私が中古でも使ってくれますか?
「まだ退学してなかったのかよ。ここはてめぇみたいな平民が通う学校じゃねぇんだよ!」
剣術の実技授業の最中に、同じクラスの下級貴族に絡まれた。非常に面倒な状況ではあるが、これがしがない平民でしかない俺――クリフにとっての日常だ。
スフィーリア精霊騎士校は建前上は誰でも入学することが出来るのだが、入学には様々な条件を満たす必要があり、事実上は貴族しか通うことが出来ない。
そんな学校に、俺は唯一の平民として通っている。それが一部の貴族にとっては気に入らないようで、今回のようにたびたび絡まれる。
出来ればいつものようにやり過ごしたかったのだが、今日はタイミングが悪かった。剣術の実技で、誰かとペアで訓練するような指示が出ている。
俺は目の前の男と模擬戦をすることになってしまった。
「――始めっ!」
教官の立ち会いの下、俺に絡んできた下級貴族――ギルバートが木剣で斬り掛かってくる。
まずは上段斬りから入り、俺が横に回避したところへ切り返しての追撃。ギリギリで避ける俺に、容赦のない連撃を放ってくる。
その攻撃は怒濤のごとく――と言えなくもないが、ぶっちゃけると雑だ。
まず、剣筋が通っていない。ぶれっぶれだ。
力が上手く伝わっていないので受け流すのが容易だし、切り返す瞬間も隙だらけだ。ついでに言えば攻撃が見え見えで、次の攻撃が簡単に予想できる。
これは別に、俺が実は学年でトップレベルの剣術の使い手であるとか、そう言った話ではない。学年には、おそらく俺が本気を出してもても足も出ない生徒は多い。
だが、俺に絡んでくる連中は実力のない連中が多い。おそらくは、明確に自分達よりも下等だと言える相手を蔑むことで、自分達の自尊心を保っているのだろう。
正直、ヘラヘラ笑っている顔面に一発入れてやりたい気持ちはある。
だが、俺は平民で相手は貴族。正論を返したとしても、身分の差という理不尽を振りかざされるのは目に見えていて、相手の行動がエスカレートする未来しか見えない。
だから俺は今日も、防戦一方に追い込まれている状況を演出する。
だが、いつまでも耐え続けるつもりはない。
精霊騎士校には、大きな転換期が存在する。
いまはまだ親の身分が生徒達の序列に直結しているが、二年生の終わりになって精霊と契約すると、精霊の強さが序列に影響を及ぼす。
契約した精霊次第で、俺とギルバートの身分差がひっくり返ることもありうるのだ。
むろん、俺みたいな平民が上級貴族より上になると言うことはありえない。
俺がそこまで強い精霊と契約できるとも思えないし、強い精霊と契約出来たとしても、家柄が完全に無視されるわけじゃないからだ。
だが、ろくに勉強もせず、他人を貶めることを生きがいにしているような馬鹿貴族が相手ならその限りじゃない。
――いや、俺は自分の夢を叶えるためにも、必ずひっくり返してみせる。
だから、いまは大人しくしなければいけない。そんな面従腹背の意思を持って、俺は攻撃を避け損なったフリをして吹き飛ばされた。
地面を無様に転がり、俺の敗北が決定する。
……ふぅ。なんとか乗り切れ――っ!?
背筋に悪寒が走るのと同時、とっさに首を横に動かす。それとほぼ同時、ギルバートの木剣が俺のすぐ顔の横の地面をえぐった。
もう完全に勝敗がついているのに、ギルバートが追撃してきたのだ。
明らかなやりすぎ行為に、ギリッと奥歯を噛む。だが、ここで刃向かってはいままでの我慢が水の泡だと我慢して次の攻撃に備える。
「終わりだっ! ギルバート、既に勝負はついているぞ!」
「これは……失礼しました。まさか平民の身でありながら栄えあるスフィーリア精霊騎士校に入学できるほどの天才が、これほど簡単に敗北するとは思わなかったもので」
焦った様子で止める教官に対し、ギルバートが真面目ぶった口調で言い放つ。完全なイヤミであり、言い訳でもあるのは明らかだが、表面上は正論だ。
教官はちらりと俺を見た後、ギルバートに次はないと忠告をした。事を荒立てても、平民である俺が不利になると考えたのだろう。
実際、俺が不利になるのは事実だ。
たとえば、ギルバートを罰したとしても、数日の謹慎処分がせいぜい。その後、俺に対する彼らの嫌がらせが激化するのは目に見えている。
本当に煩わしいが……それも精霊と契約するまでだと俺は我慢した。
とにもかくにも、それ以上の問題は起きずに実技訓練は終了。今日もなんとか無事にやり過ごし、学生寮に帰ろうとしたのだが――生徒会に呼び出された。
生徒会の呼び出しという時点で非情に嫌な予感がしていたのだが、俺を待ち構えていたのはアイリス様だった。
「今日も無様を晒したそうね?」
第一声がこれで、それと同時に紫の瞳がすがめられる。彼女はプラチナブロンドを指で弄りながら、小さなため息をついた。
アイリス様は上級貴族も上級貴族、王家の血を引く公爵家のお嬢様である。
彼女は下級貴族のように俺に嫌がらせをするようなことは一切しない。上級貴族らしい振る舞いをするのだが……いまのように情け容赦はあんまりない。
だから俺は、申し訳ありませんと頭を垂れた。
「……今日も言い返さないのね。最初の頃の威勢はどこへ行ったのかしら」
「あ、あのときはアイリス様の身分を知らなかったんです。どうかお許しください」
初めて会ったときに、彼女の身分を知らずにずいぶんと失礼な口を利いてしまったことがあるのだ。あのときは笑って許してもらえたけど、いまでも良くからかわれる。
「まあ……過去のことは良いわ。それよりも問題なのは、あなたの醜態が問題になりつつあると言うことよ」
「……問題に、ですか?」
「あなたが入学を許されたのは、とある優しい貴族令嬢があなたの才能を見いだし、入学を許可するように後押しをしたからだというのは分かってるわね?」
「ええ、もちろんです」
いつ、どこで、俺の才能を見いだしてくれたのかは聞かされていない。ただ、とある高貴で可愛い貴族令嬢が見初めたという情報だけはアイリス様から聞かされている。
だから、俺はその貴族令嬢に感謝している。
その方がいなければ、俺がここに来ることは絶対に出来なかったから。
「俺を入学させてくださった方への感謝の気持ちを忘れたことはありません」
「ならば、どうして醜態をさらしているのよ?」
「それは……」
「同学年の中では底辺を彷徨いているような連中に言いようにされてるじゃない。最低限の力しか示せないのであれば、平民が入学した意味がないと思われるのよ」
「すみません……」
貴族相手に楯突いたら、身分の差という理不尽を振りかざされるから――なんて言っても、アイリス様が共感してくれるとは思えない。
だから俺は、申し訳ありませんと頭を垂れた。
「あたしは、謝罪ではなく理由を尋ねてるんだけど……仕方ないわね。理事会の決定を伝えるわ。実力を示せないあなたは即刻退学」
「――なっ!?」
それは困ると、俺は顔を跳ね上げてアイリス様を見る。
アイリス様はそんな俺の視線を受け止め、フフッと微笑んだ。
「――と言われたんだけどね、あたしが猶予をもらってあげたわ。いまから一ヶ月以内に目に見えた結果を出しなさい。そうすれば、あなたの退学は保留にしてもらえるわ」
「……一ヶ月、ですか」
「なにか、問題はあるかしら?」
一ヶ月後といえば、精霊と契約する儀式が終わり、模擬戦がおこなわれた後だ。
俺が面従腹背の精神で我慢しているのは、精霊との契約をつつがなく終わらせるため。精霊と契約をした後の模擬戦では、思う存分戦うつもりでいる。
だから、俺は「いいえ、なにも問題ありません」と答える。そんな俺に向かって、アイリス様は「楽しみにしているわ」と柔らかく微笑んだ。
それから三週間が経ち、いよいよ精霊と契約の儀式をおこなう日がやって来た。俺は事前に渡された地図を使って、契約の儀式が執り行われる森にある聖地へと向かう。
いよいよ……いよいよだ。
精霊と契約を終えれば、俺は精霊騎士となることが出来る。かつて、俺の暮らす村を救ってくれた、あの女性と同じ精霊騎士になれる。
実のところ、俺が平民でありながら精霊騎士を目指したのはそれが理由だ。
どこの誰かも分からない。たまたま村に立ち寄っただけの精霊騎士が、村を襲撃した魔物の群れを命懸けで撃退してくれた。
俺はその女性騎士の優しさと強さに憧れて、精霊騎士を目指そうと心に決めたのだ。
もっとも、その時点ではただの夢でしかなかった。
精霊騎士となる資格があるのは、多くの魔力を体内に宿すことの出来る者だけ。そして、体内に魔力を宿するのは、貴族としての血を引く者だけなのだ。
希に貴族のお手つきとなった娘が産んだ子供が条件を満たしていることはあるが、そういった場合は必ずと言って良いほど、貴族の養子とされる。
だから、平民の子でしかない俺に精霊騎士となる資格があるとは思えず、また、もしあったとしても精霊騎士校へ通うお金はもちろん、入学するためのツテもない。
俺が精霊騎士になるなんて夢のまた夢だったのだ。
だが、どこかの貴族令嬢が、俺に才能があるからと入学を後押ししてくれた。
そのどこかの貴族令嬢が、かつて俺の村を救ってくれたあの女性と同一人物かどうかは分からない。そうであったら良いなとは思うけど、そんな偶然があるとも思えない。
だけど、それでも、誰かが俺に精霊騎士になる機会をくれた。だから、かつて村を救ってくれたあの人のように、俺もみんなを護りたい。
そのために、必ず精霊と契約してみせる――と、地図を頼りに道を進む。森へと続く人気のない獣道をしばらく進むと、俺の行く手に覆面で顔を隠した黒ずくめが現れた。
正面に二人。どう考えても真っ当な連中じゃない。
俺はとっさに踵を返そうとするが、背後にも二人。俺はいつの間にか囲まれていた。
「……なにが目的だ?」
「大人しく我々についてくることだ。そうすれば、明日には無事に返してやる」
「そういう、ことか……」
こいつらの目的は、俺の契約を阻止。
おそらくはギルバートか誰かが俺の邪魔をしようとしているのだろう。
精霊との契約の儀式は原則として、年に一回と決まっている。それ以外の日に契約できないわけではないが、儀式をするには多額の費用が必要になる。
俺には今日しかチャンスはないのだ。
「さあ、怪我をしたくなければついてきてもらおうか?」
「……断ると言ったら?」
問いかけの答えは背後からの不意打ちだった。
俺は勘だけで身体を捻る。直ぐ目の前を淡い光を帯びた刃が通り過ぎた。
「精霊武装!?」
俺は息を呑んだ。
淡い光を帯びた武器は、契約精霊が武器の形をなしている精霊武装。つまり、俺を襲撃している連中は、正真正銘の精霊騎士ということになる。
明らかに誤算だ。ギルバートレベルの見習いや、その辺で雇われたごろつきならともかく、正規の精霊騎士が相手となると俺には荷が重すぎる。
「こちらの実力が分かったのなら大人しくしろ。言うとおりにするのなら丁重に扱おう」
俺を包囲しつつ、降伏を勧告してくる。
その構えに隙はなく、撃退はもちろん、突破することも不可能だろう。つまり、これ以上戦っても無駄で、大人しく降伏するのが賢い選択だ。
だけど――と、俺は拳を握り締めた。
俺がいままで我慢してきたのは、精霊と契約して憧れたあの人と同じ道を歩むため。
それに、こんな俺に期待をして、入学を後押ししてくれた人がいる。前に進まなければ精霊と契約する道がない以上、撤退するという選択はありえない。
だから――
「悪いが……それは出来ない!」
俺は思い切って前に踏み込み、俺の答えを待っていた精霊騎士に斬り掛かった。
それは、全力の一撃。
この一撃が受け止められたらもう後がない。それくらいの気迫を持って剣を振るう。
「――なっ!」
少し脅して時間稼ぎをするだけのお仕事。そんな風に思っていたのだろう。俺の殺す気で放った一撃を慌てて受け止めた精霊騎士は体勢を崩す。
その代償に俺の剣が砕け散るが、それは予想の範囲内。俺はすかさず蹴りを放って相手を吹き飛ばし、開いた包囲網から――
「無駄だ、諦めろっ!」
俺が抜けようとした進路に、もう一人の精霊騎士が割り込んでくる。
こちらの武器は壊れ、背後からは新手が迫っている。ここで足を止めたら間違いなく終わる。ゆえに、俺は前に踏み出した。
「くっ、無駄な足掻きをっ!」
横薙ぎの一撃を放ってくるが、武器を失った俺に気後れしたのかその一撃は甘い。俺は半ばから折れた剣を使ってその一撃を跳ね上げ、その下をくぐり抜ける。
包囲網を突破した――と思った直後、みぞおちに衝撃が走った。
「……ここは?」
ふと目を開けば、どこかの小屋のようだった。
俺は手足を縛られた上で、柱にくくりつけられて動きを封じられているようだ。
「ようやく目が覚めたようだな」
不意に振って降りる声がする。顔を上げれば、部屋の真ん中にあるテーブル席に、俺を襲撃した連中の一人が座っていた。
俺は自分が囚われたことを知り、警戒の色をその瞳に宿す。
「そう警戒するな。俺達の目的は完了したと言える。おまえが逃げだそうとしない限り、これ以上に危害を加えるつもりはない」
「目的が完了した、だと?」
俺はあれからどれだけ意識を失っていた?
もしかして、もう儀式が終わってる時間なのか?
「例年であればそろそろ終わる頃だ。いまから向かっても、契約の儀式は終わっているだろうな。ゆえに、ここにいるのは俺とおまだけ。もう少ししたらおまえを解放してやる」
「そん、な……」
最悪の事態だと知り、俺の心が折れそうになった。
……いや、待てよ。
去年はなにやら問題が発生したそうで、去年契約できなかった者達が今年の儀式に参加することになっているはずだ。
だとしたら、急げば間に合うかもしれない。
もっとも、契約の儀式は順番が後になるほど強い精霊と契約できる確率は下がっていく。俺を遅刻させた時点で、ギルバート達にとっては目的が完了したと言えるだろう。
もしかしたら、そこに油断があるかもしれない。俺は「どうしてこんなことをするんだ?」と問い掛けつつ、ここから逃げる算段を立てる。
不幸中の幸いと言うべきか、小屋には目の前の精霊騎士以外には見当たらない。不意を突いて逃げ出せば、そのまま振り切るチャンスはあるはずだ。
後は、拘束を解く方法だが……
「理由……か、俺にも良く分からんな」
「……はい?」
一瞬なにを言われているのか分からなかった。だが、すぐにさっき時間稼ぎで問い掛けた質問の答えだと気付く。
俺は拘束を解こうともぞもぞしつつ「どういう意味だ?」と問い返した。
「なかなか不可解な命令でな。やることと言ったら、精霊騎士を目指すなかなか見所がありそうな若者の未来を奪うような内容だ。端的に言って気にくわない」
「気にくわないって言うなら、俺を見逃してくれないか?」
覆面で表情までは見えないが、その言葉は本気に思えた。だからもしかしたらと、そんな淡い期待を持って問い掛ける。
だが、精霊騎士は首を横に振った。
「……なら、強引に逃げてやる!」
袖に隠し持っていたナイフで腕の拘束を切った俺は、間を置かずに足の拘束も切って飛び起き、入り口へと駈けた。
一挙動、一瞬だったという自負がある。
だが、それよりなお早く、精霊騎士が扉の前に立ち塞がっていた。
「……たく、大人しくしてろって言っただろうが」
「俺は了承してない」
「おいおい。この状況でも抵抗するつもりか? 殺されたいのか?」
精霊騎士が剣を抜いて、俺の顔に突きつけてくる。淡い光を放つ精霊の刃。そんなモノで斬られたら、俺は真っ二つになるだろう。
だが……
「無謀なのは分かってるし、死にたくはないな。だが、それでも、可能性が少しでもあるなら、ここで諦めるって選択肢はないんだ」
包囲されていたときは虚を突くことが出来たが、今度は相手も油断しないだろう。しかも相手は精霊武装で、俺はたんなるナイフ一本。
どう転んだって勝てるとは思えない。
だけど、この程度で諦めるくらいなら、平民が精霊騎士を目指したりしない。俺の後押しをしてくれた人の恩に報いるためにも、ここで諦めるという選択だけはありえない。
だから――と、俺はナイフを構えて睨み返した。
「……なぜそこまでして精霊騎士になりたがる? 地位や名誉が目的か?」
「そんなモノはどうでも良い。俺はただ、精霊騎士になって、俺が救われたように誰かを救いたいだけだ」
「救われたように、だと?」
「いまから十年ほど前、俺の暮らす村に魔物の群れが押し寄せてきた。それを、一人の精霊騎士が救ってくれたんだ」
「――おまえ、あの村の生き残りか!」
突然、目の前の精霊騎士が目の色を変えた。
「……知っているのか?」
「ああ、噂には聞いている。だが……そうか。おまえはフォルシーニア様の意思を継ごうとして、ここに来たんだな。……だが、それならばなぜ、お嬢はこんな命令を……」
精霊騎士がブツブツと考え事を始める。
俺と相対しているのを忘れているかのように隙だらけだ。むろん、呟きの内容も気になるが、いまはここから逃げるのが先だ。
この隙に不意を打って――と一歩を踏み出した瞬間、精霊騎士が顔を上げた。
「負けだ、負け」
そう言って剣を鞘にしまう。
その行動が予想外すぎて、俺は思わず間の抜けた顔をさらしてしまう。
「逃がして、くれるのか?」
「俺にも信念があるんでな。たとえ命令でも、フォルシーニア様の意思は潰せねぇ」
「……フォルシーニア様? 誰なんだ、その人は」
「教えてやっても良いが、おまえにそんな時間はないだろう? いまから大急ぎで向かえば、ギリギリ間に合うかもしれないからな」
「……ん?」
もうとっくに時間は過ぎてるんじゃないのかと首を傾げる。
「ばーか、おまえを諦めさせるための方便だよ。だからほら、フォルシーニア様の意思を継ぎたいというのならさっさと行きやがれ」
精霊騎士は背後の扉を開け放った。聞きたいことはいくらでもあるが、たしかにいまは儀式を間に合わせるのが最優先だ。
俺は恩に着ると口にして、小屋から飛び出す。
「……馬鹿野郎。おまえを捕らえたのは俺だぞ。マイナスが少し減っただけ、感謝されるいわれなんてねぇんだよ。……あ~あ、後でお嬢に怒られるだろうなぁ」
走り去る間際、そんな呟きを聞いた気がした。
契約の儀式は精霊界から精霊を召喚しておこなうと誤解されることが多いが、実際にはそうではない。契約対象となりうるのは、儀式をおこなう聖域に集まっている精霊のみ。
契約できる精霊の数は限られており、契約の順番が後になるほど精霊は減っていく。だから、順番が早ければ早いほど、強い精霊を得る可能性は高くなる。
ただ……俺は最強になりたいわけじゃない。俺が目指すのは、俺に絡んできた馬鹿貴族達とは違う、平民にも優しい精霊騎士。
だから、強力な精霊じゃなくて良い。順番が後になって、強い精霊と契約できなくてもいい。俺の想いに共感してくれるような精霊と契約したい。
そんな想いを胸に、契約の儀式がおこなわれる聖域へ駆けつけた俺は――既に片付けが始まっている儀式会場を目の当たりにした。
「……どう、して」
「クリフ、今までどこにいたんだ! ギリギリまで待っていたんだぞっ!」
先生が俺を見つけて駆け寄ってきた。
「……先生。儀式はもう……?」
「ああ、残念ながら終わって、いまは魔法陣を片付けているところだ。もう少し早く来てくれれば、おまえにも契約をさせてやれたんだが……」
「間に合わなかったって、ことですか?」
「残念だが……」
魔法陣は生徒以外に悪用されないように、毎年片付ける。しかも、儀式の準備には相応のコストが掛かるため、いまから元に戻すと言うことも出来ない、
「でも、どうしてこんな早くに終わったんですか? 去年契約できなかった者が多かったから、今年の儀式は日没まで続くって聞いてたんですが……」
「あぁ、それはな――」
去年は課外授業の最中に魔物の群れと遭遇し、そのときの負傷で儀式をおこなえなかった生徒が相応数いた。
そして、そんな彼らは正義感が強くて優秀だった。
ゆえに、今年の生徒達の後に儀式をおこなうのは忍びない。
別の日に儀式を開催するべきだと生徒会からの要請があり、また後日儀式をおこなうために必要な費用も有志達の寄付でまかなうことが出来た。
ゆえに、去年契約できなかった者達の儀式は後日おこなわれるそうだ。
「そういう意味ではクリフも運が良いな。今日の儀式には間に合わなかったが、一ヶ月後におこなわれる儀式の最後には入れてもらえるだろう」
「……一ヶ月後」
生徒会から突きつけられた条件は、あの日から一ヶ月以内に周囲を見返すこと。つまりは、後十日ほどで結果を出さなくてはいけない。
一ヶ月後じゃ間に合わない。
「お、おい。クリフ!?」
精霊騎士達との戦いで受けたダメージと、ここまで全力で走ってきた疲労。そして、もうどうやっても間に合わないという絶望で全身から力が抜ける。
俺は膝からくずおれて、そのまま意識を失った。
そんなこんなで、平民でありながら精霊騎士候補として入学を許された俺、クリフが精霊との契約が出来なかったという噂は瞬く間に広がった。
一ヶ月後に儀式をおこなうことが出来れば、挽回のチャンスはあるだろう。けど、俺に一ヶ月という時間は残されていない。
数日経ったある日。生徒会室に呼び出された俺は、システムデスクの向こう側に座るアイリス様と向き合っていた。
「精霊との契約が出来なかったそうね?」
「……はい」
俺は頭を垂れた。
言いたいことはあるけど、貴族の嫌がらせは俺が入学した頃からずっと続いていた。それに立ち向かうのではなく、やり過ごすと判断したのは俺だ。
その結果は受け入れなくちゃいけない。
「相変わらず、言い訳は口にしないのね」
「言い訳をしても結果は変わりませんから」
「……その通りね。どうするつもりかしら? あと一週間ほどで約束の期限よ?」
「それは……」
白状してしまえば、もはやなんの策もない。
もうすぐ精霊武装を使った模擬戦の大会が開催されるが、精霊と契約していない俺は参加できない。俺の価値を周囲に認めさせる機会は既に失われている。
「ちなみに、次の儀式まで待ってもらうというのは……?」
「出来ると思ってるの?」
「ですよね……」
身も蓋もないが、既に一ヶ月という猶予をもらっていたのだ。それ以上の猶予をもらおうなんて虫のいい話だ。
だけど、それでも、俺は精霊騎士になる夢を諦めたくない。
「なにか……なにか方法はありませんか? なんとかして頂けるなら、アイリス様の足にキスだってして見せますけど」
「――ふぇ!?」
おっと。公爵令嬢様に言って良い冗談じゃなかったな。
「すみません、口が過ぎました。ただの冗談です」
「……え、冗談? そ、そうよね、冗談よね。冗談……かぁ」
なにやらため息をつかれてしまった。
なんか、ちょっと残念そうに見えるのは気のせいか? 気位が高いお嬢様だし、もしかして、そういう性癖があったりするのだろうか……?
「方法、ね。……ないこともないわよ?」
アイリス様が、片目をすがめて答える。
その瞬間、俺は「本当ですか!?」と、システムデスクに身を乗り出した。
「……ええ、本当よ。ただ……色々と問題があるわ。それでも――」
「それでも、方法があるのなら教えてください! 俺は絶対に精霊騎士になりたいんです!」
思いの丈を全部込めて、アイリス様の瞳をまっすぐに見つめる。アイリス様はそんな俺の視線を受け止め、「そう来なくっちゃ」と呟いて立ち上がった。
「……えっと?」
「クリフくんにチャンスをあげるわ。ついてきなさい」
アイリス様が席を立ち、そのまま部屋を出る。
慌ててアイリス様を追い掛けると、学校の前に止まっていた馬車に乗せられる。そうして連れて行かれたのはアイリス様の実家。
公爵家のお屋敷だった。
アイリス様がいることで、屋敷の使用人達はとくになにも言ってこない。
ただ、俺達が通り過ぎるとき、使用人達は皆頭を下げて俺達が通り過ぎるのを待つ。まるで別の世界にきてしまったようで落ち着かない。
「……えっと、どうしてアイリス様の実家に?」
「もちろん、あなたと精霊を契約させるたよ」
「でも、契約の儀式をおこなえるのは聖域だけでしょ?」
「普通に儀式をおこなうのなら、そうなるわね」
「……普通に儀式をおこなうなら?」
精霊と契約するためには、聖域で儀式をおこなうしかない。そう思っていたから、アイリス様の言葉は良く分からなかった。
そんな俺に、アイリス様が歩きながら説明をしてくれる。
この世界に現れた武器精霊は、契約を終えると精霊界に帰ることになる。だが、ごく希に、なんらかの事情によって精霊界に帰ることが出来ない精霊が存在する。
そんな精霊が、この屋敷に一人いるらしい。
「つまり、俺にその精霊と契約させてくれる、という訳ですか?」
「正確には、機会を与えるだけよ。……と、ついたわよ」
アイリス様はとある部屋の前で足を止め、扉を静かにノックした。
「ユスティーナ、クリフを連れてきたわよ」
「……入って頂いてください」
部屋の中から聞こえてきたのは、柔らかな女性の声。アイリス様に誘われて部屋へ足を踏み入れると、窓辺にたたずむ少女がいた。
窓から差し込む日の光を浴びて、ピンクゴールドの髪がキラキラと輝いている。そして、俺を静かに見つめる瞳は、右目が青色で左目が金色と、左右で瞳の色が違っていた。
俺はその神秘的な瞳に魅せられたのだが……少女は悲しげに左目を隠してしまった。
「これは、私が堕ちた精霊である証。あまり見ないで頂けると嬉しいです」
「……堕ちた、精霊?」
どうやら、彼女が精霊界に帰れなくなった精霊で、左目が金色なのは帰れなくなった精霊の証のようなモノらしい。
だが、それよりなにより、彼女が精霊であることに驚いた俺はアイリス様に視線を向ける。
「彼女が精霊、なんですか? 精霊って言うと普通……」
「ええ、そうね。下級精霊はフェアリーみたいな小さいサイズだし、中級上級でも獣の形をしている者がほとんどよ。人と見まがうような強い力を持つ精霊は滅多に存在しないわ」
「それだけ上位の精霊ってこと、ですよね……?」
強力な精霊と契約できることに不満はない。
だけど、もし強力な精霊なら、俺以外にいくらでも契約したがる者がいるはずだ。それなのにどうして俺にと、警戒心を抱いてしまう。
「そうね、ユスティーナはとても強力な剣の精霊よ。ただし――」
俺の内心を読み取ったようで、アイリス様は精霊について話し始めた。
人間と契約した武器精霊は、契約者にとって最善となるべく成長していく。
武器の形状やバランス。更には付与される能力や、戦闘時におけるサポートの呼吸など、あらゆる意味で契約者のための武器として進化するのだ。
そしてそれは、強力な精霊ほど顕著となる。
「だから、ユスティーナは以前の持ち主に完全に染まっているの。もしあなたと契約したとしても、本来の力の一割も発揮できないでしょうね」
「……一割だけ?」
「一割じゃなくて、一割以下よ。普通は誰も堕ちた精霊との契約なんてしない。堕ちた精霊は中古精霊と揶揄されて、精霊騎士を目指す者達から忌避される存在なの」
アイリス様はそこで一度言葉を切り、それでも契約を望むのなら真摯にお願いしてみなさいと俺の背中を押した。
とんと押し出された俺は、ユスティーナさんの前に立つことになった。
「えっと……その、ユスティーナさん?」
「ユスティーナで良いわよ、クリフくん」
「……えっと、じゃあ……ユスティーナ」
もし契約をするのなら、信頼関係は重要だ。
だから――と、俺は思いきってユスティーナと呼び捨てにする。
「ユスティーナは、俺と契約してくれるか?」
「クリフくんは、私と契約したいんですか?」
「……ユスティーナさんが受け入れてくれるなら、ぜひ契約して欲しい」
冗談や酔狂じゃないと気持ちを示すため、ユスティーナをまっすぐに見つめた。オッドアイの瞳が、真正面から俺の視線を受け止める。
その瞳は、少しだけ寂しげに見えた。
「それは……私以外に選択肢がないから、ですか? もしそうなら、私がアリシアにお願いして、あなたが儀式を受けられるようにお願いしてあげます」
「――ユスティーナっ!」
アイリス様が被せるように叫んだ。だが、ユスティーナはそれを視線で制する。
「クリフくんだって、私みたいな中古精霊より、新規の精霊の方が良いでしょう? あなたが望むのなら、私がアイリスにお願いしてあげます」
驚くべき提案だが、アイリス様は否定しない。アイリス様がそんな風に考えているなんて予想外だけど、その反応こそが事実だと証明している。
つまり、アイリス様は俺が願えば、契約の儀式を受ける機会をくれるつもりのようだ。
「たしかに、俺も自分と相性の悪い相手より、相性の良い精霊と契約したいな」
「……そう、ですよね」
ユスティーナさんは少し寂しげに、だけど俺の意思を尊重するかのように微笑んだ。
「だから、少しだけ俺の話を聞いてくれるか?」
「クリフくんの話、ですか?」
「そうだ。俺は夢を叶えるために、精霊騎士になりたいんだ。だから、俺は相手を選ぶ余地があるのなら、俺の夢に共感してくれる相手がいい」
普通の契約でそんな意思の確認は出来ない。と言うか、そもそも、明確な意思の確認をおこなえる人型の精霊というのが珍しい。
普通は、儀式をおこなった人間の技量というか、魂の輝きみたいななにかに惹かれた精霊が寄ってくるので、その精霊と契約をする――とまぁ、そんな感じだ。
でも、今回はそうじゃない。
せっかく意思の疎通をするチャンスがあるんだから、聞いてみたいと思ったのだ。
「夢に共感……ですか。どのような夢、なんですか?」
「俺の夢は、かつて俺の村を救ってくれた精霊騎士みたいになることだ」
あの精霊騎士は義務でもなんでもなく、善意だけで命をかけて俺の暮らす村を救ってくれた。だから俺も、平民に手を差し伸べるような優しい精霊騎士になりたい。
そんな想いをユスティーナに打ち明けた。
それを聞き終えたユスティーナがなぜか両目を見開いた。
「……えっと、どうしたんだ?」
「いいえ、なんでもありません。その考えに、私が共感できるかどうか、でしたね」
「ああ。武器精霊は最強を目指すことこそ誉れ、みたいなイメージだからさ。ユスティーナがどう思ってるか知りたいんだ」
「……そうですか。では私の答えは、共感できる、です」
「……本当に?」
「ええ、本当です。私の前の契約者も、同じ考えを持っていましたから」
「へぇ、そうなんだ。だったら、俺とユスティーナの相性は良いのかもな」
そう思うと少し嬉しくなった。
だけど、ユスティーナは申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「考え方が似ているからと言って戦いの癖までもが似てるわけじゃありません。クリフくんが私を使っても、一割以下の力しか使えないことに変わりはありませんよ」
「……そっか。でも、使用者に染まるってことは、俺が使い続ければいつかは、俺が使いやすいように成長してくれるんだろ?」
「そう、ですね」
ユスティーナは言葉を濁した。
その後に付け加えられた説明によると、真っ新な精霊が契約者に染まるのに比べて、一度契約者に染まった精霊を染めるには何倍も手間が掛かるらしい。
「中古精霊と揶揄されるのには、相応の理由があるんです。私と契約してもきっと、並み以下の精霊騎士としてしか活躍できませんよ」
「……なるほど。でもそれって、精霊にだけ任せた場合だよな?」
「……どういう意味ですか?」
「もし、ユスティーナさんが俺と契約してくれるなら、俺もユスティーナさんに合わせられるように努力する。だから、俺と契約してくれないか?」
ユスティーナさんが驚きに目を見開いた。
「……私が中古でも使ってくれるんですか?」
「中古かどうかなんて関係ない。俺は、俺の夢に共感できると言ったユスティーナと契約したい。だから……俺と契約してくれ」
ユスティーナは自分の口元を手で覆って泣きそうな顔をする。それから金色の瞳から一筋の涙をこぼすと、こくりと小さく頷いた。
どうやら、ユスティーナも俺と契約するつもりになってくれたみたいだ。
「ありがとう、ユスティーナ。さっそく契約したいんだけど……どうしたら良いんだ?」
「普通の契約と同じです。私の手を取って、魔力を注いでください。私がそれを受け入れれば、契約は完了となります」
「分かった。それじゃ……手を」
ユスティーナの手を取って、自分の魔力を流し込んでいく。
「……ぁくっ。凄い……これがクリフくんの、魔力……なの、ね」
ユスティーナさんの声がなんだかちょっと艶めかしい。通常の契約と同じ手順なんだけど、相手が人型の女性というのが想定外だ。
恥ずかしさに魔力を流すのがおろそかになったら、「まだ契約は終わってないから、やめちゃダメですよ。そのまま魔力を私に注いでください」と、さり気なく諭されてしまった。
これが、経験者と非経験者の差なのか……
「……クリフくん、なにか変なことを考えていない?」
「いや、そんなことはない」
「だったら、ちゃんと魔力を注いでね?」
「……悪い」
俺は真面目に魔力を注いでいく。
俺は平民でありながら精霊騎士校に入学を許されただけあって、魔力量が平均より多い。にもかかわらず、魔力が枯渇しそうな勢いだ。
これ以上はキツいと思った直後、ユスティーナがほぅっと小さく吐息を零した。
「ありがとう。これで契約は完了しました。さっそく、剣としての姿を見せますね」
直後、ユスティーナの輪郭がぼやけて、俺の目の前に一振りの剣が現れた。
「……これが、ユスティーナの真の姿――ぐおっ」
虚空に浮かんでいた剣の柄を握った瞬間、重力に引かれて剣が落下したのだが――重い。むちゃくちゃ重い。見た目は片手剣くらいなのに、両手剣くらいの重さがある。
もちろん、精霊とはいえ女性に重いなんていうつもりはないが……想像以上の重さだ。
『ふふっ、無理をしなくても構いませんよ。重く感じるのは、私が前の契約者に染まっているから無理もありません。クリフくんに染まるにつれて、扱いやすくなるはずです』
どこからともなく声が聞こえる。
ユスティーナの声っぽいから、どうやってか俺に声を届けているのだろう。精霊とは声に出さずとも意思の疎通が出来ると聞いたことがある。
しかし……重いのは前の契約者に染まっているから、か。
これを自在に震えるようになるには、相当な訓練が必要になりそうだな。
『後悔、しましたか?』
いいや、それはない。
俺は心の中で答えて、剣先を下に向けたまま持ち上げてみる。
実際に重いが、まっすぐに持ち上げるだけなら不可能な重さじゃない。通常の剣とは違うバランスが、不慣れな俺に重さを感じさせているようだ。
これなら――と、俺は少し無理をして構えてみる。
「振り回すのはまだ無理だけど、素振りくらいは出来そう、だな」
「あら、凄いわね。堕ちた精霊と契約した場合、普通は構えるだけでも何日もかかるのに」
横で見ていたアイリス様が感心したように呟いた。
それを聞いた俺はマジかと驚く。
俺が退学を取り消してもらうには、もうすぐ開催される模擬戦の大会で結果を出す必要がある。剣を構えるだけで何日もかけてたら、確実にアウトだった。
そう考えると、かなりの綱渡りみたいだな。
まぁ……でも、結果的に助かった。
「アイリス様には大きな借りが出来ましたね」
俺が感謝を述べると、アイリス様は少し困った顔で目を伏せて、小さく首を横に振った。
「マイナスが減っただけじゃプラスにはならないわ」
「え? それって……」
「なんでもないわよ。それより、私がここまでしてあげたんだから、ちゃんと周囲を納得させるだけの結果を出しなさいよ? じゃなきゃ、容赦なく退学にするわよ?」
「分かってます。必ず、結果を出して見せます」
いつか、俺を救ってくれた精霊騎士のようになるためにも、ここで退学になるわけにはいかない。必ず来週の模擬戦で結果を出してみせる――と、俺は剣の柄を握り締めた。