色物パレード2
「ソーヤー。トム・ソーヤー、あたまー!」
「俺、河口の無人島で生き延びたことないんだけど」
よっこいせ、とテレビを観ている俺の視界を塞ぐように、カトルがデン、と座った。
風呂から上がったばかりのカトルの髪は、拭くという行為を全くしていないのか湿っているを通り越して時間経過と共に雫がカーペットに滴り落ちていた。
「ちょっとは拭いてから上がれよ」
「面倒くさいー」
キャッキャッ、と笑いながらテレビを観始めるカトルの髪を、その肩にかかっていたバスタオルを使ってゴシゴシと拭いてやった。
髪を拭く場合は、ポンポンと軽く叩くように水分を落としていき、ある程度落ちたところでドライヤーを使って乾かすのが良いらしいけど、カトルは犬だった時からタオルでゴシゴシドライ一択だ。
初めて丸洗いしたときにドライヤーを使ったら、それはもう洗面所だけ局地的に地震が起きたんじゃないかってくらい大暴れした。熱風+大きな音は、慣れない動物にとって恐怖でありストレスになるから、申しわけなく思った記憶がある。
まぁ中身は、犬に化けた人間だったんだけど。
「ジーーーー……」
「カトルって、髪の毛あんま伸びないよな」
「成長止めてるからね」
「ジーーーー……」
「えっ? それって大丈夫なの?」
「髪に行く栄養を別のところに仕える分、省エネだよ」
「ジーーーー……」
「凄いな。なら、髪の毛を洗わなくてもいいの?」
「老廃物は出るし、埃も付くからさすがに髪を洗わないのは汚いよ」
「ジーーーー……」
なんか、さっきからすげぇ視線を感じる。この部屋には、この家に住んでいる全員が集まっているけど、メイザーさんは洗い物をやっているからここまで視線は通らない。
カトルは俺の前へ座って髪を拭かれているから、ごちゃごちゃと言ってしまったけどガン見しているのはニースとなる。
「……風呂に入ってくる」
あれだけガン見していたから、何か言いたいことがあるのかとおもったけど、ニースは特に何も言うことなく風呂へ行ってしまった。
ニースは、俺と同じく風呂は好きだけど体を洗う物に関しては無頓着だ。だから、カトルとメイザーは自分たちで作ったシャンプー&コンディショナーで洗髪して、体もハーブを混ぜ込んだ固形石鹸を使っている。
対して俺とニースは、リンスインシャンプーに安い液体ボディーソープだ。女の子なんだから~、といった偏見は俺にはないつもりだけど、悲しいことに風呂上りのニースと俺は同じ匂いを発しているのでそこまでドキドキ感が無いのが悲しい。
「ソーヤ、ありがと~」
拭きあげに満足したカトルは俺にお礼を言うと立ち上がり、キッチンへ走っていった。風呂上りは、メイザー手作りのアイスクリームを食べるのが日課になっている。
以前――犬だった時から食べていたらしいけど、その時は俺が寝てからメイザーと一緒に風呂に入っていたんだそうだ。
もうみんな好き勝手やり過ぎだよね。
「――っと……」
小さな、些細な振動が体に伝わって来た。震度にしたら1とか行っても2程度の微振動だけど。
こういった時に気になるのが、先ほどもいった震度だ。少し時間をおいてからテレビのチャンネルをポチポチと変えていく。
――が、チャンネルをいくら変えようと地震速報は流れてこなかった。時間もすでに5分経っているので、速報が流れていてもおかしくない頃合いだ。
「ソーヤ、チャンネル変えすぎ。どうしたの?」
「さっき地震があったんだけど、ニュースでやってなくてさ」
「さっきの? さっきのは、地震じゃないよ」
「ありゃりゃ……。なら、どこかの部屋で何か倒れたかな?」
倒れるとしたら、一階のニースの部屋にあるピサの斜塔みたいに積まれた本だろう。俺の部屋から雑誌やら漫画の本やらを持って行っては、いつも寝そべって読んでいる。
古本屋に売りに行こうと思って段ボールに詰め込んでいた奴を持っていくから、売りに行こうにも行けないんだ。人気作品は入っていないから、時間と共に価値が急落することがない物ばかりなので特に咎めることなくそのままにしていたけど、本日とうとう倒壊してしまったようだ(塔だけに)
「それも違うよ」
「えっ? なら、何だよ?」
「それはねー」
うふふ、とまるで秘蔵の宝物を見せようとしている子供のように、得意げな顔をしたカトルが手招きをして俺を玄関まで連れてきた。
そして扉を開けて、外へと出た。
「震動の正体はね、コレッ!!」
じゃーん、と口で効果音を出しながらカトルが示したのは、黒い長方形の物体だった。モノリスと呼べばいいのだろうか、その長方形は地面に寝そべるように倒れていた。
「なんじゃこりゃ?」
率直かつ何の面白みもない意見で申し訳ないけど、それ以外に形容できなかった。変哲が無さ過ぎて、それが逆に特長になっているんじゃないだろうか?
「対侵入者撃退用モノリスだよ!」
「撃退と言う割には、ずいぶん物騒な運用法だけど」
レンガ調のアプローチにヒビを入れるほどの代物が、侵入者を撃退するために用いられるほどうちのご近所は危険な世界になっていたのか。
「その辺りは大丈夫! 侵入者に乗っかる所まではソフトな仕様になっております!」
「じゃあ、なんで道にヒビが入ってんだよ?」
「乗っかった後は、約5トン程度の力で潰してるからね!」
「………えっ!?」
なに、その人間プレス機?
5トンとか妙に生々しい重さを提示してくるカトル。保護者っぽい立ち位置で見守っているメイザーさんも、よしよし、といった感じで頷いているだけだ。
侵入者が5トンの力で潰されたら、大惨事になることを理解していないのかな?
柔らかい袋から、柔らかいホルモンが元気よく飛び出してくる大惨事になってんだぞ?
「えっと……この下って、人が居たりするのかな?」
一回、一回だけダメ元で聞いてみた。もしかしたら誤作動の可能性もあるしね。
「もちろん、居るよ。だって、侵入者が居たから作動したんだもん」
やっぱりかー。やっぱりそうだよねー。満面の笑みで言われても、どう対応したらいいか分からないよ……。
ニコニコ笑顔のカトルと、何で褒めてあげないんだ、と責めるように俺を見るメイザーさん。いやいや、その表情はおかしいでしょ……。
だって、このモノリスの下は大惨事ですよ?
「…………」
「えっ? 何か言った?」
笑顔と責めるような睨みに堪えていると、どこかから小さな呟きが聞こえてきた。
周囲を見渡しても誰も居らず、目の前に居る二人に喋ったか聞くも首を振るだけだった。
まさか幻聴!? と戦々恐々としたけど、カトルが指先で下を示すことで声の発生源を掴むことが出来た。
「下。モノリスの下の侵入者はまだ生きているから」
「ヨカッタ!」
危うく、楽しい声が溢れる我が家で人死にが出るところだった。両親が居ない間に、事故物件になるところだったよ。
「だっ、大丈夫ですか!?」
急いでモノリスの下を覗き込むと、15センチに満たない隙間からこちらを睨みつける男性の姿があった。
「これが、大丈夫に見えるのか?」
ホルモンどころか出血も見られない綺麗なお姿を見せたこの男性は、昨日、小鹿さんと共に来た三人組の内の一人である優男だった。
「良かった! 予想以上に元気そうだった!」
俺の予想はさっきも言った通りだ。しかし、その反応が気に入らなかったのか、優男は微妙にイラッ、とした表情になった。
「今日はお一人ですか? 何のご用件でしょうか?」
「要件を聞く前にやることがあるだろう?」
「けっ、警察に通報ですか……?」
俺の言葉に固まった優男。見つめ合いというか睨み合い的な物が数秒続くと、先に折れたのは優男の方だった。
「分かった。分かったから、それは少し待とう」
なんだろう。明らかにこっちの方が通報されると思っていたのに、相手は逆のことを考えていたのだろうか。
「君たちは昨日、決闘場所だった学校に来ていたようだな?」
「そうよ。あんたたちは来なかったけど」
カトルが高らかに言い放った。モノリスで聞こえづらくなっているのに、よく優男の声が立った状態で聞こえるもんだ。
「午前3時に来るとは思わないだろ! こっちも暇じゃないんだ。すぐに来い!」
モノリスに潰されているにも関わらず、どうやって呼吸できているのか大声で優男は叫ぶように言った。
「メイザー、火」
タバコに火を点けさせるお偉いさんのように、メイザーさんに命令するカトル。余りにも大物感が出過ぎだ。
メイザーは特に気分を害した様子もなく、サッと手を一振りした。するとモノリスの上面に、真っ赤な火柱が立った。
ゴウゴウと勢いよく燃え盛る炎は、さながら小学生の時の野外学習でおこなったキャンプファイヤーを思い出す火力だった。
「おっ、おい! 何をしているんだ!?」
周囲が赤く照らされている様子はモノリスの下からでも確認できたのか、優男が焦った声で叫んだ。
「火を点けた。寒いだろうと思って」
「思ってもいないことを! あっ、熱っ!?」
モノリスは大変熱伝導が良いらしく、着火してからわずか数分で下敷きにしている優男に熱が伝わり始めたようだ。
ちなみに、俺たちも熱い。恐ろしい勢いで燃え盛る炎は天高く上り立ち、俺たちにも熱波を振りまいている。
「おい、止めろ! 洒落にならんぞ!」
モノリスの下。15センチの隙間から優男を再び覗き見ると、予想以上に熱いのか、すでに汗をかいていた。
「あの、同じことを再度聞くようで申し訳ないんですけど、本日はどのようなご用件で?」
「今さらそんなことを言うのか!」
「辞世の句は受け付けていませんので、なるべくご用件をお願いします」
武士や志士たちのように気の利いた句を詠まれても、俺にはそれを理解するどころか覚えることもままならない。もしかしたら、今後教科書に載るような物が生まれるかもしれないのに、そんな大層なことを俺が担当できるわけがない。
「井土さんからの伝言を持って来たんだよ! 午前0時に学校で待つってね!」
井土といえば、昨日小鹿さんとやって来たえらく好戦的な霊長類の名前だ。
「小鹿から話を聞いて、かなりキレていたから俺がここに来たんだよ!」
「早く火を消せよ!」と今までの姿――昨日の記憶――とはかけ離れた様子で声を荒げる優男。
さすがにこれ以上問題が起きてもらっても困るので、指示者と実行者の二人に言って炎を鎮火させた。
「えっと、じゃあ、昨日の決闘を今日やるってことですか?」
「あぁ、そうだ。俺はそれを伝えに来ただけだ」
「それは……お疲れ様です」
伝書鳩役でやって来たら、突然モノリスに押しつぶされて背面から火にかけられるとか、嫌がらせどころか拷問でしかないな。
まぁ、門のチャイムを押さずに玄関まで来たんだから、侵入者と間違えられても仕方がないけどさ。
「なら、上の物を動かしてもらえないか? 俺は忙しいんだよ」
「ちょっと待っててください」
四つん這いから二足歩行へ進化して、モノリスの製作者と思われる人物を見た。
「カトル、これってどうやって持ち上げればいいの?」
「あぁ、それ? 侵入者が潰れたら自動的に元の位置に戻るわよ」
「なるほど」
再び四つん這いへと退化して、15センチの隙間を覗いた。
「――だ、そうです」
「ふざけるな! 潰れたら死んでしまうだろ! 常識を考えろ!」
チャイムを押さなかった奴に、常識を語られる日が来るとは!
とはいえ、このままでは汚いオブジェになってしまうし、我が家の置物として相応しくない。
「邪魔だから、何とかどかす方法はないの?」
「潰す以外で? 潰すことに重点を置き過ぎて、途中で止めさせる装置を付けてないからなぁ……」
緊急停止ボタンすらついていない、殺人装置の極み!
初めて引っかかったのが、頑丈な人で良かった!
「聖上位騎士だったら何とかなるのでは?」
解決策を提示してくれたのは、今までの流れを静かに見守っていたメイザーさんだった。
「にっ、ニースなら何とかしてくれるの?」
「たぶん、としか言えませんね。魔力を筋力へ変換する魔法を使ったり、相手の魔法を打ち消すことに騎士は長けていますからね」
「おぉ、マジか」
カトルが、少し面白くない顔をしているということは、メイザーさんが言ったのは本当のことなんだろう。
そもそも、神様に喧嘩売って三人ぶっ倒すくらい強いカトルなら、魔法を打ち消す――自分の魔法くらい解除できそうだけど……。本人にやる気がないし、今のメイザーさんの案でたぶんへそ曲げた。
「ニースーッ!」
「どうかしたか?」
「うわぉっ!?」
まだ風呂から上がっていないと思っていたニースが、いつの間にか後ろに居て驚いた。
風呂から上がったばかりのニースは体から湯気が立っており、髪の毛もカトルと同じようにちゃんと拭いていないのか、しっとりを通り越してびっちゃりしていた。
「頼みたいことがあるんだけど、ニースってあのモノリス持ち上げられる?」
「打消し魔法を打ち込んで、全力で持ち上げれば――」
「良かった。じゃあ、頼める?」
頼んだ瞬間、ニースは顔芸芸人としてテレビ出演できそうなくら嫌そうな顔をしてきた。この世の全てを恨んでいるような奴でもできそうにないほどの。
「ヤダ……」
「なっ、何で……?」
「お風呂入ったから」
「それは……仕方がない……」
ニースも女の子だもんね。お風呂に入った後に、汗をかくなんて嫌だろう。俺だって嫌だ。
「ヤダじゃないだろ、お前ら!」
現在進行形でモノリスに押しつぶされている優男が、俺たちの会話に突っ込んできた。本当に元気すぎて、潰されているって意識が欠けているんじゃないだろうか?
「この状況を見ても、汗をかくから嫌だ、とか言えるのか!? 普通だったら、言えないだろ! こうなったのは、全てお前たちの責任だぞ!」
渦中の人物である優男は、俺たちに怒鳴った。
「「「…………」」」
すると、カトル・メイザー・ニースの三人はある程度真摯に対応してきたのが馬鹿らしくなってしまったのか、ゾロゾロと家の中に入っていってしまった。
「あっ、おいっ、ちょっと待て! これをどかしてから!」
優男の乞いも空しく響くだけで、無情にも玄関は閉められてしまった。一応、俺も外に居るんだけどな……。
「おい、お前は何処にもいかないよな……?」
一般人の俺に、5トンの力をかけ続けるモノリスを動かせる何て毛ほどに思っていないくせに、優男は優しく語り掛けるように俺に言う。
さすがに、外に変なオブジェを置いて家に入るなんてできない。
かといって、俺じゃどうしようもない。ならどうすれば良いかと言うと。
「もしもし、小鹿さん? ちょっと力持ちを連れてきてほしいんだけど。うん、そう、そう。別に決闘とかそういうんじゃなくて、問題が発生しただけだから……」
当局に連絡する以外に、俺に方法は無かった。
小鹿さんは俺から電話を受けてからすぐに駆けつけてくれた。力持ちを――ゴリラを連れて。
ゴリラは俺を睨みつけるだけで、モノリスとその下に潰されていた優男を確認すると、モノリスを凄まじい声と音を出しながら持ち上げた。
すぐに救出が終わって、ちょっと拍子抜けだ。
そして出現する、俺対小鹿さん、ゴリラ、優男、アマゾネスの構図。小鹿さん以外、めちゃくちゃ睨んできているんですけど……。
このモノリスに対して、俺が一番関係なくないかな?
それより、アプローチにできた人型の凹みと、ゴリラが付けた二つの足跡と言うか足穴をどう塞ごうか……。
2月24日 誤字および文章の不備を修正しました。