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レナート 02

 セラフィーナがサハロフ邸にやって来て、すぐ翌朝のことだ。


「おはようございます!」


 良く通る声が、レナートの私室の中に響き渡った。


 ぎょっとしてレナートが目を覚ませば、すっかり身支度を整えたセラフィーナが、使用人を差し置いて自ら重いビロードのカーテンを開けている。使用人たちは扉の前で、おろおろとするばかりだ。


 薄暗かった部屋に、さっと明るい陽光が降り注ぐ。レナートは不機嫌そうな顔で半身を起こし、使用人たちの方へ視線を向けた。


「……今、何時だ」


 やわらかな日光が射す部屋の中で、レナートに氷のようなまなざしを向けられて、使用人の一人が申し訳なさそうな表情をして消え入るような声を出した。


「間もなく、七時を回ります」

「…………」


 レナートの起床時間は、王宮からの緊急の呼び出し等、よほどの事情がないかぎり、午前九時と決まっている。

 さすがにむっとした表情を隠すことができずに、レナートは無言でセラフィーナの方を向いた。

 ところがセラフィーナはお構いなしに、にっこりと晴れやかな笑顔を見せる。


「良い朝ですよ。朝食の支度もすっかりできています。ダイニングルームでお待ちしております」


 『朝食は必ずセラフィーナと一緒にとること』

 その約束を思い出して、レナートは思わず目を閉じて、深いため息をついた。


 その後、仕方なく身支度を整え、階下のダイニングルームへ向かう。

 形式的に短くあいさつを交わした後、レナートは黙々と朝食を口に運んだ。

 セラフィーナは明るい声で話しかけてくる。


「今日は、午後からお出かけになって、お帰りは遅くなると伺っています。宜しければ、朝のうちに、わたくしにお付き合いいただけますか?」


 『一日に一度で良いから、セラフィーナと過ごす時間を作ること』

 レナートはもう一つの約束を頭に浮かべる。断る理由はなかった。


「分かった。午前の仕事に取り掛かるまで、まだ一時間は時間がある」

「良かった! では朝食が済んだら、さっそく出かけましょう!」

「出かける? 外へ行くのか?」

「ええ、馬に乗りたくて」


 貴婦人の間でも、乗馬を愛好する人は多いと聞く。レナートにとって、馬は必要な際に乗る程度で、特別関心は持っていなかったが、彼女がそうしたいというのなら付き合うことくらいはできる。


 しかし、屋敷の周辺をゆっくり散策するつもりでいたレナートを、彼女はまた驚かせた。


 彼女が使用人に用意させていたのは、レナートと同じ普通の鞍だった。貴婦人が使う、横鞍ではないのだ。

 レナートが面食らっている目の前で、乗馬用のドレスに着替えてきた彼女は、やわらかなスカートにふわりと風をはらませ、ひらりと馬にまたがっていた。

 レナートの視線に気が付いたのか、セラフィーナは照れくさそうな表情を見せる。


「男性と同じように乗るのは、両親からもはしたないと言われてはいたのですが。馬と一体になって走るには、こちらの方がずっと良くて。……だめですか?」


 だめも何も、セラフィーナはもう馬上の人である。彼女の両親がたしなめたように、はしたないと思わないではなかったが、レナートは小さく嘆息してから答えた。


「いや。君が気に入っているのなら、いい」


 セラフィーナは満面の笑顔になった。


「ありがとうございます! ではレナート様、あの丘まで競争です!」


 言うやいなや「はっ」と凛々しい声を上げて、セラフィーナは駆け出していった。

 人馬一体となって風のように疾駆するセラフィーナを、レナートは慌てて追う。


 屋敷をはるか後方に、見晴らしの良い丘に到着した頃には、もうセラフィーナは馬を休ませているところだった。いたわるように馬の体をなでている。

 遅れて馬から降りたレナートに視線を向けて、セラフィーナはうれしそうに言った。


「わたくしの勝ちですね」

「……突然走りだすとは思わなかった」


 不満をにじませると、セラフィーナはいたずらっ子のように、ふふっと笑う。


 供の者たちの姿を確かめ、レナートは息をついて馬を預けた。少し体が汗ばんでいた。

 見ればもう、セラフィーナは緑の上に腰を下ろしている。


「ああ疲れた! でも気持ち良かった!」


 はぁっと大きく息をはいてから、セラフィーナはレナートを見上げて自分の横をぽんぽんとたたいた。


「レナート様も、どうぞ」

「……いや、私はここでいい」


 彼女の傍らに立ったままのレナートに、セラフィーナはそれ以上すすめてはこなかった。ただ彼女はゆったりとほほえんでいる。


「また明日も来ましょう。できれば毎日」


 毎日? 朝からこれを?

 正直言ってげんなりとさせられたが、愛することはできないと宣言した代わりに、レナートは努力をする必要がある。観念するしかなかった。


 そしておそらくその内心が表情に出ているレナートを見ても、彼女は少しも気にするそぶりを見せずに、にこにことするばかりだ。もしかすると、相当鈍感なのかもしれなかった。


 やがてセラフィーナは目前に広がる景色に視線を移すと、目を細めた。


「とてもすてきな場所ですね。わたくし、こちらに来て良かった」


 多分彼女の本心から出た言葉だろう。それを感じて、レナートは言葉を失った。


 うっすらと汗のにじむ艶やかな肌に光を浴びて、セラフィーナは輝いていた。

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