二章(16)巻狩
大永三年(1523年)二月某日。
巻狩の日がやってきた。
その朝、赤松政村や浦上村宗らの主従は和意谷(備前市)に集まった。
和意谷は、三石城(備前市)から直線距離でおよそ二里(8キロ)ほど離れている。
ここは本当に小さな谷間の集落といったところだ。
鬱蒼とした木々に囲まれた低山が周囲を囲み、その山々の隙間を縫うように和意谷川が南北方向へ流れている。
その谷筋に赤松政村たち主従一行はあった。
「御屋形様(赤松政村)、震えてらっしゃいますが。もしや、緊張してらっしゃいますかな?」
浦上村宗は主君である政村に尋ねる。
「武者震いよ。あと少し寒い」
そう言って、政村は馬上で白い息を吐く。
二月の山中はまだまだ寒い。しかし、落葉樹が葉を落とし、山での見通しが利きやすい秋から冬にかけては、鹿狩りに絶好の季節といえる。
主従は鹿狩りということで、馬上にあって、またその装備も仰々しい。
頭には萎烏帽子に、藺草で編んだ綾藺笠をかぶる。中央は巾子といい髻を入れるために高くなっている。そして、水干を着て、韘といわれる革手袋をはめる。腰には行縢といわれる鹿の夏毛皮の覆いをつける。
さらには弓を持って馬上にということで、普段とは違う装いである。自然と緊張感が高まる。
周りの山を見渡すと、多くの人々が蠢いているのが分かる。時々、「ピャッ」と言った具合に甲高く短い笛の音にも似た鹿の鳴き声が聞こえる。
「あの短い鳴き声は、鹿が警戒しておるのでしょうな」
村宗は顎を触りながら、訳知り顔に言う。
「いつもであれば、もっと冗長な「ミャー」といった鳴き声ですからな」
後ろに続く浦上村宗の重臣、島村貴則が鹿の鳴きまねをする。
蟹の様に強ばった顔をした彼が鳴き真似をするのは、滑稽だ。
「似ておる! 上手いぞ」
村宗は腹を抱えて笑う。
普段の鹿の鳴き声は、扉の開け閉めの音に似ている。
調子にのって、島村貴則も「ミャーミャー」と鳴き真似を続ける。
彼の後ろには、浦上家の宿老衆である弥延備前守や、延原小四郎らが続く。また、宇喜多四郎、そして政村の小姓である定阿など多くの人々が鹿狩に参加していた。
「にしても、山の上は人が多くおるの」
政村は周囲を囲む山にキョロキョロと目を移す。
山裾に多くいるのは勢子と言われる人々だ。
勢子は鹿を谷筋へ追いやる役割を担っている。その数は優に二千を超える。
「驚いておられますな。人がわらわらとおるでしょう。あの勢子どもがおらねば、我らも狩りができませぬわ」
村宗は誇らしげに語る。
本日の巻狩のために、勢子隊として近隣の地侍や農民が徴収されていた。
彼らは前日から山々で狩りの下準備をおこなっている。主に犬や火などを使用し、山上の鹿をじりじりと谷筋の狩場へ追いやっていくのだ。夜にはかがり火をたいて囲い込む。
当日は狩場の風下から火引き縄を馬上から引き回し、獲物を狩場へ集める。
そして、「勢子」が追い詰めた獲物を、谷筋にいる「射手」とか「マチ」と呼ばれる人々が待ち構えて仕留める。これが巻狩である。
鎌倉時代から、武家の軍事訓練として続いてきた巻狩であるが、それは武将個人の武芸鍛錬のみが目的ではない。勢子として多数の人員を動員する巻狩は、戦での軍事動員の予行演習でもある。
山名家との戦をおこなっている最中に、二千を優に超える人員を勢子として動員できる。そのこと自体が現在の浦上村宗の力を示していた。
この巻狩の目的は戦をおこなっている山名家に対して、赤松家の余裕を示す示威行為であった。特に当主である赤松政村が鹿狩りに成功すれば、当主としての力量を示すことができて、尚よい。と同時に、赤松政村に対し、浦上宗家の力を示すための行事でもあった。
村宗の圧倒的な力を前に、政村は閉口するしかなかった。
「あっ! 御屋形様、鹿が降りてまいりましたよ」
遠くを指さし、宇喜多四郎がひそひそ声で伝える。
谷筋に降りてきた鹿も大いに警戒しているのだろう。首を左右に振って周囲を見ている。
「まことじゃ!」
興奮した政村は大きな声で叫ぶ。
その声に驚いた鹿はピョンピョンと跳ねて、山へ戻ってしまった。
「御屋形様。大声を出したから、鹿が驚いて逃げてしまいましたぞ」
「すまぬ。以後、気をつけるわい」
政村はしょげて、少しシュンとする。
「いいですか、御屋形様。勢子に追いやられた鹿は気が立っておりまする。その鹿を射るには、気が緩んだ時を狙うが肝要でございます」
宇喜多四郎は、武道の「師匠」として政村への指導を始めた。
「谷筋に降りてきた鹿が気を緩める時。それは水場で水を飲むときにございます。その時は警戒を緩めております。そこを弓で射るのです」
「水を飲んでいるところを狙うとは。卑怯じゃの」
政村の純粋な反応に、周囲の浦上家臣にも和やかな笑みが広がる。
「熟達すれば、逃げる鹿を射ることもできますが。御屋形様ははじめてでございますゆえ。それに、急所を討たねば、一射で仕留めるのはなかなか難しいのでございますよ」
和弓は七尺三寸(約二二一センチ)と世界でも長大な部類の弓である。それゆえ、ロングボウなどに比べて威力も貫通力も高い。とはいえ、貫通しなければ逃げられてしまう可能性が高くなる。
鹿の急所は体前方の心臓もしくは、脊椎と肩甲骨が交差する辺りである。ここを狙うことができれば、一射で仕留めることもできる。
逆に腹は狙わない。消化器系が集中しており、これを破るとニオイがひどくなる。そもそも、そこは急所ではない。
そういった会話をしているうちに、鹿たちが谷筋に次々と降りてきた。
「どれ、わしが手本を見せてやろうではないか」
浦上村宗が静かに弓を構える。
前方左斜めにいて、よそ見をしている鹿に狙いを定め、矢を放つ。
的中。
急所を射抜かれた鹿はバネのように体を跳ね上げる。
その後、惰性で走るがすぐ力尽き、野端に倒れこむ。
「「流石! 上様」」
家臣団からの歓声が上がる。
「どうじゃ」
自慢げな表情で主君を見る浦上村宗。
「流石じゃ」
赤松政村は、その腕前に感心した。
村宗が射った鹿のもとに家臣たちが群がる。その鹿は既に息絶えていた。
命が散る。その呆気なさを感じるとともに、弓矢の力をまざまざと見せつけられた政村。
鹿を屠る力をもつ無慈悲な武器が自分の手の内にある。その事実が急に現実味を帯びる。
そして、ふと頭をよぎるものがあった。
己の父の仇、浦上掃部助(村宗)が隣にいる。
彼の頭を射抜くことも今なら可能ではないかということだ。
そんなことをすれば、周囲は浦上家臣だらけのこの状態。自分の命もないだろう。しかし、敵討ちを成功させることだけを考えれば、千載一遇の機会なのではないか。
とはいえ、一時の気の迷いによって、赤松宗家の血を絶やすわけにはいかない。
不穏な考えが頭の中を巡る。
そんななか、宇喜多四郎が政村に声をかけた。
「さあ、御屋形様。我らも頑張って、鹿を仕留めましょうぞ」
「そうじゃな!」
四郎に声をかけられると、自然と明るい気持ちになる。政村は暗い方向に持っていかれていた気持ちを切り替えて、鹿狩りに邁進することにした。
そこに小姓の定阿も加わって、三人で鹿を追うが、なかなかこれが難儀である。
先程、村宗が鹿を射たことで、鹿たちは各々走り去ってしまった。まず、彼らを追うために馬で野を駆けねばならない。
そして、鹿を見つけたら遠巻きに狙いを定める。
しかし、これもうまく中てるまでが難しい。
鹿に矢が中っても、背中などであれば致命傷にはならない。半矢。つまり、とどめがさせていない状態になると逃げきられてしまうこともしばしばである。
「うーん。やはり難しいのう」
昼になり、休憩。
握り飯を野営の陣所で食しながら、赤松政村は嘆息を漏らす。
浦上村宗は勿論のこと、宇喜多四郎や定阿も既に鹿を仕留めていた。
しかし、政村にはまだ収穫が無い。巻狩で獲物を得られないとなると、播備作三カ国守護である赤松家棟梁の名折れ。その不名誉は避けたかった。
「御屋形様も鹿に矢を中てることはできておられますから、技は問題ない。あとは中てようという邪念を捨て、無心で射れば中ります」
この宇喜多四郎の助言に対し、赤松政村は不満顔。
「無心で射るか。まるで禅寺の坊主のようなことを申すな」と答える。
「一射で鹿を仕留めることができませんでも、御屋形様の矢で弱った鹿を、それがしが槍で一刺しします。さすれば、仕留めることができますぞ」
小姓の定阿は槍を持ってきて、突き刺す仕草をした。
「わしが鹿を仕留めたと一応取り繕えはするじゃろうが、それだと納得できんのじゃ!」
怒る政村を一同はまあまあと収める。
その様子を横目で見ていた浦上村宗。家臣の蟹顔、島村貴則にポツリ呟く。
「何じゃ。御屋形様と宇喜多の次男は随分と仲が良いようじゃな」
「まあ、御屋形様の武芸の指南役を四郎殿は務めておいでですからなあ。年も近うございますし。見ていて微笑ましくもございます。とはいえ……」
島村貴則は狡猾な笑みを浮かべて、こう続けた。
「あの仲睦まじき関係が、後々、浦上家に禍根を残さねばよいのですが」
「禍根とな?」
「ええ、御屋形様は表には出してはおりませんが、上様(浦上村宗)への敵意は隠し持っておいででしょう。四郎殿もお若いゆえ、情にほだされて御屋形様のお味方につくこともあるやもしれませぬ」
島村貴則は、宇喜多四郎の父である能家のことが嫌いであった。
宇喜多四郎に対することは勿論言いがかりである。しかし、讒言を主君に伝えることで、宇喜多家の力を削ぐことができればといいと思っていた。
「宇喜多の者に限って、わしを裏切ることなどないと思うが……」
浦上村宗は悩み深そうに俯いた。
さて、昼過ぎて、赤松政村はまた巻狩に精を出しはじめた。
だんだんと慣れてきたと見え、静かに狙いを定めて射ることはできるようになってきた。
「ああ! 惜しうございました。また、半矢になってしまいましたな」
矢はしっかり鹿に中るようになったが、まだ急所はうまく狙えず。矢が背中に刺さったまま、鹿は逃げていった。
「されど、あと少し下に狙いを定めれば的中でございました」
宇喜多四郎が主君の政村を応援する。
「うむ。コツは掴めてきた気がいたす。あと少しじゃ」
政村は落ち着いた様子で応じる。
そして、赤松政村一行は沢でのんびりと水を飲む鹿を見つけた。
「向こうも気づいておりませぬ」
「うむ」
政村は心静かに弓を構える。
打ち起した弓を左右均等に引き分ける。
ここまで滑らかな動き。
鹿は全く気付かず、水を飲み続ける。
鹿の心臓辺りへ、矢尻が吸い付けられるように向く。
そして、自然と矢が放たれる。
矢は真っすぐの軌道。政村は綺麗な残心。
心臓が射抜かれ、鹿は驚き跳ね上がる。
沢べりを少し走るも息絶えて、倒れこむ鹿。流れる血が水辺を赤く染める。
「「見事です! 御屋形様!」」
宇喜多四郎と、小姓の定阿が喜んで叫ぶ。
政村は無心で射るということを体得したようだ。
「うむ」
右の拳を静かに、しかし力強く握り、その感触を確かめる。
幼君は鍛錬により、初の獲物を得ることに成功した。
それは彼の自信を大いに高めることになった。
今回の巻狩の舞台とした和意谷は、江戸時代の大名池田家においても鹿狩りが盛んにおこなわれた地でした。巻狩については、阿蘇でおこなわれていた「下野狩」の例を参照しました。
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