天使の舞台裏
この世界には、天国に導く天使も、地獄に引きずり込む悪魔もいない。
いるのは、俺たち死神だけだ。
パソコン画面を見つめたまま、俺はだらだらと冷や汗を流していた。ちなみに、指はキーボードの上で十分ほど固まったままだ。
「……お前、どうしたの?」
俺のその姿は傍から見ても異様であったらしい。通りすがりの先輩にいぶかしげに声をかけられ、俺は思わず先輩のスーツの裾にガシッとしがみついていた。
「先輩、どうしましょう!?」
「何が」
「死ぬはずでない子供を殺してしまいました!」
「は?」
パソコン画面に映っているのは、金髪碧眼の小さな人間の女の子、メリーちゃん(プライバシー保護のため仮名)。まるで人形のような愛らしさと、車に轢かれそうになった猫を助けようとした性格の良さを持つ、なんの罪もない少女だ。それなのに。
「それを、それを、俺が猫と間違えてこのメリーちゃんの魂を持ってきてしまって!」
「あー……」
「どうしましょう!? 魂取りこぼして幽霊にしてしまうくらいならまだしも、よりによって間違えるとか! しかも、人間! まだこれが他の動物だったら騒ぎにならないのに! 俺、どうなります!? 始末書!? 謹慎!? もしかして、クビ!?」
「落ち着け」
「これが落ち着いていられますかああああああああ!!」
半ば錯乱した状態で先輩のシャツを握ってガックンガックン揺さぶると、先輩が迷惑そうに眉をひそめたのが見えた。
「落ち着けって」
「あだ!」
反動を利用して頭突きをかまされた。
「お前は普段めったにミスしないから、深刻に捉えているだけだ。別に、これくらいでクビになったりするか」
しゅーっと額から湯気を出して崩れ落ちた俺をよそに、先輩はしっかり立ったまま、淡々とありがたい事実を教えてくれた。この、石頭め。
「けど、事後処理の責任は負うことになるぞ。その、メリーちゃんはどこの宗教だ」
「……へ? 関係あるんですか? えーっと、カトリックですけど」
「そうか、なら大丈夫かもな」
「何がですか」
「土葬にされる可能性が高い。これが仏教徒だったら急がなきゃならない。火葬にされて魂を戻すべき体が無くなるからな」
なんで、人間は個々人のデータに『宗教』の欄があったのか、これで分かった。
「よし、そうとわかればさっさと行って、猫の魂をとって、メリーちゃんの魂を戻してこい」
「え、今からですか? いま、ちょうどメリーちゃんの葬儀やってるんですけど。後で奇跡だとかなんとか言って騒がれませんかね」
「俺たちの知ったことじゃない」
ですよねー。
あ、なんか、何とかなる気がしてきた。
「分かりました、先輩。いろいろ教えてくれてありがとうございました。そうと決まれば、さっさと行ってきます」
先輩に一礼し、メリーちゃんの魂と鞄を持って外に出ようとした時、
「あ、ちょっと待て。これを着ていけ」
先輩に何やら白い布を渡された。
「……なんですか、これ」
「純白のワンピースだ」
「先輩、仕事の時はスーツでしょう。そして、俺は男です。ワンピースなんて着ません」
「なにを言う。『天使』といえばこれだろう」
「『天使』どっから出てきたんです!?」
「いいか、奇跡だと騒がれようとどうでもいいが、死神の一般的なイメージは守らなければならない。スーツ着て、魂を返しに来た死神なんて人間たちのイメージにはないんだ。そして、メリーちゃんはカトリック。『天使』の奇跡のおかげで生き返ったとしておくほうがいろいろ都合がいいんだよ」
「はあ……」
「金髪ロングの鬘もあるからつけていけ。あと、輪っかの形の電灯と、羽。胸に詰め物も入れるか?」
「待ってください、なんで女性の天使の方向で行こうとしてるんですか!? 別に男の天使でもいいでしょう!」
「天使といえば女性のイメージだろ。なんとなく。大丈夫、お前線細いしいける。メリーちゃんに会うときは逆光になるし」
「ちっとも嬉しくありません! 大体、声どうするんですか、声! 女性にしては無理あるでしょう、俺の声は!」
「それもそうだな。よし、ヘリウムガスを吸っていけ」
「まさかの対応!?」
「あ、先っぽに星が付いたステッキも持っていくか?」
「なんか、違くないですか!? とにかく、俺は嫌ですよ、そんなの! メリーちゃんには全身逆光で会います!」
怒鳴って、飛び出そうとした矢先、がし、と強い力で先輩に肩をつかまれる。
そして普段めったに見られない、満面の笑みを浮かべてくれた。
「残念、これは社則で決まってることだ♪」
「先輩、実は面白がってるでしょう!」
一瞬、先輩が人間たちが信じる悪魔に見えた。
その後、俺がどうなったのかは正直言って黒歴史なので語りたくない。
ただ、俺はもう二度とこんなミスをするかと心に決め、メリーちゃんはちょっと人間の間で有名人になったらしい。ああ、それから、路地裏で一匹の野良猫が死んだ。
一回、メリーちゃんが嬉しそうに語る声が聞こえてしまったことがある。
「あの時、きれいな天使様が私を助けてくれたの」
……勘弁してくれ。
俺がその場で頭を抱えたのは言うまでもない。
以前、「天使」というお題を出されて執筆したものでした。
なのに、結局パチモンな天使しか出てきませんでした。