レナート 03
セラフィーナは有言実行型の人間であったようで、それからも彼女は毎朝必ず早起きをし、レナートを朝食と乗馬に誘った。
はっきり言って嫌々付き合っていたが、そういった生活を始めて三カ月が過ぎた頃、レナートは体の変化に気が付いた。
以前より食欲が増し、寝つきが良くなって深い睡眠がとれるようになった。頭は冴え、常にまとわりついていた倦怠感がいつのまにか軽くなっている。
「おはようございます!」
と明るく部屋に入ってくるセラフィーナの笑顔と陽光につられて健康になっていく自分に、レナートは新鮮な驚きを味わうことになった。
しかし今日は、朝から仕事で王宮に向かう必要があった。セラフィーナとは朝食だけを共にし、そのまま屋敷を後にした。
レナートが不在の間は、セラフィーナはサハロフ家について良く学んでいるようで、両親も彼女を褒めていた。使用人たちから敬愛されていることも、日々の様子から分かっている。
「レナート? レナートじゃないか」
仕事の途中、王宮の一角で声を掛けられて、レナートは立ち止まって振り返った。
声を掛けてきた人物は、自分で呼び止めたというのに、なぜか非常に驚いた表情になった。
年齢の近い知人の一人である彼は、レナートの直ぐ前までやって来ると、しげしげレナートの顔を眺めながら言った。
「ようやく婚約者を迎えたと聞いたぞ」
「ああ。三カ月になる」
「ラトゥリ家の令嬢だろう? 病気持ちだといううわさがあったが。実際、どうなんだ?」
無遠慮な質問ではあったが、彼はどちらかと言えば親しい部類に入る人物であったため、レナートも嫌な顔はせずに答える。
「聞いていた話とは違って、とても健康な女性だ」
「へえ」
「溌剌としていて、良く動く。乗馬が好きで、陽光の中を飛ぶように駆け抜けていく」
言いながらレナートは、セラフィーナの姿を思い浮かべていた。
「前向きで、常に笑顔を絶やさない。屋敷の空気が随分明るくなった」
そこまで聞いて彼は、片手を上げてレナートの言葉を遮った。顔には笑みが浮かんでいる。
「分かった分かった。のろけ話はもういい」
「…………」
のろけ?
その言葉に、レナートは思わず動きを止めた。
「顔色が随分良くなったと思ったが、そういうことだったのか」
その言葉でようやく、レナートは先程、彼が自分を見て驚いた顔をした理由を知る。
「……良くなった、のか?」
「今までと全然違うぞ! 君は長いこと死神にとりつかれていたようだった」
「…………」
「悲壮感漂う君に、病気持ちの婚約者とあっては、どうなることかと心配していたが。単なるうわさだったんだな。良かったじゃないか。幸せそうで何よりだ」
そう言って彼はうれしそうにぽんぽんとレナートの肩をたたく。
「幸せ」という言葉がレナートの胸の中に抵抗することなくすとんと落ちて、レナートは驚きを禁じえなかった。と同時に、心に何ともいえない不可思議な気持ちが芽生えていた。
そこで、レナートはぽつりと言葉をこぼした。彼に聞きたかったというよりは、心の中にあった疑問がつい漏れてしまったのだ。
「……なぜ」
「うん?」
「なぜ、彼女が今まで誰とも一緒にならなかったのか、分からない。彼女なら、引く手あまただったと思うが」
「何だ、またのろけか」
あきれたように言ってから、彼はあごに手を当てて小首をかしげた。
「病であったというのが単なるうわさなら、娘を手放したくないあまり、ラトゥリ様が外に出さなかったのではないか?」
彼には伝えなかったが、セラフィーナが心の病を患っていたということは、事実に違いないだろう。婚約に際して、わざわざあちら側からもたらされた情報だ。
「……そうかもしれないな」
だがその理由を考えるよりも、彼の推測の方がよほど納得がいく、とレナートは思った。