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二章(10)天ヲ戴ク松之下草

 大永二年(1522年)十一月はじめには、山名家の播磨(はりま)国(兵庫県西南部)侵攻の報は備前(びぜん)三石(みついし)城(岡山県備前市)にも伝わってきていた。


「山名の侵攻を許すとは、小寺や別所は愚か者よの」など、浦上村宗の家臣達はそれを悪し様に言う。

「我らに散々刃向かってきた彼奴らも、これで一巻の終わりじゃ」

 そのような余裕な雰囲気さえ彼等には漂っていた。


 そんななか、三石城に馬で向かう一行があった。

 浦上村国(むらくに)とその家臣達である。


 小寺則職(のりもと)や別所村治(むらはる)を説得した彼らは、播磨国を出て、浦上村宗の領国備前国へ入った。


 それに際して、別所村治は、三石城にいる洞松院(とうしょういん)へ書状を出した。その内容は、村国一行が三石へたどり着くまでの道中保護の依頼。

 これにより、村国一行は身の安全を気にすることなく、進むことができた。山陽道を通り、目指すは三石城。


 目的は、ただ一つ。山名参戦を理由にして、浦上村宗と一時の和睦をすること。

 それが叶わなければ……どうなるか。


 現状、播磨にいる小寺・別所の反浦上村宗勢は危機的状況にある。

 西では浦上村宗(むらむね)、東では細川高國(たかくに)が兵を準備し、播磨攻撃の機を探っている。北からは既に山名誠豊(のぶとよ)勢が播磨への侵入を果たした。


 このままでは、三方から攻めこまれて押し潰されてしまう。

 それを避けるためには、浦上村宗との和睦が必須であった。


「もうすぐ、三石だ。心して行け」

 浦上村国は馬上から、家臣へ声をかける。

 播磨・備前国境の船坂峠から、三石城までは僅か半里(約2キロ)しかない。敵の妨害さえなければ、すぐに着く距離だ。


 彼らの命運がかかった交渉が、もうすぐ始まろうとしていた。



因幡守(いなばのかみ)(浦上村国)が、この城へ向かっておるだと!」

 その頃、三石城内の一室で声を荒げていたのは、浦上村宗である。


「彼奴は敵ぞ。何故、船坂峠で引っ捕らえぬか!」

 家臣の宇喜多能家(よしいえ)を叱責する彼は、苛立ちを隠せない様子であった。


「洞松院様が、因幡守様の道中保護を触れ回っておるそうで。我らも手が出せぬのです」

 普段は冷静な宇喜多能家も少し困り顔であった。


「何をしに参ったか分からぬが……。洞松院と因幡守が結託しているとなると、何やら思惑があるに違いない。嫌な予感がするな」

「左様でございますな。一体、どういう了見で参られたか……」

 君臣共々、思案に暮れていたその時。


「上様! 因幡守が城下に来まして。上様と御屋形様(おやかたさま)ならびに洞松院様に火急の用があるとのことでございます!」

 報せに伝令兵が走りこんできた。


「あい分かった。因幡守を御殿へ通せ」

 浦上村宗は苦虫を噛みつぶしたような表情でそう言った。

 村国の動きがあまりにも急過ぎて、彼の意図も理解できなければ、対応も考えられない。

 ここは出たとこ勝負をするしかない。そう覚悟を決めて、村宗は御殿へと出向いた。


----------

 

 浦上村宗が御殿へ行くと、上座に主君の赤松政村(まさむら)がちょこんと座っていた。

 その脇には洞松院が尼姿に怪しげな笑顔を浮かべながら、坐している。


(なにか、腹に一物ありそうじゃの)

 そう不愉快に思いながら、村宗もまた上座の赤松政村の近くに腰を下ろす。


 下座の方には、宇喜多能家、島村貴則(たかのり)などの浦上家臣団が中央を開けるようにして並んで座る。


 そして、その目線の先にひれ伏しているのが、髭が印象的な男。浦上村国であった。


「因幡守、面を上げなさい」

 洞松院が低く落ち着いた声で、浦上村国に呼びかける。


「ははっ」

 そう言って、ゆっくりと顔を前方に向ける村国。

 その眼差しは一点、浦上村宗に向けられている。非常に強い眼力。その気迫には、目を背けたくなるほどのものがあった。並々ならぬ覚悟でここまで来たのだろう。


「そなたと掃部助(かもんのすけ)(浦上村宗)は戦をしていますね。そんななかで、そなたは三石まで来た。どのような用があるのですか?」

 穏やかな口調、しかし、口元に笑みを浮かべながら、洞松院は尋ねた。


「畏れながら申し上げます。たしかに、それがしと掃部助様は戦をしておりまする。されど、此度、赤松家の故地である播磨国に山名が攻めて参りました」

 浦上村国が滔々と語る内容に、周囲は静かに耳を傾ける。


(山名の話を出してきたか……。これは押し戻せぬかもしれぬ)

 浦上村宗は、村国の意図を察したようだ。思案顔で天井を見上げて、唾をのむ。


 村国はそれとはお構いなし。村宗をずっと一点見据えたまま。力強く言い放った。

「つきましては、掃部助殿! 山名を播磨より、追い出すために力をお貸しいただきたい」


 その浦上村国の言葉に対し、脇から様々なヤジが飛ぶ。


「山名に背中を見せた臆病者め」

「武士の風上にも置けぬ」

「恥を知らぬのか」

「腹を切れ」

 感情的な言葉が次々と浴びせかけられる。


 しかし、浦上村国は素知らぬ顔。


 浦上村宗はまあまあと血気逸る家臣たちを抑えた。


 村国を追い返して、この話はご破算にしたい。

 せっかく、小寺・別所の反村宗勢をあと一歩で滅ぼせるところまで状況を進めたのだ。

 対山名で、浦上村国ら反村宗勢と共闘するとなれば、今までの努力が水泡に帰す。


 浦上家は実力では主家の赤松家を超えている。とはいえ、今も赤松家の家臣であることは変わらない。

 赤松家の領国は播磨・備前・美作(みまさか)(岡山県西北部)の三カ国。その一国でも、他の大名、特に因縁深い山名家に侵されたとなれば、それと戦わねば主家への不義が疑われるのもたしかである。


 ここはうまく立ち回らねばならない。

 自身の動揺はおくびにも出さず、冷静に振る舞わねば。

 

「家臣たちの無礼はお許しいただきたい。播磨が山名に攻め入られたことは、たしかに大変残念なことでございますな。されど、因幡守殿(浦上村国)、これまで敵扱いしてきた我々に助力を願うというのは虫が良すぎる話とは思わぬか?」

 村宗は冷ややかな笑みを浮かべ、村国に目をやった。


「そうだ! 恥知らずが」

 村宗の家臣から同意の声があがる。一部で嘲りの笑いをしている様子も見える。

 しかし、全く動じぬ村国。


「露ほども、そうは思いませぬなあ」

 その目は、村宗をしっかと睨めつけていた。


「むしろ、主家への忠義を重んじることなく、内輪の争いに拘泥することほど愚かなことはないと存じまする。何より、我らは浦上家。先代の浦上掃部(かもん)様(則宗(のりむね))は、浦上家のことを「天を(いただ)く松の下草」と例えられました。今こそ、その役割を果たすべき時かと」


「天を戴く松の下草か……」

 浦上村宗はそう一言呟き、苦々しい表情で押し黙った。

 浦上家臣団もざわざわと騒ぎ始めた。



 天ヲ戴ク松()下草。


 九代将軍足利義尚(よしひさ)に対して、浦上則宗が述べた言葉である。

 長享(ちょうきょう)元年(1497年)から、足利義尚は六角氏を征伐するため、近江(おうみ)国(滋賀県)に出陣。赤松家からは代表として浦上則宗が派遣され、幕府軍に参陣していた。


 幕府軍が陣を置いていた(まがり)の陣所(滋賀県栗東市)にて。


 足利義尚は戯れに「浦上()家ヲ続酒(うけ)テ飲メ」という上の句をうたって、浦上則宗に下の句を求めた。連歌が公家や武士の嗜みとされた室町時代、このようなやりとりはありふれたものである。これにどう応えるか、そこが腕の見せ所。


 そこで、浦上則宗は「天ヲ戴ク松之下草」と応じた。


 「天」とは、将軍。

 「松」とは、赤松家のことである。


 将軍家に仕える赤松家の「下草」として、浦上家は忠義を果たす。

 本来、「下草」は取るに足らない者や日陰者を意味するが、この場合は松の下に生い茂る草の意となろう。長寿の象徴ともされる「松」。末永く繁栄する赤松家の「下草」として、浦上家が未来永劫続くことを願ったのだ。


 則宗の意気と連歌への造詣の深さを感じとった足利義尚は、彼に御手自ら衣服を授けた。

 そのような昔話がある。


 将軍から衣服を授けられたということは、浦上家にとって比類なき栄誉。

 しかし、赤松家からの下剋上を狙う浦上村宗にとっては、彼の手足を縛る話でもあった。


 浦上村国はこの話を引き合いに出し、協力を呼び掛けてきた。


 赤松家の領国である播磨国が山名家によって攻め込まれた。

 この状況において、「松の下草」である浦上村宗のとるべき選択肢はひとつ。家内での諍いを一旦収めて、先陣に立ち、山名家と戦うことしかない。

 しかし、その選択肢をとれば、浦上村国や小寺家、別所家を必然的に救うことになってしまう。管領の細川高國を動かして、東西から挟撃する体制を整えたことがご破算になる。


 あと一歩まで追い詰めたのに。


 彼奴等を滅しさえすれば、傀儡でしかない赤松政村を廃し、下剋上をなすことなど容易かったのに。


 また、振出しに戻るのか。

 苦悶の表情を浮かべる浦上村宗。なかなか、二の句が継げない。


「何を黙っておる、掃部助。そなたの答えは一つしかなかろう」

 脇から煽り立てるのは黒衣姿の洞松院である。


 浦上村宗の専横に嫌気がさしていた彼女。

 期せずして、逆転の機会を得て、嬉々としている。


「そなたが御屋形様(赤松政村)を迎えたのは、二年前の室山(むろやま)城であったな」

 洞松院も、浦上村宗に対して昔語りを始める。

 二年前、浦上村宗と洞松院は、当主であった赤松義村(よしむら)を隠居に追い込んだ。そして、室山城(たつの市)に幼き才松丸(さいまつまる)を迎えて家督を継がせた。


「のう、掃部助。浦上宗家(そうけ)が室山城と室津(むろつ)の港を得たのは、何の功によるものだったかのう?」


(何とも意地が悪い鬼瓦じゃ)

 浦上村宗は、尋ねてきた洞松院を睨んだ。


「先の応仁の乱において、それがしの先代、浦上掃部(則宗)が、松泉院(しょうせんいん)様(赤松政則(まさのり))に忠節を尽くしました。そして、山名家から播備作(ばんびさく)三カ国を取り戻すという大いなる功績を残しました。その褒美として得たのが、室津と室山城にございます」

 観念したか。浦上村宗は滔々と語った。


「そうであろう。そうであろう」

 洞松院は嬉しそうに何度もうなずいた。


「そなたも先代と同じ「松の下草」であろう。同じ血を継いでいるのであれば、山名家を打ち破り、赤松家のために大いなる功をあげようと気がはやる。そういったものではないか?」

 畳みかける洞松院。


 浦上村宗は大きく息を吐いて、一言。


「左様にございます」

 そう呟いて、静かに俯く。


 敗北感に打ちひしがれる村宗。三石城の広間における勝負は完全に決した。


「決まりましたね。これより、赤松家中での争いは一旦収めなさい。そして、山名家を打ち破るために一致団結するのです」

 洞松院は手をたたいて喜んだ。


「御屋形様。衆議で決まったことです。それでよろしうございますか?」

 形式的に、洞松院は当主である赤松政村の同意を求める。


「勿論じゃ。山名に負けとうない。それに、わしは家臣が仲良くしておるほうが好きじゃ」

 赤松政村は本心から、そう答えた。


「ふふふ。御意にございます」

 笑いが抑えきれないのか、袖口で口元を隠す洞松院。その見やった先には、屈辱に震える浦上村宗がいる。久々の高揚感に、彼女は満たされた。

「励みなさいよ! 浦上因幡守!」


「心得て御座います」

 駆け引きに勝利した浦上村国。深々と平伏する。


 彼はその命運のかかった交渉に勝利した。

 矛をいったん収めて、対山名で共闘する。結論はそう決まったのだ。小寺・別所の反浦上村宗連合も当面の危機を脱したことになる。


 場が収まっても、平伏し続ける浦上村国。

 その脇を忌々し気に、浦上村宗などが通り過ぎていく。

 洞松院は笑みを浮かべて、「励みなさいよ」などと言い、彼の肩を叩いて立ち去る。


 そして全員が御殿を立ち去ったと思われたとき、彼の肩に手をかけて声をかける者があった。

 主君たる赤松政村である。


置塩(おきしお)城でのえびす舞の夜以来じゃのう。此度はようやった。そなたの「策」がはまったな」

 満面の笑みである。


 顔をあげ、主君を見上げる浦上村国。

「まだ「策」は半ばにござります。どこで掃部助の手の者が見ておるか、分かりませぬ。お気を付けくだされ」

 そう答えて、村国も笑った。

 

 実は、ここまでの流れはすべて浦上村国の読み通りに進んでいたのだ。

 あの「えびす舞」の夜にはもう、彼の頭の中にここに至る迄の筋書きはもうあった。

 そして、その先も。

足利将軍による六角征伐は二度おこなわれていますが、鈎の陣は一回目。

二度目は十代将軍足利義材(後の足利義稙)がおこなったもので、これは成功裡に終わっています。その翌年に、細川政元による明応の政変があって、足利義材は「流れ公方」としての人生を歩み始めるわけですが……。

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