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くれないのうた  作者: げんめい
第一章~異能の者達~
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第四話 冷死①

――夜の学校 部活棟


「はあ、はあ……」

 吐き出す息が熱い。吸い込む息もまた熱く、頭の奥がくらくらする。

 湯気につつまれたその室内で、俺は壁の隙間に身を滑らせた。この狭さは、不利かもしれない。だが、あいつも迂闊には飛び込んでこないだろう。


 俺の武器は三つ。

 十四歳まで通っていた古流剣術の技量と経験、この木刀。そして、事前の準備。最後は、前に『似たような経験』をしていたという部分だ。


 木刀を握りしめ、俺は身を低くする。頭のすぐ上を、ガチガチに凍った壁の一部が回転しながら掠めて飛んでいった。叫びが聞こえる。

「出て来い!」

 女の声が、木霊した。

「くそっ、くそっ、くそっ! 上手く氷が作れないっ……!! あんなに上手く出来たのにっ!!! 貴様は一体、あたしに何をしたんだあぁぁぁぁぁ!!」

――氷雪(ひょうせつ)使い。そう名乗った。まさか女だったとは。その彼女は狂ったように叫ぶ。その金切り声は、狂気と混乱を呼んだ。俺は体中から出る汗も気にせず、隙間からその女の様子を伺う。


 まだ俺と同じくらいの年齢の女。服装は真夏だというのに真っ白な長袖ハイネックに茶色いストレッチパンツ。血走った目。眼球の下は、まるで一睡もしていないかのようなくまが出来、その肌はまるで死人のように白い。真っ黒で長い髪を振り乱し、そして天を仰ぐように咆哮した。

 

 俺は息を吸い込み、そして叫ぶ。

「お前は一体何人殺したんだ!」

「煩い! うるさいうるさいうるさい! みんなお前達男が悪いんだ! 殺してやる……! 凍らせて、バラバラに砕いてやる!!」

 まともじゃない。だが、戦える。木刀を抱えたままの俺の頭は、尋常じゃないくらいに冴えていた。


――話は少し(さかのぼ)る。


 この数日。俺はいつ敵と対峙してもいいように神楽から逃げて学校に潜み続けた。瞳に見つかっても、凛子さんに見つかってもダメだ。護りながらの戦いなんて、今の俺には不可能だ。


 ギリギリまで学校に残り、そして極力一人で帰る毎日を続けた。

 木刀は竹刀ケースに入れて持ち運んでいる。部活帰りの高校生にしか見えないだろう。若干用途不明の物も持ち歩いていたため、職務質問を食らったら一発退場だったと思うが。


 木曜日と土日だけは、彰の家の道場へ通った。じいちゃんは三年前と全く同じ調子で、俺が戻った事に全く触れずに稽古をつけて来た。まるでこうなることが分かっていたかのようだ。


 家に帰ってからは、素振りと型の復習を続けた。


 そして、祝日を挟み、準備を始めてから十日目の今日、ついに相手の方から現れた。それは、つい二十分前の出来事だった。

 

 いつものように学校の使われていない教室で時間を潰す。その間、瞳から借りた郷土資料をどれだけ読んだか分からない。

 夕暮れ。

 今日も来ない。

 そう思って学校からこっそり抜け出す。午後七時半。


 ここ最近は謎の凍死事件はめっきり陰をひそめていた。ただ、ここ数件の学校近辺での妙な事件を受けてか、部活は早めに切り上げるよう、学校からの指導があった。この時間の生徒は殆ど帰宅済みだ。


 ちなみに神楽と親には、「彰のとこで勉強している」と伝えてあるが、どこまで信じて貰えているかはわからない。


 その女は、唐突に現れた。夕暮れを少し過ぎた時間の通学路、帰り道の坂の手前。

「ごめんなさい、道に迷って」

 突然背中からそう告げられて俺は目を見開いた。目の前に現れたその女が俺に声をかけた瞬間、あの空間へと周囲が変貌したのだ。

 閉じた世界。音の無い世界。

 どうやら、異常な力を持った者と接触する際に、このような空間へと変わってしまうらしい事が分かった。


 その最中、目の前の女の手が、俺の胸へと触れようとする。

 俺は、咄嗟に後方へと飛び退き、その女を無言で睨み付ける。


 女は、すぐに舌打ちをする。一瞬で、柔らかい表情が憎悪と侮蔑の表情に変化する。

「……下級な男如きが、あたしの施しを拒否出来ると思ってんのか!? ああ!?」

 パンッと空気が破裂し、あの空間は壊れて消えた。

 目の前の女の手から、白い煙のようなものが見える。あれは、冷気だ。冷凍庫を開けた時のような、そういうもやが見える。


 ……ビンゴだ。こいつが、沢山の人を凍死に至らしめた人物。異様な力の使い手だ。

 俺は、息を止めると背を向けて全力で走り出す。

「待て!」

 女が叫んだ。俺は構わず、学校へと駆け戻る。

 

――部活棟


 女は追ってきた。あの様子だと、やはり兜屋と同じように俺を感知してきているようだ。

 途中、金網を乗り越えてから後ろの様子を伺った。


 その女の身体は、白く輝く氷の塊へと変化して、金網を通り抜けるように突き進んできた。再び人の姿と成した時は衣服も含めて復元している。全く原理が分からないが、最初の事件も夢ではなかったと、確信出来た。

 平静を装っているが、心臓はもう破裂しそうなくらいの律動をしている。触れられれば、死ぬ。そう考えていい。だが、事前の準備が出来ている。地の利はこちらにあるんだと、自分に言い聞かせた。


 物理攻撃は、恐らく通り抜けてしまうだろう。この木刀は現状ではかなり不利に違いない。

 だが、彼女の移動速度は遅い。これなら準備に問題はないだろう。


 逃げている間、氷の塊が飛んでくるような事はなかった。遠く離れた場所から俺の足を凍らせてくるような真似も出来ないようだ。

 冷静に分析出来れば単純だ。あの力は、触れたものにしか作用しない。

 だからあの女は、道に迷ったと嘘を吐いて俺に触れようとした。

 あの奇妙な空間が発生する事は、もしかして相手には分かっていないのではないだろうか?


 部活棟のある部屋へと入り、俺はカギをかけずにドアを閉める。部屋の一番奥で、木刀をケースから取り出し、いくつかのアイテムを尻ポケットに突っ込んだ。


「鬼ごっこは終わりだ、クソガキ」

 ドアのすぐ外から、声が聞こえる。

「お前だって似たような歳だろうが。入ってこいよ、歓迎すんぜ雪女!」

 俺が叫ぶ。安い挑発だが、ドアごしに、相手の怒りが見て取れた。

 ドアが凍り付いていく。次の瞬間、ガンと音がしたが、ドアが粉々になるような事はなかった。そのドアはステンレスとアルミ製。花なんかなら粉々になるんだろうけどな。――やはりこの世の(ことわり)は、生きている。若干へこんだようだったが。


 女が、静かにドアを開けた。

 俺は、その女の正面に立っている。対峙する。その距離、約六メートル。


 ここは、部活棟のシャワー室だ。簡単に区切られたドアの奥に、スタンディングシャワーが備え付けられている。ちなみに男性専用だ。女性専用の方は興味こそあれど入って見つかったら変態の烙印を押されるからな。


「黙って案内していれば、死なずに済んだものを……」

 そう、目の前の女は唐突に話す。

「追われたから逃げただけだ。何言ってやがる」

 俺は努めて冷静に返す。構えは解かない。そのまま続ける。

「まあ、あの鬼の力は欲しいよな?」

 俺が言い、ニヤリと笑うと、女は更にキツい目つきになり口を開いた。

「……その力は、誰にも渡さない。あたしだけのものだ」


 カマをかけた。ビンゴだ。俺の立てた仮説は正しかったらしい。こいつらは、ここに眠る鬼に関わる何かを求めている。もう少し、情報を引き出さねばならないだろう。

「欲しけりゃやるよ。その代わり俺を見逃してくれ」

「ふざけんな。全員殺してやっと手に入るんだ、あたしがお前を逃がすと思うか?」

 お前さっき「死なずに済んだものを……」って言ってたじゃねえか嘘つきめ。酷く冷めた眼だ。あらゆるものを憎み、見下す、そういう眼だ。

 心の底から、寒くなる。虚勢を張れるほど冷静でいられる自信なんて全く無かった。もう会話は切り上げないといけないだろう。震えを悟られてはいけない。


 しかし『全員』と言う事は……。やはり、異能力者は、まだ何人も居る様だ。

 警察は何してんだよ、と頭の中で一人ごちる。


(お前がそうなのだろう?) 兜屋はそう言った。

 察するに、彼女たちは、俺が鬼の居場所を知っていると思っている。言わば案内人か。

 そして、夢に反応した、という言葉から、俺も何らかの異能力を持っていると考えている。

(面白い能力なら生かしておいてやる) 兜屋はこうも言っていた。


 あの男も、俺から鬼の居場所を聞きだしてから殺すつもりだったのだろう。

 異能力者たちは、全員が同じ情報を持っている。こう考えるのが自然だ。


 そう、例えば――俺を殺すために、誰かが「異能力」を与え、この場所へと集結させている。


 誰が? 何のために?


――だが、ゆっくり考えている時間も無さそうだ。目の前の女の足元からゆっくり、床が、壁が凍りついていくのが見えた。俺の吐く息も白くなる。一瞬で空気すら凍らせる――絶対零度の女。


「何て呼んだら良い? あんたの事」

 俺がそう呟くと、女は答えた。

氷雪(ひょうせつ)使い。あたしが貰った、『全てを変える力』だ。あんたはその力に殺されるんだ、よく覚えておけ」

 酷く冷たい眼を受けて、俺の背筋が寒くなる。


「そうか、前の男は火走り(ファイアスターター)って名乗ってたぜ。もっとカッコいいの無いのかよ」

 俺は声が震えそうになるのを堪え、そう言いながら壁にある水の元栓のレバーを、ぐっと反対に倒す。


 ガンガンガン、ゴンゴンゴンという音がその部屋に響いた。全てのシャワー個室から水音が響き、部屋は一気に湯気に包まれた。


 (あらかじ)め、水の元栓を締めておいた。お湯の蛇口を目いっぱい捻っておき、そして元栓のすぐ傍で待機する。右手一本で、周囲の温度を一気に上げる事が出来るのはきっとここだけだ。


「ここのシャワーは温度調節が難しくてね。お湯の蛇口だけを捻った時は、火傷も辞さない五十度の湯が出るんだ。さあ、この高温の中で、上手に凍らせる事は出来るかな?」

 俺がニヤリと笑って見せる。上手く出来たかは分からないが、女は更に表情を歪めた。

「馬鹿にしやがって……あたしを誰だと思ってるんだ……!」

 彼女の自尊心は、簡単に傷ついてしまうらしい。

「ん? 俺には目つきの悪い女の子しか見えねえけどな?」

 再び、安い挑発をする。だが、彼女は乗ってくれているようだ。


 一番恐ろしい事は、木刀での攻撃が一切通用しない可能性だ。

 氷化した彼女の身体に、木刀が深く取り込まれる。そのまま身体に抱き付かれでもすれば、俺は一気に凍らされ、今度こそ粉々にされてしまうだろう。

 木刀の握りを確かめて、俺は深呼吸をする。

 動揺すれば負ける。油断なんて持っての他だ。自分に勝て。そして、絶対に生きて帰る。その決意を、俺は木刀に込めた。


 戦いは直ぐに始まった。


 女が、走り始める。六メートルの距離なんて一瞬だ。

 俺は、すぐに尻のポケットから空瓶を取り出し、投げる。その瓶は、彼女の身体にぶつかったと同時に、氷の塊に握りつぶされ圧壊した。

 時間差で、もう一つ投げる。今度は瓶ではない、別の筒。


 同じように女はそれを氷で掴みとり、ぐっと力を込める。俺はそれを確認し、咄嗟に、個室の一つに転がり入った。


 ボンッ!

 そんなくぐもった音がする。

「ぐっ!」

 女のうめき声が聞こえた。……作戦通り。


「な、なんだこれは」

 周囲に、アルコール臭が充満し始める。最初の瓶は単なる囮だ。二回目に投げたもの、それは解氷スプレーの缶だった。気取られないために、側面をテープでぐるぐる巻きにしてあった。激怒して俺を殺しに来る者が、圧倒的な力の差を見せ付けようとして投げるものを壊して見せる。そんな所を想像して用意した作戦だったが、上手く行ったようだ。


 解氷スプレーは中にアルコールなどが含まれ、その作用は氷点を下げる事。溶けやすくなり、凍りづらくなる。そいつを全身に浴びた訳だ。


 次の瞬間、俺は木刀を構えたまま息を止め、女の前に躍り出た。

 女の、驚愕の眼。

 俺は、彼女の脇を目掛けて木刀を振り上げる。


 身体にぶつかる感触。手ごたえ――ありだ。

 ほんの一瞬だが、身体が氷化するのを防ぐ事が出来ているようだ。

 スプレーのガスや中のアルコールに引火する可能性もあったが、これだけの湿度だ、その危険性は無いようだ。それでも、極度の低温に(さら)され続ければそれらもすぐに効果が無くなる。

 今出ているシャワーを水に切り替え、洗い流せば再びその力は容易く使えるようにはなるはずだ。

 だが、その沸騰した頭でそこまで考えが回るかな? 一瞬でも、氷化するのを防げればいい。そうすれば、きっと木刀でのダメージは通るはず。


 あの兜屋ですら、レンチの一撃で沈んだんだ……!!

 俺はわき腹を押さえる女から切っ先を引き、半回転してから足へと木刀を振りぬく。


 ばきり。嫌な音がして、女が苦痛の表情を浮かべた。

 すぐに俺は蒸気に紛れ、別のシャワー個室へと転がる。


「出て来い!」

 氷雪使いの声が、木霊した。

「くそっ、くそっ、くそっ! 上手く氷が作れないっ……!! あんなに上手く出来たのにっ!!! 貴様は一体、あたしに何をしたんだあぁぁぁぁぁ!!」


 解氷スプレーの薬品効果に、真夏の気温、それに熱を帯びた蒸気。実際にお湯がそこら中を流れている状態だ。今までよりも、思った通りの力が使えない事に酷い憤りを感じているようだ。


 さっきの手ごたえ。下腿の骨……脛骨、腓骨辺りに明確なダメージがあった筈だ。

 これで帰ってくれるだろうか。そう願うが、やはりあの女は引かない。


 自分の呼吸が、荒い。心臓は口から飛び出してしまいそうだ。口の中はカラカラで、忘れていた震えが帰ってきた。


 ばきん、と音がして、手前の個室の壁が壊されたようだ。ビキビキと、異常な音がしてその破片が回りながら奥の壁へとぶつかった。


 ……そうだった。兜屋も同じ異常な力を持っていた。能力に目覚めた人間は、人の首を容易く引き千切る程の怪力を手に入れていたのだ。氷雪使いも例外ではない筈。もともとの体躯が、兜屋とは比べ物にならないくらい細く小さいため油断していた。注意しなくては。


 だが、俺はまだ迷っていた。異能力を度外視すれば、俺の目の前にいるのは単なる一人の女性だ。木刀(こんなもの)で殴れば骨は折れるし、場合によっては命も奪う結果となる。

 人として、それが許されるのか――?


 だがそんな考えを、俺はすぐに後悔する事となった。


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