第1話
遙か遠くの空は、東雲色に染まり始めている。
数時間後には人々が動き出すと言うのに、歓楽街は、人工的な輝きを放ち続けていた。
そのネオンの光さえ届かずに、暗い静寂に包まれた路地裏には、1人の青年──シンが仲間を待っていた。
黒色のスニーカーに黒色のパンツを穿いて黒色のパーカーを羽織っている体は、身長180cmでスラリとしている。影のような暗い見た目に対して、ミルクティー色をした髪と青白い肌が少し浮いているように見える。
「……はぁ」
溜め息を吐いた口元からは、鋭い犬歯が顔を覗かせた。
(......遅い)
待ち合わせの時刻からは、既に1時間ほど経過している。それなのに、残りの2人が来る様子はない。
腰を下ろして、路地の壁にもたれる。
3日前に輸血パックを飲んだのを最後に、しばらく何も食べていない。
吸血鬼は数日に一度血液を摂れば日常生活には差し支えない。しかし日の出ている日中に活動すると体力の消耗が激しいために、その分血液を摂取する必要がある。
そう......彼の正体は吸血鬼。今も仲間が輸血パックを持って来るのをここで待っている。
吸血鬼は生き抜くために、地域ごとでギルドと呼ばれるコミュニティを組んでいる。
シンは先日完了した任務の報酬を、受け取りに来ていた。
(こんなに遅いのは、珍しいな)
夜が明けるまでは、まだ時間がある。太陽が出ると体調が更に悪化してしまう。
シンはそれまでに、血を摂らなければならなかった。
──ドキューン!
突然銃声が聞こえてくる。ただしかなり遠くで鳴っていた。
恐らく人間では聴きつけることのできないほどの微かな銃声。
吸血鬼は、そんな音さえも感知することができる。
シンは音のした方向に振り向いて、腰のホルスターから銃を取り出しサッと
路地裏の奥へ入り込んだ。
シンは息を潜めて、近づいてくる人物を待った。
暗闇に響く足音がどんどん近づいてくる。かなり大柄で頑丈な体格の男のようだ。足元はふらついている。
「!……アレは!」
シンは思わず潜んでいた路地裏から飛び出した。
「リー!」
リーと呼ばれた大男は、シンの顔を見ると安堵したように微かに笑みを浮かべて、その場に倒れこんだ。
「はッ、……はぁ……は……ッう、あ……」
「し、しっかりしろ!」
シンはリーの体を抱き上げた。次の瞬間に、シンは言葉を失った。
リーの服の背中が血が染まっている。誰かにやられたのか......?
「リー、何があった?」
「ゔ、……あ……シ、シン……」
「誰にやられた」
「は……ッあ……お、おま……と……に……なる……」
──お前といると不幸になる。
そう言い残して、リーの息が絶えた。
「おいっ! ……リー……」
リーが誰に襲われたのかは、分からなかった。
「くそっ!」
シンは、突然の起きた仲間の死をすぐに受け入れることはできなかった。
「遅くなってすみません......シン、これは!?」
シンがリーを抱きかかえたまま呆然としているところに、もう1人の待ち合わせの仲間であるルイが現れた。
ルイはリーとは好対照に、華奢で細身な青年のような顔立ちをしている。
「リー、リー! どうして返事をしてくれないんですか?……ま、まさか」
「俺が来たときには、もう──」
今までの状況を説明しようとしたシンの言葉は、ルイによって遮られる。
「まさか……あなたが殺ったんですか……?」
ルイは疑いの目をシンに向けた。
「……あ?」
「どうしてこんなことに……確かに、あなたは群れるのを好みませんが……なにも、殺すことはなかったのでは……?」
「おい、落ち着け、俺が来たときにはもう──」
シンの話を聞こうとせずに、ルイは一方的に話し続ける。
「メシのため……ですか? あなた最近、お腹が空いて仕方なさそうでしたもんね……仕事はやりにくくなっても、分け前は増える……優秀なあなたには、仲間は関係ないってことですか……」
「人の話を聞け」
「あなたは、自分だけ食料があればいいと思ってる……確かにリーは体が大きくて、私たちの中でもよく血液を欲していた……それであなたはリーを……なんて人だ!」
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……」
シンは怒りに任せて、思わず銃口をルイに向けた。
「……今度は私の番ですか? 仲間を殺して、食料を1人占めにするんですか」
ルイは反抗的な態度で食いついてきた。
「俺は殺ってない……俺が来たときにはもう手遅れだった」
ルイは黙ってシンを見つめている。
(なんか、変だ……)
「……だいたい、お前だって何してた? 俺にとっては、お前だって疑える要素はあるんだぜ」
シンはルイに疑いの目を向けた。
「……私は兄さんの頼まれごとを、していただけです」
「……アイツの?」
ルイの言葉に、思わずシンの眉間にシワが寄せられた。
(俺たち3人を呼んだのはアイツだろ……ルイ1人に何を……)
「……証拠が無いのは私も同じですか……分かりました、あなたを信じましょう、シン」
そう言われてもシンは銃を下ろそうとはしない。
「……信用がありませんね……まぁ、無理もありませんが」
ルイの表情に隠された何かを、シンは読み取ろうとしている。
腰に付けたホルスターに、ゆっくりと手を伸ばす。
その動きを見つめたままのシンは、神経を引き金に集中させた。
「……これでどうですか」
ゆっくりと抜き取られたルイの銃は、シンの足元に放られた。
「……せめて置いてから滑らせろよ」
ルイから目を逸らさずに、歪んだ信頼の証を足を使って自分の方へと寄せた。
「……これで信じていただけましたか?」
「……あぁ」
構えていた銃を下ろそうとしたときに、ルイの表情は真の顔へと変化した。
ほくそ笑みながら危うさを露わにして。
「……間に合いました」
「……? 何が──」
次の瞬間に、ルイの後ろから数人の男たちがが現れた。
「これは……どういう……」
「助かりました……危うく私も、殺されるところだった……あそこにいるシンに」
応援に来た仲間の方に、ルイは近づいた。
「違う! 俺は何も──」
「こんな状況で何言ってやがる!」
仲間の1人がシンに向かって吠えた。
無抵抗な仲間に拳銃を向けて、足元には仲間の遺体と奪った拳銃がある。
誰を疑うかは明らかだった。
一斉に銃を向けられて、シンは動くことができない。
嵌められたと気が付くには遅すぎた。シンは、自分の失敗を後悔した。
「シン! ……お前を、仲間殺しの容疑で拘束する!」
シンに逃げ場は無かった。
※※※
どれくらいの時間が経ったのだろう。
シンは、朦朧としながらも意識を徐々に取り戻しつつあった。
工業用の油の独特な匂いがする。
部屋には錆びた鉄屑と空の薬瓶が転がっている。どうやら何かの工場の部屋らしい。
時計も窓も無い空間では、今の時刻を知る由もない。
動きようにも手足を縛られていて、横たわったまま身動きが取れない。
コンクリートの冷たさが顔から伝わってくる。
監禁部屋の鍵が外される音がした。
扉が開かれて、ルイが薄ら笑いを浮かべて入ってきた。
「シン……頭は冷えましたか?」
横たわったまま鋭い眼差しでシンはルイを睨みつけた。
「冷やすも何も……俺はなんもしてねぇっつってんだろ……わざわざリーを殺してまで嵌めやがって……一体なんのつもりだ……?」
「私はただ、兄さんの命令に従っただけです」
ルイが勝ち誇ったような顔をして近づいてくる。
(……もう少しだ……もう少し、ヤツの注意を引いて……)
「……あんなヤツが飼い主だと、飼われる方も大変だな」
シンは、ルイを呼び寄せるかのように挑発する。
その言葉に、ルイの目つきが変わった。
「お前に頼まねぇと俺1人好きにできねぇなんて……アイツももうろくしてきたか?」
更にシンはルイを挑発する。
(もう少し……こっちに来い……)
からかうようにシンが言い終わるのと同時に、ルイは近づいて来てシンの前髪を掴んだ。
「いッ……」
(もう……少し……)
「……前にも言ったはずだ……口のきき方には気をつけろ……兄さんのことを悪く言うのは許さん」
ルイがシンの目を覗き込もうと顔を近づけたそのときに──今だ!
シンは、吸血鬼の特徴である長い犬歯を伸ばして、ルイの首筋に噛み付いた。