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くれないのうた  作者: げんめい
最終章~くれないのうた~
41/43

第二十話 アイノウタ①

 ごうんと――


 空が哭く。

 大粒の雨粒が落ち、くれないの上でジュッと音を立てた。


「瞳っ!」

 走りながら叫ぶが、彼女はまだ出現しない。


 俺は、雨に当たらぬ木陰を選びながら、それでも速度を落とさずに走り続けていた。

 異能力の多用は出来ない。代償を伴うからだ。


 俺はポケットから携帯電話を取り出した。

 受信履歴を出すと、一番上で視認出来たのは凛子さんの名前だった。


 まずは状況と、危険を伝えなければならない。

 俺は通話ボタンを押す。


 ワンコール目で直ぐに繋がった。


「凛子さん! 凛子さんですか!?」

 俺は叫ぶ。

 直ぐに返事が返って来ない。いつもなら無事か、と直ぐに声を掛けてくれるんだが……。


 俺は、その反応に違和感を覚える。

「……凛子さん?」

 再び名前を呼んだ。


 だが、彼女の最初の台詞を聞いて、俺は立ち止まってしまった。

「……失礼ですが、どちら様ですか? 掛け間違いでは?」

「え? これは……榊原凛子さんの携帯ですよね?」

「はい、そうですが……」

 本人だ。それは間違いない。だがいつもの砕けた感じの声とは違う、何だか冷たく感じる、遠い声。

「凛子さん! ふざけてるんですか? 俺です、新堂至です!」

 俺は叫んだが、彼女が訝しげな態度で対応しているのが電話口でも理解出来た。

「お間違えですよね? 失礼します」


 その言葉を最後に、電話が切られてしまう。


「……どうなって……いるんだ?」

 俺は雨の当たらない木陰にて、自分の携帯電話を握り締めたまま呟いた。


 嫌な予感がして、俺は自宅の方向を見た。


 この場所からなら、自宅の方が近い。どのみち神楽や正影さんには状況を説明せねばならないだろう。

 俺は、自宅へと走った。


 すぐに、何年も生活した青い屋根が見えた。

 その玄関前には、車から降りる正影さんが見えた。弓華を送った後かも知れない。

「正影さん!」

「ん?」

 タバコを咥えたままこちらを見る彼の表情を見て、俺は愕然とする。


「……何か用か、坊主」

 そう。これは他人を見る眼だ。明らかに、あの温かい視線ではなかった。


「……俺だよ、至だよ」

 声が、震えるのが分かる。


「ん? どこかで会ったか?」

 ……俺の事を、忘れているんだ。

「ふざけないでくれよ……。こっちも大変なんだ。そんな目で見ないでくれよ……」

 彼の顔を見れず、俺は呟く。

「何だ? 俺を知ってるのか?」

「知ってるさ!! 家族だぞ!!」

 俺は、顔を上げて叫ぶ。


「お前みたいな家族は居ねえよ」

 そう言いながら正影さんは、家の玄関に入ろうとする。

 俺は思わずその太い腕を掴んだ。


「待ってくれ! そ、そうだ! 神楽に話を聞いてくれ! 今日は熱出しててしんどいだろうけど、きっと俺の事覚えてる筈だ!」

「んだぁ、テメエ神楽の何なんだ?」

「兄貴だよ! そしてあんたの息子だ! 母さんは坂の下総合病院で入院中だ! そうだろ?」

「おい……何でそんな事知ってるんだ。ストーカーか……? 俺に息子はいねえ。ああ、神楽目当てだろ? お前みたいのは沢山居たが、全部俺が丁重にお断りしてんだ。お前も諦めろよ」

「んなっ……」

 俺は無理矢理正影さんの横を通ろうとする。しかし、俺の身体はその太い腕に阻まれた。


「男は諦めが肝心だぜ?」

「通してくれ! ここは俺の家だ!」

「おい……いい加減にしろっ!!」


 その硬い拳が――俺の左頬を捉えた。

 吹き飛ばされ、壁に激突する。

 頭がくらくらした。


 殴られた……。俺は頬を押さえたまま、彼を見上げる。雨で濡れた地面が冷たかった。


 俺を見下ろす正影さんの眼は、完全に……他人を見るそれだった。


「次ふざけた真似したら警察に突き出すからな」

 そう言いながら彼は家に入り、玄関ドアを閉める。ガチャリと、無慈悲な施錠の音が響いた。

「正影さん!!」

 起き上がり叫ぶが、彼が出てくる事は無かった。


 殴られた頬が、じんじんと痛む。

 二階の窓を見上げる。

 もしかして神楽も、俺を忘れてしまったってのか?


 ぐっと堪え、俺は立ち上がる。くそ、くそ……。どうなっている。どうしてこんな事に。


 一分ほど、俺は動けないで居た。

 だが、頭を振り、俺は努めて冷静に状況を考える。


 冷静になれ……。

 普通に考えるならば、これは蛇神の精神干渉だ。忘却の魔眼、とでも言えばいいのだろうか。

 それならば恐らく、くれないで概念を、その呪詛を斬る事が出来れば、症状も消え失せる筈だ。

 俺は立ち上がり、再び家の二階を見上げた。

 蛇神の目的は、俺を動揺させ、事を有利に……つまり、互いに消滅する事にある。その筈だ。


 蛇神には、復活しただけで選択的に魅了や忘却を発動させるだけの力があるという事だろうか?

 何か力を発動させる切っ掛けのようなものは無かったのだろうか?


「ああぅ……」


 突如、近くでそんな声が響く。俺は寒気を感じ、自分の背後を見た。


 女性が、立っている。

 その手には――鋭利な刃物。包丁が握られていた。


「なっ……」

「がああああ!!」


 その女性は何の躊躇いもなく、俺へと包丁を振り下ろしてきた。

「なっ……何を!」


 俺はくれないの柄に手をかけた。

 相手の動きは緩慢で、どこか不安定だ。一瞬焦ったが、その表情や服装を冷静に見る事が出来る程には、実力差があるようだ。


 しかしどこか見覚えのある女性。記憶を探り、俺は直ぐに思い当たる。これは……うちの学校の教師じゃないか?

 それにこれは……。あの虚ろな眼、この独特の操り人形のような動き。見覚えがある。魅了された警官と、同じだ。


 直ぐに、その女性は動き始めた。大丈夫だ――やれる。

 その振り上げる包丁より先に、俺はくれないを抜き放った。

 斬り上げたその剣閃は、身体をすり抜け雨をはじく。

 女性が、その場に崩れ落ちた。その呪詛を斬り捨てる事に成功したようだ。意識はないが、さっきの異様な感覚が無い。


 女性を雨に当たらない場所に運んでから、俺はその顔を見た。

「この人、やっぱり、図書担当の……」


 以前図書室で声をかけた事がある教師。

 あの時、俺は……。そうだ。この女性に……



 ……絵本を、見せた。



 凛子さんにも、正影さんにも見せている。

 その二人は魅了され、俺に襲ってくるような感覚は受けなかった。だが、忘却された。俺の事を、完全に。


 俺に深く関わった人は、俺に対する記憶を無くしている。神楽にも絵本を見せた記憶がある。神楽も同じような症状になっている可能性が高い。


 間違いない、これは蛇神の仕業だ。

 その忘却は……くれないで、同じように症状を改善出来るのだろうか?

 だが、今までのような発動の仕方とは違うような気がする。


 くれないを利用する事で、もし親しい人に取り返しのつかない怪我をさせてしまったら……。

 俺はきっと、今度こそ耐えられない。この心を、壊してしまいそうだ。

 そんな恐怖に包まれた。


 泣きそうになる。

 だが、俺は立ち止まる訳にはいかない。

 名前も覚えていない学校の教師は、すぐ近くにあるバス停の中に放り込んだ。雨には当たらないだろう。


 くれないを握り締め、俺は再び白草を見る。俺は直ぐに、白草に向かって走り出した。


――雨は、少し小降りになった。



 神社の鳥居をくぐると、俺は自分の眼を疑った。そこで待ち構えていた人物と、眼が合ったからだ。


「神籬を理解し使いこなす者……実際に会うのは、初めてだ」

 そんなよく通る声が聞こえる。

 時間は夕刻を過ぎ、夜に差しかかろうとしていた。雨は小降りだが、真上の空では未だに稲光が周囲を時折青白く照らしている。


 その雷鳴の中で、黒衣の少年が、ゆっくりと立ち上がる。

「あ……」

「問おう。お前は敵か、味方か? 夜淨は女性だ。お前は俺達の血族では無いよな?」

 すらりと抜かれる日本刀、風月。


「……彰」

 俺はただ、呟く。

 祓魔の黒装束に身を包んで立ちはだかったのは、俺の親友、佐鳴彰だった。


 俺の脳裏に、彰とのやり取りが思い出された。

(彰、こういうの知ってるか?)

(昔見た事あるような、無いような)

 そう言いながら返された本。


 ……お前にも、見せてしまったんだ。あの、絵本の眼のページを。

 彰には神籬も淨眼もある。だが、それらを発動しない無防備な時に、あの呪詛は潜在的にお前に宿っていた。そういう事だな?

 俺は、彰へと叫ぶ。

「お前まで、俺を忘れちまったのかよっ!!」

「……知らなければ忘れる事も無いだろう。俺はお前を知らない。妙な事を言うな、新種の魑魅魍魎か……?」

「……佐鳴彰! 祓魔の跡取り。淨眼の持ち主。魑魅魍魎を狩る者、合ってるよな!」

「……調べ上げて来たというのか。これは厄介な戦いになりそうだ……」


 彰は、既に臨戦態勢だ。

 いつもの構えを取り、強烈な神籬を展開する。

 敵意に溢れたその力を受けて、俺の神籬は勝手に展開された。


 俺は、呟く。

「……そうだな、そうだよな。お前は、これを予見していたんだったな。すげえよお前、俺じゃあ思いつきもしなかった。避けられないんだな。だったら、今、俺が楽にしてやるからな、待っててくれ。」

 俺は、くれないを抜き、構えを取る。

 自然と、涙が浮かんだ。


 俺はゆっくりと水月の構えを取り、そして叫ぶ。

「祓魔翼神流……新堂至!」


「……翼神流を騙るのか? いい度胸だ……。まがい物に使いこなせると思うなよ?」

 侮蔑を込めて呟く彰。

「祓魔翼神流、佐鳴彰!」


 両者が、同時に息を吸い込み――

「――参る!!」

 二人の声が重なった。


 落ちてくる雨粒が、まるで一つ一つ宝石のように見えた。


 ギインと響く鋭い剣戟。同時に轟く雷鳴。


 最初に打ち合わされた刀と刀。火花が周囲を一瞬赤く染める。

 その金属音が、辺り全てを震わせた。

 特殊な力をまとわせてあるためか刃毀(こぼ)れは皆無。

 鍔迫り合いの形となって、俺は彰と睨みあう。


「剣の心得はあるようだな……! 若いのに大したものだ!」

「思い出してくれ……! その剣は、ずっと一緒に振るってきたんだ!」


 呼吸を止め、彰は一気に力を込めて俺を押す。距離を取るためだ。


 俺は咄嗟に後方へと飛び退いた。


「ふっ!」

 距離が開いたのもつかの間。彰は、一足飛びで俺の顔目掛けて突きを放つ。身体のバネを利用した途轍もなく速い動きだ。

 俺はそれを首の動きのみで(かわ)し、その胴に向かって横薙ぎを一閃した。踏み抜く地面が抉れる。


 だが、くれないの刀身は彰の胴に掠る事も出来なかった。

 咄嗟に彰はその身を落とし、地面に伏すようにその横薙ぎを避けると同時に地を片手で掴み、回転しながら俺の軸足へと剣を振る。


 風切り音だけが、やけに耳に残った。


「ぐっ……」

 下肢に走る激痛。咄嗟に避けたが、一本入れられた。

 直ぐに俺は後方へと飛び退く。


 避けつつ、攻撃に転じる。途轍もない奇抜な動きだ。稽古の時はそんな動きを見せた事がない。

 これが、実践経験を積んできた、何体も何体も魑魅魍魎を滅してきた佐鳴彰の実力なんだ。


 切断は免れたが、下腿の前方を斬られた。

 俺は痛みに顔を歪める。斬られたのは皮だけだ、筋肉は無事のようだ。動ける……大丈夫だ。

 血が流れ出て、靴へと伝うのが分かった。


「……いい動きだ。足を斬り落とすつもりだったんだが」

 彰は言う。

 俺は怪我を気取られないように、ニヤリと笑ってこう告げる。

「来いよ、俺は諦めが悪いんだ。知ってるだろ?」

「……知らんな」


 刹那――彰の連撃が始まる。


 斬り下ろしを横に避け、直ぐに来る横薙ぎをくれないの腹で受けた。

 型通りなら半回転して足を斬りに来るのだが、彰は直ぐに後方へと飛び退く。

 ……ダメだ、彰の動きが、読めない。

 下手には飛び込めない。

 あいつは打組み術も得意だ。下手に身体を掴もうものなら、一発で投げられるか気絶させられる。


 だが、その動きの中には、明らかな俺への警戒心を感じた。いつもならぐいと進んでくる部分が、感じられない。


 彰は、俺を忘れている。俺の、太刀筋を忘れている。俺のクセも。

 彰は、知らない。俺の異能の力を。


 付け込めるとしたら、そこしかない。

 彰が、自身で残してくれた、俺が彰に一本入れるためのごく僅かな可能性だ。

 お前、言っていたよな。

『俺の中の魅了という概念を斬り捨てて欲しいんだ』と。

『それは、お前にしか出来ないんだから』と。


 俺は彰を見る。

 さっきと同じ構えの彰。

 剣での戦いは、そう長くは続かない。

 生きるか、死ぬか。その結果しかない。


「……次で終わりにしてやる。お前の相手をしている暇は、無さそうだ」


 彰が呟いたその時、心なしか地面から奇妙な振動を感じるような気がした。


 ……始めたのか、蛇神。それを彰も感じて……


 その一瞬を、刹那の逡巡を、彰は見逃す筈がない。

 地面を一瞥した俺の首に、鋭い突きが飛んでくる。


 避けるのが遅れた俺の首から――鮮血が迸った。

 俺の横で一歩踏み抜いた彰の風月が、渾身の力で斬り上げてくる。それが理解出来た。


「終わりだ!!」


 返り血を浴びながら叫んだ彼の動き。

 俺はその光景を睨みつけ、直ぐに――念じる。


 彰の動きが、一瞬、ほんの一瞬だけ……止まった。

「なっ」

 漏れる声。その驚愕の眼が、俺の網膜に鋭く映った。

 それは、刹那の出来事。


 彼の、命を奪う筈の剣閃を――俺は受け止めた。

 血で出来た、真っ赤な刃で。


 一歩下がりつつも二の刀を振ろうとする彰の腕が、 その振るう刀が、ほんの一瞬だけ動かなくなる。

 その彼の表情が眼に映った。


 ……今、楽にしてやるからな……!!


 俺は胴を捻り、そして念じた。

 その一瞬よりも速く。剣を振りぬく事を。風を移動させ、真空状態をイメージする。


 自分の眼ですら追えない程に速く――彰の腹を、くれないが通り抜ける。

 風をまとい、速く、迅く。


 びたりと刀を止め、俺は呟いた。


「祓魔翼神流一刀――紅蓮胴抜き」


 彰の身体が、その場にうつ伏せで崩れ落ちる。


 敵の近距離で、体幹の回旋筋力を利用したバネのみで行う剣速重視の斬り上げ術だ。異能の力でその速度は増しに増し、音を置き去りにすらしたようだ。


 ……通った。彰に、一本入れる事が出来た。

 くれないの刃はその身体を通り過ぎ、恐らくは概念だけ斬り捨てる事が出来た。


「……すまん、彰」

 俺は、崩れ落ちた彰の直ぐ横に(ひざまず)き呟いた。

 直ぐに自分の首を押さえ。念じて血を止める。

 次の瞬間。

「……すげえな、どう、やったんだ……今の」

 彰の声がして、俺は眼を見開いた。

「彰……!?」

 くれないで斬られたのに、意識があるのか?


 彰は自分で仰向けになった。降り注ぐ雨が、彼の頬を伝う。彼はゆっくりと、話し始めた。


「……謝るのは俺の方だ。本当に、お前に……刀を向ける事に、なっちまうなんて……」

 息も絶え絶えで呟く、彰。

「う、動けるか?」

「無理だ。もう指一本動かない。今のが、お前に現れた力なのか?」

 視線だけを動かし、俺を見る彰。


「……俺には、血を操る力があるんだ」


 俺の手に握られている血刃は、俺の首から飛び散った自身の血液だ。

 放射状に飛ぶそれを掴み、念じた。

 彰の刀を防ぐだけの強度があった事に、驚いた。そういや、イグノスの心臓すら貫いたんだったな……。


「俺の……腕が、一瞬、動かなくなったの……もか?」

「ああ、まさか手に触れない血まで操作出来るとは、俺も思って無かったけどな……」


 彰の左肩にべったりと付いた俺の返り血が、彰の必死となる刃を一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、止める力になってくれた。

 彰が右利きだったなら、恐らく先に俺の命が奪われていただろう。


「最後の剣閃。眼で……追えなかった。居合いじゃあるまいし、そんな事が出来るのか」

「真空を利用して、剣速を上げる方法があるんだ。凛子さんが教えてくれた」

「はは、最強のタッグだ。……参った」

 互いに、力なく笑い合う。


 そして俺は立ち上がり、首を押さえたまま、神社の社へ向かって歩き出す。


「至! お前、その出血量で……」

「……すまん、彰。俺は、行くよ」


「くそ、俺が操られたりしなけりゃ……」

 彰の眼から、涙が零れた。


 多分、彰はどんな言葉をかけても俺を止められない事を知っている。俺が彰を攻めない事も知っている。

 ずっと、一緒に剣を振るい、悪戯して一緒に怒られて、時々同じ飯を食い、一緒に笑い、泣いて……。


 俺は、彰を見ずに歩いた。


 涙が、止められなかったからだ。


「至! 絶対に戻って来いよ! ここで死んだらお前、承知しないからな! 絶対に許さねえからな! オイ! 返事しろ! 至!」


 彰。俺たち、兄弟みたいだったよな。



 俺は、彰の声に答えずに……歩き続けた。



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