「黒い天使・長編『死神島』」⑩
「黒い天使・長編『死神島』」第十話。拓が撃たれ倒れた今、サバイバル・デスゲーム参加者たちにとって唯一残された<天使>はサクラだけとなった。だが、サタン村田の姦計により、予想外の手段でサクラは本土に連れ去られてしまい島を去ってしまう。残された参加者たちはその絶望的状況に茫然とするのだった。一方、島の地下で手術を受ける拓。JOLJUの力でやってきたユージの超人的な手術によって命は助かったが、上胸に被弾した拓は朝まで動くことが出来なかった。そしてサクラもまた、島の皆を助けるべく再び島に向かおうと画策する。そんな中、生存者たちは飛鳥をリーダーにデスゲームに立ち向かっていたが、<天使役>を失った今、参加者たちはゲーム運営から抹殺されようとしていた……。
3
紫ノ上島 地下4F 午後23時04分
「死ぬか生きるか、決めろ」
ユージは一人の<死神>の首を掴み壁に叩きつけ、地面に倒れた<死神>の喉を踏みつけていた。二人の<死神>は生きている。
ユージはDEを<死神>の仮面を喉に押し付け言葉を続ける。
「殺すのは簡単だ。だが助かりたいのなら協力しろ。選べ」
<死神>たちは僅かに首を縦に降った。それをユージは無表情で確認すると、地面に倒れている<死神>から足を退け、蹴り上げて転がすと二人に言った。
「お前たちは何も見なかった、ここには誰もいなかった。拓の死体もなかった、死体はサクラたちが持ち去った…… そしてここにはトラップが仕掛けられていて室内には入れなかった……これがシナリオだ。分かったか」
<死神>たちは返答できない。だが構わずユージは続ける。
「今からお前たちに盗聴器をつける。会話は常に聞いているぞ。もし、今言った話をしなければ後で確実に殺す。だが、協力すれば特別大統領に恩赦を出してもらい、証人保護で身の安全を保障してやる」
そういうとユージはポケットから何かを取り出し<死神>たちの仮面の中に何かを仕込んだ。そしてそれが終わると追い散らすように二人を解放した。
二人の<死神>が立ち去るのをユージは見届けドアを閉めた。部屋には手術中の拓と、今起きた一瞬の戦闘に度肝を抜かれている涼がいる。
ユージはDEをショルダーホルスターに戻し、面倒臭そうに新しい手術用手袋を取ると消毒を始める。それを見て拓は苦笑した。
「あいかわらず化物だ」
<死神>の二人が拓の死体を確認しにきたのはほんの3分前だった。
ユージの気配察知は経験によって培われたものだが、ほとんど超能力といっていい。
<死神>たちが、恐らくこの元拠点の周囲30m以内に入った瞬間、ユージはその気配に気付き、すぐに部屋の電気を落とした。そしてそれから30秒と発たないうちに二人の<死神>が不用意に部屋に入ってきた。ドアの傍で潜んでいたユージに一瞬のうちに不意打ちを食らい倒された。何が起きたのか正確に理解できたのは拓だけで、涼は息を飲んで見ていたが、本当に一瞬のうちに二人は倒されていた。当の<死神>たちも何が起きたのか理解できていないだろう。
「お前、ひどい奴だな。盗聴器なんて持って来てないだろう」
そう、ユージはポケットに入れていた手術用のテープを貼り付けただけだ。ただそれだけのことだがユージの圧倒的な気迫と恐怖で<死神>たちは完全に信じ込んでしまった。
ユージは拓の皮肉に無表情のまま平然と答えた。
「殺さなかった。生きている事に感謝すべきだ」
「……えげつない嘘をつく」
「嘘じゃない」と答え、ユージはようやく拓の元に戻ってきた。
「理解力が足りないのは奴らの問題だ」
「ど……どういう事ですか?」
涼は拓とユージ、双方を見て尋ねた。
この事件は今後FBIやCIAが担当するにしても日本領土であることに変りはない。ユージには米国大統領から捜査指揮を委ねられているが司法権までもらっているわけではない。そういう免責については日本、米国それぞれの司法責任者の了解があって初めて成立するものだ。
さらにいえばユージは自分がFBIだと名乗ってはいないし、【大統領はどこの国の大統領か】とも名言していない。そしてユージがここにいる事はアレックスとJOLJUしか知らない秘密行動だ。そんなユージが、そんな公式的な約束などできる立場でない事は拓だけは分かっていた。もっとも、この約束だって<死神>たちがずっと守る事を期待していない。拓が復帰する、しばしの間だけでいいのだ。
その事を拓は涼に説明したが、さすがに意味は完全には理解できなかった。
分かったことは、この目の前にいるムチャクチャ強くムチャクチャな腕を持つ医者が、相手の恐怖を利用して言葉巧みに騙した……という事くらいだ。
そして、そんな凄い戦闘とやりとりをしたのに、ユージは汗ひとつかかずさっきまでと同じように無表情のまま拓の処置に戻っている。
サクラや拓が【化物】と呼ぶ意味が分かった気がする。
拓の手術は順調だった。
裂けていた血管は縫合され、背中の傷もふさいだのでもう出血はほぼ止まった。
これから行うのは欠けた肋骨の破片除去と補強、筋繊維の縫合だ。設備も助手もないこの状況下では大手術だ。よほど腕に自信がなければとてもできない。
この処置だけならユージにとって問題ではない。一番の問題は、≪拓を数時間後には再び戦える体に戻す≫という事だ。
これまで部分麻酔でなんとかやってきたが、筋繊維はそのまま神経につながっている部位だから麻酔をしていても電流のような激痛が走る。拓ならば根性で声は出さず耐えるかもしれないが、反射的に体が痛みに反応するのは、自制できるものではない。余計な我慢は体力を奪ってしまうし危険だ。だが全身麻酔もかけられない。拓はここニ、三日まともに寝ていない。全身麻酔をかければ間違いなく12時間以上眠ってしまう。これも、拓の根性ではどうにもできない話だ。
と……すれば、方法は一つ。ユージは迷わない。
「念のため確認するが……」
ユージはバッグの中から必要な道具を取り出しながら言う。
「本当に、まだこの島で戦うつもりか?」
「……ああ……」
拓は頷く。額には汗が浮かんでいた。涼がそれを心配そうに拭う。
「そうか」
ユージは顔色一つ変えず頷いた。拓がどういう人間かは、ユージがこの世で誰よりも知っている。何度も死線を潜り抜けてきた二人にとってこのやりとりだけで十分だ。
拓もすぐにユージが何をするか理解した。
「涼ちゃん……俺を少し起こして……しっかり掴んでいて」
「拓さん? え? 何が……」
訳が分からず言われたとおり涼は拓を抱きかかえた。
「……三……」と拓がカウントを始める。
次の瞬間、ユージの強烈な右拳が拓の顔面を捉えていた。吹っ飛びそうになるのを、なんとか涼がしがみつき堪える。
「ニ……以下省略」
「ど! どうしてですか!? 何で……」
「気絶させた。最も原始的な麻酔の代わりだ」
ユージは何事もないように答え、涼の手から拓を取り戻し、再び手術台代わりのテーブルに寝かせた。
「術後、すぐに覚醒させる。一時間以内に処置すれば脳は眠らない」
そう言いながら撃たれた傷口に手術用シートをかけ、注射を二本、打った。拓はまるで死んだように反応はないが、胸はちゃんと鼓動に合わせ僅かに動いていた。
「今から傷口を切開する。気分が悪くなるなら手伝わなくていい、部屋の端で静かにいてくれ。手伝ってくれるなら、俺の言うとおりやってくれ」
「やります」
「君の仕事は俺の言う道具を渡し、傷口から血が溢れたら拭き取る……この二つだ」
「できます」
涼の顔は蒼白だったが、それでも眼には力が篭り強い意志をもっていることは見て分かった。ユージは無表情のまま頷き、並べられた道具に番号をつけ教えていった。素人に専門用語や名称を教えても混乱するだけだ。ユージ=クロベという医者はこういう素人のサポートの手術に馴れている。田村ではこうはいかなかったことは間違いない。
道具の説明が終わると、ユージは素早くメスを握り、胸の入射口を切り開いた。すぐにバックリと開いた傷口から血が溢れ出す。ユージは涼にその血を拭き取ってもらいつつ、薬で血を止めると、傷口を大きく開いた。血管や神経、筋肉が露わになる。
それを見た涼は思わずこみ上げてくる不快感に顔を背けたが、何度か大きな瞬きをし、一度大きな深呼吸をして覚悟を決め、再び拓に向かい合った。
ユージの顔からは完全に表情が消え、ただ体を弄るだけの機械となったようだった。そしてその手の動きは正に機械そのものといっていいほど精巧で一切の無駄が無く、時折道具を求める声だけが無機質に部屋に響いた。
約30分……そんな緊張した時間が続いた。
体内の処置を終えたとき、初めてユージの口元が緩んだ。さすがのユージの額にも汗が噴きだしていた。
「本当に悪運がいい」
そう言うと、ユージはここで初めて大きなため息をつき破顔した。
傷は予想以上に軽く、筋肉や神経へのダメージは最小限だった。普通はここまで綺麗にはいかない。恐らく撃たれた直後、ユージに電話をかけるまでの数十秒の間に、サクラが全力で治癒能力を使った事は予想できた。サクラの治癒能力は自分自身には強く働くが他人の怪我を完全に治癒するにはサクラ自身に相当の負担がかかる。それにサクラの治癒能力は普段は禁止にしている【サクラの封印能力】に近いランクの力だ。それを第三者……涼がいるのに使ったということはそれだけサクラも必死だったということだ。
「今回はあいつを叱れんな……褒めもしないが」
汗を袖で拭おうとしたが、それより先に涼の手が伸びていた。
「君も汗を拭いたらいい。おつかれ、もう後は一人でできる」
「…………」
「後は縫合と投薬だけだ。子供でもできる」
その言葉を聞いた涼は、その一言で全身張り詰めていた緊張が緩み、一気に力が抜けその場に崩れるように座り込んでしまった。気がつけば全身汗だくで涙まで出ていた。
「水を飲んで、少し休んだらいい」
「……は……はい……」
涼はまだ放心状態だったが、言われたとおり水を飲むと、不思議なことに疲れや緊張が一気に解れ、そして水の冷たさが体の隅々にまで広がっていく。なんとも言えない爽快感を感じた。それほどのどがカラカラなのに、自分が気付いていなかったのだ。
ユージは傷口を持ってきた水筒水で洗いつつ、洗い終われば器用に口はつけず水を口に流し込むと、今度は傷口を拭き、縫合の用意を始めた。
涼は、この時になって初めて落ち着いてユージを見た。
「あの……クロベさん。ええっと……私、高遠涼と言います」
「知っている」
「拓さんやサクラちゃんに……すごく迷惑をおかけして……色々助けてもらいました。あ……あの、こんなこと聞いていいかわからないんですけど……」
「君たちは死なないさ。拓やサクラがいるかぎり」
涼は少し面食らった。先に答えられると次にどうしたらいいか戸惑う。
もっとも、涼が聞きたい事は少し違った。自分たちの事もそうだが、その次くらいに基本的な事を聞こうと思ってやめた。『サクラちゃんの事、心配ではないか』と聞こうとしたが、これまでのユージの態度を見ていて答えは分かりきっている。
(言葉にして言うのは今更なほど、この人は拓さんやサクラちゃんを信頼している)
その逆の絆……サクラがユージに持っている絶対の信頼は一時間前見たところだ。明らかに動揺し当惑していたサクラが、ユージが現われるとすぐにいつものサクラに戻り、全く心配する様子も見せず皆の元に向かっていった。言葉では言わないが、ユージも同じくらい拓やサクラを信頼しているのだ。
それが涼には素直にすごいと感動できた。
涼は改めて微笑むと、思いもかけない、くだらない提案が口から滑り出た。
「あの……もしよかったら、歌でも聴いてくれますか?」
「…………」
(何を言っているの、私!?)と思い、一瞬で涼の顔はリンゴのように真っ赤になり縮こまった。
だが、ユージは真顔で「それは、いい考えだ」と零した。
「初めから、頼めば良かった。そうすれば君の気は紛れたし俺も集中できたな」
フォローではなく、本気でユージはそう言っていた。
ユージにそう言われて、涼も【最近の医者は手術中音楽を聴きながら手術する場合がある】という話を思い出した。しかもその話はこの島に来る前日、急性盲腸炎で手術した柚木が自慢げに話していたのを聞いた、つい最近知った知識だ。
「あの……私のバンドの歌……でもいいですか?」
「賛美歌と演歌以外ならなんでもいい」
そう真面目に答えたユージの姿が、なんとなくサクラと似ているように思い、急に涼はクスクスッとしばらく一人で笑っていた。だがすぐにいつもの涼に戻ると静かに頷いた。
「はい」
涼は無機質な天井を見つめる事15秒……何を歌うか考えた末、最初に歌いだしたのは自分の歌でもなんでもない、10年ほど前に日本で流行った女性バンドのポップスだった。
紫ノ上島 <新・煉獄> 午後23時35分。
「あはははははっ♪ がはははっ♪」
「…………」
ムスッ……。
今にもそんな擬音が飛び出しそうな、仏頂面のサクラとそれを笑う飛鳥。意味が分からず遠巻きで見ている片山と田村と岩崎。
海に飛び込んだサクラと田村はそれぞれ潮を流す程度にシャワーを浴びて着替えた。田村は問題なかったが、ここは大人ばかりでサクラの着替えはなかった。
仕方なく、救出されたアルバイトの女の子が貸してくれた大人用Tシャツをワンピースのように着ている。大人のTシャツは子供のサクラが着ると丁度膝上まであり大きさは十分だが、背に腹は変えられないとはいえサクラには三つの点が気に食わなかった。
一つはGパン・ズボン愛好者のサクラにとってワンピースやスカートは苦手という事。もう一つはそのTシャツが黒くなかった事。最後の一つは表裏両面には大きくレジェンドゆるキャラ<くまもんモン>がプリントされている点だ。
この<くまもんモン>に扮したゾンビ羆に襲われたのは二時間ちょっと前のことだ。もちろんこのTシャツを貸してくれた女性に悪気は全くなかったが、事情を知っている飛鳥はこのナイスなチェイスに大ウケだ。救いは、宮村は飛鳥のように笑わなかった事だろう。
「どうせ後2時間もしたら服が乾くワイ! そしたら着替えるモン!」
今のサクラたちには防衛以外、特に作戦はない。狂人鬼たちもバリケード前で撃退し、それからはこの<新・煉獄>周辺に狂人鬼の姿はなかった。ただ、まだ数頭生き残っている狂犬が時々遠吠えたり狂人鬼を襲ったりおぞましい奇声と悲鳴は聞こえるが、<死神>の動きはない。
そこでサクラは、全員が聞きたがっている情報について説明することになった。
拓と涼のことだ。
「いい話と悪い話があるんだけど……」
皆が多分聞いているだろう、くらいの無責任な口調でサクラは喋りだした。
「じゃあまず、一番悪い話から!」と飛鳥が挙手。するとサクラはさらに仏頂面になり「そういう時はまず【いい話】からでしょ!?」と叫ぶサクラ。それに「じゃあ初めからそういわんかい、この格好つけのクソガキ♪ フォッフォッフォッ♪」とからかう飛鳥。数分、呆れる皆を前に二人はボケ倒した後、ようやくサクラは本題に入れた。
「まず、拓の件だけど……サタンの言っていたのはデマ。拓ちんは残念ながら生きている。だけど撃たれたのは事実。今治療中だけど命は助かるし多分朝には戻ってくると思う」
サクラの言葉には動揺も後ろめたさもなく堂々としたものだ。それで全員、サクラの言葉を信じ、それぞれ表情に活気が浮かんだ。
「いい話の続き。スズっちも無事奪還したし<死神>も三人殺した。スズっちは今、拓に寄り添っている。拓はしばらく動けないからねぇ~」
「待って、サクラちゃん。捜査官は撃たれたのよね? それもサタンたちは死んだ、と判断するほどの怪我でしょ? 誰が治療しているの?」
この島で医者と呼べる存在は田村だけのはずだ。それはサタン……村田自身が認めていた。
「あ、拓ちんの治療はブラックジャック先生に頼んでるから問題なし」
「…………」
それではとても意味は分からないが、サクラの口調からして詳細を放す気がないことは分かるので、そのことはそれ以上誰も追及しなかった。
「悪い話は~?」と飛鳥。
「拓が撃たれた」
「同じやないけ!!」
「同じ。撃たれたのも事実。そして朝まで復帰できないし、復帰したとしても、本領発揮はできない体。20%はパワーダウンしてると思う。もう一つ。さっき話したブラックジャック先生だけど、拓ちんを手術したら本土に帰る。極秘で来てもらってるからね。ずっといてもらうのは無理だし、今回みたいな急な出張はできない人だから」
「サクラ君。秘密にしたいのは解るが、もう少しちゃんと説明してほしいな」と片山。
だがサクラは「無理」と首を横に振る。
そしてユージについての説明責任を頭から拒否して、話を続けた。
「状況はどちらかっていうと有利になったと思う。拓ちん抜きでもね。建物とバリケードで狂犬や狂人鬼は大分防げるから、夜明けまではとにかく防戦。狂人鬼は昼弱まるから夜明けまで持てばいい。朝になれば拓ちんも復活するはずだし、サタンの持ち駒の<死神>の数は残り9人、サタンを入れて10人。こっちの武装はあいつらと変らない。ということは、防御側の方が有利なのは確定でしょ?」
そういうとサクラは一同を見渡し、やはり無責任な表情で言った。
「これからは持ち回りで夜の番。拓ちんが戻るまで、あたしが司令塔。そして拓ちんが戻るまではどうしても戦闘力が低下するから、戦えそうな大人の男の人を募ろう。皆、ユージが持ってきた特別抗体薬を打ってるから少々なら感染しないはず」
ユージが大森や他のタレント、ADを救出した時手渡した薬は、SAAにあるタニィルン・ノーブルにも適応する抗体薬で、強毒性変異狂犬病Ⅰ型の進行を食い止めること、Ⅱ型に対しても感染に対して防衛力を強める結果が、ようやく米国陸軍USAMRIIDとCDCの共同実験で確認でき、至急配布された試薬だ。この島ではサクラとユージ以外全員投与されている。
「でも、最前線組はこれまで通り選別する。ま、それでも狂人鬼に噛まれないように。解散~」
そういうとサクラは「疲れた」とばかりに近くの壁にもたれかかり目を閉じた。仕方なく、片山と岩崎で相談して人選や配置など相談しあった。
「あ……そういえばや、サクラ。オイ、起きろサクラ」
飛鳥が何かを思い出しサクラを小突く。起きろと言われるまでもなくサクラは眠っていない。
「あのさぁ~ あの外人<死神>諜報員三人組のことなんやけど」
「そういえば、あの三人どこにいるの? 今」
「何言うとる。アンタのプラン通り、埠頭で援護要員としておってもらったんやけど? いつの間にかおらんなってしもうて、どこいったんや?」
「はぁ~? ちょっとマテ、話が見えん」
サクラは体を起こした。今の話には聞き捨てられない事象がある。
サクラは、あの三人を確認していない。サクラが秘密通路から飛び出したときには埠頭の先には誰もいなかった。状況から考えて三人は取引前に理由があって先に場を離れたものだと思っていた。
「そもそも、あの三人のこと、あんたは知ってるんかい?」
「アレは拓の領分だからあたしは知らん。ユージもそんなことは言ってなかった。あれってただの投降者じゃなかったの?」
「そこで実はええ話と悪い話があるねん」
ニンマリ、と危機感のない笑顔を浮かべる飛鳥。それを見てゲンナリとするサクラ。この口癖は、元ネタはなにかの映画だがユージの好きな口癖で、そしてサクラもそれに感化され、よく口にする口癖だ。
「じゃあいい話」
「実はセシルから電話があってな~♪ セシルは日本におってユージさんの手伝いしとるみたいやで~」
「そりゃユージがセシル使ってもおかしくない。セシルの本職じゃん。それにセシルはユージ尊敬しまくってるワケだし」
「んじゃ次は悪い話や。……実は携帯端末、あのスパイ三人組に貸したままや……返してもらうタイミングなかった。別に英語が苦手やからとか、外人は話しづらいとか、忘れてたワケやないでー」
飛鳥は悪びれずエヘッエヘッ♪と笑いながら頭を掻いた。サクラは呆れて言葉も出ない。事実、飛鳥は外人が苦手で英語も苦手、そしてすっかり忘れていて今思い出した……という事だ。
「まぁ……どうせアレは当局の支給品でサクラちゃんのでも拓ちんのでもないし……」
「ま、また次会った時返してもらえばええわな? でもなんかセシルが何時も以上に真面目やからこっちはびっくりやで。いきなり英語で捲くし立てるし……何いうてたかさっぱりワカランかったが」
「セシルは生粋の米国人、英語は当たり前だろーが。相手がセシルだからまだいいものの……これが……」
そう言ったとき、サクラはこれが異常な事だと解り、顔を上げた。
「ちょっと待て。セシルは英語だったのよね!?」
「そやで。でもアンタもいうたヤン今。セシルは英語が基本やって」
「違う! よく考えろ! あの携帯、あたしのでも拓のでもユージのでもないでしょ!?」
「どういう事や?」
「セシルはあたしの携帯電話も、ユージのも拓のも記憶してるでしょ!? セシルはユージを全面バックアップしていたんなら、あの携帯端末があの時誰が電話に出るか分かってたってことじゃん。アンタが出る可能性があるなら最初から英語で喋ってこないでしょ」
「いや。それはわかっとる。ユージさんに電話したけど不通やからこっちにかけたって言うてた」
「だとしたら、英語で喋ってきたってコトがおかしいんだって」
あの携帯端末はCIAの支給品だ。GPS機能がつき、位置情報を知ることが出来る。スパイ本職のセシルであれば差し迫っていたとしてもそれを確認していたはずだ。
……あの時、あの埠頭にいたのは三人組だけだったはず……。
飛鳥は物陰に隠れていてカメラや衛星には映っていない。セシルは初めから<スズメバチ>の三人の誰かが持っていると思いこんでいたということだ。そしてその情報は結果としてユージにもサクラにも伝わっていない。そしてユージにかけたのは確認か報告のためであって、ユージにとって重要な情報ではなかったということだ。もし、セシルがどうしてもユージに連絡を取りたければ、JOLJUに連絡して中継してもらったはずだ。サクラや拓、ユージ、JOLJU……この四人の携帯電話は特殊な衛星電話で世界中どこにいてもつながるが、それは直通の場合であって、他の携帯端末からだと絶対ではない。
そして三人は姿を消した。
これは明らかに異常なことが起きている。
サクラはセシルに連絡を取ろうと立ち上がったが、飛鳥がやんわりと「セシル、テレビ収録中やいうてたから電話NGやで」と先を封じた。
「くそ……」
サクラの行動だけは完璧に読みきる飛鳥である。サクラはユージに確認しようと思ったが、ユージは手術中だ。聞けないし、多分知らない。
「後は……くそっ、アレックスか……あンのやろーに電話するのヤだなぁ…………くそぉ~」
サクラは過去、アレックスとイザコザがあり、それからというものの天敵のように思い毛嫌いしている。アレックスに対しては、愛情の裏返しではなく、愛着でもなく、能力は認めつつ本当に生理的に嫌いなのだ。
そしてそもそもアレックスの携帯番号は知らない。オフィスは知っているので間接的には連絡は取れるが、そこまでして連絡したい相手ではない。
「よし、セシルとJOLJUにメールしとこ。それで返信あるジャロ……」
結局、サクラは消極的な解決策で問題を先延ばしにした。
そして午前0時09分
紫ノ上島に、一機の大型ヘリと海上保安庁の巡視艇が上陸した。
4
紫ノ上島 埠頭 午前0時47分
こんな絶望が他にあっただろうか。
これまで、いくつもの危険を潜り抜け、何度も生死を賭けた戦いをしてきたが、これほど心の底が凍りついてしまうかのような冷たい冷酷な絶望はなかった。
生存者は全員、言葉を失い呆然とただ立ち尽くしていた。
片山と岩崎は悲痛な表情で俯き、田村と宮村は困惑を隠そうとせず目が泳いでいた。
飛鳥でさえ、無言でヘリの消えた虚空を見つめていた。
彼らは理性的で優れた人間だった。だから叫んだり罵声を上げたりその身に起こった理不尽を他人にぶつけたりはしなかった。その代わりに、言葉を忘れてしまったようだった。
もう10分は、沈黙している。
ようやく口を開いたのは、片山だった。
か細く、呟く。
「青木氏が殺された時、捜査官は言っていた。今にして思えば、この島で一番重要なVIPはサクラ君だった。俺たちは全員……サクラ君も含めて全員がそのことを忘れていた……多分、捜査官も……」
それだけ言い、片山は肩を落した。
「サクラちゃんは……もういない」
宮村は誰に言うでもなく、呟く。
カツン……。
これまで呆然と立ち尽くしていた飛鳥が、静かに動き出し足元に落ちていたバットを拾った。それを全員が見つめていた。だが、飛鳥は拾っただけで、何も発せず動こうともしなかった。サクラと飛鳥は阿吽の存在、完璧なコンビだ。その相棒が消えた。誰よりも、そのショックは大きい。
……サクラはもう、この島にはいない……。
サクラが戻ってくることはないだろう。
そしてサクラが消えたこの瞬間から、FBI、CIA、そして米軍、日本政府の救助の可能性も消えた。もはや生存者たちに味方はいない。それ以上に、このゲームが終わったあとの身の保障も消えてしまった。
正に【絶望】以外のナニモノでもなかった。
東京 午前0時30分 ……若干時間は遡る……。
全身レザースーツに身を包み、深く帽子を被った女が、ホテルの廊下を早歩きで進んでいく。もう深夜で人気はない。だが、それは悪い兆候だった。
目的の部屋に入り込み、すばやく周りを確認した。無人だ。
その時……背後から迫る気配に気付いた女は、素早く懐中から拳銃を抜き、突きつける。
「!?」
「……JO……」
そこにいたのはJOLJUだった。銃を突きつけられ、のそ~と、両手を上げるJOLJU。それを見て女……セシルはため息をつき、愛用のSF V12をホルスターに戻した。
「脅かさないで下さい、JOLJU! というかどこにいたんですか?」
「寝てたJO」
悪びれる様子もなく、照れ笑うJOLJU。
セシルは何か言おうとしたがやめた。この部屋が無人であった以上、早々に現場から離れるべきだった。セシルはJOLJUを促し、部屋を出て行く。
本当は、今の部屋に羽山光則が手錠でつながれているはずだった。
羽山を拘束してすぐにユージとJOLJUは拓の治療のため消えたため、放置されていた。もっとも、ユージはそのことを忘れていたわけではなく、最後に紫ノ上島に飛ぶ際、羽山の件をセシルに一任するから手伝え、とJOLJUに命じていた。
セシルの収録が終わったのは午前0時すぎ。楽屋でスナック菓子を食べ散らかしていたJOLJUからその話を聞き急いで駆けつけてみたが、予想通り羽山はいなかった。恐らく倒したボディーガードたちの意識が回復し、手錠を破壊して逃げたのだろう。
もっとも、拓を助けに行くと決めたときからユージはこうなるだろうと諦めていた。セシルもプロだ。予測された事態の確認だから一喜一憂もしない。移動しながら、メールでユージと米国本部に報告する。
そしてホテルを出てユージの車に乗り込んだ。JOLJUももちろんついてくる。むろんセシルは運転できる。
「これからJOLJUはどうするんですか?」
後部座席でグターと寝転んでいるJOLJUをミラー越しで見ながらセシルは尋ねた。JOLJUは全くやる気なく「もう寝るJO~」と、すでに半分寝ぼけていた。
……この非常事態で暢気な……と、セシルは思ったが、考えればJOLJUは基本一日10時間睡眠の健康児?だ。連日の不眠活動に何回もテレポートで移動したりユージをテレポートで飛ばしたりと、普段のJOLJUを考えれば働いているほうだ。そう思うと許せる気になった。……もっとも、JOLJUにとってこの程度の力など欠伸に等しいことを知っているサクラやユージなら絶対に甘やかさないが。
その時だった。携帯電話が鳴り、セシルは車のエンジンを切った。電話先は沖縄米軍基地からだ。
……え……?
セシルは携帯電話の液晶画面を見つめる。心当たりがない。
確かにセシルはCIA諜報員で、国防省正規職員だ。軍とCIAとの関係は深い。だがセシルは秘密潜入諜報員で、在日米軍の司令官でも第七艦隊司令官も正体を知らないはずだ。知っている軍関係者はもちろんいるが、そういった人間は個人の電話回線でかけてくる。間違っても傍受の危険がある基地本部の電話からかけることはない。
(……これは……出ていいものか)
セシルは悩んだ。怪しいし本来なら出ない。だが、相手はセシルの携帯電話の番号を知っているのだ。この番号を知っているのは彼女の直接の上司である秘密工作部門とSAA、そして数少ない彼女の私的な友人だけだ。
(もしかして……考えられなくは無いけど……でも、まさか本当に?)
セシルはじっと液晶画面を見つめ悩んでいた。かなり低い確率だが、一つだけ可能性はある。そしてそれを示すかのように、コールはまだ続いている。今で8コールだ。CIA関係者やSAA関係者はこんなに長いコールはかけない。
セシルは一瞬後ろで寝ているJOLJUを一瞥し、携帯電話に出た。日本語で。
「はい、セシルですけど……」
『どうなってんのよ!!』
電話からは凄まじい音量で罵声が響く。思わずセシルは物理的に携帯電話を耳から遠のけ耳を覆う。そしてその声でJOLJUも「JO?」と目を覚ました。
電話の向こうでは今も延々と罵声が続いている。セシルはそれを聞き流しながら、自分の予想が当たったことに内心強い衝撃を覚えていた。それは戦慄といっていい。彼女がここにいるということは、<政治>が動いたということだ。
セシルはこれからの展開に対応するべく心の準備をしてから、携帯電話をスピーカーフォンに切り替える。罵声が車中にガンガン響く中、相手の言葉が切れるのを待って喋った。
「落ち着いてください。そんなに騒いでどうするんですか」
『こうなったのは誰のせいじゃ!!』
「少なくとも私のせいではありません。私だって今貴方とこうして話をしていることに驚いているんですから。とにかく、まずは落ち着いてください。そして、まずは状況を説明してください」
『ここから出せ!』
「いくら私でも電話一つでどうこうはできません。状況を教えてください」
そういうとセシルは携帯電話をホルダーにセットし、エンジンを点れ、車を発進させる。こうなった以上、セシルも自由に対応できるような場所に移動しなければならない。
「じゃあ、話してください。サクラ」
電話の相手は、【救出】されて、沖縄米軍基地に収容されたサクラからであった。
紫ノ上島 午前0時17分 さらに時間を遡る……。
海上保安庁の高速巡視艇一隻、米国軍軍用大型ヘリが群がる狂人鬼たちに放水しながら埠頭に辿り着いた時、生存者全員が埠頭に踊り出し、自分たちが救われたことに歓声を上げた。
埠頭には、これまでどこに隠れていたのか……三人の諜報員たちが誘導を行っていた。
まず米軍ヘリが器用に埠頭に着陸し、特殊部隊1チームが紫ノ上島に上陸、その3分後巡視艇も埠頭に着岸した。
だが、それが幻想であることが分かるまで時間はかからなかった。
「あれは……<DEVGRU>じゃん」
先頭で迎えたのはむろんサクラだ。サクラは米軍関係に詳しい。隣の飛鳥は「ナンや? その<でぶぐるぅ>って?」と首を傾げたが、博識な宮村は知っていた。
アメリカ海軍特殊戦開発グループ……統合作戦司令部直轄の対テロ、国外救出特別特殊部隊のことだ。そのことを宮村は皆に報せると、一同安心と納得を得た。
半分玄人のサクラも、海兵隊ではなく<DEVGRU>だった事で「多分、ユージかアレックスが裏で手を打ったのかな」と納得してしまった。拓が撃たれ、ユージたちの捜査も進展し、ゲームまでは抑えた。これを機会に強襲すると判断したんだろう……だからこそ日本政府に通告が必要な海兵隊ではなく秘密部隊の<DEVGRU>を動かした……そう考えれば納得できる。
まず、リックたち三人がヘリに乗り、代わりに<DEVGRU>たちが降りてくる。
<DEVGRU>のリーダーらしき覆面の男が「アメリカ人はヘリで収容する。日本人は海上保安庁が保護する」と英語で叫んだ。むろん、この場にアメリカ人はサクラしかいない。
「サクラ=ハギワラ=クロベ! はやくこっちへ」
隊員たちは真っ直ぐサクラに向かってきた。そしてサクラのフルネームを知っている。サクラは普段、サクラ=ハギワラと名乗るからフルネームを知っているということは、部隊の独断ではなくやはり本土から極秘で派遣されたのだろう……と、サクラも思った。一瞬、サクラは地下で手術中のユージに連絡をとろうかと思ったが、手術中に邪魔されることをユージは何より嫌いで間違いなく後で怒られる。サクラはそれで連絡をしなかった。もしこの時電話すれば、その後の絶望はなかっただろう。
隊員たちに囲まれながら、サクラは英語で「救出は分かったけど、ユージかアレックスに連絡取りたいんだけど? あと飛鳥……あたしの隣にいた馬鹿面の奴はあたし同様別扱いになってると思うけど?」と聞いたが、隊員たちは無視した。
仕方なくサクラが振り返り飛鳥を呼んだ。飛鳥は<サクラ・キャリー>で検疫の必要はなく、今回サクラとセットで参加しているから二人一緒でなければ事後の処理が面倒になる。当然ユージたちもそういう処置をとっているはずだ。過去の事件の時も飛鳥だけは一般人扱いではなく<サクラの知人特別枠>だった。
だが、飛鳥がヘリに向かおうとすると、隊員たちは飛鳥を制止させ、隊員は黙って海上保安庁巡視艇のほうを指差す。
この時、初めてサクラは違和感を覚えた。だが、もうこの時には手際よくにヘリに乗せられていた。
「ちょっと待って! ユージに確認する! 出発するな」
サクラはヘリのプロペラ音に負けないよう叫び、携帯電話を取り出そうとしたが、四次元ポケットはまだ濡れたズボンと一緒だ。電話もなければ銃もない。
その直後、サクラ他、全員驚愕する出来事が起きた。
ようやく停止した海上保安庁巡視艇の看板に6人の黒いマント、散々見飽きた忌まわしい仮面を被った<死神>が現われたのだ。さらに放水は、狂人鬼たちだけではなく飛鳥たち生存者たちに向けられ放たれた。直撃はないが、明らかに彼らは生存者たちを救出する気はない。
「な、なんで<死神>がおるねん!! おい、こらぁー!! どうなっとるんや!!」
思わず駆け出した飛鳥に向かって、真っ直ぐ放水が伸びた。水はバリアーで弾かれ濡れることはなかったが、この瞬間、全員が今の状況を理解した。
……彼らは味方でも救出に来たのでもない。敵の手だ……。
「ちょっと待て! どういう事よ!! あたしは降りる!!」
サクラはヘリを飛び出そうとするが、あっという間に<DEVGRU>の隊員に取り囲まれ、ヘリはそのまま浮かび上がった。だがサクラは飛び降りられる。実際サクラは振り払いヘリの淵までは行ったが、寸前で無慈悲にヘリの扉は閉められた。軍用ヘリだからドアの開閉もロックも操縦席からできる。
「聞きなさい。我々は米軍だ。政府の命令で君を救出しにきた。君は10歳の子供で、君の行動は全て保護者の責任になる。日本人は日本政府が救出する」
「…………」
その言葉を聞いたとき、サクラは完全に自分の敗北を知った。ユージたちではない、サタンたちの息のかかった米国関係者が、サクラを救出……実際はゲームからの排除……を謀ったのだ。皮肉にも<DEVGRU>を正規のルートを使うことで。
サクラのことを知らない正規の政府の人間からみれば、サクラはただのアメリカ国籍の一般人の10歳の女の子で、サクラの意志や主張など考慮する材料にもならない。
サクラは窓から歯痒い思いで島を見下ろす。
<死神>たち6人は、悠々と島に上陸し、そのまま堂々と生存者たちをかきわけ島の奥に歩いていく。さすがに武装はしていないし、双方攻撃をすることはなかった。海上保安庁の船が見られているし、銃撃戦が起きれば<DEVGRU>も介入する可能性がある。第一、救出されると思っていた生存者たちは飛鳥のバットや鉄バイプくらいの武装しかなかった。
無慈悲に……海上保安庁巡視艇は<死神>6人を上陸させた後、無言で離岸し、そのまま東北に向かって高速で去っていった。
そして、サクラを乗せたヘリは与えられた任務を完了し、そのまま沖縄のアメリカ軍基地に向かって北上した。サクラにはなす術なく、厳しい表情で遠ざかっていく紫ノ上島を睨むしかなかった。
紫ノ上島 午前0時55分
「帰ろ。……ここにおっても、寒いだけや……」
そう言った飛鳥の言葉には全く元気がなかった。飛鳥の判断は正しい。一人、<新・煉獄>エリアに戻っていく飛鳥につられ、多くの生存者たちは無言で後を追い戻っていく。
片山、宮村、岩崎、田村の四人だけはまだ埠頭に残っていた。
「これから……どうなるの?」
誰に問うではなく、そっと宮村が呟いた。
四人は、動揺しつつも頭脳は混乱から抜け出つつあった。
「最初に……捜査官が言っとりましたな。『米軍が救出するとすれば自分とサクラだけ』と。
この手はサタンたちにとっても賭けだったはず」
「どうして日本政府は私たちを捨てたの!?」
宮村は叫んだ。海上保安庁は来た。だが、よりにもよって<死神>を運んだだけで誰も助けず、無言で去っていった。
……自分たちは日本政府に捨てられたのか……。
「そこまで奴らの力は強くない。本当に日本政府もグルなら、もっと前に<死神>は増えていたと思うわ。少なくとも、村田君も……サタンも現状の不利は口にしていたし余裕もなかったわ」と田村が元気なく答える。
「ただし、警察関係者、海上保安庁の一部は奴らと結託している。最初にそのことに気付けばよかった。私たちは、その後のデス・ゲームの衝撃が大きくてそのことを考えていなかっただけですよ」
ドンっ! と岩崎は傷めた足を気にする事無く地団駄を踏む。
悔しさはこの中で田村が一番責任と自分たちの甘さを痛感していた。村田自身が一時間ほど前に自分に言っていたではないか。「海上保安庁の船で脱出させる」と。あの時は本気になどしていなかったし、その後の戦闘で忘れていたが、あの時すでに海上保安庁の船が島に近づいていることを村田は知っていたからこそそう言ったのではないか?
だとすればそのことを自分は皆に伝え、備える事もできた。
最初に殺されたのは表面的には全く本件と関係がない警視庁の刑事の佐山。そしてフェリーの爆破に、元沖縄県警の遠山……予見できる要素は数え切れないほどあった。これだけのことが起きて、日本政府の動きがないことは異常だ。異常であることは拓も口にしていたし、何度かそのことを口にしていた。だからこそ、拓は通常の連絡手段があったにも関わらずこっそりユージに連絡し、裏ルートで捜査をしていた。捜査は日本政府主導ではなく、米国の捜査機関や秘密組織がメインだった。だがサクラを含め全員、まさかそこまで……と本気で考えてはいなかった。
その介入も、もう出来ない。
なぜならば、この島には、もう米国人はいない。この紫ノ上島の司法権と責任は日本に移った。
「それなら! それならカメラに捜査官……ナカムラ捜査官が生きているって報せればいいんじゃないの!?」
宮村は皆に向かって叫ぶ。だがそれを片山と田村が否定した。
「今の米軍特殊部隊が捜査官を探そうとしなかったのは……彼らも捜査官は死んだと思っているということよ。米国側にも奴らの手は回っている……」
「それに、だ」と片山が続く。
「皆は聞いていないかもしれないが、捜査官は今回、休暇を利用して参加しているんじゃない。<出張して来た>って言っていたんだ。つまり、ナカムラ捜査官は仕事でこの島に来ている。サクラ君と違って事件被害者にはならない。捜査官だけでは、救出対象にはならないはずだ」
正確にはどうなるかは片山たちにも分からない。ただ、一般市民と連邦捜査官では立場が違うことは間違いない。未成年以下でカウントされる10歳の女の子を救出するという理屈は猿でもその緊急性はわかるが、自身が武装もしている国家公務員の立派な連邦捜査官を救出する……ということとなると協議が必要になるだろう。
悪循環にも、仮に拓が瀕死であれば救出される確率は高い。だが治療を受け戦える状態であれば緊急の救出の必要を判断するかどうかは当局判断になる。そして、もし救出されるとしても今の状況下では拓だけが救出されるだけで問題解決にはならない。
「それでも……こうなった以上、捜査官に戻ってもらわないと……たとえ寝たきりで動けなくても……」
この絶望の中では、拓の存在だけでも僅かな希望として持てるし、絶対的なリーダーがいる頼もしさは他の生存者たちを勇気づけるに違いない。宮村のその判断は間違いではない。さっきまで潜入していた田村なら場所がわかるはずだ。
しかし、悔しそうに田村は首を振った。
サタンは拓たちに襲撃されたにも関わらず、再び放送を流してきた。まだ奴らの拠点はこの島の地下のどこかにある。涼は奪還できた、涼は今、拓といる、とサクラが言ったから違う場所なのは間違いない。田村たちが居てサクラと拓が襲撃した拠点にそのまま居残っているのか、拓たちは別の場所に移動したのか、そもそも襲撃場所は同じなのか……そのあたりの確証は全くない。確証もなく、サタンたちのテリトリーである地下エリアに向かうのは自殺行為に等しい。何より地下エリアの地図はサクラが持っていた。そのサクラが今はいないのだ。
完全な敗北だった。
戦略的、政治的な敗北だ。島に残された生存者たちには、どうすることもできない。
最早、彼らにできることは、サタンたちの掌の上にいることを分かっている上で、自分の命を自力で守っていくしか方法がない。外部の助けを求めることは、もう選択肢にはない。そして、『ゲーム終了まで12時間』というルールもアテにはできなくなった。日本政府、警察関係、そしてこれを企画した日Nテレビ……それら全てに奴らの手が回っていることが確実な以上、後12時間ですんなり事件が終わるなど思っている人間はいなかった。
これ以上、完璧な絶望は、他にはないだろう。
絶望に打ちひしがれた一行が、気力もなく<新・煉獄>の拠点に戻っていったのは、午前1時を14分過ぎての事だった。
24/切り札 1
アメリカ フォートデトリック基地 特別対応室
「諸君! 撤収だ。すぐに作業を止めなさい。これ以上活動しなくていい」
手を叩きながらベネットが部屋で作業している特別捜査官たちに声をかけていく。その場で作業していた各情報分析官たちは手を止め、呆然と突然の上司の言葉に戸惑った。だが、職務上、上司の決断に異議や質問を口にすることはない。彼らは命令通り黙って作業を止めた。
その直後、隣室のオフィスで作業していたアレックスが飛び込んできて怒鳴った。
「どういう事だ!」
「撤収だ」
ベネットは申し訳なさそうな表情……は微塵もなく、むしろ不気味な笑みを浮かべアレックスを迎えた。
「詳細は君もホワイトハウスで確認するといい。我々CIAの仕事は中断、一旦手を引く。これは確定事項だよ」
「俺は聞いていない」
「それは君の都合だ」
「後少しだぞ!? 今捜査をやめるとはどういう事だ」
「米国政府は関知しない。もう終わったんだ」
「…………」
その言葉だけで、アレックスは何が起きたか理解した。
……サクラがもう島にはいなくなった……。
それによって、米国政府は日本の事件に介入する口実がなくなった。この問題点は最初からアレックスも知っていたし、むろんユージも知っている。だからこそユージはあえてサクラを救出しなかったし、そうならないよう米軍のチームは待機させるだけで発動させず、捜査もユージ自身が動いていた。
ユージがチームを動かすはずがない。そもそもユージは今、撃たれた拓を治療しに島に飛んでいる。そのことは米国ではアレックスしか知らないことだ。
「何故サクラを救出した!? そんな命令は出ていないはずだ」
「君たちが命令を出さなくてもおかしくはないだろう。米国人救出はいつからFBIの仕事になったんだ? 国防総省の仕事だろう、どうして君たちがそれを判断する? 政府の決定だ、君たちの管轄じゃない」
「本件の最高責任者はユージ=クロベ捜査官だ! 彼は大統領命令で動いている、彼の許可なしに部隊を動かすのは命令違反だ」
「終わったことだ! 犯罪に巻き込まれている10歳の幼女を救出しないことは国の面子に関わることだ。そんなものは捜査ではない! 私はおかしいことを言っているかね!? 大統領の見識も疑われかねない事態だろう!?」
正論すぎるほどの正論だ。だが、それは普通の場合であってサクラの場合は適応されないのだが、そのことはこの国でも大統領とごく一部の政治家、軍首脳しか知らない。正規ルートの要請が上がれば正論が勝つ。それが民主国家の政治だ。そうならないよう、十分に手を打っていたはずだった。それが覆せる人間は少ない。
頭の回転が早いアレックスは、全てを悟った。
「……お前か……」
アレックスは、鋭い眼でベネットを睨んだ。
ホワイトハウスがこの正論を受け入れる要素は、今回の事件の指揮者の承諾か要請が条件だ。今回の事件のトップ3はユージ、アレックス、ベネットの三人になる。
この数時間、明らかに国防総省とホワイトハウスの動きに変化があり、きな臭さを感じていたところだ。この瞬間、それらの疑念が解け、カラクリは全て一本のストーリーに繫がった。
「お前、自分が何をやったか分かっているのか」
この事件の強毒性特異狂犬病が世に広がれば世界は大混乱する。
だがベネットはアレックスの高圧さに負けず不敵な笑みを返した。
「いつから我が国は世界の王になったんだね? 事が公になった以上、我が国としては正規ルートで関係各国協力しあい捜査すればいいじゃないか。違うかね」
「馬鹿な」
そんな時間はない。正規ルートで関係国が集まり特別捜査本部を作り上げ組織が立ち上がったときには紫ノ上島でのサバイバル・デスゲームは終わってしまい、敵組織は雲隠れしてしまう。それ以上の問題としてウイルスが第三者に渡ってしまうだろう。
ベネットの主張は正しい。そんなことは分かっている。その方法ではダメだから自分たちが極秘裏に集められ、超法規的捜査を行っていたのではないか。それはベネットも分かっていて協力してきたはずだ。
そう考えるうちに、アレックスはベネットの変節の理由が分かった。
「お前たち……」
……奴らと取引したな……。
事が重大すぎるので、さすがのアレックスもその先の言葉を飲み込んだ。
CIAなら、する。
CIAが敵に回った……ということではない。CIAが本当に知りたいのは、このウイルス兵器を買いたがっている顧客たちのリストだ。顧客たちは間違いなくテロリストや反政府組織、軍事国家などだ。そのことを掴めれば、アメリカはその件をネタにしてそれらの国や組織に圧力を加えたり制裁を加えたりできる。こういう工作作戦こそ、CIAの本芸だ。そしておそらく、ベネットはその条件でNSAを巻き込んだに違いない。米国の対外情報機関と国家安全保安庁の二つの強い意思によって国防総省が動いた。
「そんな狭い料簡で、世界が崩壊してもいいのか!?」
アレックスは怒鳴るとベネットの胸倉を掴んだ。
アレックスの想像……まず間違いないだろうが……CIAがこの事件を利用する方針を決めた以上、ウイルスはそれらの組織の手に渡る。世界の緊張度は一気に跳ね上がる。
「狭量で結構!」
ベネットは負けず叫び、アレックスを振り払う。
「正義の味方は結構! ですが私の世界はあいにく正義なんてない、ごく狭い<国家>が全てなんだ! それが私の人生なんだ! そうして30年、この国のため尽くしてきた! 残念ながら誰もが正義のため働いているだなんて思いこむのはFBIの悪いクセだ! 我々には我々の国家の守り方がある! あいにく私ぁ仰る通り狭量なんでね、世界のことまで考えてはられんのですよ!」
これまでの大人しい態度が一変し、ベネットは感情むき出しで叫び続ける。
「今回の件だって、我々だけが損をしているんだ!! うちの極東部門がこの事件でどれだけメチャクチャになったと思う!? しかもだ! そのうち半分はお宅の<死神捜査官>がぶっ壊してくれた! 全く、正義の味方だ!?? いい迷惑だ!! お宅はいいだろう! 正義の味方、こんな大事件を解決できればその捜査力は評価される! だがウチはどうだ! 秘密工作を引掻き回されるわ潜入工作は無駄にされるわ挙句何人かは殺されてしまう始末だ!」
実はハミルトン社や黒神グループ、日本政府内にCIAの秘密工作員はいた。しかしこの事件で、一部は<死神>として島に渡った後ユージに殺され、一部は捜査の手が回るために手を引かざるを得なかった。
それだけでもCIAの極東担当のベネットには不快だったが、さらに不快な事は今回の事件指揮でもユージとアレックスだけで案件は進められ、しかも知らされていない秘密作戦まである。ベネットは二人に便利に使われるだけで何もいいことはない。しかも、大統領命令だから従ってはいたが、通常時の階級では、グレード5のベネットが一番偉いのだ。それもベネットには不満でしょうがなかった。
ベネットは堪っていた不満を全てぶち撒けた後、いつもの表情に戻り立ち去ろうとした。それをアレックスが再び服を掴み上げる。
その瞬間、唖然と見ていただけだった周囲の空気が僅かに緊張した。もしアレックスが怒りに任せ暴れたらどうなるのか……。
が、アレックスは暴れず、凄まじい殺気の篭った眼で睨みつけつつも、静かに言った。
「ベネット=ローレン」
低くてよく響く声が、圧倒的迫力を伴っている。
「いいか。自分が選んだ道はもう戻れん、結果がどうなっても自分の責任だ。そしてこれだけは覚えておけ。アメリカ国内は、俺たちFBIの領分だ。煙草一本道に捨てても許さん、お前のことを、俺たちは許さない」
「言葉をそっくり返そう、アレックス=ファーレル。国外でもう勝手なことはさせんよ、FBI捜査官」
「どうだかな」
アレックスは不気味な笑みを浮かべた。
ベネットは舌打ちすると、そのまま背を向け、部下たちにも目をくれず黙って部屋を出て行った。それを見送り、アレックスは小さなため息をつくと仮設置された自分のオフィスに向かった。どう言ったところでCIAの協力は当分得られない。
沖縄 トリイステーション(米国陸軍基地)内一室 午前1時20分。
シンプルな宿直室のような部屋にサクラは収容されていた。
部屋にはシングルベッドに毛布、テレビ、小さなテーブル。テーブルの上にはクッキーやチョコバー、キャンディー、チョコ等が盛られた小皿があったが今は小皿だけだ。到着早々あっという間にサクラが食べてしまった。
部屋に電話はない。電話が許されたのは到着後の一回だけで、その後は何も知らない優しい女性軍人に「子供はもう寝なさい」と諭され部屋は消灯された。
むろんサクラは眠る事無く、暗闇の中テレビを点けていた。音量は最小限にして日本、米国のニュース番組を探しては見ている。テレビを点けて20分ほど、当たり前だが紫ノ上島に関するニュースはない。日Nテレビも事件には全く触れず、今は通常通り深夜バラエティーが流れていた。
「…………」
部屋は外から鍵がかけられている。気配でドアの向こうに兵士が一人いることは分かる。ここは軍基地だから、見張りのためと、<事件に巻き込まれた少女の容態を見守るため>の保護のためだ。
……あくまであたしを子供だと思っている……。
事件の詳細は、少なくともトリイステーション側は知らされていないだ。それは今、サクラが普通に保護されていることから知ることができた。
もし、紫ノ上島の事を正確に把握していれば、普通に保護されはしない。あの島は強毒性特異狂犬病が蔓延していた島だ。そんな島から保護されたら、まず隔離され、執拗なほどの殺菌過程を経て各種検査が行われ、そして1カ月近い隔離生活が始まるはずだ。しかしそんな物々しい過程はなく、ただ保護されただけだ。
……どういう手を打つンだ? セシルは……。
サクラはぼんやりとテレビを見ながら考えた。
収容直後に電話を借りることが出来た。考えに考えた末、たった一回許可された電話の相手にセシルを選んだ。ユージはまだ手術中かもしれない。JOLJUはアテにならないし、アレックスの連絡先は分からないし話したくない。結局、この時間でも確実に連絡は取れてこの事態に対処できるのはセシルしかいなかった。
今のセシルにもサクラを解放することはできない。すでに所属しているCIAから活動中断の命令が出ているし、それを無視して動けばセシルのほうが処分される。だが、それでもセシルは『一つだけ方法があります。すごく気は進みませんが……唯一いまの状況をなんとかできると思います』と、すごく後ろめたそうにだが請負った。サクラもどんな方法か考えてみたが思い当たらない。セシルは苦渋していたが、それでも彼女が『できる』というのであれば間違いない。
(でも、さすがに……そう早くは対応できないか)
救出されてまだ一時間……いくらセシルがすごい切り札か何かを使ったとしても電話から30分……そう早くは動けないだろう。
……一刻も早く、島に戻らないと……。
サクラが島に戻る……それが今のサクラがすべき事だ。それですぐに米国政府が捜査に戻れるとは思わないが、サタンたちにゲームを継続させることで島に残った飛鳥たちの命を守ることが出来る。拓は朝には戦線復帰するといっても重傷を負ったのは間違いない。サクラの存在があの島には必要なのだ。
紫条家 地下4F 午前1時45分
拓は安静にしている。
意識はもう戻っている。手術も無事終わり、上半身はきっちり包帯で締め付けられ、上着を羽織っていた。隣りでは涼が付き添っている。もう傷の心配はないが、麻酔と鎮痛薬が残っていて左上半身の感覚はない。そして輸血と点滴はまだ続けられている。
手術を終えたユージは、タートルネックのシャツを脱いでTシャツ姿になっていた。DEはショルダーホルスターに入れられTシャツの上に付け直されている。
「裸じゃまずいからな」
そう言ってユージは着ていたタートルネックを拓の傍に置いている。拓に貸すためだ。拓のシャツとベストは血で染まり、手術のため切り裂いてしまったので拓にはシャツがないのだ。ユージは本土に戻ればいくらでも着替えはある。
そしてユージは今、室内を物色していた。サタンたちの資料、薬などを探している。
「多分、ここが奴らのメイン・ベースだったはずだ」
「でも……サタンはすぐに放送を流していましたよ?」
ユージの呟きに、涼が答えた。
放送というのは、サタンがサクラに対して流したスピーカー放送のことだ。あの放送はこの部屋にも流れていて知っている。あれができるということは、まだサタンたちには拠点があるということだ。
「どれだけ奴らはベースがあるんだろうな」
拓も零した。ずっと島で奴らを追っている拓にとって、悲鳴のような感想だ。
煉獄、序盤に使っていたと思われる本館と西館の間の地下2F、ユージが潰した地下3Fの拠点、この地下4Fの拠点、そして今サタンたちがいるであろう、新しい拠点……どれだけ地下には奴らの拠点があるのか……考えれば考えるほど呆然となりそうだ。
「<死神>や感染者たちを収容していた場所は島中に散らせてあるんだろう。だが拠点として使う場所は限られている。そして俺が知る限りはここが一番大きなベースだが」
すでにユージたちはこの地下エリアの全面地図を入手している。そして実際に見た限り、この拠点は2時間前、サクラたちや大森、山本他生存者たちがいたエリアを仕切っていた拠点よりここのほうが広く、放送機材や監視モニターは充実している。
ユージが探しているのは強毒性変異狂犬病Ⅱ型のウイルスデーター、そしてそのワクチンだ。今回のゲームでもっとも重要なものだ。これさえ押さえる事が出来れば、この島で行われているゲームなど強制終了させてもいいのだ。
「お前たちはここを急襲した。そして奴らは慌てて逃げた。なら残されていてもいいはずだが……少なくともウイルス保管室みたいなものはないな」
ウイルスは管理が難しい。扱うには滅菌スーツが必要だし保菌室も必要だ。
もっとも、もうウイルスは使い切ったのかもしれないし、この島に持ち込まれたウイルスの量は少なかった可能性もある。今、島に徘徊している狂人鬼のうち半分以上は島に来る前に予め感染させられていた可能性もある。
「そういうルールだったかもしれんが……俺がもしウイルスを持っていて、お前たちを嵌めようとするなら、捕虜を感染させて送り返す……そのくらいはするだろう」
涼は二度捕まっているし田村たちの件もある。すでに感染していた<こんぴら>や大森もいた。そのくらいの非人道的な手段はサタンの残虐性や知力を考えれば、むしろやらないほうが不思議なくらいだ。
ユージの言葉に涼は身震いしたが、拓は苦笑した。
「そんなことあっさり言うお前が怖いよ」
「篠原彰はIQ150以上あるサイコパスだ。そのくらい当然。そうしなかったのはルールかもしれん。ウイルス自体は感染者を手元に確保していれば手間はかかるが感染を拡大させることは可能だからな。しかしどっちにしてもワクチンは必要だ。でなければ奴ら自身が自滅する」
「篠原?」
「サタンは村田悠馬さんですよ?」
拓と涼の二人はユージの言葉に首を傾げる。確かに篠原はサタンのスパイだったが、本当のサタンは村田だ。
だがユージは間違えたわけではない。すぐに会話のズレが認識のズレだということに気付いた。
「ああ、言っていなかったか。あの村田と名乗っているサタンの本名が篠原彰だ」
「え?」
拓と涼は顔を見合わせる。これだけでは話が全く分からない。
「こっちの問題だったから伝え忘れていたな。……ええっと……この島で篠原と名乗っていた男は身元不明の組織の男で、大学在住物理専行の大学生……それが村田と名乗っていた篠原彰だ。本土で確認した」
「なんで……そんなことを?」と涼。
ユージは物色しながら答える。
「ついでに言えば篠原彰というのも正確には本名じゃない。一番重要な件が抜けていた。篠原彰は、元々紫条彰という名前だ」
「えっ!?」
拓と涼の声が重なる。
ユージは構わず物色をしながら話を淡々と続けた。
「30年前の事件の生き残り、紫条このみの血縁者……息子が紫条彰、つまりサタンだ。そして恐らく紫条このみは強毒性変異狂犬病Ⅰ型の耐性を持っていた。だから30年前、強毒性変異狂犬病に罹らず彼女だけ助かったんだろう。紫条彰がサタンとして選ばれたのは、遺伝で潜在的に強毒性変異狂犬病に耐性を持っていたからだろうな。父親は誰かわからんし紫条このみは事件後しばらくして消息をたっている。そして彼女は消え、突然篠原彰が生まれた。この島でウイルスが充満する場所で外傷があるのに感染しないのはその耐性とワクチンが………」
喋っていたユージは、自分の言葉の中に重要な事実が含まれていることに初めて気付いた。そしてそれは拓も同時に気付いた。
二人はそれぞれ振り向き、顔を合わせる。
「ワクチンは……」とユージ。
「村田本人だ……」と拓。
「えっ!?」と声を上げる涼。
「そうか。俺の推理は間違えている」
ユージは物色をやめ、その場で考え込む。
戸籍不明者は紫条彰のほうで、この島で篠原と名乗った男ではなく、大学前に入れ替わったのではないか? 日本の戸籍制度を考えればそっちのほうが自然だ。紫条このみの失踪は元々組織によって拉致されたもので、紫条彰は生まれたときから組織にいて、ウイルスの実験体だったのではないか?
そう考えた時、一つの恐ろしい……だが、一番説得力のある生体実験方法にいきついた。
口に出したのは、拓からだった。
「ユージ。もし……タニィルン・ノーブル・ホルダーの男と強毒性変異狂犬病Ⅰ型耐性を持つ紫条このみとの間で生まれた子供はどうなる?」
タニィルン・ウイルスについては拓よりユージが詳しい。
「タニィルン・ウイルスはノーブルもクィーンもウイルス・ホルダーとしては男しか生き残れない。クィーン感染はない、クィーンはサクラだ。サクラが知らないはずがないしサクラはまだ生まれていない。だがノーブル・ウイルスは100年以上前から発見されていた」
「ノーブル・ウイルスなら、フォート・デトリック基地にデーターはある。ウイルス自体も、ごく僅かだが世界中に存在ある。ウイルス・ホルダーも……」
タニィルン・ウイルス……正確には菌だが……サクラだけが持つ特別な細菌で、純タニィルン・クィーン・ウイルス・ホルダーはサクラの父親だけだ。だがノーブル・ホルダーは世界に数人いることが確認されている。FBI本部心理分析部長アレックス=ファーレルはノーブル・ウイルス・ホルダーだ。(だからサクラは毛嫌いしている)
ユージはJOLJUの投薬で強化された経歴がある。拓、飛鳥はサクラと多く接触していることで自然と耐性ができた準ホルダーだ。
すでにフォート・デトリック基地に組織のスパイがいたことは判明し、強毒性変異狂犬病Ⅱ型の開発にはタニィルン・ノーブルが使われている。つまり、組織はタニィルン・ノーブル・ホルダーを作ることも可能だったということだ。
タニィルン・ノーブルはレベル4以上の強毒性の細菌だ。適合者を作るため、多くの男が生体実験者になっただろう。それでも最先端の細菌研究所と人体実験可能な国土があれば、ウイルス・ホルダーを作ることは可能だ。
そしてタニィルン・ウイルス・ホルダーの男と強毒性変異狂犬病Ⅰ型ホルダーの紫条このみとの間で、両方の耐性を持つ子供が作られる…… 失敗もあるはずだ。まだ試験管ベイビーが造れる時代ではない。紫条このみの体が耐えられるまで子供は作れる。母体や失敗した子供の人権は関係ない。現に紫条このみは死んだ。
そして、実験の結果生まれた子供をベースに、さらに遺伝子を操作すれば……。
ウイルスはさらに強化され、強毒性変異狂犬病はⅠ型からⅡ型に進化し、その子供はついに強毒性変異狂犬病Ⅱ型の耐性を手に入れることが出来る。
「それが……村田……紫条彰なのか」
拓はそう呟き身震いした。これが本当であれば、なんともおぞましい生体実験が行われた事になる。タニィルン・クィーン・ウイルスのデーターはサクラが生まれるまで待たなくてはならない。村田……紫条彰はつい最近まで生体実験を受けていたはずだ。当然、科学実験において実験体が一人ではどうにもできない。少なくとも男女、数人は残っていただろう。その兄弟姉妹たちの中から、唯一無事成功したのが紫条彰だけだったのではないか? だからこそ、このゲームの中でも組織がサタンを特別扱いで、参加させつつも殺させないようにゲームは作り込まれている。全てそのためではないか。
「兄弟も、いるな」
その兄弟たち本人が、販売されるワクチンの、いわば【容器】だ。
ユージもさすがに驚きを隠せない。
……このゲームはウイルスのお披露目だけではない……。
……サタン自身が商品だ。サタンの知力を見せ付けるのもゲームの一つだった……。
「だからだ。村田は言っていた。『自分のゲームの報酬は、どの国でも慎ましく楽しく暮らせる額』と……あいつ自身がワクチンで、恐らくあいつは狂人鬼を操れる」
凄まじい感染力と発病時間、そして感染者を操る力……それがタニィルン・ウイルスの力だ。考えれば、<死神>たちが狂人鬼に襲われている場面は見た事が無い。
拓はようやく村田……紫条彰という人間が理解できた。無感情な愛想笑い、自他含め命に対する執着の無さ、人を人とも思っていない言動、異常性諸々……。
全てこれまでの彼が受けてきた人生を考えれば、彼の人間性を作り上げている根拠には十分だ。
拓は大きなため息をついた。彼の凄まじい人生に悲しみと嘆きを、そんな実験を行う組織に抑え切れないほどの怒りを覚える。もし麻酔が効いていなければ、この衝撃の重さに全身震え上がっていたに違いない。いくつも凄惨な事件を見てきたが、これはレベル違いだ。
「人間生物兵器とはな」
ユージも低い声で唸った。表面上冷静だが、心中の不快感は、恐らくユージのほうが上だろう。 ユージは表面的にはクールだが、拓より激情家なのだ。
ユージは物色をやめた。
「ユージ。もう帰れ。お前には、やるべきことがある」
拓は強い口調で言い切った。
むろん、ユージも分かっている。
ユージは腰からホルスターごとHK USPコンパクトを抜くと、それを涼に渡した。
「これは9ミリで撃ちやすい。マガジンには9発残っている。もしもの時は使え。後二時間くらいは、拓は動けない。ついでに、もし無理に動こうとしたら止めてくれ」
「は……はい」
ユージはすぐに立ち上がり、バッグの中からいくつか薬を取り出し、拓の前に広げた。
「痛み止めのモルヒネだ。二本以上打つな。こっちは解熱剤だ。熱が39度を超えるようなら打て。5時間は効果が続く。バッグの中にはADE、バソプレシン、エフェドリンやアスピリン、メタンフェタミン他一通り入っている。後、非常食もある」
そういいながら、ユージはバッグの中からケースに入った小さな注射器を取り出した。
「本当にヤバいときはコレを使え。ただし、一回以上は駄目だ、死ぬから。そしてこれを使えば、お前は、三ヶ月は停職だ。第三者に使うときはお前が責任を持てよ」
拓は苦笑し受け取る。涼は「それ、どんな劇薬ですか!?」と声を上げたが拓もユージも答えなかった。医療用だが、これは純コカインだ。医師であるユージが使う分には合法だが勝手に使えば違法になるし、その後、薬物使用者として拓は完全に薬が切れ、依存がないと専門医師に判断されるまで仕事はおろか銃の携帯も許されない。だが効果は抜群だ。
拓は苦笑したままそれを上着のポケットに入れた。こればかりは間違って他人に触られると犯罪になる。
「ちょっと待った。ユージ、一つ無理を聞いて貰えるか?」
「これ以上俺に貸しを作る気か」
「俺の有給10日やる」
「なんだ?」
「涼ちゃんを連れて行ってくれ」
「え!?」
突然のことに涼は思わず大声を上げた。
拓は真面目だ。
「この島は危険だ。この子を連れて行ってくれ。……涼ちゃん、大丈夫。一般人でも一日一回はテレポートに耐えられるから。君は東京に帰るんだ」
「で……でも!?」
「分かった」
ユージは頷くと涼の手を取った。
この島は未成年の少女には危険すぎる。涼が一人いなくなってもサタンは気にしないだろうし、涼は感染していないから連れて帰ってもこっそり保護していても問題ではない。どうせゲームが終わり、FBIが事件の収拾を行えば全員隔離保護され外界と1カ月は接触ができない。今こっそり保護しても同じことだ。
だが、涼はユージの腕を振り払い、慌てて立ち上がると二人から離れた。
「いやです! 行きたくありません!」
「涼ちゃん。俺は大丈夫だ。ユージに任せればいい。一人で……」
「一人だけ助かるなんて嫌ですっ!」
潜んでいることを忘れ、涼は叫んだ。
拓とユージは顔を見合わせた。
「涼ちゃん。君はまだ高校生だ。わがまま言わず……」
「サクラちゃんはもっと小さいです! 飛鳥さんだって私と変らないでしょ!? 私……私はそんな特別扱いされる人間じゃない。私だけは嫌です!」
そういうと涼はユージから預かったばかりの銃を抜いた。
「もう捕まりません! 泣きません! だから、私を子供扱いしないで!」
叫びながら、涼はすぐに銃口を自分のこみかめに付けた。
「今度捕まるくらいなら足手まといになりません! 助けも要りません! 私だって覚悟できています。お願いします……」
そういうと、涼は必死の思いで頭を下げた。強く閉じた両目から涙が零れ、体は震えている。
二人は沈黙し、顔を見合わせた。
しばらく沈黙があった。
そして、突然涼の手は強く捕まれ、手が銃から離れた。
「!?」
いつの間にか背後にユージが立ち涼から銃を奪っていた。その現実に気付き、涼は愕然となった。耳のいい涼の耳ですら足音が聞こえなかった。いや、聞こえないくらい自分は動揺している……!?
事実はその両方だ。
ユージはため息をつき、涼を一瞥すると拓のほうを見た。
拓は苦笑し、首を振った。
ユージは呆れ顔で目頭を押さえた。
「女の子は怖い」
ユージはそういうと手の中にある銃を握りなおし、涼にみせる。
「銃はセフティー状態じゃ撃てない。撃つというなら、まず冷静に銃の状態を確認しろ」
そういうとユージは涼の目の前で安全装置を外し、黙って銃を返した。
涼は、まだ体の震えが止まらなかったが、ユージの大きな手でゴシゴシッと涼の頭を撫でられるうち、震えは止まった。
「君の声は大きい。静かにしないと危険だ」
「は……はい。す……すみません」
再び頭を下げる涼。そのうちに、今度はちゃんと足音を立てユージは去っていく。
「ベタベタな……そして相変わらずの美少女ホイホイめ」と拓が小さく毒づき、ユージのほうを向き「俺たちの負けだな」と、今度は涼にも聞こえる声で言った。
「あ! ありがとうございます!」
三度目、涼は頭を下げ、そして涙を拭い、それから苦笑した。泣かないと言った直後に泣き出すなど、これでは本末転倒だ。
「エダもそうだが、女の子は分からん」
そういうとユージは床に転がっている自分のバッグのほうに歩いていった。
ユージは薬や非常食の入ったバッグを残し、残り二つのバッグを背負い、腕につけた携帯用転送装置を起動させた。手術機材や使った薬、注射器は片付けないまま放置している。
「あと、一つ話がある」
ユージは顔だけ拓のほうを向け、言った。
「いい話か?」
「悪い話だな。もう、俺は転送機で来ることはできない」
この帰還でJOLJUから借りた転送機のエネルギーが切れるという物理的理由の他に、さすがのユージの細胞も小型転送機の力にもう耐えられない、というのが理由だ。
通常、JOLJUの作った転送機システムは、世界各国に設置された転送機間を移動するもので、この小型携帯転送機によるテレポートはそれら備え付けの転送機より人体細胞に負担がかかる。普通の人間は一日一度、中距離(それでも半径1万kmだが)しかできない。
例外はサクラとユージだけだが、それでもユージはこの24時間の間に米国→日本→紫ノ上島→米国……この往復を何度もやっている。ユージもこの三日間ちゃんと休みらしい休みをとっておらず、さらに異常な回数のテレポートで移動してきた。戦闘に手術といった大仕事を続けていて常人ならとっくに疲労で倒れている。ユージだからこそ今も動けているのだが、すでに頭痛や神経痛という形で身体は危険信号を送っているし、これ以上のテレポートは命に関わるとJOLJUから警告されている。
拓もそのことは分かっている。
「すまないな。お前に迷惑ばかりかけて」
「気にするな。今回の事件の報告書全てを俺の代わりに書くことでチャラにする」
「……それは……今日聞くニュースで一番ヘビーだ」
拓は露骨に嫌な顔になった。今回の事件の規模とユージの活動範囲を考えれば報告書の提出先はFBI、ホワイトハウス、国防総省、日本政府、警察庁諸々……どれだけの量になるのか見当もつかない。
「どうせお前、リハビリが一ヶ月あるんだからいい暇つぶしだろ? もう行って大丈夫なんだな」
「天才外科医が手当てしてくれたんだ。もうこの傷は問題ないさ」
「それもそうだ」
ユージは笑わず頷く。それを見て拓は苦笑した。
そういいあっているうちに、ユージの体から細かい粒子のような光が発生し始めた。転送機が動き出したのだ。
「こっちは心配するな。お前は、お前の仕事をしてくれ」
拓の言葉に、ユージは答えなかった。そんなことは言われるまでもない。
そのことを言葉に出して答えなければならないほど、二人の認識にズレてはいない。
組織の意図にほぼ辿りついた以上、ユージにとっての事件はこの島ではない。この島は拓に任せればいい。ユージはもっと大きな敵と戦わなければならない。
ユージの体はすぐに光り輝き始める。
全身が光に包まれる直前、ユージは僅かに振り返った。
「サタンを絶対殺すな。奴が本当の最後の切札になる。奴を五体満足で捕らえろ」
拓は頷いた。これは拓だけではない、サクラや仲間たちにも徹底させなければならない。とはいえ、IQ150以上もあり戦闘力も高い男を戦闘で殺さず、殺されずに捕らえることは至難の道だが、事件の全貌が見えた以上、それが拓に課せられた事件解決のための絶対条件なのだ。
「捕まえたら、連絡する」
拓がそう言ったと同時に、ユージは完全に光に包まれ、次の瞬間、光の四散と共に完全に消えた。
そして残された部屋には……使い捨てられた手術道具と共に静かに虚空を見ている拓と涼だけが残っていた。
2
紫ノ上島 <新・煉獄> 午前2時00分
「ええかーっ! 皆の衆っ!」
<新・煉獄>前の道路に、生き残った参加者たちは集められていた。
彼らを前に、バットを持った飛鳥が高々と宣言する。
「これより我々は修羅に入るっ! 仏と会えば仏を斬り! 鬼とあえば鬼をぶん殴る! <死神>も狂人鬼も、問答無用にぶっ飛ばせ! それが我らのディステニィー! 自分たちが生き残るため、我らはこれより修羅になるンやぁぁーーっ!!」
「……お……おう……」
ハイ・テンションな飛鳥とは対極に、全員白けた様子だ。それでも一応、半分くらいは同じように拳を上げてくれた。
「なんかどこかで聞いたセリフ……」
と宮村が呟く。
「ついでに言えばdestinyじゃなくて、この場合はfateが正しい」
宮村、片山、田村、岩崎、そして宮村を除いた三人と面識のあった後発参加予定のタレントの佐々木稔(27歳)の五人は、一団から離れた場所で勇ましくボケる飛鳥を生温かく見守っていた。
「ずいぶん濃い子だけど、あの子新人芸人?」と、普通にリアクションしたのは佐々木だ。
「飛鳥ちゃん、元気ねぇ……あの子、別にサクラちゃんがいなくてもあのキャラなのね」
そういったのは田村だ。
飛鳥は<新・煉獄>に戻ってからしばらく元気がなく黙っていたが、15分くらい経過したとき、「腹へった」と言うと非常食を貪る様にかっ込み、コーラで流し込み食べ終わったときにはいつもの飛鳥に戻っていた。
「状況は変った! 拓ちんが帰ってくるまでは全員戦闘態勢や!」
飛鳥は力強く宣言し、今動くことが出来る生存者を全員集め、自分たちの状況を改めて教え、生きるために戦うことを徹底させよう、と提案した。
その提案に片山たちは即諾しなかった。戦闘未経験の人間にいきなり戦えといってもすぐに覚悟ができるものではないし、攻撃を受けた時の二次感染の危険も大きい。抗体薬の投与はうけているが、試薬で完全なワクチンではなく、実情を知らない彼らにとってどこまで効果があるかは分からない。拓が戦闘者を選別したのはそういう理由からだ。少なくとも、最初からの参加者は数度の戦闘を経験し、銃器の扱いも慣れるというほどではないにしても扱いは覚えた。
「銃はうちらだけ。あとの皆は鉄パイブやバット。それでええんちゃうんかい」
この飛鳥の意見で一同、ようやくその方針で行くことに踏み切った。島の娯楽用だったのか、金属バットは東館の広場の倉庫に何本かあった。そのうちの一本は飛鳥が愛称をつけて持ち歩いている。なんだかんだ言っても<殺しはしない>が飛鳥のポリシーだ。
そして全員集められて、まず最初に代表として口火をきったのが飛鳥の真面目ともボケともわからない宣言である。
しかも、肝心の飛鳥はというと、自分の宣言が終わるとさっさと<新・煉獄>の方に帰って行く。
途中で振り返り「片山さん、田村さん、あとヨロシク♪ うち、ヤボ用」と一言言い残し去っていった。飛鳥は率先してリーダーとなり皆を引っ張っていく気はないらしい。
片山たちは顔を見合わせ……結局片山と田村、岩崎の三人がこの後どうやるかを説明するため残り、未成年の宮村は飛鳥の後を追った。
「ま……考えてみれば……若い子たちをリーダーにしなきゃいかんっていうのも大人として情けない話ですからねぇ。30歳以上の成人としては本来の役目を果たさんといかんでしょう」
岩崎はそう苦笑し片山を見た。その言葉に片山、田村の二人も苦笑せざるを得ない。
拓ですら29歳だからギリギリ【30歳未満未成人】、サクラにいたっては10歳で普通は論外だ。
しかし、彼らの存在がなくなって改めて思い直せば、これまでこの島のゲームで存在感を示してきたのは若者ばかりだ。飛鳥、涼、宮村はまだ10代の少女たちで、敵である村田や篠原は20歳前半。今は戦力にならないが修羅場を経験したのは大森、樺山、三浦、<こんぴら>……彼らは20代だ。
「かくて老兵のみが残る、ですなぁ」
「あら、私はまだそんな歳ではないですわ」と田村が苦笑する。
「俺もだよ。しかし俺たちはギリギリ岩崎さんのいう【成人】だからねぇ」
そう答えた34歳の片山は、動揺し困惑する生存者たちを見た。
俺たちだけで何とかしないと、あまりにみっともないではないか。
「それでいくと、僕は未成人ですから……」
佐々木稔が苦笑した。一同小さく噴きだす。片山は、「逃がさないよ佐々木クン」とぐっと佐々木を掴んだ。
米国人の拓やサクラは知らなかったが、後発参加者のタレントの中で、この佐々木稔だけは<新戦闘可能要員>として片山たちが引っ張り込んできた。彼は細身でまだ幼さの残る優しい顔立ちだが、元ボクシング選手・現在肉体系キャラの雛壇コメディアン……という経歴の持ち主で、体を張った海外ロケなど多くこなし、白兵戦闘力は高い。そしてこの島で起きている事件を冷静に受け止めるだけの知力と適応力も持っていた。本人も戦闘者になることを承諾した。
その時、住宅地のほうから聞きなれてしまった狂人鬼の奇声と犬の声が聞こえてきた。
もう彼らも馴れてしまった。このくらいで一々反応しない。
どういう訳か、今のところこの<新・煉獄>エリアの方には狂人鬼も狂犬も近くまでは来ても侵入してこない。サタンが『ここは安全です』と言い切っていた事を考えて何かしら細工がされているのか、拓とサクラが何か仕込んだかは分からないが、今のところここが襲撃されることはない。
もっとも……根拠のない偶然の可能性も大きい。安心して胡坐をかいていては足元をすくわれる事は確実だ。
「あのゲスの村田の野郎が黙ってファイナル・ゲームまで大人しくしているものか。きっと何かしてくるだろうさ」
ファイナル・ゲームはこのゲーム終了間近だとサタンは宣言していた。後10時間はある。それまで、ただ狂人鬼や狂犬を放って終わり……というのは考えづらい。片山の言葉は推測ではなく、全員確信を持っていた。
同時刻 <新・煉獄>
宮村が飛鳥を<新・煉獄>の一階の部屋で見つけた。
飛鳥はサクラのデニムの上着とジーパンを広げ、その前に座っていた。宮村が入ってくると、すぐに振り向き「おう! どないしたん? ミヤムー?」といつもの調子で笑みを浮かべている。
宮村は黙って飛鳥の横に座ったのを飛鳥は確認してから、得意げに今自分がやろうとしている行動を話し出した。
「あのクソガキのアイテム発掘や♪」
「ただのデニムの上下じゃ?」
「と……普通の人は思っておりますが……実はアヤツのアイテムは何から何まで特別なんや♪ さて、どんな秘密があるかミヤムーは分かるかい?」
「そういえば、サクラちゃんヘンな事言っていたわね。『すぐに乾くから』って」
そう言いながら宮村はサクラの上着を触り、眼を見開いた。もうほとんど乾いているのだ。水をたっぷり吸ったデニム生地が、二時間そこらで乾くはずが無い。
不思議そうに何度も触るが、満遍なく乾いている。しかし触感は普通の厚手のデニムだ。
「では手品や♪」
飛鳥は得意げにサクラの上着のポケットからサクラの小型ナイフを取り出すと、宮村にわざと見せ付けるように広げ、ナイフを押し当てしっかり引いた。だがデニムは一本の繊維も切る事はできなかった。
「え!? この服……防刃なの!?」
飛鳥は得意げに頷きながら、シャッシャッとナイフで上着を撫でる。しかしどこも切れない。飛鳥はサクラの上着を掴み上げ広げてみせた。
「強く切れば切れるけど、防御力は相当あるねん。ついでに伸びるしな。確か火にも寒さにも強かったはずやで」
そういうと、飛鳥は上着を宮村に渡した。『着ろ』という意味だと理解した宮村は、さっそく着ていたウールの上着を脱ぎ、試しに袖を通してみた。
驚いたことに、着れた。
宮村は胸が大きいので腕はともかく胴は無理だと思ったが、飛鳥が言うとおりひっぱればソフトデニムのように伸び、ちゃんとボタンを絞めても動きは窮屈ではない。
「ムム……胸が強調されてなんかエロいな……うへへ♪」と、まるでエロ中年のような事を飛鳥は呟くと、今度はちゃんと説明を続けた。
「サクラ、ヘンな癖ってなー。あいつ、下着以外はみんなダブダブの大人用の服を着とるんや。袖もズボンも精一杯折り曲げとるし腰は思いっきりベルトで絞めとる。やから……ベルト以外は普通体型なら大人でも着れるんや」
サイズは米国サイズのSだから、日本だとMサイズに近いだろう。飛鳥も着たことがある。しかし今飛鳥はバリアーを持っているのでこの強化服は必要ない。
「た……確かに変な子ね。今更だけど」
「ついでに同じデザインの服しか着いひんからなぁ~ あいつ、これとほとんど同じデザインの上着、11着持っとるし。あいつはアニメのキャラかい! 衣装かいっ!」
「本当に……ヘンな子ね」
他にも服あるわいっ! ……と、この場にサクラがいれば猛抗議しただろうが、基本的には飛鳥の言うとおりこの格好がベーシック・スタイルである。
「後でズボンも試してみたら? この服やったら、とりあえず狂人鬼や狂犬が引掻いたり浅く掴まれるくらいなら防御してくれるはずや。……で、これからが本題! あいつの手荷物大公開!」
一分後……。
二人の前には色々なアイテムがびっしり並べられていた。
ハンカチ2枚、バンダナ1枚、ポケットテッシュ1つ、ポケット・ウェットテッシュ1つ、綿棒9本、瞬間接着剤、ライター1つずつ、アルコール綿14個、ロープ1巻、スイスアーミー・ナイフ、小型ナイフ、大型ナイフ、現金(円、ドル、ユーロ)、家族クレジットカード、ハンドタオル、メモ紙とボールペン、飴8個、各種ポイントカード、塩の小袋4つ、ビーフジャーキー3袋、酢昆布2つ、ミニチョコ6つ、小さい水の入った水筒。
そして……。
紫ノ上島の公式地図1枚、サクラ作成の地下エリア地図、小型LEDライト、38口径の弾14発、357マグナム9発、9ミリ12発、45口径3発、12ゲージ散弾弾3発。S&W M13一丁、グロック19一丁、サクラの携帯電話端末1つ、小型電子機器1つ、プラスチック拘束具4つ、小型爆発物1つ……。
「な…… なんでこんなに入っているの?」
「あいつは財布も持ち歩かへんからなぁ……しかし意外に女の子らしいもの持っとる」
飛鳥はサクラが女の子らしい白とピンクのハンカチを持っている事に驚いていたが、むろん宮村の驚きは別だ。これだけの量が、全てサクラのズボンに取り付けられた携帯灰皿のようなポーチの中から出てきたのだ。どう考えてもA4サイズのバッグ以上の量がある。
しかもさらに驚くべきことに、飛鳥の様子ではまだ中に何かあるらしい。
「あかん……二重構造になっとってもう一層は開き方がワカランわ」
そっちはサクラのプライバシー・エリアか重要品エリアか、開け口の構造が手探りではさっぱりわからず、しばらく頑張ったが結局飛鳥は諦めた。
「小型核爆弾くらいは入ってるかと思ったけど……しかしこれだけあれば……」
「どうなってンの!? そのポーチ!!」
そのツッコミ待っていました! とばかりに飛鳥は満足そうに頷く。
「これぞサクラの粗密四次元ポケットや!! NASA極秘開発の国家秘密! フフフ♪」
「飛鳥ちゃんのヘンな手袋といいバリアーといい、なんなのそれ」
「メイド・イン・うーぱーるーぱー犬もどきや♪」
これもJOLJUのスーパー・アイテムでもちろんNASAは関係がない。しかしJOLJUの話やJOLJUアイテムは一般人には言えないから飛鳥もこれ以上は説明できない。しかし自慢はしたいので顔だけは得意顔だ。
飛鳥に負けないくらい好奇心が強い宮村は今この瞬間に限れば島のことよりサクラや飛鳥の秘密について聞きたくてしょうがなくなった。しかもサクラや拓と違い飛鳥であれば簡単に誘導して聞けそうだ。(飛鳥も内心では喋りたくてうずうずしているのがありありと分かる)しかし、話を聞けばサタンたちより怖いことが起きそうなので、ギリギリのところで宮村は我慢した。そして予想と違い秘密暴露ができず飛鳥は少しだけガッカリした。
「武器は……使うとして、ウチが探しとったんはコイツとコイツやな」
そういうと取り出したのは携帯電話と小型電子機器だ。
携帯電話はサクラが何度か使っていて宮村も分かる。
「しかし問題があるねん。この携帯電話、生体認識セキュリティーがあって、アイツかユージさんしか使えへん。もっとも……暗証コード打ち込めば準登録者は使える」
「つまり飛鳥ちゃんや拓さんは暗証コードを打てば使えるって事ね」
「そして、暗証コードは忘れた」
さらりと絶望的な事実を答える飛鳥。
「あとはこいつ。これは確かあのクソガキが、ウチらの手錠を解除しとった機械や」
「それも万能道具?」
「ううん。これはCIAの現場捜査官が使っとる電子装置や。これを使えば皆の腕輪が外せるンやけど……」
そういうと飛鳥は端末機の電源を入れて付属の金属製のスティックを取り出し、宮村が持っていた腕輪にある鍵に当てる。しかし操作法が分からないから動かない。
なんとなく、宮村は飛鳥が言いたいことを理解した。今の間に全員の腕輪を外そうという考えだ。
「飛鳥ちゃんの本当の目的はこいつね。でも使い方が分からない。サクラちゃんはCIA……じゃないよね、まさか」
「これはCIAの友達からチョロまかしてきたものやと思う。当然誰かはちと言えへん。サクラも最初は使い方ワカランかったけど、どうも途中から分かったみたいなんやなぁ」
その言葉で宮村は、思い出した。
最初に腕輪を外したのはサクラだったが、元々サクラの腕は細く、サクラは機械を使わずすり抜いて外した。その後飛鳥が外し、二日目の深夜……正しくは三日目の明け方前、<煉獄>を拓とサクラが襲撃したとき拓も外した。爆発と共に拓の信号が消え、一同動揺したから覚えている。
その後三日目の朝に涼を保護したとき涼の腕輪はなかった。サクラかサタンが外したのだろう。
「つまり……サクラちゃんがこの機械で腕輪を最初に外したのは日付が三日目になってから……多少前後はするけど、携帯電話が使えるようになった前後なのね!」
元々サクラは使い方が分からなかった。だから二日目の夜、サクラが飛鳥と第二研究所を見つけた頃はまだ飛鳥の腕輪は残り、そのため漠然とサクラの行動もサタンたちに把握されていた。二日目の午前2時、紫条家本館で対面したとき、まだ拓の腕輪は外されず、その後明け方前に外された。
つまり、その間にサクラはCIAの知人から連絡を受け、ようやく使えるようになった。
宮村がその推理を披露すると、飛鳥も「多分そう思う」と同意した。
しかしその時飛鳥は熟睡していてその時のことは知らない。ただし推理はできる。
相手はセシルだ。セシルは芸能人として来日していて忙しいし、セシルがCIAだということは重要国家機密でセシル自身強く警戒し軽挙な行動はとらない。よほど切羽詰らない限りセシルは電話では連絡してこない。これまでも必ずユージを入れてワン・クッション置いたし、数時間前の電話はユージと連絡がとれず、しかも上司から緊急性あって任務だったから電話してきた。しかし三日目にサクラに連絡してきたときはまだ事件はこれほど緊迫しておらず、まだ私的な用事の範囲だ。
「じゃあ、電話じゃなくてメール……してきたって事じゃない? そうすると……そっか。
そのデーターはサクラちゃんの携帯電話を見ることが出来れば解除コードがわかる!」
「おおっ! やっぱミヤムーもそう思うか!」
「面白いジャン♪ つまり、サクラちゃんの思考を読め、て事ね」
宮村は目を輝かせ、楽しそうにサクラの携帯電話を取った。見る限り、普通の携帯電話だ。元高校生クイズ王……謎解きや推理こそ宮村の本領発揮の場だ。
サクラの性格は把握している。
「何桁の暗証なの? 何回までミスできるのかしら」
「んーー、確か6ケタや。生年月日じゃないで。ミスは覚えてへんけど基本ミスはあんまできんかなぁ~ ……確か拓ちんがこの携帯借りて使っていたからなぁ……」
「なるほど。じゃあ……もうひとつの手もあるかも」
「なんや?」
「どこかでこの4日間のデーターが録画されているなら、その現場が映っていればヒントになるかも! 拡大して大体の指の動きで…………」
そう言って頭を振った。録画データーは恐らくあるが、それはサタンたちが持っているはずだ。それを手に入れるのは現状では無理に等しい。第一それならば、まだ今地下のどこかにいる拓を見つけるほうが早い。しかしそれも出来ない。腕輪をつけた人間が探しに行けば、拓たちの場所にサタンたちを案内することになる。
「皆に相談するか」
飛鳥は携帯電話と電子機器を残し、日常品とサクラ愛用のS&W M13だけは元のポーチに戻し、他は別のバックにまとめた。
「イヤよ。折角こんな面白そうな事みんなに言っちゃ。それに携帯電話が使える有無は皆が混乱するだけ。こういう頭脳問題は船頭がたくさんいちゃ駄目」
前半が本音、後半に正論を言う宮村。
「サクラちゃん、プライバシーには煩い子じゃない? 皆にバレると拙いンじゃないの?」
「それは……そうやな」
この島で死ぬ気はさらさらない飛鳥は頷く。もっとも……ポーチの私物を出しただけでもこの場にサクラがいれば怒髪天を突くが如く猛抗議しただろう。そのくらいサクラは自分の事には煩く後が怖い。そしてCIAのコードを多くの人間が知ったとなればセシルも怒るだろう。それはさすがに鋼の神経の飛鳥でも困る。
「情報が情報だけに、ウチとミヤムーだけで解決せなあかんな」
「そうね♪ ふふふ……でもサクラちゃんは、ああみえて知ってしまうと分かりやすい子だから……そんなに時間はかからないと思うわ」
宮村の目が活き活きと輝きだす。その様子を見て、飛鳥は少しだけ「この状況下なのにすごい神経や」と呆れた。飛鳥がそれを言う資格はないだろうが。
トリイステーション 特別室 午前2時10分
「?」
廊下にいた女性兵士が立ち去っていった。
(休憩時間? トイレにでも行ったのかな)
サクラはのんびり欠伸をして目線をテレビに戻した。今はまた別のバラエティ番組を見ている。
サクラは暇を持て余していた。
まだ保護されて一時間ちょっと。暇を感じるほどの時間は経過していないが、いつでも何があっても動けるよう身構えていなければならない。サクラの徹夜は三日目になる。起きているうちは覚醒しているから眠気もなく問題はないが、この状態で一度でも脳が睡眠モードに入れば、いくらサクラの強靭な意志をもってしても半日くらいは寝てしまうだろう。だから普通なら仮眠するところだが、それもできない。
「お菓子、おかわりとかできるのかな」
せめて何か食べていれば暇も潰せるが……。
だがそれも危ない橋だ、とサクラは思った。普通に考えて、10歳の子供はこんな深夜まで起きていない。危険エリアから保護されてきて、しかも深夜なのに眠れないなど言おうものなら、サクラは精神安定剤を飲まされ(子供用の薬の量などサクラには効かないが)、それでも寝てないとなればPTSDだと判断され、カウンセラー監視の下しっかり見張られることになるだろう。
……でも、こんなのそんなには我慢も出来ないぞ……。
ユージはそのうちに本土に戻るはずだ。その時はすぐにサクラの現状を知るはずだから、手を打つはずだ。
(……最悪それまでの辛抱。でもそれをオーバーするくらいなら脱走も……)
サクラの力ならいくら米軍基地といっても一般人を保護するくらいの施設のセキュリティーなら掻い潜り脱走することは容易だ。保護者のユージには迷惑をかけるだろうが背に腹は変えられない。
その時だった。
「?」
サクラは見知った気配を感じ、顔を上げた。その表情は喜びではなく困惑だった。
「まさか……」と呟き立ち上がったとき、ドアが叩かれ、その人物がサクラの目に飛び込んできた。
最高の絹糸をまとめたような滑らか艶やかな長い金髪、そして最上級の織られた絹生地のような艶と抜けるような白い肌を持つ絶世の美少女がそこにいた。
「エダぁっ!?」
サクラは驚きのあまり叫ぶ。絶対に現われるとは思っていなかった人物だ。そしてすぐにセシルの言っていた『気が進まないけど唯一打てる手』という言葉を理解した。
エダ=ファーロング。サクラにとって法的には義理の姉になる。
エダは普段は大学生だが、ユージとの関係上政府機関や裏世界にも顔が利き、いざとなれば無理押しもできるし知識も戦闘力もある。確かに考えてみれば、この現状を救い出してくれる最良の適任者は法的にもサクラの保護者であるエダしかいない。
「ごめんねサクラ。できるだけ早く来たつもりだけど」
セシルから話を聞いたエダは、ユージ同様、JOLJUの携帯転送機でNYから沖縄に飛んできたのだ。
実はエダも事件のことは知ってはいた。ユージから聞かされていた。
だが彼女が事件に首を突っ込めば、ユージ他皆が困ることを知っている。だから求められるまで、もしくはエダ自身が「もう後がない」と判断するまでは動かない、と決めていた。そういう待つ事、不安に耐えるジレンマは何度も経験して耐性になっている。そしてついにセシルから連絡が来た。
エダはユージだけでなく拓、サクラ、そしてセシルや飛鳥にとって心の安定をくれる大切な存在で、全員にとって母であり、王女であり、天使だ。全員【エダだけは事件に巻き込まない】という暗黙の強い掟を持っている。
そんな絶対的ヒロインのエダだが、彼女自身は他人に守られなければならないほど弱くなく、聡明さはユージや拓たちと変らない。戦闘力もセシルとほぼ変らないだろう。
もっとも、誰もがため息をつくしかないほど博愛平和主義で争いは好まない。多分エダなら村田ですら強く同情し彼を救おうとするだろう。エダは皆が守っているようでいて、いざとなれば一番発言力があるのだ。それほど皆から愛されている。サクラがこの世で唯一尊敬し無邪気に愛している女性、それがエダ=ファーロングなのだ。
「なんでエダがここに来るの!?」
サクラは頭では理解できても感情面での混乱があり、思わずやってきたエダの元に駆け寄った。そして言葉とは裏腹に、二人は強く抱擁しあった。
エダがただ感情で飛び出してくることは考えられない。JOLJUや、ユージの上司であり理解者のNY・FBI支局長コールと連絡を取り合い、ちゃんと根回しをしてここに来ただろう。
「大丈夫。話は聞いているから、あたしに任せて。……セシルを責めちゃダメだよ?」
「分かってる」
サクラは苦笑した。絶対この事をユージや拓が知れば理不尽に怒るだろうが、今ここには二人はいない。素直に自由になれる事に喜ぶことにした。この点、サクラは絶対の信頼をもち、確信し疑わなかった。
こうして、サクラは自由を再び手にすることになる。
25/夜明け前に 1
東京 台場公園 午前2時15分
さすがの東京お台場も、深夜2時を過ぎれば人の気配は少なく、都心部のネオンだけが眩しく海面に反射している。
ユージが転送で戻る場所にこの場所を選んだのは人目が無い事と、移動のし易さ、そして見つけてもらい易さのためだ。
さすがはプロだ。相手はすぐにユージを見つけ、車のライトで報せてきた。
「すみません、寒い中。早く乗ってください」
数時間前ユージが政府から借りた公用車に乗って迎えにきたのはセシルだ。ユージはバッグを後部座席に投げ込み、上着を脱いで助手席に滑り込んだ。
「こっちこそすまない。助かるよ」
助手席に座りながらショルダーホルスターを外す。すかさず運転席のセシルが封の開かれていない新品のワイシャツと銃と弾の入った鞄を手渡した。沖縄にある紫ノ上島はともかく本土でTシャツにスーツでは少し寒い。
ユージが着替える間に、セシルは自分が知っている情報を全て説明した。
「すみません……まさかCIA側がユージさんたちの足を引っ張るなんて」
「別にセシルのせいじゃない。気にしなくていい」
「あの……エダさんの事も……」
サクラの救出劇と、セシルが打ったエダへの件も伝える。セシルにとってもエダを巻き込むことは本位ではなく、これがユージの逆鱗であることも知っている。
僅かにユージの表情が強張りセシルは表情を曇らせたが、すぐにいつものユージに戻った。
「エダ自身が決めたんだ。セシルのせいじゃない。それに、最良の手だ」
ユージもその点は素直に認めた。JOLJUが転送機を貸す相手は限られていて、この点に関しては、JOLJUは妥協しない。何より捜査戦略的にも法的な面でもユージはトリイステーションには行けず、所属上セシルも行けない。サクラの事情を知っていて、かつサクラとも協同できる聡明さを持つ人間はエダ以外にいない。
「サクラはエダに任せよう。俺は捜査を続ける」
ユージがあえてそう心の言葉を口にしたのは、セシルの気持ちを和らげるためだ。セシルがエダを巻き込んだ本人として、一番後ろめたさを感じていたからだ。
「じゃあ、今から俺の口述をメールでアレックスに」
「はい」
セシルはすぐに後部座席からノートPCを取り出した。セシルは基本現場諜報員だが、分析官の仕事もできる。
そこでユージはバッグから銃器を取り扱いながら、紫条家地下で拓と一緒に推理した強毒性変異狂犬病ワクチンと村田について語りだす。その内容にセシルは驚いていたが、口述調書作成中だから表面的には黙々と事務的に作業している。
ユージは44マグナム弾を補給し、涼に渡してしまったHK USPコンパクトの代わりにセシルが用意したSIG P229を取りチェックしている。予備弾装が3つ。他にサイレンサー搭載したS&W M&P9ミリを掴む。これからは装備の補充がいつできるか分からない。それらを取り出し装備し終えたとき、丁度ユージの口述も終わった。口述は科学用語や医療擁護の混じっていてセシルでも知らない用語があったが、アレックスは理解できるだろう。
「セシル。君はもうホテルに戻れ。後はFBIだけでやる」
「そんな……無茶ですよ!」
FBIだけ……というが、今東京に残っていて活動できる捜査官はユージだけだ。
ユージの言いたい事は、セシルには分かっている。セシルは超法規的なSAAにも所属しているが本業はCIAだ。これ以上肩入れすることは今後CIA局内で彼女の立場を悪くしかねない。セシルは正規職員だが末端職員でユージやアレックスのように強固な地盤があるわけではない。
「やらせて下さい! 私は大丈夫ですから!」
「ホテルまで俺を送る、それで君は休むんだ」
「休みません! 休めませんよ! こんな大事件が起きているのに!」
セシルは珍しく言葉を強めた。
「友達が危険の只中にあって、尊敬している人が必死になっているのに寝ていられません! 私を家族みたいに思ってくれているなら、最後までやらせて下さい」
「…………」
ユージは目尻を押さえる。
「どいつもこいつも……」
……エダといい……。
……サクラといい……。
……セシルといい……。
……あの高遠涼といい……。
「どうして女の子はヘンなところで強情なんだ? ……泣き落としが一番男には堪える」
「す……すみません」
「JOLJUの馬鹿はどこだ? 君と一緒だったはずだが」
「エダさんの件があったのでNYに行って、それから多分DCに行くと言っていました」
「……そうか……」
CIAの方針転換に対して、普通の政治工作ではどうやっても数時間では手が打てない。しかし唯一超法規的に事態を逆転させることがユージたちにはできる。JOLJUを動かし、大統領と直接政治交渉し超法規的特例を出させることだ。これはよほどの状況でかつ困難なことで過去一度か二度しか成功していない。JOLJUはユージやサクラのサポートをするくらいはなんともないが、自分自身が表に出る行為の点に限ってはきっちり自重する。動かすにはJOLJU本人が納得しなければ出来ず、基本的にユージやサクラが頼んでもJOLJUはすんなり動かない。もっとも、エダだけは特別扱いでJOLJUの自重が緩む。セシルの打った手は、ここまで計算されていた。
……なら、完全に封殺されたワケではないか……。
さすがに全面的協力関係にまで好転はしないだろう。エダの行為を不問にする、ユージたちが活動しやすい環境を作るよう要請する……今回の事件規模を考えれば、そのくらいがJOLJUの自発的な協力の限度だろう。これが地球爆発とか巨大隕石接近とか核戦争ならまた事情は変わるが。
そういう点は、JOLJUと一番付き合いが長く縁の深いユージが一番よく分かっている。
ようやく本土側の動きと、これからの捜査方針がユージの中で固まった。
「車を出してくれ。ホテルに向かうんだ」
その言葉に、セシルは顔をふせたが、次の言葉でセシルの心は一変する。
「現場に戻ろう。羽山のいたホテルだ。痕跡は絶対あるはずだ」
「は、はい!」
セシルの顔に笑みが戻った。ユージは渋面で目を閉じた。
「到着まで寝かせてくれ」
「はい」
ユージは目を閉じた。そしてほんの僅かな時間だが、熟睡した。
紫ノ上島 <新・煉獄> 午前2時25分。
参加者たちは、群がり、次々と運営が用意した腕輪を取り外していく。宮村がセシルの電子機器を使い解放しているのだ。その様子を微妙な表情で飛鳥は見ていた。
「恐るべき。さすがはクイズ王少女やな」
やれやれ、と飛鳥の目線は手の中にあるサクラの携帯電話を見た。
携帯電話は機能が回復し、画面にはセシルがサクラに送ったメールが映し出されている。文章は英語で飛鳥は読めないが、宮村と田村が読み取り、念のため書き写して、さらに念のため英語の堪能なADにも確認させた。そして正確に電子機器の操作法が解った。
「馬鹿となんとかは紙一重というけど……」
10分前……。
ついに宮村がサクラの暗証コードを言い当てた。暗証コードは『000001』、なんとも単純なものだった。だがそれも宮村に言わせればサクラの性格を考えれば当然だという。
「このサクラちゃんの携帯の生体認識は完璧、絶対にエラーもハッキングも無理なんだよね? 指とか指紋とかコピーとか、スーパーコンピューターとか使っても、何しても絶対無理なんだよね?」
「無理や。あのうーぱーるーぱー犬もどきが作ったモンやからな」
「よく分からないけど、それだけ断言できるんなら、答えは解るわ! 多分、『100000』か『000001』だと思う」
「なんやって? ンな子供のような暗号!?」
「私がここ数日見てきた限りだけど、サクラちゃん、知力が高くてかなり合理的。理性が強くて計算も好き。だけどあんまり真面目なタイプじゃないし勤勉ではない……サクラちゃんの口から自分の事を話すところ見たことがないし、昨日と今日、私たちに色々今後の計画を説明する時も一方的で聞く側の事を考えてはいなかった。サクラちゃん、自分の親……ユージさんだっけ? 親の話をする時ですら私情や感情的なことは言わなかったし、第一親の名前すら自分からは口にしていない。サクラちゃんはとにかく自分のプライバシーは絶対言わない子。恥ずかしいとかじゃないわね、アレ。本当に自分の事中心なんだと思う」
「うむ。あやつは完璧な自己中や!」
「だけど、飛鳥ちゃんや捜査官には子供っぽいところ見せている……」
「うむ。あやつは事実ガキやからな」
ほとんど話は聞いていないだろうと、いい加減な相打ちを打つ飛鳥。もっとも宮村は自分の仮説に同意がほしいだけだからそれで問題ない。
「それくらい自分のプライバシーに煩い子。もし、この携帯が普通の携帯だったら、サクラちゃんの性格を考えたら暗証番号とか、6ケタどころか10ケタ以上……絶対語呂合わせとか生年月日とかは入力しないと思うけど」
「うむ。まぁそんなトコやなー」
「でもコレをサクラちゃん以外に使うとしたら飛鳥ちゃんや捜査官…… なら、難しい番号の並びにはしないと思う。暗記できないとダメでしょ?」
「それ、さりげにウチをディスってへん?」
「……そうじゃないけど……例えば、もし飛鳥ちゃんや捜査官に貸すとしたら……6桁の番号、間違えないようメモかなんかに渡す……とかになるでしょ? それは当然だよね、一回間違えてもロックがかかるかもしれないんでしょ? だけど、そのメモを書いてしまえば、万が一の万が一、誰かに見られる可能性もゼロじゃない。サクラちゃんならその僅かな危険の可能性にだって警戒しそう」
「なるほど。おお、ウチにも分かってきたで!」
「サクラちゃんなら、こんなに完璧なセキュリティーがあるんなら、それ以上面倒な暗証番号はいらないし、本来必要ない。これを作った人も、規格として暗証番号を入れただけじゃない? サクラちゃんもそれを知っている。なら、普通に考えれば携帯とかの暗証番号初期設定は『000000』。だけど、それだとさすがに合理主義のサクラちゃんはすっきりしない。だから簡単に『1』を一回だけ押すことにした! どう?」
「ん……まぁ……ちょっと違うトコもあるけど、概ね合うとる」
違うトコ……はサクラのことではなく製造者のJOLJUのことだ。JOLJUはメーカーではないから規格とか初期設定はない。だがそれは今関係ない。
そういえば、サクラが昨日深夜、拓や涼、宮村と会い事件について話し合ったときに紫条家本館4階の扉の暗証番号は『1212』にしたのを飛鳥は思い出した。そして宮村にここまで解説してもらうとサクラの癖も思い出す。サクラは『1』が好きだ。
サクラは、拓はともかく飛鳥の記憶力には期待していない。そんな飛鳥に使わせて、かつ入力間違いの確率が低いのは頭に『1』をつけるより末に『1』のほうだ。頭だと間違えて5桁だったり7桁打つ危険がゼロではない。だが末が『1』なら、粗雑な飛鳥でも、ちゃんとゼロを数えながら打つから危険は少ない。
こうして最終的に『00001』だと見当をつけ、試してみると本当にその通りだった。
飛鳥は一息つきサクラの携帯電話をポケットにしまった。
サクラの携帯は多機能なのだが、さすがに第三者である飛鳥や拓が使える機能は限られていて電話機能とメール機能、サクラの自宅セキュリティー、後はインターネットとテレビ、フリーゲームくらいだ。それ以上の機能は使えない。アドレスなどの記憶機能もあるのだが、自宅と飛鳥の家の番号、NYFBI支局のユージのオフィスしか登録していなかった。サクラは、知人は多くても友人は少なく、頻繁に電話をするタイプではない。そしてサクラの知力なら一度知った電話番号は数百だろうが記憶できる。
「一先ずコレでええとして……問題はこれからどうするか、やなぁ」
全員に付けられていた腕輪はこれで外れる。これで島中にセットされたカメラに、自動捕捉されることはなくなった。もっとも、手動での監視は行われるから、これは些細な抵抗でしかない。
もはやサクラの復活は望めない。拓が朝に復活してくるという話だが、撃たれ負傷した拓がどれほど動けるかは分からない。
まだ、サタンが用意したゲームは一つ残っている。これまでの事を考えると、ファイナル・ゲームはもっとも過酷なゲームにあるはずだ。だがサタンは、ファイナル・ゲームはゲーム終了間近であると宣言している。まだ後約7~9時間あるが、サタンたちが何もしてこないとは思えない。
「なんかやることがあるかなぁ……」
このまま狂人鬼や狂犬を相手に防衛しているだけで解決するのか…… 超楽観的な飛鳥ですら、その点が気になった。今のところ狂人鬼たちの襲撃は散漫的だが、それが本格的になった時自分たちは
どうなるか……。
武器はある。だが戦闘力があるといえる人間はいるだろうか?
「うちはこういう事考えるのは面倒なんやケドなぁ……」
飛鳥は何気にサクラの携帯電話を起動させ、テレビを点けてみる。サクラのものだからテレビも特別だ。この紫ノ上島にはテレビ電波は届いていないが、サクラの携帯テレビは日本の全テレビ局はもちろん、サクラの母国アメリカの番組、欧州の番組も映る。
飛鳥は日本の番組を選び意味もなくチャンネルを回していく。深夜2時半だが各局の深夜バラエティーが流れていた。
「世の中は暢気や。うちらがこんなに苦しんどるのに……」
その時だった。飛鳥は今更ながら当たり前のことに気付いた。
(……うちらの事件が問題化されてへんな……)
この紫ノ上島での番組は日Nテレビの企画で生放送番組ではない。だから未だ非公開なのは当然だ。とはいえこれほど大規模な事件が起きているのに、どこのテレビも勘付いていないようだ。
「報道の協定やろか」
飛鳥は再び番組を日Nテレビに変えた。丁度バラエティーの間のCMに入っていた。それを眺めていた飛鳥は、ふと微かな違和感を覚えた。すぐには気付かなかったが、再びバラエティー番組に戻り、そこにゲストとして最初に<死神>によって殺された神野が出てきたとき、飛鳥は違和感の正体に気付いた。
「番組宣伝や……」
この紫ノ上島企画は日Nテレビ開局記念特別番組の予定だった。この島に来るまであらゆる時間帯で、この紫ノ上島企画のCMが流れていた。
飛鳥はテレビを切り替え、インターネットをつけた。まず日Nテレビの公式HPにあった紫ノ上島企画のページに行ってみた。ホームページに変わりはない。番組収録日は非公開だから変化がないことはおかしくない。放映は年末特番予定で変わりはない。
だが、飛鳥はサクラにくっついていたので情報を色々知っている。この島とテレビ局との間の通信も途切れ、死者もかなりの数が出ている。日Nテレビそのものが加担しているとはいえ全員が関わっているわけではない。
インターネットの方も調べてみた。こちらの方は所々紫ノ上島で事故がおきているらしい事や、<サバイバル・デスゲーム>についての記事や投稿、呟きはあるが、真相に程遠いものばかりだった。しかし飛鳥は、ネット上での動きが、ちょっとした着火で一気に爆発炎上するという事を経験で知っている。飛鳥はネット上で活躍するネット探偵だ。
「思いついた! この手がある!」
そう。何もゲームを発信できるのはサタンたちだけではない。こっちからも発信してやればいいのではないか。
思い立つと早い。飛鳥はサクラの携帯電話を懐に入れると外に飛び出していった。
沖縄 午前2時35分
「さて。無事自由になったのはいいけど、さて……」
トリイ・ステーションから解放されたサクラは、夜空を見上げ呟いた。
その時、一台のタクシーがやってきてサクラとエダの前に止まる。エダが呼んでいたものだ。エダに促され、サクラもタクシーに乗った。
エダは日本語で運転手にホテルに向かうように告げた後、サクラに英語で言った。
「サクラは自由じゃないよ?」
「へ?」
サクラも会話を英語に切り替えた。
「どういう事? エダ」
「サクラは米軍に救出されたでしょ? ちゃんと調書を受けないと駄目だよ。米軍は仕事としてサクラを救出したんだもの」
「ん? あたし釈放されたジャン」
首を傾げるサクラに、エダは明るい笑みを浮かべて答えた。
「サクラは10歳の子供だから、保護者のあたしが引き取っただけ。一休みしたら、またここに戻って調書を受けて、事件を記録しないといけないよ。それが義務だもん」
「それじゃあ意味ないじゃん。それじゃ……」
抗議しようとするサクラを、エダはやんわりと制した。
「サクラは調書を受ける。だけどね、サクラ。サクラは子供なの」
「エダ! あたしは子供……」
「子供なの。……子供のサクラは、寝ないであの悲惨な島から生還した。徹夜して、疲れて、もうクタクタ……」
「?」
「普通に考えたら分かるよ。10歳の女の子が、死ぬ思いして寝ないで救出された。基地では緊張が残っていて眠れない……だから、あたしが迎えに来て……サクラは安心しちゃうの。そしてホテルで寝ちゃうの、たっぷり12時間は。そして起きて、落ち着いたら弁護士とカウンセセラーと保護者のユージ同席で調書作成が始まる。うん、それが正しいスタイルだね。……ユージは捜査中で東京にいるしアメリカの弁護士に依頼して呼ぶまで、結構時間はかかるんじゃないかな?」
「…………」
その瞬間、サクラはエダが使った作戦を正確に理解した。
サクラは保護者のエダに連れられホテルで眠る。12時間、たっぷりと……。
基本的人権と児童の人権に厳しい米国では、10歳の児童の主張は通らない。いくらサクラといえども、表向きその基本法の前ではどうにもできない。サクラのことは保護者の判断になる。この場合、ユージとエダしかいないがユージはここにはいない。政府関係者ではないエダが取れる唯一の有効な手段は、サクラを自分のところで保護することだった。
エダはその事を逆手に取ったのだ。
「そう。サクラは眠るの。12時間、誰にも邪魔されずに……ね」
「……エダ……」サクラもすぐにエダの意図を察した。
「そして、あたしも疲れたから寝ちゃう。うん、ホテルに戻ったらすぐに寝ちゃうよ。二人とも寝ちゃって、起きるのは12時間後」
寝ている事になっている12時間の間、サクラは自由に動ける……それがエダの狙いだった。米軍も、この事件を法律に従い処理した以上、同じく法律に則った権利を使ってサクラを休息させる保護者の判断を認めないわけにはいかない。そして普通の人間が考えた時、10歳の女の子がこのような大事件に巻き込まれ、救出されたのならば児童保護の法律の常識通り、性急な報告書作成より児童の安静を確定させるほうが優先順位は高い。14歳以下の児童だから、サクラが調書作成をできる状態かどうかの判断はサクラ自身ではなく保護者の判断になる。
最低12時間の自由……それがサクラに与えられた、最後の反撃のタイムリミットだ。だが12時間あれば、今日正午まで行われる紫ノ上島でのサタンたちとのゲーム終了まで十分だ。
サクラは改めてエダの聡明さと判断に感嘆した。こういう発想は、権力への力押しが出来て直線的に判断するサクラやユージにはすぐに浮かばなかった。
エダはそれ以上余計なことは語らず、微笑んだ。全てを理解したサクラは、ようやくいつもの自信に溢れた活気ある表情に戻った。
「あの……お客さん。ホテルでいいんですか?」
タクシーの運転手が、二人の会話が終わったと思い振り向き尋ねた。一応車はホテルに
向かってはいるが、ここは沖縄、タクシードライバーたちも英語がわかる人間もいる。二人の会話から、不安に思ったようだ。しかも今は深夜、二人とも歳は離れてはいるが少女で、基地から出てきたのだ。
「どうする? サクラ」
「ん……」
どうせホテルまで尾行されたりすることはないだろう。サクラとしては一刻も早く紫ノ上島に戻ることが先決だ。
エダは、とりあえずホテル方面に向かうよう運転手に頼んだ。途中で行き先が変るかもしれない、とちゃんと付け加えている。
「エダは転送機で来たの? JOLJU直接?」
「自宅の転送機。ごめん、JOLJUとは会えてないの」
「……なら転送機はなし。普通ならヘリだけど……」
いつもであればユージかセシルのコネで米軍関係者からヘリを都合してもらうことも出来るが、今回は二人ともその手段は封じられている。民間機を使う方法もあるが米国と違い民間人でヘリを持っている人間は少なく、飛行プランの提出と承認が必要だ。そんな時間はない。テレパシーでJOLJUに頼む方法もあるが、この現状でJOLJUがエダにくっついて来ていない事を考えると、JOLJUも手一杯なのだろう。恐らくJOLJUはエダの行為をもみ消す工作をしているはずだ。第一、すぐに紫ノ上島に戻り、万が一カメラに姿を捕らえられれば、救出作戦を実行した米軍の落ち度になり、トリイ・ステーションからサクラを連れ出したエダが問題になる。1、2時間の問題だろうが、JOLJUがエダのことについて政治的に解決させるまではその手は使えない。
(ホテルに着いた。エダは寝て、あたしが抜け出す。そして島に行く……このくらいの時間差とアリバイ工作は必要か)
ジレンマだが、そのくらいは手間をかけなければユージやエダに迷惑がかかる。場合によっては、JOLJUはホワイトハウスに行ったきり今日中は戻れないかもしれないからアテにはできない。
……だとすれば船しかないけど……。
ただし紫ノ上島まで距離が約150キロ。普通の船では時間がかかりすぎるし、燃料も持たない。
サクラの脳内で、いくつものパターンが生まれては消えていく。一番効率がよく、問題も起きず、早い方法は何か。
2分ほど……サクラは目を瞑り考えた。
そして、一つ思いついた。
「エダ……あの……さ。……お金、ある?」
さすがに政府の資金を使える連邦捜査官のユージたちと違いエダは個人で自腹になる。サクラもエダ相手には気を使う。
「クレジットカードが使えるなら大丈夫だよ」
それを聞くなり、サクラは運転手に日本語で言った。
「おっちゃん。24時間やっている、一番近くて大きいアウトドアショップに行って!」
「はいよ」
「エダ、携帯電話貸して。ちょっとネットで調べたいの。もしかして、もしかしたら……幸運の女神様が微笑んでくれたなら、うまくいくかもしんない」
エダの携帯電話もJOLJU製でサクラのものと同タイプだ。サクラとエダは家族なので生体セキュリティーも引っかからず制約もない。インターネットはもちろん、ハッキングして処理できるほどのスペックを持っている。そして、サクラ自身、普段はJOLJUがいるからやらないが、CIAの専門家に勝るとも劣らないハッカーのスキルを持っている。
サクラが探しているのは、港の使用についての申請と利用者の個人情報だ。
そして、サクラの希望通りの案件を見つけることに成功した。場所も沖縄本島で、ここからそう遠くない。
「さっすが♪ これもエダの御利益だね」
サクラは自分に幸運の女神が微笑み続けてくれていることに感謝した。いや、サクラというよりはエダがその幸運の女神様そのものだろう。エダは、サクラですら理論的説明ができないほどの、非常に強い強運を持っている。
「世の中うまく出来てるモンだ♪」
ここまで幸運がそろうと、エダの見えざる幸運の星に自分があやかっているとしか思えない。それほどサクラの思いついた作戦は強運が重ならなければ起きない偶然と偶然の産物だった。サクラは素直にその強運を受け入れ感謝しつつ最大限利用することにした。
「ちょっとだけ不幸な目にあう人も出るけど……。ま。あの島にいる皆よりかはマシだな」
そういうと、サクラの表情は悪戯を思いついた悪童のものに変った。少なくとも、この作戦で何人かはサクラに騙されることになるが死ぬことはない。人を騙す事に対して、サクラの良心は全く痛む事無く、後ろめたさは微塵もない。むしろこれから行う作戦で、いかに上手に演技して騙すか……サクラの関心と好奇心はそっちのほうに向いていた。
2
東京 午前3時00分
『君たちはどうやら最後の手段を取ったな。いいニュースだ。ついさっき、グアムとサイパンから専用ジェット機が東京に向かった。二時間から三時間で東京に到着するだろう』
「そりゃいい情報だ」
高級ホテルのロビー。羽山を見失ったホテルだ。セシルがホテル側と交渉している間にユージはアレックスから連絡を受けていた。
『CIAは手を引いた。君の特別捜査権は残ったままだ。司法省はまだ混乱があるが、マッケラン副局長が全面協力してくれる。俺や君が行動する分には問題ない。軍との調整はまだ取れていないが、当初君が言っていたヘリ、小型飛行機、船舶、特殊部隊1ユニットは、なんとかなると見ている。もっとも東京到着まで2時間はかかるだろう。捜査官として捜査に使えるのはFBIの捜査官だけだから、しばらくは君とシュタイナーの二人でやってもらうしかない。彼女の件はCIAも黙認するということだ』
アレックスの報告は、ここまではいつも通りだった。だがその後、彼は猛然と非難交じりの報告に変わった。
『特別法令Jの2の適用だ。話は早くなった代わりに俺の立場が面倒になった。どうしてくれる』
「2か……さすがに3じゃなかったな」
さらりとユージは呟いた。
特別法令Jとは、JOLJUによる政治介入の事を指している。
『何を暢気な! 特別条例Jは米国だけじゃない、ユーロやイギリス、ロシア、アジア、極東、全ての国の問題になるんだぞ!? 子供の草野球トーナメントに殿堂入りメジャーリーガーチームが飛び込んできたんだ! 試合が成立すると思っているのか!?』
「優勝確定でいいことじゃないか」
『お前はJOLJUを何だと思っている!? アレは特別なんだ。おかげで世界の各首脳たちに世界の危機どころか地球存続の危機だと思われているんだぞ!? 確かに今回の事件は許しがたい犯罪行為だがいくらなんでもやりすぎだ。バランスを考えろ!!』
『お前たちが巻き込んで上手く誘導しただけだ!!』
……まぁ、そうだな……。
と、ユージも心の中ではアレックスの主張を認めた。
JOLJUは基本、ただのクロベ家の居候で、サクラや飛鳥とつるんで遊んで暮らしているが、全世界公認の異星人の神である。JOLJUがその気になれば、地球自体消えて失くすことも容易なのだし、過去地球の科学力ではどうにもならない異星人からの侵略を簡単なアルバイトでもするかのようにあっさり解決させた事がある。そのため、世界中の首脳は基本的にJOLJUには逆らえないのだ。とはいえ、JOLJUは自他共に認める<元神様・今ニート>なので、その権限を使うことはほとんどない。ユージやサクラをサポートするといっても、ちゃんと自作PCを使い、自分が開発したアイテム……JOLJU的には幼稚園レベルの玩具を使うことはあるが、それでも原則その域を超えるものは出さない。今回の島の出来事も自身の能力では視ず、衛星カメラやゲーム画面、相手のカメラのジャックなどで基本的には直接視認した情報しか持っていない。地球で住むかぎり、人ができないような能力はできるだけ使わないようにしたいと宣言している。あくまで宣言なのでサクラや飛鳥やユージに踊らされたり騙されたりで時々その原則を忘れる時もあるが…… それはJOLJUの性格の問題である。
そのJOLJUが、自発的に交渉する……その時、その交渉はどの憲法や法律より優先される。それが<特別法令J>だ。過去、3度しか発動したことがない。
「あいつがホワイトハウスにいるならチャンスだ。もう少し環境良くなるよう根回ししたらいい。米軍の施設も使えるよう捻じ込めるな」
ユージはJOLJUとの縁が深いし、互いよく知っている仲だ。基本的にはユージのほうがJOLJUより立場は上なのだ。貸しも一杯ある。
そもそも……今回JOLJUが動いた本当の理由は、エダが巻き込まれ罰せられる危険があったから、とユージは見ている。ユージ以上にJOLJUはエダには弱い。そして、これは推測だが、ついにユージたちが<事件の真相>に辿りついたという事を認識したのでサポートする気になったのだろう。つまり今回の介入はJOLJUにとっては仕事としてではなく、あくまで「世話になっている家族をちょっとフォロー」というくらいの心情なのだ。つまり完全な私情だ。
そして、アレックスが怒るのはその事情が分かっているからだ。
そんな私情からの行為だと分かるからこそ、この処置が不合理な事も分かる。
『いいかクロベ! お前にとってJOLJUは家族かもしれんが、ホワイトハウスにとってアレは世界最高の絶対権力だ! 自覚してくれ!!』
「事件後本人に反省文書かせるよ」
ユージの返事はあくまで暢気だ。
アレックスはさらに何か言おうとしたが、言葉を飲み込んだ。代わりに大きくため息をつき、若干怒りを押さえた声で言った。
『これは俺の推測だ。先、お前は今回の強毒性変異狂犬病Ⅱ型とそのワクチンが村田であるという推論、そして人間自体がワクチン体である可能性があり、その人身売買が今度の事件で今後取引として行われるだろうという。JOLJUも当然それを見た。そしてJOLJUはホワイトハウスに行った。つまり、お前の推論は正しいということだな?』
「多分な」
『いいかクロベ。お前たちがやったことは、数学のテストで数式の証明を書かずに答えだけを記入したものだ。お前らは「答えは合っているからいいじゃないか」というだろうが、世の中は違う! 数学のテストで重要なのは答えと、そこに至る数式での証明だ。数式での証明をしなければならない! 分かるか! フェルマーの定理の解読に苦心している数学者に突然全知全能の神にいきなり方式もなく「正解はコレ」と言われたら、数学者の立場はどうなる!? 殺人事件が起きて容疑者を見つけた。神がやってきて「犯人は別」とだけ言われても捜査は困るだろう! 証拠、動機、証明! それらがないと裁判は出来ないし判決が出ない! それが人間社会のルールだ!』
「分かった。……俺がその方程式を作る。そう怒るな」
そう答えたとき、返送したセシルがホテルカウンターから戻ってくる。
「一つ確認させてくれアレックス」
『なんだ』
「まだこの件に、付き合ってくれるのか?」
しばらく、アレックスは沈黙した。
ユージにもアレックスの気持ちは分かるつもりだ。JOLJUが動くなら初めから動いてくれ、という気持ちはある。ユージやサクラはそのあたり割り切っているしJOLJUの心情も分かるからそこを気にしたりしないが、普通の人間なら馬鹿馬鹿しさを感じずにはいられないだろう。特に誇りをもって仕事をするタイプなら尚更だ。
『お前に頼めば、JOLJUは今回の事件をなかったことにしてくれるのか? そこまではしない。あくまで特別法令Jの段階2だ。決断はホワイトハウスが行うしその中間に誰か入らないといけないだろう、JOLJUとサクラを知る誰かが、だ! 残念だが今本土でその条件に該当する中間管理職以上の職権を持つ政府機関者は俺しかいない』
「そうなんだ。すまん」
『やるよ。この事件は俺の事件でもある。だがいいかクロベ。特別法令Jが発動した以上、俺からの要請にも対応するようJOLJUを説得しろ! お前しかアレに何か言える人間はいないんだからな!』
「分かった」
『また連絡する。貸しはでかいぞ』
そうアレックスは言い放ち電話を一方的に切った。ユージはしばらく自分の携帯電話を見つめ、そしてため息をついた。
「ユージさん? だ、大丈夫ですか?」
恐る恐るセシルは尋ねながらユージのFBIバッチを返した。ユージはそれを受け取り、携帯電話と一緒に懐に戻した。
「問題ない。ま……アレックスもあれだけ文句をいえばすっきりしただろう」
そう答えつつも、ユージの気分は微妙に重かった。アレックスが要請を出すとすれば、面倒で時間のかかる中間確認や書類優先など手続きの簡素化だろうから、それをJOLJUに言ってホワイトハウスに対応させるのはそれほど難しくない。何個か美味しいスイーツをやる、と約束するだけでいい。ただし、JOLJUはあくまで私情で生きる奴だ。
島にいる拓。そしてサクラやユージ、エダ、セシル……JOLJUの知り合いが危険になったりすれば強権発動して暴走するかもしれない。JOLJUとしては、基本超えてはいけない一線を越えた以上、もう多少のことは気にせずやるかもしれない。
「メジャー・リーガーを投入したとしても、場外ホームラン乱発で用意したボールを無くすな…… というトコロだな」
ボールを使い切れば試合はもちろんトーナメントもなくなる。ユージはそのあたり上手くJOLJUを扱わなければいけないということだ。それはそれで気苦労だった。
紫ノ上島 午前3時10分 <新・煉獄>
飛鳥の提案に、一同沈黙し、それぞれ顔を見合わせる。
集まっているのは片山、宮村、田村、岩崎のスタート参加組に加え、捕虜から転身した速見、救出されたディレクターの島、タレント佐々木が加わっている。
最も、敵側だった速見、島の事情を完璧には知らない後発組のディレクター・島、タレントの佐々木はあくまで参考人であり、発言権があるのは片山たちだけだ。
飛鳥の提案は、<インターネットの動画サイトに紫ノ上島殺人事件を上げる>という事だった。
「今ウチらには拓ちんもサクラもおらへん。何か行動せな、ウチらは抹殺されるかもしれへん。そうやからそのためのリアクションや! ウチかてちゃんと考えとる。出演はウチだけ、仮面もつけてAS探偵団として公開するんや。AS探偵団がテレビ企画に参加しとるとはまだ告知してへんから、ライト・ユーザーにはワカラヘン! やけど!」
「この事件を知っている闇サイトの人間やヘビー・ユーザーは気付く……」と田村。
このゲームを企画した連中も、まさか参加者たちのほうからネット配信を行うとは思ってもいないはずだ。そんな余裕も余力も機材もあるはずがないしインターネットに接続することはできないと思っている。それを逆手にとる、それが飛鳥の作戦だった。
最初それを聞かされた時、片山は渋い顔をし、島は一笑して取り合わなかった。
だが、宮村、田村は飛鳥の意見に興味を示した。この二人は女同士ということもあるが、飛鳥は、その軽いキャラと天然ボケ発言や軽率なところはあるが、中身はしっかりしていて根性もあり、修羅場慣れしていて常に正気であることを知っている。
そこに、意外にも岩崎が率先して賛同した。
「プランをよく練る必要はありますが、うまくやれば、かなり効果的かもしれません」
岩崎は犯罪評論家だ。戦闘力はないが、心理分析能力は高い。これまでは拓やサクラといった本格的な専門家がいたから控えていたが、今はあの二人はいない。年齢的にも彼の意見は大きい。
飛鳥の発案は雑だが、それを皆で擦り合わせてシナリオを作りあげれば効果的だと岩崎は判断し、その事を皆に説明した。
「飛鳥君の発案には、大きな意味がありますよ。十分攻撃になりえるでしょう。この場合の攻撃は、自分たちを守るためです。飛鳥君の言うとおり、捜査官不在、サクラ君を失った我々はゲーム企画者たちからみれば雑魚です。もう皆殺しにしても構わないと思っているかもしれません」
「それならむしろ奴らに逆らえば逆鱗にふれるだけじゃないか!」と島が叫ぶ。
しかし、ずっとゲームに参加してきた参加者組の意見は違った。
「この島はあくまでゲームなんですよ、島さん。飛鳥ちゃんの発案は怒らせるかもしれないけど、それによってゲームを続ける意志が我々にもある、と報せる効果はありますわ」
「私たちは飛鳥ちゃんを、VIPに仕立て上げる必要があるのよ」
田村と宮村が続けて全員に向け喋る。
「今、ここにいる生存者の中で、FBIとかCIAとか日本政府やアメリカ政府にコネがある人間はいる?」
「田村氏は元監察医、岩崎氏は警察関係の専門家じゃないか」と島が答える。彼ら後発組はゲーム参加者ではないから宮村の話を誇大妄想的な例えだと判断した。だが事実は違う。この事件は国家ぐるみを超えた国際事件だ。宮村の指摘で、片山もようやく彼女たちの意図を理解した。
「島さん。宮村君が正しいようだ。日本の警察や政治家にコネクションがあってもこの島ではなんら意味がない。これは、日本で起きた事件だけど日本の当局の手には負えない。俺や田村女子や岩崎さん程度の力なんて意味がないんだ。成程な。ミスター・ボブも外国人だけど、彼はナイジェリア出身。ナイジェリア政府がどうこうできるレベルじゃない。米国政府と米軍しか無理なんだ。そして、今いる生存者の中で米国捜査機関や米軍を動かせる人物がたった一人いる。それが飛鳥君なんだ」
「えっへん♪」
意図を理解した片山が、飛鳥の代わりに説明を続けた。
厳密には、飛鳥は米国にとって特別ではない。飛鳥は生粋の日本人で英語すら喋れない。だが重要なのはそこではない。重要なのは、飛鳥がサクラの親友だという事だ。サクラには米国捜査機関に強力なコネクションがあり、軍ですら動かせる。サクラは救出され島から去ったが、多面的に考えれば、サクラは本土で事件解決のため自由に動く権限を得られた……という解釈もできる。サクラのことだ。親友の飛鳥を救うため、最大限活動するだろう。拓不在、サクラ救出された今、生存者たちにとって唯一にして最大のライフラインは飛鳥の存在になった。そして、恐らくサタンたちもその事を把握している。
「思い返せば、サタンは<天使>という役を作った。実際サタンと交渉したのは常にナカムラ捜査官かサクラ君。サタン側から名指しされたのもこの二人だけだ。だが、捜査官が撃たれた後、サタンは飛鳥君を名指しした。今、我々が握っている最後のカードが飛鳥君、というわけだな」
「えっへんえっへん♪」
片山の説明に満足そうに胸を張り頷く飛鳥。この説明でようやく全員の認識は統一された。
「そこで、や。ウチの考えやねんけど、この島のことを動画サイトにアップさせよっかって話になるんや。勿論、事後処理の事とかもあるから、狂人鬼の事とかデス・ゲームのことにふれるのは拙い。やけど、ウチは思いついたンや! 今起きとるこの島の事は極秘やとしても、<30年前の紫条家惨殺事件>については極秘でもなんでもないんとちゃうか?」
「つまりこういう事よね?」
宮村が飛鳥のプランをより詳しく説明する。
「① AS探偵団の個別活動を装いこの島の動画を流す。② <30年前の紫条家惨殺事件>のレポートをしながら、さりげなく島の異常性を流す。③ 当然、事情を知る日Nテレビは慌てる。他の報道機関も注目する。④ このデス・ゲームを企画した連中は焦りだす。それによってFBIは動くし、日本政府も慌てる…… 騒動になれば、リアクションも起きるし、当然サタンは飛鳥ちゃんに接触して馬鹿な事を止めようとするわね」
それによって、サタンと交渉がもてる。その間はサタンたちを牽制できるし、強制的なゲーム終了行為を一先ず停止できるはずだ。
「壮絶な自爆……自分の手で自宅に火をつける……みたいなモンだね」
苦笑する片山。だが火災を起こすことで、「ここに人がいる」と報せる、ただし集落まで燃えるかもしれないが背に腹は変えられない……そういうところだ。暴論だが、確かにこれ以外に彼らにできる反撃はない。
「この島には生放送用機材はある。サクラ君の残した携帯電話でインターネットにアップロードできる。出演は飛鳥君だけ、我々はそのバックアップと保護」と片山。
「始めるならはやくしたほうがいいですわね」と田村。
「行動はウチだけのほうがええよ。ウチ、バリアーあるから死なないし、どっかにカメラ置いてそそくさとやればええんや、それは得意やし」
「そうね。ぶっちゃけ、私たちじゃ飛鳥ちゃんの足手まとい。飛鳥ちゃんは地下エリアにも詳しいし、飛鳥ちゃん一人のほうが飛鳥ちゃんも余計なこと考えなくてもいいし。飛鳥ちゃんが暴走して余計なもの映したり喋ったりすればこっちの編集でモザイクかけたりカットすればいいし」と宮村。それを聞いた飛鳥は「褒められているンか、貶されているンかワカラン」とぼやく。最後に岩崎が念を押した。
「死体をじっくり映さない事。すぐ削除されますからな。ただし身元が判明できないくらい損壊がひどい死体や狂った犬の死骸は少しくらい映すのはショッキング性があるかも。飛鳥君。これだけは注意してください。絶対に銃を撃ったり触ったりしちゃいけません。銃刀法違反になります。後は秘密通路ですが、カメラで映すことはほどほどならいいですが、飛鳥君はあくまで事情を知らない風に、初めてやってきたような口調で。時計は映さないで下さい、生放送であることは一般視聴者にはわからせないように。そうすれば、これは仮定……というより想定ですが、それらのことがなければ、後日<これは全て日Nテレビと協同したやらせ>と説明できるんではないでしょうか?」
そう言って岩崎は飛鳥、そしてディレクターの島を見つめた。二人は顔を見合わせ数秒、無言の思案の後、その方向で事実隠蔽ができる、と島は判断し頷いた。
「つまり<ドッキリ番組>でした、という逃げ口実やな。了解や。よし、時間がないから、ウチはさっさと出かけてくるからカメラ出して。サクラの携帯電話はミヤムーに任せた♪ 今、海外の動画サイトにウチのアカウントでサインインしとるからアップロードはできるはずや」
そういうと飛鳥は念のため、ワルサーP38を身につけパーカーで隠し、血や打撃痕でひどい見た目になった金属バットを手に取る。その間に片山、田村、岩崎の三人で急ぎシナリオを作り始めた。飛鳥の場合、原稿を作らないと暴走してメチャクチャになる、という事はここ数日飛鳥の行動を見て分かっている。あのサクラですら持て余すキャラだ。
こうして、参加者たち全員が、初めて一致団結し反撃に討って出たのだった。
紫ノ上島 地下5F 旧<死神>たち拠点。午前3時25分
ほぼ無音の部屋。
通風孔から出てくる僅かな空気の流れの音。そして何機か生き残ったモニターから流れてくる島の雑音とノイズ。
硬い長椅子に毛布を乗せた簡易ベッドの上で、拓が寝息を立てていた。腕には点滴が二本つながれている。涼は、その傍で黙って拓の容態を見ていた。
涼は腕時計で時間を確認した。
「後、45分くらい……」
拓は術後しばらく意識があったが、高熱を発し気を失うように寝てしまった。
涼は、手術中ユージが言い残していった言葉を思い出し頭の中で何度も反芻する。
「拓には絶対に意識を失うな、と言ったが、あれは覚悟だ。絶対に寝かせちゃいけないわけじゃない。かなり強い麻酔も使っているし増血剤や覚醒剤なんか色々使っている。普通の人間なら倒れているし、むろんこの後、戦わせるなんて本当は論外だ」
ユージは両手を巧みに動かし手術を続けながら、そう言った。額に汗が浮かぶ。それを涼は拭った。ユージの目は拓の傷口から離れないが、涼に対して説明を続ける。
「しかし、この馬鹿は戦うという。だから、今俺はこいつを戦える体になるよう薬も使い、こうして手術しているワケだが、問題は術後だ。最低二時間は輸血と点滴でこいつは動かさないこと。それはこいつも了承しているが、その間、高熱が出る……というより、間違いなく高熱で意識を失う」
「はい」
「その時は、意識を失いそうになる直前を見計らい、持ってきた医療用のドリンクを飲ませて、薬の点滴のほうを一度外して、水分点滴に変えてくれ。持ってきたバッグに入っている、リンゲル液と書いてあるやつだ。そして上半身の汗を拭いてくれ。ああ、胸と首と肩だけでいい。胸は術後がっちりサポーターで締めるが吸水性があるから問題ない」
「は、はい」
「これはあくまで<眠い>じゃなくて<気を失った>場合だ。いくらこいつでもそれは抵抗できない。だがこの高熱は術後必ずでるものだから心配しなくていい。2時間で下がるはずだ。起きたらスポーツドリンクがあるから、それと解熱剤を飲ませる。ただし、90分以上眠り続けるようなら、できるだけ自然に、揺すったり水をかけたり殴ったりして起こさせてくれ」
「な、殴るンですか!?」
「構わん。思いっきりひっぱたいていい。水かけるときは傷口を濡らさず、かつ口には入らないように。麻酔が効いているから揺さぶるか大声か水だな。最悪、アンモニア覚醒カプセルがあるから、鼻の前でそのカプセルを潰す。それなら間違いなく起きるが、ショックが強いから一瞬暴れるかもしれん。やるときは地面に寝かせてからやってくれ」
「できるかな……私に」
「できる。大丈夫、11歳の少女でもそのくらいやれたからな」
「は、はい」
「ああ、そうだ。バッグの中にアメリカの菓子が入っている。多分チョコバーとトゥインキー、キャンディーが。高カロリーで即エネルギーになるから動く前に食べるように言ってくれ。君も拓を診ている間食べとくように。低血糖と疲れで君が倒れる」
「はい」
頷く涼。だがふと笑みを浮かべユージに声をかける。
「ホント、先生みたいですね」
余計な情報入れず感情もいれず淡々と説明する姿はまさに病院の先生だ。そう思うと不思議な感覚を覚えた。このユージ=クロベは拓やサクラですら手こずる<死神>を、まるで子供を相手にするかのように蹴散らす、化物のような戦闘能力者だ。病院の先生とが結びつかない。
「サクラちゃんが言っていました。ユージさんは、人を殺……人と戦う人なのに、誰よりも人を助ける医術に長けているヘンな人…… あ、ゴメンナサイ……」
「事実変人だからな」
集中しているからか、性格なのか……多分性格だが、ユージは誇るでなく自嘲するでなく怒るでなく淡々と答えている。特に不快とも冗談とも思っていないようだ。
「それで、FBI捜査官なんですよね。拓さんも……」
「ああ」
少し間があった。ユージはやはり変らぬ口調で呟いた。
「俺が、拓を引き抜いてFBIに入れた。その前から俺たちは親友だったが、俺は拓と違って一般社会では生きられない。俺は日本で国際医師免許を取ったが、医者にならずアメリカに移民して、裏社会の人間になった。拓は、日本で教師の免許を持っていた。拓には、一般社会で生きる道もあったのかもしれない。だが……」
僅かに、ユージの目線は拓に移った。
「お互いそのことに後悔はない。だが、FBIにならなければ、こいつは今、こうして撃たれることはなかった。だから、こいつに何かあれば俺が治すんだ。たとえどこにいても」
「すごい友情ですね」
「こいつには内緒な」
ユージはやはり淡々と、言った。
涼は、やっぱりユージ=クロベという人間がどういう人なのかは理解できなかったが、二人の間にある深い友情には胸を打たれる思いだった。これほど強い友情を涼は知らない。拓もユージも言葉にはしていないが、ユージも相当無理をしている。単独で島にいる拓やサクラをバックアップし、時には彼らのために戦い、そしてこうして有事には島に飛んできている。もちろん拓だけではなく、義娘のサクラのためもある。
「大丈夫だろう」
「?」
「本当はこいつを送り返して、俺が残る気でいた。だが、こいつは残るといった。なら、体さえ動けるようになれば、君や君の仲間たちはもう誰も死なない。安心していい。こいつが、この程度の事件で死ぬような馬鹿じゃない。そして、ここまで事件の全貌が見えた今、この程度の相手にこいつとサクラが後れを取ることはない」
そう言った時……ごく小さくだが、ユージは微笑した。その笑みが、これまでで一番印象に残る、綺麗な笑みだった。
「あんまり参考にはならないよ。俺たちの人生は」
術後、ユージが去り、涼が作った簡易ベッドに寝かされた拓は、涼がふと洩らした拓やサクラやユージみたいな強い人間になりたい、という呟きに、苦笑して返した。
「涼ちゃん、その歳でバンドしていて人気が出て……歌も上手くて見た目も可愛い。そう、天才型だとは思うよ。だけど同じ天才型でも、ユージとサクラは天才というよりは種族が違う天才型で、虎と猫を比べるようなものさ。参考にしたくてもできない」
「拓さんは?」
「俺は努力型だよ。才能なんかない。うん、セシルちゃんも努力型だ。だけど、俺やセシルちゃんが少し特別だとすれば、努力した環境が違ったってくらいかな? そりゃあ猫だって仔猫の時に虎の仔と一緒に育てられれば、虎にはなれなくても、普通の猫よりは生物として強くなる……そんなカンジかな。ああ、飛鳥は違うな。飛鳥は猫だけど、化け猫みたいなものかな。猫だから力はないけど、あいつは<人>とコミュニケーションが取れる。だから、どんな猛獣も人が慣らすようなカンジ? ま、その最強体はサクラとJOLJUだろうけど、あの二人は猫というより、猫から見た人間と神様だから」
「は……はぁ……」
自分の思いこみや人生観が、拓から見れば違うことに涼は戸惑った。知らない名前もあるから拓の例えが的を射る答えではなかったが、それでもなんとなく意味は分かった。拓の説明は分かりやすいのだ。
「拓さんは……教師になればよかったのに」
「どうだろう? 親兄弟、みんな教師になっているけど、俺はどうかな…… 向いてないんじゃないかな」
「そんな事ないです! 拓さん、冷静だし、客観的だし、ちゃんと皆のこと見ているし、優しいし……こんなすごい大事件に巻き込まれているのに、皆パニックを起こさず付いて来れるのは拓さんが的確に指示してくれて……。た、拓さんが高校の教師だったら……」
そういうと涼は少し目線を逸らし、頬を僅かに赤らめ呟く。
「拓さんが教師なら……私、絶対勉強頑張って……その……いい生徒になると思うし」
「涼ちゃんは真面目で可愛くていい子だから……学校生活も楽しいだろ?」
さらりと涼が立てた告白フラグを拓はへし折る。……拓はこういう点だけ人一番鈍い……。
「そんなことないです。私、臆病だし、人見知りするし……音楽活動始めた時も叱られて……でも、歌が好きで、我が侭徹して。運良くレコード会社の人の目に止ってデビューしたけど……学校の先生、いい加減なんです。私の才能がすごいって褒めてくれる先生もいれば、若いくせに調子に乗ってって顔を顰める先生もいるし……気がついたら、あまり学校、好きじゃなくなっていて……大人はいい加減だなって……」
そういうと涼は無意識な拓のほうを向き、呟いた。
「世の中……わかりません」
「俺だって、分かってないよ」
「え?」
「俺だって分からないさ。周りが化物だらけで麻痺しちゃったけど、元々分かってなんかないよ。ああ、でも、俺、思ったな。涼ちゃんは、周りを気にせず、もっと自信を持てば、きっと<女神>になれるよ」
「め、<女神>ですか!?」
これまで虎や猫の例えから急に女神が出てきて、さらに困惑する涼。拓はそれを見て楽しそうに破顔した。
「参考になるかどうかわからないけど……今言ったみたいに、俺の周り、化物妖怪の類ばかりだろ? でもさ、俺たちファミリーの中で一番強いのは<女神様>なんだ」
「<女神様>?」
「うん。間違いなく俺たちの中で最強だな。彼女には誰も逆らえない……ユージもサクラも、もちろん俺も飛鳥も。彼女は、俺たちファミリーの良心で、女神で、バランサーで、母なんだ。性善説博愛主義の塊だけど……それだけならただのマスコットだ。だけど彼女……エダちゃんは違う。エダちゃんは、清楚で可憐な美人なんだ、びっくりするくらいのね。美貌はサクラとかわらないくらい。だけど、少なくともサクラより殺し合いの修羅場を経験しているし、俺より裏社会に精通している。戦闘力も多分俺より少し低いくらい……だけどね、誰よりも優しくて、誰も殺したことのない。でも決断ができて、間違った答えは絶対に出さない。ユージや俺を憎んでいるマフィアの連中ですらエダちゃんには笑顔になる」
薬と高熱のせいで、拓の口調はぼんやりとしていて、涼に話しているのでなく半分くらい自分に語りかけているようだった。それでも涼は黙って聞き、苦笑した。
「そんなパーフェクトになんか、なれないですよ」
「なれるよ。涼ちゃんも。いや、涼ちゃんもきっと同じ資質は持っているさ。エダちゃんの強さの秘訣はたった一つ……人間としての芯が真っ直ぐで、それがどんなことでも揺るがない。そして、エダちゃんはどこまでも<人間>なんだ。それは、俺たちみたいな獣の性質を持っていないって事で……だから俺たちは、エダちゃんに敵わない」
「拓さんが野生の猫で……その人は無邪気な動物大好きな女の人……ってことですか? ユニコーンと乙女……みたいな?」
「うん、いい喩えだ。それがすぐに出てくる涼ちゃんには、その素質はあると思うよ。
無理に獣の強さに憧れて、無理して背伸びすれば分相当で結局野垂れ死ぬ。それよりは、皆を愛せて愛される<人間>になる……生半可じゃない。野獣と接するんだから、いつ牙が自分に剥くか分からない、臆したら野生の獣は襲ってくる。だけど、真心から愛せば、野獣は黙って大人しくなる。あははっ……自分でも何言ってるか分からないな」
拓は少し元気に笑った。そんな拓を見て涼は苦笑する。拓の言いたい事は、今の変な例え話に集約されている。迷わず、自分自身強く真っ直ぐ生きるということだ。
「やっぱり教師向きですよ、拓さん」
「そうだろうか?」
「会って見たいですね。そのエダさんに……」
そういう人と話が出来たら、きっと迷いや不安なんか消えてなくなりそうな気がする。
「会わせてあげるよ。無事この島から出たとき」
「はい……」
そう二人は笑い合ったが、途中、拓の笑いは苦笑に変った。
(まぁ…… それでもエダちゃんは特別か)
ただ、博愛の女神のような人ならどこにでもいる。だがエダは違う。同じ女神でも、エダは聖母マリアではなく、知と戦の神、アテナのような戦闘的な強さも持っている。神を敬愛する聖人ではなく、場合によっては自ら最強の盾と剣を持ち、自らの知によって行動できるタイプだ。そんな強さを身につけるためには、ちょっとやそっとの修羅場を経験したくらいでは培われるものではない。その点、結局エダは努力型であり天才型、安らぎと博愛と武力、全て持っている。
涼は、ぼんやり考えていた。
「<女神>の才能か……そんなの、あるのかな?」
拓の汗を拭きながら、涼は小さく呟いた。そしてすぐに気付いた。
「ああ、そっか。こういう風に考えちゃいけない……あるかないか、じゃなくて……」
そういう意識ではなく天衣無縫、自然になれるように成長することかな? そう涼は理解した。
……そういえば、ここ数時間いろいろあったけど、前より、私、怯えてない。拓さんの手術の手伝いもできた。いつもの私ならきっと無理だ。私も、少しだけど強くなれた、と思うことにしよう……
。
拓を起こし、その後そうかからず拓は動き出せる。その時、拓の相棒として足手まといにならず自分は精一杯フォローしよう。涼はそう静かに決意を固めた。
まさか、拓の言っていたその女神が、この事件のため動いている事を、むろん涼が知る由はない。
「黒い天使・長編『死神島』」第十話でした。拓ちんはこれでしばらく派手に動けなくなりましたが、逆に飛鳥が輝いてきました(笑。前半大人しかった反動ですかね? あと、ユージが八面六臂の大活躍です。段々陰謀の捜査も最終局面に近づいていきます。でも、まだ本当のボスは姿をみせず……まだまだ真相は先にあります。サクラがどうやって島に戻るか、いつ戻るかという点も重要なところになっていくと思います。「黒い天使・長編『死神島』」はまだまだ無数の謎と陰謀が隠されストーリーは二転三転していくでしょう。本当に長いシリーズですが、今後とも「黒い天使・長編『死神島』」を楽しんでもらえれば嬉しく思います。よろしくお願いします。




