カミウタ/第二接触④★
挿絵があります。お嫌いな方はoffにしていただきますよう、お願い致します
◇
「何だよ、女子高生と二人でお出かけだよ? 少しは嬉しそうにしろよ」
並んで歩く。方向は東。その石碑は、俺が吹き飛ばされ、彰と合流した頃にフィルが一人で向かった場所だ。その場所の力は集め終わったと言っていた。
もう、鬼の守護はその周囲には無いのだろう。
俺も何故か制服姿だった。
「私だけ制服だったら変でしょ?」
そういう理由だった。くれないはしっかりと背負っている。あの絵本も一緒だ。
その日は、俺たちが一階に下りた時点で解散となった。
「私も付いて行こうか? 何なら車で送らせるが……」
凛子さんがそう言うが、俺は首を左右に振る。
「幼少期、蛇神と接触した可能性のある場所です。護る人が多いと、危険は増します」
「そうだな。聞くとそんなに広い場所じゃないし、崖の上だって言うから万が一を考えなければならない」
彰が続けた。
後方待機してもらう事も出来るかも知れないが。
だが、あの場所へは……俺と美香穂、二人で行かなければいけない。そんな気がするんだ。
何かあればすぐ連絡する旨を伝え、彰、凛子さんの二人は帰路へとつく。
「気を付けてな」
彰はそう告げると、自転車に跨り颯爽と走っていった。
凛子さんは暫く俺を見詰めていたが、後部座席に乗り込んで窓を開けてから手を振る。
俺も軽く手を挙げて答えた。
弓華が出かける俺の背中に声を掛ける。
「至様。くれぐれもお気をつけください」
「分かった。神楽を頼む」
「はい」
時間は既に午後三時を越えた。歩きで往復をすれば帰りは夕方になるだろうか。
先ほどの美香穂の冗談に答える。
「うーん、お前、女子高生らしくないよ、良い意味でな?」
「えぇ? 超ヤバいんですけどぉ~とか言って欲しいの? マジおこだわー」
「お、最近の女子高生っぽい」
「冗談止めてよ。私は至君が『マジ』と『ヤバイ』だけで会話を成立させるような知性の無い高校生になってなかった事に胸を撫で下ろしたんだから」
「美しい日本語が消滅しつつあるよなぁ」
「そうなんだよねぇ……嘆かわしいよ」
美香穂は、この町に帰ってきてから何度もこの周辺を歩いたらしい。約束の場所にも、何度か通ったとの事だった。
あの絵本を持って。
彼女にとってどれだけ大切な約束だったのかを思うと、胸が苦しくなる。
俺が忘れていたと知った時の彼女は、一体どんな気持ちだったというのだろうか。
「もともとおばあちゃんっこだからかな~。考えが古いというか化石化しているってよく向こうの友達には言われたよ。何せ趣味が伝奇や民俗学だよ? 日本古代史万歳だよ!?」
「おばあちゃんは元気なのか?」
「うん、元気。今年の頭に喜寿のお祝いをしたんだ。お父さんも、お母さんももう居ないし。私の肉親は、もうおばあちゃんだけ。長生きして貰わないとね」
「昨日ウチに泊まったけど連絡はしたのか?」
「うん、至君の家だって言ったら『迷惑かけるでねぇよ』ってだけ言ってたよ」
モノマネが入っていたのだろうか、低いしゃがれた声で言う。似ているのか良く分からない。
ずっと後方には、あの大樹白草が見える。
「……白い鬼伝承では、あの樹は坂の天辺の象徴。巫女に祀られた鬼の首がある場所」
彼女は立ち止まり、そう呟いた。
「ああ。フィルは言っていた。あの樹は白草という女性そのものだって」
「人間が樹になっちゃったの?」
彼女はその天辺を見詰めたまま尋ねる。
「……人間が樹になるかな?」
「ならないよねえ」
「でも、確かにあそこには意思があった。何度も優しい感じを受けた。ただ、俺は彼女の苦しみに、気付けなかった。いや、それは全員か……。その身の下に町を終わらせる程の絶望を、意図せず集められ続けたんだ。イグノスのせいで……」
リィン……涼やかな音が頭に響く。
くれないは、事あるごとに唄を歌っている。
お前は、何を伝えようとしているんだ?
大樹には後で寄ってみよう、という事になり、俺たちは先へと歩き始める。
「巫女は四人いた筈だよ」
彼女が絵本を持ち上げ、俺へと問いかける。
俺は思いだしながら、彼女へ伝えた。
「一人は遥。フィルが記憶していた最初の人間で、周囲を皆殺しにして岩戸に隠れた。二人目は白草。あの大樹だ。全てを護り樹になったらしい。三人目は久遠。遥と同じく多くの人を殺したけど、男を愛し、そして一緒に死んだらしい。四人目は天華って言って、彼女は天より注ぐ雨となったって、フィルが言っていた」
「樹になったり、雨になったりか……。伝承っていうのは突拍子もないねえ」
「祭り唄では、鬼がバラバラにされて四人の巫女に護られたって感じだったもんな」
「そうだね。私が調べたのもそうだった。お母さんが描いてくれた絵本も、それに沿った内容だったよ」
そう言いながら、彼女は自分の荷物からあの絵本を取り出す。
「私の、始まりの物語だよ」
表紙を見詰めたまま、彼女は呟く。
坂道を登り続け、わき道に逸れる。
そこにも、曲がりくねった登り道が続いた。参拝する人はいるのだろうか。きつい傾斜には、ロープで掴まる場所が用意してある。
「この地は、『カミナシの地』とも呼ばれているんだって」
「カミナシ?」
「そう、鬼信仰で神様不在。十月の神在月も関係なし」
「何だそれ」
「十月が神無月って呼ばれるのは、その時だけ各国各地の神様が出雲に出払っちゃうからなんだって。神様がいないから神無月。出雲だけ神様いっぱいだから神在月って訳」
「……面白いな」
景色が広くなると、崖のような場所に出る。
空が近くなったような印象を受けた。
背に太陽を受け、俺と美香穂は立ち止まる。その光景は、確かに見覚えがあった。
砂利道。両脇は背丈を越えるような草が並ぶ。その先には、子供の大きさくらいの石碑が見えた。
古ぼけたねずみ色。漢字だろうか、何かが彫ってるのだが、苔むしていてよく読めない。傍には別の小さな石と、古ぼけた木の看板のようなものがある。
俺は、ゆっくりとそれに近付いた。
美香穂は、コホンと咳払いを一つしてから、説明を始めた。
「一〇十七年。平安時代。元号は寛仁だったかな。その時に発見された石碑なんだって。刻まれた文字は、神代文字、『ヲシテ』と言って、漢字が伝わる以前に使われていた文字らしいよ」
「古代日本文字って訳か?」
物凄い重要な学術的資料なんじゃないかこれ。
「そんなものは無かった、って学説が有力なんだけどね」
「そ、そうなのか……」
「ただ、完全に否定された訳ではないの。アイノモジのように、酷似する出土品は数多い。実は日本古代史は謎だらけなんだ」
「……そんな昔からあるって事は、遥の身体の一部を埋めるために出来た場所では無いって事か……」
「ここに埋めたってのは間違いないよ。その脇の小さな石と木の看板は、鬼の胴体について記してあるんだって」
じゃあ、やはりフィルはここから自らの力を持って行ったのか。
「何となく……覚えてるよ、ここ」
俺は呟く。
「本当!?」
美香穂はずい、と俺に近寄った。興奮を隠し切れない、といった感じだ。
「断片的に、だけどな」
「約束の内容までは覚えてないか」
ちょっとだけ落胆した様子で、彼女は言う。
「それで、ここに書いてある文字は解読するとね、こう書いてあるんだって」
彼女が、苔むした石碑の方を撫でながら言う。
「カミネムリシワ、メサムルアワノ、クレナヒウタ」
「……分からん」
「はっはっは、説明しよう」
そう言って振り返る彼女の笑顔を見て、俺は息を飲む。
空の色。
石碑。
彼女の笑顔。
全てが合致したような気がして、俺は一瞬眩暈を覚えた。鈍い頭痛が走る。
幼少期の夢の景色と……
「ん? 至君?」
(みかはもどってくるから)
今の彼女の姿が、記憶の中の少女と重なる。
まるで洪水のように、その時の言葉が、匂いが、別れの涙が、彼女の声が。
俺の中に流れ込んできたような気がした。
眼を……開ける。
少女との約束。口付け。そうだ。俺は確かに、ここで約束をした。
「……思い、出した」
俺は搾り出すように、そう呟く。
「え、嘘!」
「そうだ……。美香穂のお母さんが亡くなって、葬儀が終わってから……。その後、ここで俺はお前から絵本を貰った。約束しようって。そして、俺……お前と……」
俺は唇を触る。
「う、うん、そうなの、そうなんだよ」
美香穂は、顔を真っ赤にしてこくこくと頷いている。
「お前と……キス、したんだよな?」
「あはっ」
笑い声。
急に、彼女の重みでぐらついた。
俺は尻餅を着く。
美香穂に、抱きつかれたのだ。心地よい感触と香り。柔らかい抱擁。吐息と共に紡がれた言葉が、俺の記憶の深い所に辿りつく。
「……ただいま、至君」
彼女は、俺の耳元で囁いた。
泣きながら、ほんの少し触れるだけの軽い口付けをした記憶が脳裏を過ぎる。
約束の内容、それは――『また必ず、ここで会おう』
それは今、叶ったんだ。
「おかえり、美香穂。……忘れてて、ごめん。しかしよく五歳の頃の約束なんて覚えてたな……」
「忘れるわけないよ。は……初恋だもん」
「……そ、そうか」
「お母さんが居なくなって、大好きなおばあちゃんと離れて暮らさなきゃいけなかった私に希望をくれたのは、この約束だったんだから……」
背中に回された手に、力が篭る。
……そんな大切な事を、俺は忘れていたってのか。
「ご、ごめんね、感極まっちゃった。直ぐに帰ろう?」
真っ赤な顔をした彼女は俺からパッと離れ、そして俺へと手を伸ばす。
俺はその手を掴み、立ち上がって尋ねる。
「な、何だか恥ずかしいね」
彼女はそう告げる。
俺も照れ隠しで、関係ない話をした。
「それで、この石碑の文字の意味は?」
「あ、そうだったね。『ワ』は大地の事。『カミ』はそのまま神様だね。神が眠る大地、って意味だよ。その後は……。『メサムル』は目覚める。『アワ』は天地、つまり地球とか世界の事かな? そして……」
彼女は石碑を見たまま、一瞬口ごもった。
「そして……」
「……どうした、美香穂」
「至君、どうしよう」
彼女が、呟く。
「私、凄く怖くなってきた」
「ど、どうしたんだ」
俺は近寄り、その石碑に手を置いて彼女の顔を覗き込む。
「この最後の文字……」
「あ、ああ」
「くれないのうたって、書いてあるんだよ」
そう言いながら俺を見た彼女の眼は……
どくんっ
俺は心臓を鷲掴みにされる。
その眼は、金色に輝いていた。
突如――頭の中で音が響き渡る。
俺の眼もまた、熱いくらいに反応を始めた。
甲高いその音は、くれないが放つ音。
強く息を吸った次の瞬間。
触れてもいなかった筈のくれないが、一瞬で俺の右手に握られていた。
何が起きているのか分からない。
その刀身からは、まるで浮き出るように文字が浮かび始める。ゆっくりと回転しながら、赤く輝き宙を舞うその文字群。
それは、目の前の石碑に刻まれた文字と良く似ていた。
「……わ……たし……は……」
どんどん虚ろになっていく美香穂の表情。その輝く眼が――何度も夢で見た、蛇神の眼と合致する。
息をするのも忘れ、俺はその光景に魅入られた。
周囲の草木が、枯れていく。
その場では、全ての『生』が許されないんだ。それが、蛇神なんだ。
俺は、途轍もない恐怖感に包まれ、その光景を見詰め続けるしか出来なかった。
気が付けば周囲は自らの展開する神籬に包まれている。今までにない、強烈な異常に、俺から展開される自衛のための神籬は今までにないくらいに青白く可視化された強烈なシールドとなっている。くれないから発せられる甲高い音は、周囲を全て包む程に大きい。
くれないの刀身の周りを、ぐるぐると文字が回っている。
額が熱くなるのを感じた。
美香穂の身体が、ゆっくりと宙に浮く。
「……蛇神」
瞬く間に、空が分厚い雲に覆われた。
遠くで走る稲妻。一秒待たず響き渡る轟音。
同時に響く、どこからともなく聞こえてきた重低音。
終末の音。アポカリティックサウンドがこの町に三度響き渡った。
カミは神。鬼も指す。
そして、『ミ』も『カ』も、蛇の事を示す。
美香穂。ミカホ。彼女の名は最初から――蛇神の名を内包していたじゃないか。
見開かれた金色の眼。
それが……目の前に、蛇神が降臨した瞬間だった。




