二章(19)約束
大永三年(一五二三年)三月某日。
浦上村宗に毛氈鞍覆と白傘袋が免許された件で、播磨国(兵庫県西南部)に動揺が走るなか、備前国(岡山県東南部)でもう一つの動きがあった。
三石城(備前市)宇喜多館。
赤松政村はいつも通り、師の宇喜多四郎や小姓の定阿とともに、弓術の稽古に励んでいた。弓術の腕も上がり、的中も増えた。白の道衣に黒の弓袴姿も様になっている。
弓を一通り引き終わった政村は、満足げに射場から退いた。
額に流れる汗を、小姓の定阿が拭う。
そこに、同じく弓を引き終わった宇喜多四郎も合流する。
「どうじゃ! 四郎。この腕の上がりっぷり、流石であろう」
ご満悦の政村は、得意満面の笑みである。
「御屋形様(赤松政村)の武芸の上達ぶりは流石でございます。……これでそれがしも安心して、行くことができまする」
憂いを帯びた表情の四郎。
「どこに行くのじゃ?」
何の気なしに尋ねる政村。
場に少しの静寂が流れて、四郎はその口を開いた。
「御屋形様(赤松政村)。拙者は山名攻めに参加するため、播磨へ出陣致すことになりました」
「行くな」
即答。政村は反射的に言葉を返した。
仲のよい宇喜多四郎と離れるのが寂しい。その気持ちは勿論ある。
それ以上に、浦上村国が策謀を巡らしている今の播磨国は危ない。そのことを政村は知っている。万が一、策謀に巻き込まれれば、四郎の命は危ういかもしれない。
とはいえ、そのようなことは口が裂けても言ってはならないことである。
「そなたはまだ元服もしておらぬではないか。誰の命じゃ?」と言うのが精一杯である。
「上様(浦上村宗)にございます。公方様(足利義晴)から、毛氈鞍覆と白傘袋の免許を戴いた。この機を見て、山名を一気呵成に攻めるべしとの仰せで。それがしに五百騎の兵をもって出立せよと」
何故、宇喜多四郎が出ねばならないのか。その疑問は拭えない。
しかし、幕府から栄典をもらった今が、山名の攻め時であることは間違いなかった。
「掃部助(浦上村宗)の命か……」
政村は嘆息を漏らし、俯く。
いくら、宇喜多四郎の出陣を止めたいと思っても、彼は村宗の傀儡でしかない。
その命令に逆らう力など、自分にありはしないのだ。
落ち込んでいる主君を見て、宇喜多四郎は優しい口調で話しかけた。
「御屋形様が三石城に来られたばかりの頃も。今と同じように俯いておられましたな」
「あの時は、不安だったからな」
俯いたまま、ぼそぼそと政村は答える。
先年に三石城に来た時。
周りに心を許せる人物は、母の松や小姓の定阿など、ほんの僅かしかいなかった。
祖母である洞松院すらも味方とは到底思えなかった。
何より、三石城は父の仇である浦上村宗の居城である。そこに囲われねばならないという状況では、孤独や憂鬱、そして恐怖を感じるのが当然というところだろう。
「御屋形様のご様子は本当に暗くて……。歳が近いというだけで、武術師範を仰せつかった時は、それがしも憂鬱で仕方がありませんでした」
「そんなことを思うておったのか」
政村は顔を下に向けたまま、小さく笑った。
「されど、御屋形様は何に取り組むにしても一生懸命でございました。周りは知らぬ者ばかりであるというのに、腐らず学び鍛錬し、己を高めようとした。それゆえ、それがしは御屋形様が好きになったのです」
宇喜多四郎は柔らかな笑みを浮かべて、主君を見た。
政村も顔を上げる。その眼は潤んでいた。
「わしは赤松家の当主じゃ。その立場に見合う人間にならねばと常々思うておる。そなたの親身な武術の手ほどきで、弓術も馬術もうまくなった。日々の鍛錬も巻狩も楽しかった。三石での暮らしが満ち足りておったのは、四郎のお蔭ぞ」
四郎の優しい言葉に、涙が。そして偽らざる本心が溢れる。
彼を留めおくことは叶わないとしても、自分の気持ちを今伝えなければ。政村はそう思った。
「それゆえ……それゆえ、そなたと離れるのは寂しい」
「離れると言っても一時でございます。山名との戦働きで功を挙げて、戻ってまいります。土産話を楽しみにしていてくだされ」
四郎はドンと自身の胸を叩いた。
「必ず……必ず帰ってくるのじゃぞ」
あふれる涙を袖で拭いながら、政村はそう応じる。
「それがしは御屋形様の武術の師でございますよ。勿論、帰ってくるに決まっておりましょう」
宇喜多四郎はおどけてみせる。
「それと。御屋形様にも約束を一つしていただきたい」
「何じゃ?」
「赤松家の棟梁が泣き虫ではいけませぬ。泣かない強い武士になると約束してくだされ」
そう言って、四郎は主君の肩をバンと叩いた。
「約束する」
政村は力強く答えた。
そのような会話から数日後。
宇喜多四郎は五百の軍勢を率いて三石城を発った。
鎧兜を身にまとい、馬上にあるその姿は、若さゆえの瑞々しさと力強さを感じさせるものであった。
そして、二日にわたる行軍を経て、父宇喜多能家のあった乙城(たつの市)に入った。
「父上、只今参りました」
「道中ご苦労であったな、ささ休め」
宇喜多能家は、息子を城の主郭に案内した。
乙城の主郭は標高六十メートルほどの丘の上にある。
丘の東には揖保川の流れが横たわり、その先には開けた農村地帯が広がっている。
「見晴らしがよいですな。父上」
宇喜多四郎が櫓からの景色を見渡す。いきおい興奮しているようだ。
「これだけ平らかであれば、一気呵成に兵を進められますぞ」
揖保川とその東の林田川の間の中州地帯には、西法寺山を除いて目立った山がない。
播磨侵攻時には意気盛んであった山名軍も勢いを失い斑鳩(太子町)や網干(姫路市)辺りまで兵を後退させていた。
「血気盛んじゃのう。されど、気を逸らせすぎてもいかんぞ。一時に比べて、勢い衰えたとはいえ、山名軍は精強。侮ることはできぬ。それに龍野城の播磨衆の動きも見ておかねばならん」
この頃、旧赤松義村家臣と浦上家合同による「赤松軍」は揖保川東岸への攻勢を開始していた。とはいえ、お互い反りが合わないため、二手に分かれての攻勢となっていた。
小寺政隆・則職父子や赤松村秀、そして、浦上村国などといった旧赤松義村家臣団は、龍野城(たつの市)を根拠として、揖保川東岸地域へ進出。
そして、宇喜多能家らの浦上家臣団は乙城や室山城(たつの市)を押さえて、これもまた揖保川東岸地域へと進出していた。
「今は播磨衆とて、御屋形様を奉じた味方でございましょう。滅多なことはございますまい」
父は心配し過ぎだと考えているのだろうか。四郎はそっけなく答える。
「わしもそうは思うておる。ただ、播磨衆の中には、上様が毛氈鞍覆と白傘袋の免許を得たことに不満を持つ者も多くおると漏れ聞く。いずれにせよ、気を配っておくに越したことはない」
宇喜多能家はそう言って、神経質そうに顎鬚を触る。
山名攻めの総大将と言う大任に加えて、足並みの揃わない播磨衆をまとめなければならない。
既に、山名との戦いが始まって半年ほど。これまで戦で百戦錬磨を誇ってきた能家にも、苛立ちと疲労が確実に蓄積していた。
「それにしても、援軍に来るのがそなたと聞いた時は驚いたぞ」
「それがしでは、不満でございましたか?」
「そのようなことはない。ただ、そなたは元服前の若人じゃ。わしはもっと戦場に出ておる島村弾正左衛門(貴則)やら、弥延備前守やらの宿老衆が送られてくるものと思うておったのでな」
何故、援軍で送られたのが息子の宇喜多四郎なのか。
その疑問は父である宇喜多能家も持っていたらしい。
元服前で、まだ戦の経験もない四郎が援軍として来ることを不思議に感じるのは至極当然だろう。
それに対して、四郎は侮られては困ると言った風に、早口でまくし立てた。
「それがし元服前にはございますが、上様には武芸の熟達ぶりを大変お褒めいただいておるのでございます。特に御屋形様の指南役として、巻狩を成功させた功を認めていただき、今度は戦場でその才覚を発揮するようにとの有り難き仰せを頂きました。若輩者にはございますが、父上の足を引っ張るような真似はいたしません」
しかし、これは宇喜多四郎が援軍として送られた理由の半分しか説明していない。
四郎が武芸の才覚に秀でている。そして、それを浦上村宗が褒めた。これは事実である。
ただ、もう一つ村宗には意図があった。
先月の赤松政村の矢開の時。「四郎と御屋形様を離すのも考えねばならぬな」と村宗が島村貴則に対して、ボソッと呟いていたのを四郎は聞き漏らさなかった。
宇喜多四郎が播磨に送られた理由のもう一つは、赤松政村と仲の良い四郎を離すためであろう。四郎はそう勘付いていた。しかし、それを父に言うと不要な心配をされる。そう考え、それについては黙して語らなかった。
「わしも、そなたには武芸の才覚ありと常々思うておった。上様もそれをお認めになっておられるということは、単なる父の親馬鹿ではないということじゃな。久しぶりの親子水入らずじゃ。御屋形様の話や、巻狩の話など、この父に聞かせてくれ」
自慢の息子が、主君に評価されたとあって喜ばない親がどこにいよう。
上機嫌になった能家の緊張はすっかり解けてしまった。これから戦に向かう武将同士の会話というより、親子の会話。そちらへ気が向く。
「勿論にございます。御屋形様は何事にも一所懸命なお方で、武芸の飲み込みも早い。ただ、巻狩の前などはとても緊張されて、それがしに頼ってこられたのでございますよ……」
父の話に年相応の純朴な受け答えをしながら、四郎は思っていた。
この山名との戦で軍功を挙げ、浦上村宗からの疑いの目を晴らさねばならないと。
村宗の疑いは無言の圧となって、四郎の思考を支配していたのである。
次回投稿は4月25日予定です。
赤松政村や宇喜多四郎はじめ、細川六郎や足利義晴など、この物語の主要人物には十代の人がかなり多いです。十代で戦国時代を生きるのは大変ですね。
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