を改めたこと。そして、浦上村宗や洞松院(とうしょういん)の傀儡になっていること。自身が保護していた亀王丸が七月に京都に迎えいれられ、次の室町幕府将軍になろうとしていることも知った。


 隠居することになり、才松丸と別れる時に話した言葉を何度も思い出す。

「わしが正しいと思う戦をする」このように、息子に言った。


 彼は昔日の赤松家の繁栄を取り戻すため、戦ってきた。


 赤松円心(えんしん)則祐(そくゆう)の時代と同じように、足利将軍家のために奉公をしたい。

 家名を復興させ、置塩(おきしお)城を築いた赤松政則(まさのり)の時代と同じように、文化の力を高めたい。


 そのために、赤松惣領家のもとに権力を集中させ、敵対してくる浦上村宗の勢力を除かねばならない。そう考えて、幾度も幾度も、負けても何度でも戦に挑んできた。


 それなのに、最後の最後に掃部助の甘言を信じて騙し討ちにあった。何故、己の正しさを貫き通すことができなかったのだろう。悔恨の日々が続いた。


 小寺政隆(まさたか)則職(のりもと)父子は助けに来ないか。龍野赤松家の赤松村秀(むらひで)は助けに来ないか。

 淡い期待を抱く日もあったが、その希望も日ごとに薄れていく。


 何度も何度も兵を挙げてきた自分を、いつまでも掃部助が生かしておくはずもなかろう。

 そう考えた義村は辞世の句を詠んで、見張りの者に渡した。



 元号が変わって大永(たいえい)元年(1521年)九月十七日。

 少しだけ欠けてしまった月が、暗い夜空を仄かに照らす夜。


 義村が幽閉されている実佐寺にゆっくりと近づく者たちの姿があった。刺客として送られた浦上村宗被官、菅野某・花房某・岩井弥六である。


 彼らは義村の寝所をやおら囲む。

 刺客が着こむ具足がカチャカチャとすれる音だけが夜の静寂に波紋を広げる。


 寝息を立てていた義村、外に充満する殺気に目を覚ます。かぶっていた着物を払いのけ、猛然と立ち上がる。


 気付かれた刺客たちは一斉に義村のもとへ走りこむ。


 武具一つ持たない義村は、寝所の畳を跳ね上げて盾とし、菅野某の槍を防ぐ。

 畳から槍を力強く引っこ抜き、そこへ走りこんできた花房某に畳を目いっぱいの力で投げつける。


 畳を当てられた花房某は態勢を崩し倒れこむ。


 その後ろから、義村めがけて飛び込んできたのは岩井弥六。


 義村は奪った槍をサッと振りぬき、紫電一閃。

 切り裂かれた弥六の右手が宙を舞う。


「痛え。手が。俺の手が」

 鳴き叫ぶ弥六。あるべき先を失った右手首を左手で握り悶える。


「容易く、わしを討てると思うな。わしは三カ国太守、赤松義村ぞ」

 義村は力強く叫んだ。


 が、その時、彼の右脇腹を貫くものがあった。花房某の槍であった。

 そして動きが止まったところにもう一刺し。左から、菅野某が突き刺す。


 義村は口から鮮血を吐いた。そして力なく膝から崩れ落ちた。

 運命に抗った当主の鮮烈な最期だった。


 生年不詳な彼の享年は分からない。おそらく、四十代半ばごろといったところであろうか。見張りに手渡していた辞世の句は以下の通り。


「立よりて 影もうつさし 流れては

 浮世を出づる 谷川の水」


 辞世の句では、現世を「たちよる場所」と捉える諦観が示され、影も映さないほど早足で乱世を駆け抜けることとなった無念さが滲む。

 しかし、己を貫き通そうとした、その強い意思は彼の死によって失われることはなかった。彼の戦は次の代に静かに引き継がれることとなる。


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 同日の朝、室山城(むろやまじょう)(たつの市)で、浦上村宗と洞松院は、赤松義村の死を伝えられた。


 室津の海は陽に照らされて、白く輝いていた。

 風は少し強く、書院の外に植えてある松の枝が揺れている。

 とはいえ、昨晩に惨劇が起こったとは思えない、落ち着いた朝だ。


 二人は書院にいて、洞松院が上段に鎮座し、浦上村宗は下段で対座している。


「遂に、そなたは「主君押込(おしこめ)」を超え、主君の弑逆(しいぎゃく)にまで手を染める大悪党となってしまったが……。これからも赤松家を変わらず支えてくれるのであろうな。掃部助よ」

 洞松院は静かだが棘のある口調で、浦上村宗に語り掛けた。


「主君押込」とは、鎌倉時代から武家社会でおこなわれるようになり、江戸時代まで続いた慣行である。家臣団の意向を無視する主君があれば、家臣団の衆議によって廃立する。そして、主君に対して隠居を迫ったり、牢屋に押し込んだりする。その後また、主君の一族から、家臣団の眼鏡にかなう新たな主君を擁立するのだ。


 室町時代にしばしば見られるようになる「主君押込」。

 その顕著な例が、管領細川政元(まさもと)が将軍足利義稙(よしたね)を廃立した明応(めいおう)の政変である。将軍家でも大名家でも、家臣団の意向に沿わない、専制的な君主というものは、良しとされなかった。


 赤松家についても、永正十七年(1520年)の赤松義村の隠居は「主君押込」の一例と言える。赤松家臣団の総意とまではいかないものの、家臣筆頭の浦上村宗、先代の妻である洞松院が、義村を見限り隠居に追い込んだ。そして、新たに主君として擁立されたのが、赤松政村であった。


 しかし、今回は赤松義村の弑逆(殺害)まで事が進んだ。一般的な「主君押込」というよりも、下剋上の色合いがより強いこの行為。洞松院が浦上村宗を警戒するのは無理もなかった。


「御心配には及びませぬ。浦上家は赤松家のしもべ。「松の下草」にございます。それはこれからも変わらぬこと。それに、性因(しょういん)様(赤松義村)を生かしておけば、あの「流れ公方」(足利義稙)のように、しつこく我々に(あだ)なす存在になると警戒されていたのは、洞松院様も同じではございませぬか」

 浦上村宗は涼しい顔をして、こう述べた。


「「流れ公方」云々はたしかにそうですね。今でも、彼は阿波(あわ)の細川六郎(晴元(はるもと))らと徒党を組んで、細川右京大夫(うきょうだいぶ)様(高國(たかくに))の軍勢と戦っているとか。あのようになってしまっては、もう手のつけようがない」


 足利義稙は明応の政変の後、京都を抜け出し、全国を転々として、再び将軍に返り咲いた。しかし、将軍に返り咲いた後も家臣との諍いは絶えなかった。そして、今度は自分から京都を抜け出して、管領の細川高國と戦いを続けていた。義稙の執念が畿内政局の混乱に拍車をかけたのだ。


 赤松義村も義稙と同様に、混乱の種となる可能性は大いにあった。


 昨年、浦上村宗と洞松院に強いられ、隠居をしたものの、また浦上村宗に対して兵をあげた。実佐寺で軟禁していても、また逃げられてしまっては、再度執念深く兵をあげ、播磨国を撹乱されていただろう。それは洞松院も警戒するところであった。


「そうでしょう。私は主君である赤松政村様が、播備作(ばんびさく)三カ国を平らかに治める手助けをしたいだけにございます。二心はございませぬよ」

 にこやかに答える浦上村宗。


 しかし、その表情とは裏腹に(赤松家からの国盗りは、小寺などの敵を潰してから。それまで、政村には傀儡でいてもらわねば。)などと腹黒い考えを巡らせている。


「己の分を弁えておるのでおるのであれば、それでよい」

 尼頭巾の顎覆いにできたシワをせわしなく整えながら、洞松院は答えた。


 室津の海は凪いでいて、時折、強めの風が吹くだけであった。

 船は順風を受けて、瀬戸の海へ漕ぎ出していく。

 人々はいつもと同じように起きて朝を迎える。

 しかし、それは昨日とは違う。新たな動乱を告げる朝なのだ。

一章はこれにて完結です。

ここで出番を終える赤松義村ですが、彼は「播磨十水」と言われる播磨国内の清水(湧き水)の選定もしています。自身の人生を谷川の水に例えた彼ですが、水に何かしらの思い入れがあったのでしょうか。


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