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セラフィーナ 04

 それから数日後、国内はある話題で持ち切りとなった。

 隣国のアンドリューズ王子夫妻が来訪し、二人を歓迎する王家主催の夜会が開催されるという。


 そのことをレナートから聞かされて、セラフィーナは小さく目を見開いて動きを止めた。

 何故ならば隣国の王子妃は、あのマリーアンヌだからだ。レナートの、忘れえぬ人である。


 この婚約以前から、セラフィーナも噂には聞いていた。

 留学中のアンドリューズ王子とレナートとで、マリーアンヌの愛を奪い合ったのだと。レナートが学生の頃なのだから、五年程前になるのだろうか。


 最愛の人が、自分とは違うパートナーと共にいる。レナートにとっては辛い状況に決まっている。

 セラフィーナは心配そうにレナートの様子を伺ったが、レナートは表情を変えずに淡々としていた。


「セラフィーナ、君も好きなドレスを仕立てるといい」


 そう言ってくれるレナートが無理をしているのではないかと気にはなったが、ともかく準備は進めなくてはならない。

 セラフィーナはレナートのアイスブルーの瞳にあわせて、淡い水色のドレスを選んだ。翡翠色の糸で細かい刺繍が施され、最高級のレースがいくつも重なっている。胸元はレナートが贈ってくれた宝石で飾る予定だ。せめてレナートが恥をかかぬように、最上級の装いをする必要があった。


 アンドリューズ王子夫妻を招く準備のため、王宮もにわかに騒々しくなったようだ。忙しい身となったレナートと十分に話す時間も持つことができず、セラフィーナはその日を迎えた。


 サハロフ家の馬車から降りて、エスコートしてくれるレナートの腕にそっと手を差し入れる。

 色とりどりの華が咲くように絢爛たる会場を、レナートと共にまっすぐに進む。

 中央の玉座の前で国王、王妃への挨拶を終えると、玉座のすぐ側でアンドリューズ王子、マリーアンヌ王子妃と対面した。


 正直、心臓が痛かった。

 かつて味わったことのない、どきどきとはらはらをごちゃ混ぜにしたような緊張の中、セラフィーナはレナートのパートナーとして完璧な挨拶を終えた。


 マリーアンヌは、絵画の中に描かれる月の女神を連想させる、ほっそりと美しい人だった。その瞳は、レナートを見つめてわずかに濡れている。


 精悍な顔立ちのアンドリューズ王子が、レナートを見て目を細めた。


「レナート、元気にしていたか?」

「はい。アンドリューズ王子殿下におかれましても、お元気そうで何よりです。ご活躍は、この国でもお伺いしております」

「……長く会わずにいたが、お前のことは、ずっと気にかかっていた」

「…………」


 レナートは小さくほほえんだ。それは凪いだ海のように、穏やかなものだった。


「……以前の私なら、お言葉を素直に受けとることが出来なかったでしょう。ですが今はただ、あの頃を、なつかしく思うばかりです」

「それは、彼女のおかげでもあるのか?」


 そう言ってアンドリューズ王子がセラフィーナに視線を移した。

 隣に立つレナートもまた、一度セラフィーナに顔を向ける。


「ええ、そうです」


 その言葉に驚いたセラフィーナに、ふわりとした笑みを返してから、レナートは前に向き直った。


「他の者たちも、お二人を待っております。私どもはこれで。お二人のご滞在が、より良きものでありますよう」


 それを最後の言葉に、丁寧な仕草で礼をとったレナートに、終始涙ぐんでいたマリーアンヌが口を開いた。


「ありがとう。どうかお元気で」


 噛み締められるようなその言葉の余韻を背中で味わいながら、セラフィーナはレナートと共に、楽しそうに談笑する人々の輪の中へと進んでいった。


「少し、離れよう」


 そう囁かれて、レナートに従って会場である大ホールを出て、控室あるいは休憩室として開放されている部屋の一つに入る。

 偶然にもその部屋には、二人以外は給仕係が数人いる程度だ。レナートはセラフィーナを伴って、室内の長椅子へと進む。

 促されて座ると、セラフィーナは緊張から解放されたように、思わずほっと息をついた。


「大丈夫か?」


 セラフィーナの吐息を見逃さなかったのか、セラフィーナの隣に腰を下ろしたレナートが心配そうにのぞき込んでくる。


「嫌な思いをさせたか?」


 セラフィーナは驚き、慌てて首を横に振った。


「いいえ、嫌な思いなんてしていません。それよりもレナート様の方こそ……。その、大丈夫なのですか?」


 レナートはゆったりとうなずき、落ち着いた笑みを見せた。


「私なら、大丈夫だ」


 その表情を見て、セラフィーナは心から安堵した。レナートが傷付かずにいたのなら、それが一番だった。

 レナートは柔らかな口調で続ける。


「人は変わるということを実感した。あれだけ精神をすり減らしたというのに」


 その言葉で、セラフィーナはレナートが乗り越えたことを知った。それが自分のことのようにうれしい。じんわりと胸の奥底から温かい気持ちが込み上げてきた。

 セラフィーナは静かにほほえんだ。


「すべてのものは変わっていきます。それは嬉しくも、悲しくもありますが」


 するとレナートは長い睫毛を伏せながら、少し自嘲的に言った。


「……そうだな。君と出会う前の私には、想像もつかないことだった。あの頃の私に、未来から大丈夫だと言っても、きっと信じないだろう」


 それからレナートは何か決意した様子で視線を上げると、セラフィーナをまっすぐに見つめ、そっとその手をとった。


「セラフィーナ、以前の申し出を撤回させてくれないか」

「……申し出? 撤回、ですか?」


 きょとんとするセラフィーナに、レナートははっきりと答えた。


「君を愛することはできないと言ったこと」


 セラフィーナはあの日と同じように、目を大きく瞬きさせた。

 レナートは少し思いつめた様子で、セラフィーナに訴える。


「君に兄と例えられたとき、自分でも驚くくらい動揺した」


 その言葉で、セラフィーナはいつかのやりとりを思い出す。あの日確かにレナートの様子はおかしくなり、セラフィーナも困ってしまったのだ。


「だが、そもそも君にあんな宣言をしておいて、今更何を言えるのかという葛藤もあった。そんなとき、今回の夜会の話が持ち上がり、仕事が増えて君との時間が十分に持てなくなった。二人に会わなければならないという事実は事実として、そんなことよりも君に何と言えばいいか、手が空いたときに考えていたのはそればかりだ」


 レナートは、セラフィーナの手を強く握った。溢れる感情が、アイスブルーの瞳を情熱的に彩っていく。


「過去を過去として、これからは未来のために生きたい。君と一緒に。どうかあの時の非礼を、許して欲しい」


 真心が切々と伝わって、セラフィーナの胸を打った。

 思わずセラフィーナも、レナートの手をぎゅっと握り返す。


「……許し、ます」


 日頃から自分はお喋りだと自覚していたのだが、今は何故だかうまく言葉が出てこなくて、ようやく言えたのはそれだけだった。

 レナートは小さく目を見開き、それから泣き笑いのような表情になった。それがまたセラフィーナの胸をいっぱいにした。


「ありがとう」


 その一言には、万感の思いが込められていた。

 セラフィーナが何かを答える前に、レナートはセラフィーナに身を寄せながら、もう一度繰り返す。


「セラフィーナ、ありがとう。諦めないでいてくれて。私のことを、それから、君自身のことも。君のその強さや優しさを、とても愛しいと思っている。セラフィーナ、これからも私の側にいてくれるだろうか」


 セラフィーナはもう、うなずくだけで精一杯だった。

 言うべきことは沢山あるはずなのに、何も言えない。こんな風に、こみ上げる感情に心が揺さぶられることは、もうないだろうと思っていた。

 胸が詰まって、どうしようもなくて。言葉の代わりに、一筋の涙がセラフィーナの頬を伝い落ちていた。


「君に触れたい」


 それがどういう意味なのかを、セラフィーナはきちんと理解していた。だってもう、二人の距離はこんなにも近い。セラフィーナの視界の端で、そっと部屋を抜け出していく給仕人たちの姿が見えた。

 頬を傾けながら唇を寄せるレナートに、セラフィーナは震えるまぶたをゆっくりと閉じた。


 レナートの言葉は、胸の中にいつまでも響いていた。それはこれから先も、きっとセラフィーナを勇気づけるだろう。いつかまた、再び辛い出来事があったとしても、きっと諦めず、未来を信じて乗り越えられると思った。


『ありがとう。諦めないでいてくれて』

(THE END)

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