第6話
「……オレはネオ」
「ネオ……ネオは、シンの仲間?」
「……ちょっと違うけど、そんな感じ」
「? どういうこと?」
「……昔は、一緒に仕事してた……ずっと一緒に、長い間……けど、シンが辞めてから、それっきり」
「それっきり?」
「……うん」
ネオは無意識に、右目を隠している長く伸ばされた前髪に触れた。
「じゃあ、なんでシンが危ないって分かったの?」
「……シンが、追われてるって聞いたから」
「誰に?」
「……同業者」
「同業者……あっ、棺桶の……?」
「……うん」
「どうして、シンは追われてるの?」
「……それは、分からない」
「そっか……」
「……君は?」
「えっ?」
「……君は、誰?」
「あっ、僕は怜。東怜」
「……怜は、シンの何?」
「えっ……何って……」
(何ってなんだろ……)
「えっと……僕が家に帰ったら、彼が……シンが部屋で倒れてて……それから、あとから入ってきた人に銃で襲われて……」
怜は今までの状況をネオに説明した。
「だから、何って聞かれても……」
「……そうだったんだ……突然で、びっくりしたね」
(……“仕事”で一緒にいるのかと思ってたけど、追われてる途中に巻き込んじゃったのか)
ネオはシンが吸血鬼として、怜に近付いたと思っていた。
「そ、そうなんだよ……ほんと、殺されるかと思った……君がちょうど来てくれて、助かったよ。ありがとう」
シンが追われていると棺桶の客から噂話を聞いたネオは、自分の住んでいる地域で銃声や何か事件が起こらないかアンテナを張っていた。
「……間に合って良かった」
ネオは小さく笑った。
「……怜は、これからどうするの?」
「え?」
「……家に帰るのは、まだ危ない……もしかしたら、また追っ手が怜のところに来るかも」
「あっ……そっか……」
(色々あって混乱してた……)
ルカに襲われたことを思い出して、膝の上に置かれている怜は小さく震え出した。
「……ここにいる?」
「え……?」
「……ここなら家よりは安全……元はと言えば、シンが怜を巻き込んだ……責任は、シンにある。けど……今は動ける状態じゃないから……怜の好きにしたらいい」
「で、でも……」
「……オレのことは気にしなくていいから、今は自分の身を守ることを考えた方がいい」
(た、確かにそうかも……僕には何もできない……)
「あ、ありがとう」
怜はネオの提案を受け入れることにした。
ネオはカウンターの横にある冷蔵庫を開いて、中からペットボトルの水を取り出した。後ろにある食器棚からグラスを取るために、怜に背を向ける。ボトルのキャップを開けて中身の水を透明なグラスに注いだ。
するとネオはポケットから折り畳まれた薬包紙を取り出した。
──パサッ……。
薬包紙を開くと中には白色の粉薬が包まれていた。
ネオは無表情でその粉を水の入っているグラスに入れて、近くにあったマドラーでゆっくりとかき混ぜて完全に溶けさせた。
ネオは薬入りの水が入ったグラスを、カウンターを出て怜の元へと持って行く。
「……はい」
座っている怜に、ネオはグラスを差し出した。
「えっ」
「……お水……それ飲んだら、少し休んだ方がいい」
「ありがとう」
怜は両手で水を受け取って、薬が入っているとも知らずに、なんの疑いもなくグラスの水を口に含む。
「……」
ネオは怜が水を飲む姿を、無表情で見つめていた。
怜はグラスの水を全て飲み干した。中が空になったグラスを、怜はネオに返した。透明のグラスの中には水滴が残っていて、光を受けて光っている。
「ありがとう、喉渇いてたのも忘れてたよ」
「……そう」
ネオはグラスを受け取った。
「ふぁ……」
怜の口からあくびが出た。ネオにグラスを渡して空いた左手で口を押さえる。
「……寝るなら、そこのソファ使ったらいい」
ネオは同じ部屋の奥に置かれている2人掛けのソファを指差した。周りの棺桶やロウソクが無造作に置かれているのと同じように、指を差されたソファも向きも適当に配置されていた。
(か、壁向きに設置されてる……)
ネオは普段部屋中に置いてある棺桶に座ってしまうために、壁向きのソファはソファとしての役割をあまり果たしていなかった。
「……それとも、棺桶で寝てみる?……寝心地良いよ」
ネオはいたずらっぽく小さく笑った。
「い、いや……遠慮、して……おく……」
怜は断ろうと言い終える前に眠ってしまった。
力が入らなくなって前に倒れそうになった怜の体を、ネオが素早く受け止めた。
「……」
ネオは睡眠薬入りの水が入っていたグラスを近くにあった棺桶の上に置いて、両手で怜の体を支える。
ネオは怜の腰に手を回して持ち上げた。通常では、意識のない人を運ぶのはとても難しい。重心の位置を正しく掴む必要がある。しかし吸血鬼であるネオは、筋力がある分簡単に怜を肩に担ぐことができた。
ネオは先ほど自分が指を指したソファまで怜を担ぎながら移動する。適当に置かれている2人掛けソファに、怜の体をそっと座らせる。ソファの上に乗っていた全く使われていないクッションがあった。
「……」
ネオはクッションを見つめると手にして、枕代わりに置いて怜の体をゆっくりと横たわらせた。
ネオは目の前にある怜の寝顔を、無表情で見つめる。
──すぅ……すぅ……。
眠っている怜からは、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ネオは目の前にある怜の寝顔を、無表情で見つめる。
ネオはすやすやと眠っている怜を見て、自分が好んでいるゴシック調のソファには似合わないなと思った。
「……やっぱり、棺桶の方が良かったかも」
ネオは小さく呟いた。
ネオは近くにあった棺桶に座りながら怜の寝顔をずっと見つめていた。
(……シンは、この子をどうするのかな……エサにするのかな)
ネオは奥の部屋で眠っているシンのことを考えて、シンと同じ吸血鬼のギルドにいた頃を思い出す。
※※※
「新しく来たヤツ、なんか生意気じゃね? 話しかけても素っ気ねぇし、“俺に近寄るな!”みたいな」
2人の吸血鬼の男が酒場“ブラッディ・シャドウ”で話していた。
ここの酒場はギルドには属さない吸血鬼が店を開いていて、店内には普通の客として人間の姿もある。
店の内装はゴシック調で雰囲気は静かで落ち着いている。店のスタッフは全員黒色のマントを羽織っている。
吸血鬼は、生き物の血と水以外は消化できないために吐き出してしまう。
ブラッディ・シャドウを訪れる吸血鬼は、普通の酒場で楽しめるような酒やフードではなくて、裏メニューを楽しむために来ている。
マントを着ているスタッフに“ブラッディ・ワルツ”と注文する。
用意されて出て来るのは、グラスに入った赤い色をした液体。見た目はトマトジュースやブラッディ・メアリーに似ていて、色は少し濃くドロっとしている。しかしブラッディ・シャドウで出されるのは、酒ではなくて本物の血だ。
吸血鬼がよく口にする輸血パックの血とは違って、味が美味しいらしい。割高だがこれを求めて、吸血鬼たちはここブラッディ・シャドウを訪れる。
テーブルの上にはブラッディ・ワルツが2人分置かれていて、両側にある椅子には男が向かい合わせに座っていた。
「あぁ、シンとか言うヤツだろ。俺もそう思う。けど、めちゃくちゃ仕事が早いらしい」
2人は自分たちのギルドに新しく入ったシンの話をしている。
「へーぇ……最近ボスの機嫌が良いのはそのせいかよ」
グラスを振って、氷を混ぜている。
「お前……せっかくの“酒”が氷で薄くなるぞ」
もう1人の男の前に置かれているグラスには、氷が入っていなかった。
「シンは運びに取引に暗殺……言われた仕事はなんでもこなすって話だ」
「うるせぇ……大人しそうな顔してんのに、似合わなねぇなぁ」
グラスを飲み干して、残った氷をガリガリと口の中で噛んでいる。
「そこなんだよ」
「は?」
ガリガリと氷を噛む口を止めて、声が出た。
「俺たちには珍しく人間のオンナみてぇな顔してるからな……ボスの機嫌が良いのは、仕事が上手くいってるからだけじゃなくて、オンナみてぇに美味そうなシンの血を飲んでるからだ……」
自分の分のグラスを取って、上にあった店の天井に付いているシャンデリアに、グラスを翳す。
残っているブラッディ・ワルツゆらゆらと揺らして、男はニタリと笑う。
「きっと極上なんだろうよ」
「んっ……もしかして、お前も狙ってんのか?」
口の中で溶けていた氷を飲み干して、空のグラスを持ったまま問いかける。
「そう言うお前だって、その気があって声を掛けたんじゃないのか?」
「お、おれは別に!」
図星を指されて、男は同様して椅子から立ち上がった。
しまった……という顔をおして、すぐに座り直す。
「でっ、でも、前いたギルドからは売られて来たって聞いたぜ」
「複数の男相手にしてて、揉めたんじゃないか? 美人には影があるからな……」
そう言い終わったあとに、回して遊ばれていたグラスは、頭の後ろから伸びて来た手によって奪われた。
「はっ? おい!」
男が立ち上がって振り向くと後ろには、ネオが奪ったグラスを口に付けて立っていた。