演じる女
意味なんてありません。
僕は問う。
「君は彼を愛していたね?」
「はい」
「君は彼を憎んでいたね?」
「はい」
「彼は君を愛していたね?」
「おそらくは」
「彼は君を憎んでいたね?」
「おそらくは」
「さて、彼はどうして死んだんだろうかね?」
「癌でした」
ニューヨークで乳癌で亡くなった男がいた──いた。果たしてこれは過去なのだろうか。それとも現在なのだろうか。僕は知らない。分かるとすれば死んだ人がいたという事実は現在に存在する過去の出来事だということ。
彼は僕の親友だった。
そして、今目の前にいるこの少女が彼の彼女。
「癌、ね。それは僕も知っていたよ。問題なのは彼が癌による自然死ないしは病死なのか、それとも自殺なのか他殺なのか、と。そういうことだよ」
「わたしは知りません。しかしわたしは広義での自殺だと──そう思います」
「そう。とりあえずこれで土台は完成だね」
ピースは揃った。あとは組み上げるだけ。
「何をするのですか?」
「自己満足の真実探し、みたいな?」
「あなたは彼はどうして死んだと?」
「さて、ね。僕にはそれがまったく想像がつかないからこんなことをしているんだよね。僕がただ彼の死に説明をつけるためだけにこんなことをしていんだよね」
「そうですか」
「じゃあこうしよう。お互いに一つずつ、順番に、質問をしよう」
「わかりました」
そう言って少女は僕の前の椅子に座った。彼女の手にはあの咲かない椿の栞。彼女は何のためにそれを持ってきたのだろうか。
「では、君からどうぞ」
彼女の質問。
「彼との関係は?」
僕の回答。
「彼は僕の親友──だったよ。こんな感じの答えでいいかな?」
「はい」
「じゃあ僕の番だ」
僕の質問。
「その栞、どうして持ってきたの?」
彼女の回答。
「彼にあの世に持っていって貰おうと思いまして。埋葬する前にと」
「そうですか」
こうして無感情に機会は巡っていく。
そうして不干渉な世界は回っていく。
彼女の質問。
「彼はあなたのことをどう見ていたと思いますか?」
僕の回答。
「さあどうだろうね。彼が君と付き合いはじめてから少し──いやかなり疎遠だったからね。その前の話でいいのなら、彼は僕を親友だと思ってくれていたと思うよ」
しばらくの沈黙の後、彼女は頷いた。
それを見て、
僕の質問。
「彼が死んだ。その実感はありますか?」
彼女の回答。
「理解はしていますが、彼が死んだことがどういうことかという実感にはまだ至っていません。それにはまだしばらくかかるでしょう。では、あなたはどうですか?」
同じ質問を返す彼女。彼女の心はかなり死んでいる。能動ではなく受動の質問。
そしてそれに対する僕の回答。
「僕は──どうでしょうね。多分理解はしていますね。ただ実感なんてものはずっとないとは思いますよ。脱線して申し訳ないけど、僕は未だに子供でね、今まで憎んだことがあるのはこのこの世界と生と死だけだ。今は何も感じてないよ。不感症?」
ふふ、と笑い──そして僕の質問。
「じゃあ、君は彼を殺そうと思ったことがあるかい?」
「ええ。彼が癌になってからはほぼ毎日。その前にも何度かその衝動に、想像だけの実行を伴わないものを感じました。あなたは?」
「一度だけ。彼が君と付き合うと言った時に──ね。果たして彼はどんな死を望んでいたと思いますかね?」
「安楽死──でしょう。究極的にはあの時に死にたくはなかったなではないでしょうか。あなたはどう思いますか?」
「彼は君に憎まれるくらいなら早く死にたかっただろうと思いますね」
僕の質問する。そして自問する。
僕はこの場でどうするべきか。
「彼が死ぬ前の二人の関係はどうでしたか? それまでと比べて」
彼女は視線を少しずらし、回答する。
「以前よりは近くなりました──が、とても脆い発泡スチロールのような関係とでも言いましょうか、ひどく空っぽな関係でした。表面だけは綺麗にあろうとするかのように。あなたの方は?」
彼女からの自発的な質問──ではない。それは只の反復。
「変わりませんでしたよ。お見舞いにも数回しか行っていませんしね。あまり二人の邪魔をしても仕方がありませんし」
「羨ましいですね。変わらなかっただなんて」
「あなたから見ればそうなのかもしれませんね」
僕の質問。
「彼は癌になって変わりましたか?」
「ええ。それはもう。余命を宣告されれば大抵の人は変わると思います。彼もやはり泣いていました。わたしによく謝るようになりました。そして、死んだあとのことばかり考えていたのだと思います。あの世がどうのではなく、わたしやあなたが自分が死んでどうなるのかと。あなたは自分の死について考えたことがありますか?」
久しぶりに彼女からオリジナルの質問が返ってきた。
「無駄なことは考えないようにしています。僕は死ぬことはコワくありません。僕がコワいのは自分です。ただただ自分がコワいのです。こんな、何も感じない、他人から方向付けをされてはじめて何かを感じる自分がとてもコワくてカナしいですね。結局僕の中では死なんて状態の一つでしかありません」
そうだ、この機会に訊いてみよう。
「こんな僕を──どう思いますか?」
「わたしは可哀想な人を見れば同情します。よく同情を非難する人がいますけどあれはなんなんでしょうか。ともかく、わたしはあなたがとてもカナしそうに見えます。あなたがそう感じているように見えるというわけではなく、そんなあなたがカナしい存在に見えるのです。ここからがわたしの答えですけど、何も感じないという──感情がないというあなたを、わたしは許容できません。もしあなたがわたしのように気丈な演技をしているのではなく、心の底から何も感じていないというのならばわたしはあなたを人として許容できません」
彼女の質問。
「あなたは今何かを求めていますか?」
その質問はもはや彼のことではなかった。
「自分が納得できる彼の死の真実を求めます。それだけです」
さあ、これでジグソーパズルのピースは揃った。否、違う。最初からピースは揃っていた。今、それが明らかになっただけのこと。
そもそもこのジグソーパズルに答えはない。全て正方形で出来たかのような、まるで積み木のような──そんなものだ。必要なのはそれを誰が、どう組み立てるか。
それだけ。
僕の質問。
「君は彼を殺しましたか?」
彼女の回答そして質問。
「いいえ。あなたは?」
僕の解答。それは回答ではなく解答だ。この場での僕の持つべき解答。
「はい。彼を殺しました。どうしてそう思いましたか?」
「あなた、彼を愛していたのでしょう? 憎むことなく」
「そうですね。彼は、けれど僕との関係に近親相姦に近いものを感じたのでしょうね。彼との出会いがもっと遅ければよかったのでしょうかね? それともただ単に僕だったから、でしょうかね?」
「ひどいのはあなたですよ。何がどうあれあなたが彼を殺したというのなら、その事実に変わりはありません」
「例えば──」
「なんでしょうか」
「例えば──僕の言ったことが全て虚言で彼は自殺だったのだとしたら、──だとしたらあなたはどうしますか?」
ルールを破戒。僕は質問をした。
「今はわたしの番だと思っていましたが。まあ、けどわたしには結局は何も分からないのだと思います。あなたが真実を語っているのか、虚構を演じているのか、わたしには皆目わかりません。けれど彼を殺したと言ったあなたの存在をわたしは許しません。それをわたしが事実だと認識した時点で全ては噛み合ったのですから。だからわたしはそれを事実と認めます。それを覚えておいて下さい。わたしはあなたが嫌いです」
「彼の死と僕が何の関係もないとしても?」
「あなたは言いました。この会話が自分を納得させるためだと。きっとわたしも同じ──いえ、似ています。わたしはきっと彼の死を誰かの責任にしたかったんですよ。全てを転嫁したかったのです。それが、あなたです。わたしにはそれで十分です。例えそれが主観的な思い込みに過ぎなくても構わないのです。わたしはあなたを呪います」
「そうですか。ではきっと僕が彼を殺したのでしょう。そうすれば全ては綺麗にはまります。僕は彼にフラれ、彼は君と付き合い始めた。そのとき感じた殺意を抱き続けたまま時間は経過する。そして僕は癌で死にかけの彼を何のためか殺した。僕は彼を殺したことで君に怨まれる。そういうこと」
全ては闇の中。それが今回の僕の解答。
彼女は立ち上がり棺桶の中へあの咲かない椿の栞を入れ、去っていった。
僕はこれから何を演じようか。
普通の女性を演じようか。
それとも…………。
ちなみに「咲かない椿」「ジグソーパズル」「ニューヨークで乳癌亡くなった男」の三題で書いたんですが、お題が目立ってないという…………。
あ、それとこの内容は作者の主義・信条とは関係がありませんのであしからず。