セラフィーナ 02
ところが運の悪いことに、セラフィーナは風邪をひいて寝込んでしまった。めったにひかない風邪を、よりにもよって誕生日の前後で引いたのだ。せっかくレナートから贈られたネックレスを、身に着けるどころかじっくり眺めることもできなかった。
このところ順調に建設が進む温室の完成を楽しみにしすぎて、寒い庭で良くそれを眺めていた。それがいけなかった。
久しぶりの高熱と激しい体の痛み、どうしようもない倦怠感。息苦しくてぐっすり熟睡できない日が続き、さすがのセラフィーナも弱ってしまった。
寝込んでから三日目の夜。体の不調に引きずられるように心も落ちてしまったのか、このところほとんど見ることのなかった悪夢に襲われた。
夢の中でセラフィーナは、ぽつんと立ちつくしていた。
周りではみなが恋人と腕を組み、楽しそうに通り過ぎていく。
あたりをきょろきょろと見渡して、ようやく『彼』を見つけて声を掛けようとするのだが、『彼』はセラフィーナに気が付くと心底迷惑そうな顔をして、立ち去ってしまう。
セラフィーナは動揺し、身を震わせた。それでも胸の痛みを堪えながら、『彼』をよく見る。
漆黒の髪。すらりとした体躯。彫刻のように整っている顔。どこか物憂げなアイスブルーの瞳。
はっとしてセラフィーナは目を覚ました。薄暗い部屋の中で、小刻みに浅い呼吸を繰り返す。音のない世界で、自分の心臓の音だけがどくどくと脈打っていた。
……夢だ。今のは夢。現実じゃない。
頭の中でそう繰り返しながら深呼吸を続けた。
ようやく落ち着いて身じろぎすると、今度は視界に飛び込んできた人物にぎょっとすることになった。
ベッドサイドの椅子に腰を下ろして、レナートが長い足と腕を組んで、目を閉じていた。
セラフィーナは慌てて上体を起こし、小さな声で呼びかけた。
「レナート様」
するとレナートはそっと目を開き、セラフィーナの方を向いた。
「……少しは、いいのか?」
アイスブルーの瞳がランプに照らされて、温かい光を放っていた。
ここに、セラフィーナの現実があった。
セラフィーナは心から安堵し、ゆるゆるとうなずいた。
レナートがそっと手を伸ばし、セラフィーナのひたいに少しだけ触れた。ひやりとした指が、気持ちいい。
「汗をかいているな。着替えをもってこさせよう」
「……レナート様、わたくしはもう大丈夫ですから、お部屋でお休みになってください。レナート様のお体に障ります」
「私は大丈夫だ」
「だめです。お部屋で休んでくださらないと、わたくしも心配で眠れません」
セラフィーナがわざとそう言うと、レナートは仕方がなく了承してくれた。
立ち上がるレナートの姿を見ながら、セラフィーナは忘れずに言った。
「目が覚めて、レナート様が隣にいてくださったから、ほっとしました。……とても恐ろしい夢を見ていたので」
「……本当にもう、大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です」
強がりではないことを伝えるために、セラフィーナはにこりと笑って答えてから、ベッドの上からレナートの姿を見送った。
それからレナートと代わるように入ってきた使用人に着替えを手伝ってもらい、喉を潤して眠りにつけば、今度はゆっくりと眠ることができた。
飲んでいた薬がようやく効いたせいもあったのか、翌朝にはセラフィーナは自分でも驚くほどすっきりと目覚めることができた。
念のためもう一度医師に体を見てもらい、もう大丈夫だと太鼓判を押してもらってから、ダイニングルームへと向かう。
レナートは結局、夜明け前になってようやく眠ったそうだ。「セラフィーナ様がご心配だったのでしょう」と、使用人から聞かされて、セラフィーナは有難くも申し訳ない気持ちになった。
さすがにゆっくり寝てもらいたい。そう思ってセラフィーナは、いつものように朝七時にレナートの私室へ向かうのをやめた。
リビングルームに置かれたアームチェアでゆったりと本を読んで待っていると、九時を過ぎたころにようやくレナートが姿を現した。
セラフィーナは自然と笑顔になった。
「おはようございます、レナート様」
うなずいてから、レナートはセラフィーナをじっと見つめた。
「もう、大丈夫なのか?」
「はい、すっかり。ご心配をおかけいたしました」
「そうか」
小さく息をついてから、レナートは少しだけ眉根を寄せた。
「今朝はいつものように早く起きていたのか?」
「はい」
「……ではなぜ、いつものように私に声を掛けてくれなかった」
「ご就寝が遅かったと聞きましたので。わたくしのせいで」
「それは別に構わなかった」
なぜだかレナートが拗ねているようにも見えて、セラフィーナはくすりと笑ってしまう。
「でもわたくし、朝食はまだなんです。レナート様と一緒に食べたくて」
「……待っていたのか? こんな時間まで」
「はい。この数日、あまり食べていなかったので、おなかがすごくすきました。早く行きましょう」
そうするとレナートは少し驚いたようにして、それから柔らかくほほえんだ。
「まったく、君は淑女らしからぬ言葉を平気で使う」
「……だめですか?」
「いや。君がいいのなら、いい」
いつかと同じような台詞だ。どうでも良さそうだったあの時に比べて、今は声に優しさがにじんでいる。
並んでダイニングへ向かいながら、セラフィーナはレナートの顔をのぞきこんだ。
「レナート様。今日は、夕食もわたくしと過ごしてもらえますか?」
「……二日遅れになってしまったな。今日は、早く戻る」
セラフィーナの顔がほころぶ。
二日遅れの誕生日。あのネックレスに似合うドレスを選ぶのが、今から楽しみだった。