真道に至る者 真説②
「……美香穂」
階段から呟くと、彼女は嬉しそうに俺に声を掛ける。
「無事だったかね、少年」
その両手には、スーパーのビニール袋がぶら下がっていた。
「遅くなったけど、晩御飯作りに来た!」
そんな事を言う。おまけにまた制服だ。
おじゃましまーすとの声と共に、彼女はそのままズカズカと台所まで攻めてきた。
俺が訝しげな顔をしていると、神楽がこの状況の説明を始めた。
「私ご飯作れないし、弓ちゃんもそのまま今日は入院だって。お父さんから連絡待たないといけないけどコンビニ弁当は栄養悪いから、私からみかねえちゃんにお願いしたんだよ!」
「まあ確かに……神楽が作ると、犬も逃げるもんな」
「お兄ちゃん、次試作品が出来たら真っ先に食べてもらうからね」
「そ、そうか……かぐちゃん料理下手なのかぁ」
美香穂は、冷蔵庫横にかかっていた母親のエプロンを手に取ると、慣れた手つきでそれを装着する。
「じゃあ私の女子力を見せ付けてあげよう! 感動の涙で溺れさせてあげよう!」
しゃもじをびしっと、俺の方に向けて叫ぶ彼女。
「……お前、そんな性格だったっけ」
「はっはっは、久しぶりの感動の再会では女は猫を被るものだよ。君は何故かヒーローのお面を被っているようだがね!」
高笑いしながら、彼女は料理を始める。
「かぐちゃーん、卵くらい割れるんでしょー?」
「うん、それは大丈夫だよ!」
「じゃあこれ全部頼むぜぃ」
「はーい」
確かに女子力は高そうだ。非常に手際の良い動きを見てそう思う。
あっという間に三人分のオムライスが完成した。
「至君、ハート描いちゃっていい?」
「好きにしてくれ」
「よし、LOVEもつけとこう」
「……やっぱり止めてくれ」
食べ始める前に、正影さんからの電話があった。
緊急手術は成功、まだ麻酔で眠っているが、あとはしっかり傷を管理しながら静養する方向となったらしい。あの規模の怪我で、奇跡的な程失血が少なかったのが良かったとの事だった。
仕事を休みにして今日は病院に泊まる旨を俺たちに伝えて、正影さんからの電話が切られる。
「……良かった」
眼に涙を溜めた神楽が呟く。
「……ああ、本当に、良かった」
俺も同じ言葉を呟いた。
「……食べよ? 冷めるよ?」
美香穂が、微笑んで食事を勧める。
食事は、途轍もなく美味だった。絶妙なケチャップライスの味加減。あの短時間でどうやって生み出したのか分からないシーザーサラダとコンソメスープ。
彼女の力を見くびっていたようだ。
「……至君は覚えてないかも知れないけどさ」
食べながら美香穂が言う。
「私のお母さんがこっちで亡くなってから、私は別の町でお父さんと暮らしてたんだ」
「私は覚えてるよ?」
「おお。かぐちゃん確か四歳だったよね? 凄い記憶力だなぁ。それで、お父さんも今年病気で亡くなって、それでお婆ちゃんがいるこっちに戻ってきたの」
「……そっか。それでこんなハンパな時期に」
「うん、お墓もこっちだしね。ほら、お葬式とか色々忙しくてさ、一学期に間に合わなかったけど、二学期からは頑張る。同じクラスだってね至君、宜しく頼むよ?」
「……ああ、そうだっけ? 所でお前、何で制服なんだ?」
「ああ、ここの制服、新品だとゴワゴワしない? 馴染ませようと思って、二着買ったやつを着回し中なのだよ」
先日いきなり早朝に制服で出現した理由はそれか。
その後、俺たちは、何の変哲も無い日常会話に花を咲かせた。
「犬はいいんだよ、もふもふだよ」
「お父さんが犬嫌いなんだよねー」
「嫌いっていうかアレルギー? 正影さんああ見えて花粉症とかもすごいからな」
「特に赤犬が美味しいんだよ。チャウチャウだよ」
「ナチュラルに喰うな、好きの意味が変わってくる」
「中国だったっけ? 食べるの」
「おおぅ、かぐちゃん、冗談に聞こえなくなるから普通に返さないでくれる?」
食後ののんびりした時間を会話で過ごす。
だが……心の奥底にずっと存在する、不安感。
今に、こんな会話も出来ぬ程この町に歪みが生まれるのだろう。
蛇神の事は、何も終わってはいないのだから。
テレビでは、町一つ巻き込んだ集団睡眠事件も、警察の病院での発砲事件も報道されていない。
恐らく情報規制だ。余計な混乱を避ける為だろう。これだけ町が混乱していない所を見ると、魑魅魍魎の被害は最小限で抑えられた可能性がある。だが、仮に秘密裏に国が動いていたとしても……この事態に決着を付けるなんて、出来るのだろうか。
皆は、無事に帰れたのだろうか。
彰から、メールだけ来ていた。
『全て完了』という短い本文。俺はそれに『感謝』とだけ返信して終了した。魑魅魍魎の発生源も、溢れ出た連中も全て処理出来たなら、暫くは何事も無く過ごせるのだろうか。
凛子さんや瞳にも、沢山心配をかけたに違いない。今度謝っておかなければならない。美雨音は元気だろうか。ウィンディーネが居るから、きっと無事だとは思うのだが。
「ね、ね、今日泊まってもいい?」
不意に美香穂がそんな事を言う。
「え、ばあちゃん心配しないか?」
俺が言うと、美香穂は笑いながらこう続ける。
「この時間に帰ったらかえって起こしちゃうよ」
時計を見ると、もう夜の十一時だ。
「着替え無いだろ?」
「準備は万端だよ!」
そう言いながら背負っていたリュックから着替えを取り出す彼女。同時に勢いよく飛び出す下着。ころんと丸まったパンツが転がる。
「くっ、迂闊……」
慌てて隠している。……出すなよ最初から。
「お風呂だけ貸して~。かぐちゃん、一緒に入る?」
「いいよー」
そう言いながら、二人は風呂に入りに行ってしまった。
食器を片付け、俺は台所に立つ。あんな事があった後だってのに……一人で楽しくなっちまってる。これで良いのかな……フィル。何だかお前に悪いような気がする。自己嫌悪だな。
自問すると、額が何だか熱くなったような気がした。
「至くん」
突如耳元から急に声を受け、俺は口から心臓が飛び出る思いで振り向く。
そこには、清水瞳が立っていた。
「……お前、どうやって」
「……時空振収束から簡易テレポーターが使用出来ます。この度はお疲れ様でした」
「……べ、便利なもん持ってるんだな……」
そう言えばどうやって来たんだ、と思う事は今までも多かった。
「心配かけたな」
「開示された数日のデータより、貴方の無事は確認出来ていました。心配はしていません」
「あ、ああ、そうですか……」
直ぐに瞳は真剣な表情で口を開く。
「比良坂美香穂に変化は?」
「無い……と思う」
「彼女はあの絵本を持ってきています。少し拝借しましょう」
「お、おい」
瞳は勝手に美香穂のバッグを漁る。すぐにあの絵本が出てきた。
「……確認終了。妙ですね。レコード記述外アイテムという事でオーパーツであるのは間違い無いのですが、何の変哲も無い手描きの絵本です」
「俺のも持ってくるか?」
「いえ、以前確認しています。精神干渉コード……いえ、『呪詛』が織り込まれていたのに気付いたのは、フィルセウル-ディンアが復活してからというのは前にお話しましたね」
「ああ。……フィルとイグノスの事は『お前ら側』から見てどう認識されてるんだ?」
「レコード記述対象でした。端的に言えばフィルセウルから抜け出した悪しき心の実体化、と言う所でしょうか。対の存在です。貴方と蛇神のように。イグノスがあの場で消滅する事は、決まっていたようです。私がその結果を聞かされたのは、全てが終わった後の事ですが……」
「それは、フィルもか」
「……はい」
俺は眼を瞑る。
「……いくつかの疑問にお答えします。現在、この町は概念的に外界から断絶されつつあります。あれだけの事態が起きた事を、誰も強く認識出来なくなってきています」
「……え?」
「つまり、警察、自衛隊、その他有識者団体は今回の昏睡事件、病院の損害、貴方の母親の障害事件、警察の発砲事件に関して全く事件性を感じていないと言う事です」
「な、んな馬鹿げた話があるかよ……。あれだけの出来事だぞ? どういう事だ?」
「原因は不明です。これも蛇神の呪詛なのでしょうか……? 集団催眠と言いますか、何らかの干渉が始まっています。フィルセウルの言葉を借りるなら、『世界が傾いでいる』という事でしょう」
どこまでがイグノスの仕業で、どこまでが蛇神の仕業なのか。それがはっきりしない。
恐らく、魑魅魍魎に関わる部分がイグノス。
異能、魅了、洗脳に関わる部分が蛇神か。
「その認識で間違いありません」
瞳が答える。彼女は続けた。
「蛇神の目的は相変わらず不明です。警察官を魅了し、明らかに貴方や佐鳴彰へ危害を加えようとしていました。以前に異能に働いた魅了は、鬼……つまりフィルセウルを消滅させるために発動していたと判断出来ますし……」
「俺が幼少期に受けた呪詛は、記憶が消える事でかろうじて発動しなかった……」
「はい。あるいは時限爆弾のように、蛇神復活のタイミングに合わせて発動するようなものだった可能性もあります」
「蛇神が復活したなら、もう少し何かがあってもおかしくないんじゃないか?」
「仮説を立てました」
「仮説?」
「蛇神はまだ復活していない。眠っている状態を維持し、何かのタイミングで起きる可能性がある、と。私たちが蛇神を認識出来るのは、その事象でのみです。そう考えると、私たちもまた、掌で踊らされていた可能性があります」
……呪詛は、確実に働いていた。蛇神が徐々に覚醒するその段階を踏んで発動する仕組みならば、既に蛇が復活していたとしてもおかしくないと錯覚させる事は出来る訳か。
「それをする事で蛇神にメリットはあるのか?」
「分かりませんが、何か変化を待っているのかも知れません」
「変化……」
変わるもの。
季節。環境。時間。後は……。
「人間の、心……?」
「もう一つのアンノウン。くれないの事も分からない事が多すぎます。フェインから安易な接触を避けるようには言われていたのですが、このままでは埒があきません。少し、貸していただけませんか?」
「あ、ああ」
俺は瞳を二階へと誘う。
「襲っちゃいやよ」
「お前……空気読めよ……」
俺は立てかけてあったくれないを掴み、瞳へと差し出す。
彼女はごくりと生唾を飲み込んでそれを掴む。
彼女が刀身を滑らせようとしたその瞬間。
――俺の頭に、あの鈴の音のような音が響き渡る。
リィン……リィン……。
いつもくれないが奏でる音が。
「ひっ……!!」
彼女はくれないをそのままベッドの上に放り投げてしまった。
「ど、どうした!?」
「も、申し訳ありません……大量の言語データです。今の音は圧縮音声? 今の一瞬で、六千テラバイトに相当する膨大なデータが私に流入してきました、処理に時間がかかります」
普段の様子からは想像も出来ぬ程の動揺を見せた瞳が、早口で言う。
「わ、訳が分からない……どういう事だ?」
「……唄ですね」
「うた?」
「はい。これは唄です。音波波形にすると分かりますが、超圧縮された音声波形です。可聴域を大幅に超えた領域も含め、データの塊でした」
こいつは、歌っていたってのか?
「解析に数日を要します。直ぐに開始します。今日は帰りますね」
そう言いながら彼女は、瞬きをした一瞬で消え失せていた。
そこに居た痕跡を一切残さずに。
「……お茶くらい出すのによ」
俺は、ベッドに放り投げられたくれないを握り、その刀身に問う。
「……お前の目的は、何だ?」
くれないは何も言わない。
自身の死。胸を貫かれる未来は、母親の力で回避出来た。淨天眼が未来視なら、それは瞳の言うアカシックレコードへと繋がっているのかも知れない。だが、その運命は変わった。
人の手によって変わった。
フィルの死がレコードに記述してあったというなら、その運命もまた変える事が出来たのかも知れない。
だが、くれないは概念を斬る。フィルは自分を概念のようなものだと言っていた。
……念じても、想っても、この事態は避けられなかった可能性は、あるか。
そこまで考えて、俺の脳裏にある疑問が浮かぶ。
フィルは四翼に千里眼を与えた。恐らくフィル本人も若干の未来視が出来たのだろう。
レコードにアクセス出来るのは、フェインのみだと瞳は以前言っていた。
では、フィルや俺、母さんの淨天眼は、そのフェインと同じ力を持つって事なのだろうか……。
だが、読めるのと見えるのでは大違いだ。
そのレコードの外。運命の外の存在が蛇神とくれないだ。イグノスはくれないを『より高い次元の干渉』と言った。
瞳は俺たちに、フェインは認識出来ないと言った。次元が違うからだと。
そのフェインが認識出来ないのがくれない。つまり、これも次元が違う。
そしてフェインすら手が出せないブラックボックスに、精神感応プログラムがある。人の思考を形にする力がある、アルヴィースという人物が作り出したもの。
もし。
蛇神とくれないが『誰か』の『想い』によって、精神感応プログラムで作り出されたものだとしたら、どうだろう。
想いを物質として残すのは、直接プログラムにアクセス出来る人物のみと瞳は言っていた。つまり、このくれないは製作者アルヴィースの想い?
何故それを想ったか。この関係にどんな意味があるのか。そこが重要な気がする。
少しこの人物について調べる必要があるな……。
ふと想う。もし。もし『願えば叶う』なら……。
俺はフィルの表情を浮かべる。
……いや、止めよう。時間は戻せない。人の命は還らない。ただ一つのイレギュラー、神楽と兜屋の復活を除いて。
「どしたの? ドア開けっ放しで」
「あ……美香穂か」
「あ、ねえ、少しお話いい?」
「ああ、いいよ。神楽は?」
「今髪乾かしてるよ」
そう言いながら、濡れ髪のままの彼女があの絵本を持ってやってきた。
「……あ。まだ持っててくれたね」
俺の机の上にある絵本を見て、彼女は表情を綻ばせた。
「これはね、私のお母さんの形見なんだよ」
「ああ。少し、思い出した」
と言っても、夢で見ただけだが。
「お母さん絵が好きだったよね。私がお願いして、至君の分も描いて貰って。すごく良く出来てて……お店で売ってる絵本みたいだよね」
「ああ。そうだな……」
「そして、これが私たちの約束の証……」
彼女は何ともいえない表情で、その本を胸に抱き締める。
そして、口を開いた。
「至君。明日、時間ある?」
「え? 明日?」
「うん。行こう。明日起きてから、約束の場所に行こう。思い出していいのか分かんないけど、このままじゃきっと何も解決しないと思う」
美香穂は、そんな真剣な顔で言う。
「私とかぐちゃんとの約束、知っちゃったんだよね? お風呂で聞いたよ」
「あ、ああ」
「だから、約束のし直しがしたいんだ。勝負はフェアに行きたいでしょ?」
「……だから、俺の気持ちはどうなるんだよ」
俺は笑いながら言う。
にししと笑って、彼女は「約束だよ、また明日ね」と言いながら部屋を出て行った。
「私どこで寝たらいいー?」
と下の階から聞こえる。
正直俺は、沢山の好意にどうやって決着を付けたら良いのか分からない。俺の気持ちはあやふやで、優柔不断な最低野郎になっちまってるってのに……。皆は変わらない。
フィルの温かさを思い出し、俺は眼を瞑る。
……俺はどうしたらいいんだ。
俺はベッドへと腰掛ける。くれないの鞘に額を当てて、そして眼を瞑った。
「メビウスの輪。繋がった表と裏。対のメビウス。俺と、蛇神……」
複雑に絡まりあった、表と裏のある紙を想像する。切って、捻って、また繋げる。メビウスの輪環を思い出す。
「三千回目だ。蛇神。お前に人の心はあるか? お前は、何故世界を……」
フィルの言葉を思い出す。
蛇神が出現する度に、俺のような力を持ったものに倒される。
蛇神が出現する度に、世界は傾いで終末が来る。
「……それは、お前が望んだ事なのか?」
一人、問うが返事は返らない。
「もし、俺がお前の立場なら……」
生まれたら、必ず倒され。
生まれたら、世界が壊れる。
「それって、すげえ嫌な事だよな……」
溜息を吐き、俺はベッドに倒れこむ。
「……あれだけあった憎さが、無い」
天井に呟く。
「それどころか、俺は蛇神……お前すら救ってやりたいと思ってるのかもしれない。なあ、くれない」
頭に、音が響く。
……唄か。お前が唄っているってのは一体、どんな唄なんだ?
俺にとっては心地よいその音を子守唄に、いつしか眠りについてしまった。
夢は見ず。朝まで続いたその眠りは、今までにないくらい深く――安寧に満ちたものだった。
額が温かい。
まるで、フィルがそこに居るような感覚を受けた。




