二章(11)「忠義者」の策
「そなたの「策」がはまったな」
三石城(岡山県備前市)の御殿にて。赤松政村は、浦上村国にこう声をかけた。
さて、ここまでの流れをすべて見通してきた浦上村国。
その彼の言う「策」とは一体どういったものであったのか。
これより二年前の夷まわしの夜へ戻ろう。
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夷まわしも終わり、赤松家臣団が酒に興じているころ。赤松政村と浦上村国ははじめて出会った。
そして、同じ浦上家であるにもかかわらず、浦上村宗のことを「仇敵」と言って憚らない浦上村国。 そんな彼に、赤松政村は興味を抱き、夜更けに彼を自邸へ招いたのであった。
夜の帳のおりた一室に、和蝋燭の灯を挟んで、二人は話した。
浦上村国は幼君に対して直言した。
このままでは、政村の父、赤松義村は村宗や洞松院の手によって謀殺されるであろうこと。父が殺されたとしても、赤松政村は敵討ちなどに動いてはならないこと。
その暗い見通しに絶望し、もしもの場合には父の敵討ちをすると逸る心を押さえられぬ幼君赤松政村。彼に、浦上村国はこう言った。
「御屋形様(赤松政村)には当分、掃部助(浦上村宗)と戦わず何事もなくやっていただきたく存じまする。何故ならば、拙者にもかなり抜けもありまするが、コトを動かす良き策がありますゆえ」
当分、赤松政村には浦上村宗の傀儡でいてほしい。そのように、浦上村国は求めた。そして、そのうえで策があると述べた。
「ほお、策があると申すか」
政村は、村国の言う「策」に強く興味を示した。
「上策とまでいくかは分かりませんが……。何しろ、自分でいうのも憚られまするが、なかなかに遠大な策でございますし、運頼みのところも多くございますゆえ」
「まあ、申してみよ」
「ははっ。まず、掃部助を倒すことは容易ではございませぬ。一つに、彼奴は策士にございます。状況に応じて様々な策をとることができる。二つに、家臣に武勇に優れた者が大勢おります。宇喜多和泉守(能家)など、その最たるもの。性因様(赤松義村)も備前国へ兵を進めるたびに、彼らの獅子奮迅の活躍に返り討ちにされて参りました。三つに、三石城の堅固さ。山上の本丸へ向かうまでの傾斜は急、登城路も細い。それに加えて、高石垣も十段近く組まれております。これでは、城を落とすのも難しい」
「それでは、掃部助を討ち取れぬではないか!」
赤松政村は怒った。浦上村宗の兵が強いという、分かりきっている上に、嫌な気分になる話を聞きたいわけではないのだ。
「まあまあ、そこまで急かれますな」
浦上村国は主君を一生懸命なだめる。
赤松政村は不満げな表情を浮かべたまま、脇息にもたれかかる。
「わしは「策」を聞きたいのじゃ。話を続けよ」
そう村国に促した。
「掃部助を一気呵成に倒すという策は、拙者にはございませぬ」
「何じゃと!」
浦上村国の弱気に聞こえる一言に、政村はいちいち敏感に反応する。堪え性がないところに、彼の幼さが垣間見える。
「どうどう」
その幼さを可愛らしく思ったのか。茶目っ気たっぷりに、浦上村国は政村をなだめた。
「わしは馬ではないぞ」
不貞腐れる政村。
その様子を微笑ましく見ながら、浦上村国は力強く述べた。
「一気呵成に討つ策はございませぬ。されど、掃部助の兵を弱らせ、そして最後に彼奴の首をあげる。それは出来うることと存じます」
「ほほう。それが聞きたいのじゃ。わしは」
政村は一気に上機嫌になった。
「もし、性因様が討たれることがあっても、御屋形様はそのまま置塩城(姫路市)にて、どんと構えていただきたい。されど、誰も弔い合戦に立たぬということではいけませぬゆえ、拙者は小寺殿などと淡路国へ渡りもうす。そして、細川六郎(後の晴元)様に助けを請い、播磨国(兵庫県西南部)を取り返しまする」
「ふむ」
政村は前のめりになって、相槌を打つ。
「しかし、そうなれば。掃部助は居城である三石城に籠り、籠城戦の構えに打って出るでしょう。拙者や小寺殿では、備前国まで落とすのは難しい。その間に都から、管領の細川高國勢が、掃部助の味方をして播磨国に攻め込めむでしょう。さすれば、拙者たちは為す術なく、負けてしまいます」
「負けてはいかん。六郎殿は頼りにならぬのか?」
「残念ながら、六郎様は阿波国(徳島県)などご自身の領地を維持するので手一杯。高國勢と正面切って戦ってまで、我らを助けることはしないでしょう」
「それでは、いかんではないか!」
政村は声を荒げた。怒りの感情が漏れ出ている。
「そうです。いかんのです。そこで、但馬国(兵庫県北部)の山名家を、播磨国へ引き込みます」
浦上村国は冷静に淡々と、突飛な策を申し述べる。
「や、山名を?そなたは自分が何を言うておるか、分かっておるのか。二代前の松泉院様(赤松政則)が取り返した播磨の地を、山名にやると言うのか。それはただの裏切りぞ。逆賊ぞ」
村国の進言に動揺した政村。口数多く、早口で捲し立てる。
山名は百年間にもわたる、赤松の仇敵。それを播磨国へ招き入れるなど言語道断。
そのように考える赤松政村が正常なのであって、村国の発言は異常者の或いは裏切り者の発言と捉えられても仕方がなかった。
「勿論、何を言うておるか分かっております。山名を引き入れるというは逆賊の誹りを免れぬ。しかし、掃部助の力を削ぐにはこの方策しかない」
主君の顔を仰ぎ見ながら、冷静さを崩さぬ浦上村国。
「山名を引き入れて、どうするというのじゃ?」
赤松政村は食い気味に詰問する。
「山名が播磨国へ入ってくれば、あの掃部助も、拙者や小寺殿と戦っている場合ではない。一度、和議を結び、山名家と戦わねばならなくなるでしょう。少なくとも、洞松院様は播備作三カ国の維持にこだわるでしょうから、掃部助が嫌と言うても、山名と戦うために戦は棚上げになる」
山名という外患を招き入れることにより、赤松家内の争いを中断させるという策。
いくら内部での争いが激しくあったとしても、共通の敵が現れれば、それと一致団結をして戦うというのは世の常である。
浦上村宗との不利な戦を終わらすためには、この策しかない。村国はそう思っていた。
「拙者は、御屋形様に仇討ちに出ないでいただきたいと申し述べた。それはこの時にためにございまする。御屋形様が無闇に仇討ちに出て、命を散らされるようなことなどあってはならぬ。反目し合う我らと掃部助がまとまって山名と戦う時、旗頭として、御屋形様にいてもらわねば困るのでございます!」
赤松政村は、村国の発言の意図を何となく読み取った。
しかし、解せないところは多々ある。頭を抱え、うーんと唸りながら、幼君は質問を続けた。
「色々と分からぬ……。そもそも、山名との戦には勝てるのか? もし、山名に勝ったとしよう。いつ、掃部助を討つというのじゃ? わしはさっさと掃部助を討ちたいのじゃが」
「お待ちくだされ、御屋形様。ですから、遠大な策と申し上げておりまする。山名家は昔日ほどの力はございません。いずれ、播磨国から退かざるを得なくなるでしょう。播磨から山名が退くまでは、拙者と掃部助は「味方」です。しかし、山名が退く直前に、拙者は和議を破り、掃部助の兵を攻めます。彼奴らは山名の撤退までは背後から攻撃されるとは考えぬはず。掃部助本人が戦に出ておれば、掃部助を奇襲にて討ち果たす。少なくとも、掃部助重臣の、宇喜多和泉守か島村弾正(貴則)辺りを討ち果たし、掃部助の兵力を削ぎたいと考えておりまする」
顔色一つ変えず、極めて姑息な「策」を進言する浦上村国。
しかし、ここまで卑劣で突飛な手を打たねば、浦上村宗を討つことは叶わない。そう浦上村国に確信させるほど、村宗派と反村宗派の戦力差は大きなものになっていたのも事実であった。
「とんだ卑怯者じゃな。そなたは」
驚くほど卑怯な策に、笑うしかない赤松政村。
しかし、面白いと思わせる何かが、この策にはあった。
何より、正攻法で浦上村宗に勝てる気がしない。そんななかで博打のような方法でもいい。一縷の望みが生まれたような気がして、政村は満足気な表情を浮かべる。
「卑怯者とは、とんだ誤解にございまするな。拙者が掃部助を討てば万々歳。もし、掃部助本人でなくても、重臣を討つことができれば、彼奴等の兵の勢いを削ぐことはできましょう。和議を破ったのは拙者だけでございますから、山名が退いた後は、小寺殿などは領地を取り戻すことができるでしょう。拙者一人、赤松家のために捨て石になると申しておるのです。卑怯者ではなく忠義者と呼ばれるべきでしょうな」
主君の笑顔に緊張がほだされたのか。浦上村国も笑顔を見せて、大口を叩いた。
「これは面白いことを申すな」
赤松政村は腹を抱えて笑った。
しかし、博打のような策である。当然のように懸念もある。
「して、忠義者よ。万一、そなたが掃部助を討てなかった場合、彼奴を討つ方法はあるのか?」
政村はおもむろに尋ねた。
「さあ、分かりませぬ。しかし、ここまで掃部助を引っ掻き回すことができれば、彼奴にも焦りは出てきましょう。掃部助が焦りに呑まれて、策を弄するほどの余裕もなく、三石城から離れている時。そこが彼奴を討つ好機。それをぐっと、何年でも堪えて待てばよいのではないですか」
「それは策というのか。ただの運任せではないか」
赤松政村は呆れたという顔をした。それまでの浦上村国の話に興が乗っていただけに、期待外れのところが大きかったのだろう。
「その好機も必ず来る。拙者はそう信じておりまする。されど、その前に、播磨国への山名の誘い込み。そして、掃部助の兵力を削ぐということを、やってのけねばなりませぬ。拙者は赤松家のための捨て石となる。もし、そこまでの企みが全てうまくいったのならば、拙者の言葉を信じ、御屋形様には掃部助を討つ好機を探っていただきたい。幼いながらも、御屋形様は才気煥発なるお方、必ずやその機会を手繰り寄せることができると信じておりまする」
浦上村国の目には炎が宿っていた。
「そもそも、山名を播磨国へ誘い込んで、浦上掃部助の兵の背後を討つなどというところからして、突拍子もない話じゃからなあ。そこまで、そなたが全てやりおおせたのなら、主君であるわしも何か為さねばならぬということじゃな」
赤松政村は何か感得したといった感じで、清々しい表情を浮かべた。
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ここまでが二年前に君臣が語り合った「策」であった。
山名家を播磨に引き込み、浦上村宗と仮初の和議を結ぶ。
そこまでは成功した。
しかし、浦上村宗もしくは、その家臣を討つところまでが、村国の目論見である。
たしかに「策」は道半ばであった。
まさに博打のこの「策」を成功させるために、浦上村国は手を汚す必要があった。
山名家を播磨に誘引するために、山名家に内通する旨の書状を出した。
見える実績がほしい山名誠豊は、まんまとその謀略に乗っかった。
室町幕府将軍を脅かした歴史もある大名である山名家を、村国は手玉に取った。
山名誠豊が播磨へ攻めてきた時。
村国は山名家への恭順の意を行動で示す必要があり、伊豆孫次郎を裏切った。そして、伊豆孫次郎の居城であった高峰城(神河町)の櫓を燃やした。
伊豆孫次郎は赤松家への忠義が厚い人間だった。
彼のもとには、山名家と浦上村国が内通しているとの情報も届いていたかもしれない。そんな彼を村国は裏切り、そして犬死させた。
それらの策謀によって、浦上村宗との仮初の和睦は成立した。
「とんだ忠義者だの。このわしも」
そう自嘲して、皺が増えた手をじっと見る村国。
しかし、浦上村宗打倒の目標を達するためには、さらに手を汚していかねばならないのだろう。
その覚悟はとうの昔からある。
幼き主君の為。そして、自身の思いのために。彼は手段を選ばずに戦う決意を新たにした。
「鵤庄引付」によると、浦上村国と赤松村景が山名誠豊と同心していたと伝えられています。小説ですし、創作部分やご都合解釈は勿論多々あるわけですが、「播磨情勢複雑怪奇」であったのは間違いないと思います。
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