第十七話 真道に至る者 真説①★
イラストがあります。苦手な方はOFFにしていただければと思います。
俺は母を背負って病院まで歩いた。
そこら中には、先ほど溢れた出た魑魅魍魎が蠢いていたが、俺たちには近付いて来なかった。
病院の自動ドアを抜けると、すぐに俺に気付いた彰が走ってくる。
母は緊急手術を受けるべく救急搬送が決定した。坂の下の総合病院に運ばれるそうだ。
傷を凍らせ止血し、体温を極端に下げたのが功を奏したとタケルさんが言う。どうやってしたのかは敢えて聞かれなかった。
よくやった、大丈夫だと肩に乗せられた手が、温かかった。
母親には正影さんが付き添った。
彼は今までにない表情で、「本当に悪かった」と俺に告げる。
俺は「いいんだ」と短く答える事しか出来なかった。
俺も返す。
「母さんは、俺のせいでこんな怪我を負ったんだ……」
表情が作れない。悲しみすら、湧き上がらない。
正影さんはそんな俺を見て、正面から抱き締めてくれた。
「子を想わない親なんて居ねえ。お前が無事なら、それで良いんだ。奈央ならきっとそう言うに決まってる。大丈夫。奈央は死なない。お前の母さんは強い人だ。絶対にだ」
正影さんは語る。突如眼の光を取り戻した母は、手段は分からないが正影さんを昏睡させて止める間も無く駆けて行ったらしい。
「きっと……お前を護りたい一心だったんだろう」
彼の思い詰めた表情を、俺は直視出来なかった。
救急車を見送る事無く、俺は自身の治療を受ける。
俺の肩の傷は数針を縫う程度まで既に回復していた。
……操血の力だ。以前も、怪我が凄まじい速さで治っていったのを思い出した。
神楽はその処置の間、俺に付き添ってくれていた。俺の治療中に美香穂と一緒に家へ着替えを取りに戻ったそうだが、家の窓のすぐ外に魑魅魍魎が現れたとの事で、玄関口に置いてあったクリーニングから戻ってきたばかりの学校の制服しか持って来られなかったとの事だ。
俺は何も考えられずに、糊の効いた制服に袖を通す。彼女の涙に濡れた眼を、直視出来なかったのだ。
戻ってきてすぐ。
俺は、神楽に――フィルが死んだ事を告げた。自分の手に握られたくれないで、その身体を貫いた事を。……彼女の命を奪った事を。
彼女は口を押さえたまま、何も言わずにただポロポロと涙を流していた。
俺はもう……涙さえ出なかった。
夕焼けが見える。
白草から、いつもの優しい感じは受けない。イグノスに何かされてしまったのだろうか。
俺はくれないを持ち、再び外へと出て行こうと歩き出す。溢れた魑魅魍魎はまだ多い。全て倒さなければならない。
「待てっ、至。お前も少し休め! そのままじゃ……」
広範囲の神籬を使用し続けたせいで消耗した彰が俺を止めようとするが、俺は首を左右に振り、そのまま玄関を出る。
弓華は、灰髪となる時間が長いと体力を著しく消費してしまうらしい。
全てが終わった後、疲労で倒れてしまった。
今は午前中まで俺が寝ていた病室で眠っている。
瞳は、俺が戻った時には既に何処にも居なかった。
美香穂は俺の無事を確認したあと、神楽に付き添って俺の家まで来てくれたらしい。
一度家に帰ると神楽に告げ、別れたとの事だ。直ぐに戻ると、言い残して。
でも今は、誰の声も要らない。誰にも付いてきて欲しくない。
「っ……お兄ちゃん……」
病室を出て行く背中に掛かる神楽の声も、無視した。
今腕を掴まれれば、強引に振り解いてしまうだろう。そういう気分だった。
玄関を越えると、ロータリーに見覚えのある黒い車が止まった。
車から下りてきたのは、凛子さんだった。
俺の顔を見るや否や、その表情は悲しいものに変わった。何かを悟ったのだろうか。
背中に何か声を掛けられたが、俺はそのまま止まる事無く林の中へと入って行く。
何も考えられないまま誘引の神籬を展開し、近寄って来た魑魅魍魎に、くれないを振り下ろす。
音も無く、声も出さず、異形は空気へと溶けるように蒸発した。
俺はそのまま深い木々の中へと入っていく。
くれないに炎を纏わせ、誘引の神籬で集めた魑魅魍魎を一網打尽にする。
霧のように消えていく幾多の命無き命達。
とても嫌な高揚感が俺を襲った。
命を奪う事への喜びか。子供が蝶の羽を毟るような、そんな無邪気な、好奇心の結果生まれる殺意のような。
俺はそんな気持ちに包まれた。
(憎め! 恨め! 蛇神を!)
高らかに笑いながら消滅していったイグノスの言葉が頭から離れない。ぐるぐると回るあの叫び声は、確実に俺の心の深い場所を蝕んだ。
……そうだ。悪いのは蛇神だ。
天を壊し、地を壊し、人が生きる事を許さぬ、世界と密接に関わりつつも運命の外の存在。
俺は蛇神を探さなければならない。
探し出して、殺さなければならない。
大切なものを守る為に、俺は神すら殺してみせる。
異能の力で魑魅魍魎の一体を倒す度……俺の中の蛇神への憎悪は増幅された。
刀で殺す。素手で制し、凍らせて殺す。焼き殺す。憎悪で作られた魑魅魍魎を屠る度、その憎悪が俺の中に降り積もっていくかのようだった。
「出てこい……!!」
俺は低く、恨みを孕んだ声で叫ぶ。
時間は夜。道連れは上空に浮かぶ半月とくれないのみ。
もう白草の守護も無い。
この地は、俺が護るしかない。もう、自分しかいない。
「出てこい……!!」
敵を凍らせ、燃やし、水流で穿ち、切断する。何体も……何体も……俺は蠢く命を散らしていった。
その度に俺の心の裡は黒く黒く染め上げられていく。
やがてそこに動くものが無くなって、俺は振り上げた刀を鞘に納める事もなく叫んだ。
息を吸い込み、強く。
「出てこい!! 蛇神ぃぃぃ!!」
天へ向かう咆哮。刀の炎が呼応するかのように燃え上がる。喉が裂けるような熱さと痛みを感じた。
その時ふと、彼女の――フィルの笑顔が脳裏を過ぎった。
俺は思わず、額を触る。そこにあったのは、ぼうっと……薄く青白く光る、フィルのまじない。
途端に――涙が零れてきた。
頬を伝い落ちる涙が、くれないに落ちてじゅっと音を立てて蒸発する。
――涙が、止まらない。
くれないの炎が消えた。
フィル。
どうしてお前が逝かなければならなかったんだ。確かにイグノスを止めるのはあれしか方法が無かったかも知れない。
お前の千里眼には、未来は映っていなかったのか? お前が分け与えた力こそ、俺や母が持つ淨天眼になったというのに。
もし全てを知っていてなお、俺の手で最期を迎えたと言うのなら……お前は、なんて、残酷なんだ……。こんなにも強く、俺の一番奥底を揺さぶり、心を覆す。耐え切れない喪失感だ。
(よいかいたる。死んではだめじゃ。けして、あきらめぬようにな。けして、怒りに身を委ねぬようにな)
フィルと抱き合う前に、彼女が言った言葉を思い出した。
母を瀕死の重傷に追いやり、お前とイグノス、二つの命を奪った俺に、死んではいけないとお前は言うのか? まだ戦い続けろと言うのか?
いっそ怒りに身を委ね、異形の力でこの心が壊れてしまった方が――俺は楽になれるんじゃないだろうか。
俺はくれないを鞘に納めて、よろよろと山道を歩く。
もう周囲に魑魅魍魎は居ない。遠くに散ってしまった異形達は、どうやら彰が滅して歩いているらしい。
俺の神籬は強くなっていた。ありとあらゆる状況が、手に取るように分かった。
俺は、まとまらない思考で――家を目指した。
何も考えずに玄関のドアノブを回すと、ドアは呆気なく開いた。
その音を聞きつけ、走ってきたのは神楽だ。
「お、お兄ちゃん! 良かった、無事だったんだね!」
「……お前、母さんのとこじゃ、なかったのか。一人で危ないだろ……、こんな時間に鍵もかけずに」
「う、うん、ごめんなさい。お兄ちゃんが心配で……。病院じゃなくてこっちに帰ってくる気がしたから」
神楽は潤んだ瞳で俺の顔を見詰める。
「……お風呂、入ってるよ。身体ドロだらけだね。また制服クリーニングに出さなきゃ」
神楽は気丈にも微笑んで見せる。
俺はその優しさが……辛かった。
風呂から上がり、自室へと歩く。
時間はもう夜の九時を回ろうとしていた。食事を摂る気分になれない。眠ってしまおう……そう考えて俺は自室のドアを開ける。
ドアを閉めると直ぐに、隣のドアが開いた感じがした。そのまま静かに廊下を歩き、近付いてくる神楽の気配。
遠慮がちにノックされるドアに、俺は開いてるよ、と声を掛ける。
「お兄ちゃん……少しお話していい?」
「……ああ」
ベッドに座る俺の横に、ちょこんと座る神楽。
「……辛いかも知れないけど。酷い事を聞くかも知れないけど……何があったのか、詳しく教えて欲しいの」
そう、彼女は涙声で尋ねてくる。だがその眼は真剣で、彼女なりの覚悟があっての発言なのは分かった。
俺には、説明する義務がある。俺は眼を瞑り、深く頷いて……そして、口を開く。
「……俺は、フィルを、殺した」
ただ俺はそう呟く。そして続けた。
「俺を護って母さんが傷付き、そしてフィルはくれないに貫かれて……死んだんだ」
俺はその時の感触を思い出す。
両手を見ると、震えが止まらなかった。そのままその両手で顔を覆う。
「ずっと……ずっとヤツは白草に、あの大樹に潜んでいたんだ……! あいつを生かしておけば、もっと死者が増える……。だから、仕方が無かった……仕方が無かった……」
俺はそう言ってから、自らの言葉を否定して叫ぶ。
「……違う! 仕方が無く人が死んでいい筈がない!
俺が殺したんだ……俺が、俺が……俺が……この手で!!」
強く眼を瞑ったその時。
俺の頭は、神楽に抱き締められていた。
強く……強く、痛い程に。
「……お兄ちゃんは悪くないよ」
その力を緩める事なく、神楽は俺の頭に頬を当てたままでそう言った。
「お兄ちゃんは、必死で……こんなになるまで、私やこの町のみんなを、護ってくれた。お兄ちゃんは悪くないよ。その時そうしなければ、きっと本当にこの町の人は、みんな死んじゃったかも知れない……」
だが俺は、その言葉を受けて語気を荒げる。俺の頭を抱き締めていた腕を強引に放し、そのまま神楽を睨み付けたまま言い放った。
「うるせえよ……!! そんな綺麗事を言ったって、死者は蘇らない! 時間を戻す事は出来ないんだ……!!」
俺は、神楽を強引にベッドへと押し倒した。
「お、お兄ちゃん……?」
「なあ、お前、首をもがれても生き返っただろ……? 兜屋の事も生き返したんだよな? あれはお前がやったんだよな? 頼むよ……フィルも、生き返してくれ。お前なら出来るんだよな?」
俺は神楽の着ていたシャツを強引に引き裂く。ボタンがいくつか飛んで、彼女の首や胸を露出させた。
白い肌と小さい胸が眼に入る。
「この胴と首を、お前はどうやって繋げたんだよ……? 今すぐやってみせてくれよ……」
「いや……分からない……そんなの、分からないよ、お兄ちゃん」
神楽は怯え、首を左右に振る。
「やれよ! 今すぐ! 俺には知らない力を隠してるんだろ? 今すぐ……今すぐフィルを生き返してくれ!!」
黒く、渦巻く欲望。これが異能の力で精神が喰われたせいだと言うのは分かっている。神楽に言った言葉だって……そんな事は不可能だって、理解している。
でも、それに抗う事が出来ない。
「お兄ちゃん!!」
神楽の声が部屋に響く。真剣な表情が眼に入った。
――そうだ。いっその事、平手打ちでも食らってしまえばいい。俺が悪いんだと。最低の人間なんだと罵ってくれたほうがいい。誰かに罵られた方が、よっぽど良い。
だが、彼女はそうしなかった。眼を瞑った俺の首に彼女の手が回った。
急に唇に温かい物が触れ、俺は眼を見開く。
神楽の唇が、俺の唇に重ねられた。強い……強い口づけだった。
時計の音だけが……やけに響いた。
手から力が抜ける。ゆっくりと唇を離す神楽。
ぽろぽろと涙を流し、彼女は俺の眼を見たまま呟いた。
「私になら何をしてもいいよお兄ちゃん。私、お兄ちゃんを愛してるの。家族としてだけじゃないよ。一人の男の人として、愛してるの。だから何されても平気、我慢出来るよ」
その表情は真剣そのもので、嘘偽り無い言葉だと言う事は直ぐに理解出来た。彼女は続ける。
「だけど、負けないで。負けないでよお兄ちゃん……。悲しいのは、私も一緒だよ。私には戦う力も無い。他の皆みたいな知識も無い……。何も出来ないで震えていただけだった……!! でも、お姉ちゃんは言ってくれた。『笑っておれ』って。それだけでいいって。それだけで幸せだって!! お姉ちゃんはあなたに何て言ったの? お姉ちゃんの言葉を思い出して!! 私たちは、生きなくちゃいけないんだよ!! 諦めちゃダメなんだよ!!」
(よいかいたる。死んではだめじゃ。けして、あきらめぬようにな。けして、怒りに身を委ねぬようにな)
――彼女の、言葉が。
その意味が。
やっと俺の心に、氷を溶かすように、ゆっくりと染み込んできた。
彼女は、未来を知ってなお――絶望した俺へ向けて、あの言葉を残したという事に。
俺の両頬に、神楽の掌が乗せられた。とても……温かい手だった。
「……神楽、ごめん、俺は……、おれ……は……」
俺は――弱い人間だ。
神楽だって本当に辛い筈なのに。そんな事にも気付けない、自分の事ばかり考えている。なんて小さな人間なんだ。
でも、神楽の言葉が琴線に触れた。
そんな矮小な人間に、愛していると言ってくれた。
俺は、恥も外聞も無く――号泣した。神楽の小さな胸に顔をうずめて、俺はいつまでも泣き続けた。
神楽は、そんな俺の頭を抱き締めてずっと……ずっと、傍に居てくれた。
傷付いた母親の事も。
俺の手によって潰えた一対の翼の事も。
その胸の中でやっと……悲しむ事が。飲み込む事が出来たような。
そんな気がした。
落ち着いてから、神楽が言う。
「気持ちなら誰にも負けない。想いの月日は、誰よりも長い。そう思ってたんだ」
「……ああ」
「でもあの絵本を見た時ね、忘れていた約束を思い出しちゃった。想いの月日は、私よりも長い人がいる。その事を」
「約束……」
「うん。再会の約束だけじゃないよ。みかねえちゃんと私は、もう一つ約束をしたの。『次に会った時、お兄ちゃんが好きっていう気持ちの強い方が、お兄ちゃんのお嫁さんになる』って」
そういう彼女は、遠い昔を思い出すような、そんな眼をしていた。
「だから、だからね? 思い出した時焦っちゃったんだよ。友達に相談してたんだけどね、『同じ屋根の下に居るんだから、ハプニングを装って一緒にお風呂とか入っちゃえばイチコロだよ!』って教えられてさ、それを実行してみたんだ。恥ずかしかったけど……頑張ったんだよ。でも……」
それで、最初に絵本見た後、急に風呂に乱入してきたのか……。
「みかねえちゃん、帰ってきたね……」
「ああ」
「お兄ちゃんはみかねえちゃんの事忘れてる。思い出したら、お兄ちゃんはまたきっと入院になるって。お母さんからはそう聞かされてたの。だから、私もずっと黙ってて、そのまま忘れちゃってたんだ。でもこれじゃ、勝負にならないよね」
神楽は笑いながら、立ち上がる。
「だから、みかねえちゃんとは約束のやり直しをするの」
「やり直し?」
「うん。また一緒に過ごして、お兄ちゃんと色んな所に行って、色んな事をして。そして、どっちが強くお兄ちゃんの事好きか、勝負するんだよ」
「……バカ、俺の気持ちはどうなるんだよ」
「えへへ。だから、お兄ちゃんの気持ちはまだ聞かないよ! いっぱい、時間はあるからね……。ちょっと、抜け駆けしちゃったけどね……」
彼女は指で唇を触れながら、赤い顔でそう言う。俺はそれを直視出来なかった。きっと今、耳まで赤いに違いない。
その俺の後頭部に、突然何かが乗せられた。
俺の机の上に置いてあった、あの夏祭りの時に買ったヒーローのお面だ。
「……私に何かあったら、助けに来てね、ヒーローさん」
「……ああ。分かった。必ず行くよ。空を飛んでな」
考えろ。必ず道はある。
自分の出来る事をやれ。
そして、諦めない。怒りに身を委ねるな。
俺は沢山の人に助けられている。それを忘れるな。
……俺は護る。
沢山の言葉を胸に。眼に映る、大切な人達を。
ピンポーン
突如、チャイムが鳴った。
「あ、来たかな?」
神楽が服の破れた胸元を抑えながら、階段を駆け下りていく。
「……こんな時間に、誰だ?」
俺は首を左右に振り、顔を両手でぱしゃりと叩く。
……神楽のお陰だ。何だか気持ちが軽い。
「やっほー、いたるくーん」
玄関から聞こえてきたのは、比良坂美香穂の声だった。




