考えてみれば当たり前の事をプロでも気付かない。
一流といわれるプロでも、結果を見れば、そんなの当たり前だろうというミスをする。
とある有名な建築家に歩道のデザインを任せたところ、自転車を通る半分を凸凹にし、歩行者が通る半分を平らにした。凸凹していると自転車はスピードを出せず安全。歩行者は平らなところを歩くので安全。という事だ。しかし、結果は、自転車がわざわざ凸凹のところを走るはずもなく、歩行者部分を高速で走り、それを避けた歩行者が凸凹のところを歩いて高齢者などが躓いて転倒するという事故が多発した。考えてみれば当たり前なのだが、設計している時には気付かなかったようだ。
日本も、将来はアメリカのように裁判が増えて、このままでは弁護士が足りなくなるという予測がなされた。行政は、それに対応するために弁護士資格の緩和を行い弁護士を増やすことにした。ぱっと聞けば、もっともな話で問題ないようにも思える。だが、結果はあまりよろしくない。
規制緩和したことによって規制緩和後に弁護士の質が悪くなったそうだが、それよりも問題なのが弁護士の供給過剰だ。
弁護士になるには学費なども高く金がかかる。しかし、弁護士になれば高給取りになれるので、借金をしてでも弁護士になる。
しかし、将来、裁判が増えるから弁護士を増やしたのであって、現在はまだ、(増やした弁護士の数ほどには)裁判は増えていない。つまり、借金をしてまで弁護士になっても就職先がなく、弁護士資格を取って初めての仕事は、自分の自己破産手続き。という者までいるとか。
将来を見越して前もって人数を増やしても、今はまだ仕事がないので就職先がない。あまりにも当たり前の話なのだが、行政のプロが気付かなかったようだ。もっとも、私も、話を聞いて、そりゃそうか。と思ったくらいだ。
少し前にテレビを見ていると、世界の経済情勢の番組が放送されていた。その番組に最後の方で、ヨーロッパの一部で、色々な物を住民達でシェアする事が行われ始めている。という事が紹介されていた。
人々が必要な物(食器や家具。時には食品まで)をシェアする事により、それぞれが支出を抑え、消費社会からの脱却を計る。というものだ。
明確に、これこそ優れた社会だ。という台詞はなかったが、ノーベル経済学賞を受賞したという人も出て来て、将来はこのようになっていくだろうと言い、番組が締められ、演出的にはこれは良い事だというように紹介されていたように思える。
いや。駄目だろう。ノーベル経済学賞者が言おうが駄目だろう。
小説の中でも書いたが、太古、魚と肉などを物々交換し今ではお金で物を買っているので、お金は物の代替品と考えがちだが、実際は、魚を獲る労働と肉を獲る労働の交換だ。つまり、本質的にお金=労働であり、お金を動かせ(流通させれ)ば、労働が発生し雇用が産まれる。お金を動かさない(消費を減少させた)なら雇用は産まれない。
現実的に、消費する物を製造している人々がいて、それを収入源にしている。それをシェアするなら、消費が減って雇用も減る。必要なものをシェアするようなら、贅沢品は更に消費が落ち込むだろうし、その贅沢品を製造する雇用も減る。服だってブランド品は贅沢品だし、高級料理は言うまでもない。日本なんて、農業すら(特に果物関係は)贅沢品といえる物が多い。
先進国になればなるほど生産性は上がり、それでも単価が低く高い人件費では割りに合わない産業は後進国に流れる。先進国になればなるほど、高付加価値品、贅沢品で商売する人が増える。日本に溢れるようにある美容院やマッサージなども、かならずしも必要ではないという意味では贅沢品だ。それらを職業としている人が職を無くせば、最低限の生活どころではなない。必要な物をシェアする以前の問題となる。
みんなを必要最低限の物を生産、提供する職業で雇用する。というのも非現実的だ。シェアして消費を減らすというところにそんな事をすれば、ただでさえ生産性が上がっているのに確実に生産過剰となる。
ノーベル経済学賞者が何を言おうが、必要な物をシェアするような消費を抑えた社会では雇用が賄いきれないのは明白なんだから、そんな事をすれば、人余りの状況となって、文句があるなら辞めろと賃金は抑えられて経営者は裕福となる。その低い賃金すら貰えない者も多くなり、貧富の差は拡大する。
実際、現在の日本で自分の仕事を鑑みて、必要な物だけに消費を抑えられた社会で自分の仕事があり続ける。と思える人がどれだけいるのだろうか?
贅沢を職業とする者が多い先進国では、一部の大金持ちだけが贅沢をしても雇用を賄いきれない。国民の多くがある程度お金があり、ある程度の贅沢が出来る。それが健全な社会というもので、それを目指さなくてはならない。
企業も内部保留金が多く、その気にあれば従業員の給料も上げられそうだが、業績が悪化した場合に備えて貯め込んでいる。貯め込むなと言いたいところだが、バブル崩壊時のトラウマらしく、そう言われれば強くも言えない。
政府も、給料を上げれば企業の税金を減免するなどの対策が必要かと思うが、給料というのは一旦上げれば、そう簡単に下げられない。業績が悪化した場合を考えればなかなか踏み出せない。
ならば、毎月、成果給を出すというのはどうだろうか。業績が良ければ出す。悪ければ出さない。業績が良い場合も金額を一定にせず、利益の内、一定額は企業が利益として受け取り、残った分を成果給とする。という明確なルールを作る。
これならば、従業員の方も、出なくても仕方ないと諦めるしかなく、出ても、どれくらい出るのか前もって分からない計算外の収入という事で、消費にも繋がるのではないだろうか。
PS
給料を上げれば税金を減免するというのは、もうやっているんだったのかな?