第零話 真道に至る者 序説★
プロローグです。
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突如深い闇の中で煌いた一閃。その色は赤く、まるで血の赤を思わせた。
時は夜。周囲に電灯は無く、そこは山中のようだった。おおよそ人の分け入るような場所ではなく、事実人の気配はない。
だが、獣達や虫の声。そこに響く筈の音も皆無。周囲を覆うのは、異常な静けさだった。
木々の隙間から落ちる青白さは、天から降り注ぐ上弦、銀色の光。星はその強い光に身を潜め、他に光はない。
その光景を見下ろすように、遠景に巨大な樹木……樹齢千年を超える、大きなクスノキが見える。
再び、赤い一閃が闇を照らした。
それは――剣閃。刃が持つ特有の、鈍く輝く白い光ではない。どこまでも赤く、赤く鮮烈な血の色だ。
それが近付いたその時。
ザザザザザザ……
木々のざわめきが――突如夜の静寂を破る。
同時に、木陰、叢、ありとあらゆる隙間から、赤く光る眼が見えた。
小動物のような、キイキイという多数の声が響き始めたかと思うと、それは次第にその森を埋め尽くしていく。
三度、赤い剣閃が光った。
同時に、その声の主のうち一体が、突然木々の合間から吹き飛ばされてきた。その身は黒く、半透明。外骨格を持つ虫に近い姿をしていた。
――異形だ。この世の生物とは思えないその容姿。手足の先端は人間のそれに酷似していた。だが、その手は切り裂かれたようになっている。血に類似するものは流していなかった。
それは、もがき苦しんでいるように見えた。悲鳴を上げるでもないが、四肢は千切られ、焼かれ、切断されて、『何か』から逃げようとしている。
ザッと、地面を踏みしめる音が響いた。
次の瞬間。
その異形の頭と思わしき場所に、音もなく刀が突き立てられた。地に縫いとめられ、身動きが取れなくなる、その生物。
その突き立てられた刀は紅く、まるで木目のような乱れ文様が浮かんでいた。白木拵えの柄を持つそれは、日本刀に見える。
その日本刀を握っているのは……少年のようだった。
突如、その刃から炎が迸り、刃を突き立てられたばかりの異形の身体が、燃え上がった。
周囲は一瞬赤く照らされ、地面に這った異形の姿は――まるで霧の如く消えていく。
それと同時に、森の開けた場所を中心に異形のものたちが次々と出現し、少年を取り囲んだ。夥しい数だった。それらの足の数はバラバラで、二足で歩くものもいれば、多数の足で這うものもいる。
少年は無言のまま、目を閉じている。
その髪は黒髪。無造作に跳ねさせた髪型。背格好はどこにでもいる高校生に見える。
服装は学校の制服のようだった。泥と血で汚れ、白いシャツはどろどろになっている。
汗を額に浮かべ肩で息をし、彼は、ゆっくりと顔を上げ、そしてその眼が開かれた。
その両の眼は、怪しく、黄金に輝いている。縦に引き絞られた瞳孔は、猛禽類――とりわけ鷹を想像させた。
少年の背後から、異形の一体が飛び掛る。
彼はまるで見えているかのように、地に突き立てていた刀を抜いて自分の後方へと振りぬいた。
その動きは流麗。見る者全ての眼を奪う程、自然で美しかった。
僅かな風を切る音が響き、一瞬で、飛び掛かった異形の身体が真っ二つに分かれて燃え上がる。
その姿が消えるのを見届ける間もなく、続けざまに異形の二体が両脇から少年へと走り寄った。
彼は、先ほど振りぬいた刀を一匹に向けてぴたりと止めたかと思うと、半歩踏み抜いて突きを放つ。その突きは異形の頭を貫いた。同時にそれは燃え上がり、断末魔を聞く事もなく消滅していく。
少年の所作全てが、何年も修練を重ねた結果を思わせた。
後方から来た異形の頭に、先の一体を屠った少年の左手から打ち出された掌底が繰り出された。鈍い音が響き、少年の踏み抜いた足が地面に痕を刻む。凄まじい衝撃を受けてその場で一瞬静止する、異形。
「邪魔だ……!!」
同時に少年の声が響き、彼の眼が輝きを増した。
そして異形の頭に乗せられたままの手から、突如白い煙が立ち上る。その手から発生したのは、凄まじい冷気。異形の身体は――真夏だというのに一瞬でその全てを凍りつかせてしまった。
足蹴にされ、四散する異形の躯が煙のように消える。
「出てこい……!!」
少年はうなるように叫んだかと思うと、異形の群がるその場所へと一気に走り寄る。
それはまるで風のようで、姿を追う事すら難しい速度だった。彼の振るう赤い刀身が突かれ、凪がれる度に、異形はただの肉塊へ、やがて霧のような、煙のようなものへと変貌していく。異形達は、ただその命を散らすがために少年へと襲い掛かって行くようだった。
「出てこい……!!」
少年は再び叫ぶ。
彼は思った。あの美しい髪持つ、この地で潰えた翼の一枚の事を。
彼は思った。その命を賭して、自らの命を護ってくれた大切な家族の事を。
彼の淨天眼に、再び異形の姿が映る。
数秒後、その予知通りに自分の前に躍り出た異形のものを、彼は一振りで動かぬものに変える。
やがて周囲に動くものが無くなった時。
彼は、空へと咆哮した。
「出てこい!! 蛇神ぃぃぃ!!」
少年の眼から一筋の涙が零れ落ち、そして赤い刃の上で――跳ねた。
――千年坂には、鬼が居た。
白く美しい、鬼だった。
少年は鬼を想い、慟哭する。
その手に握り締めた刀――くれないが、まるでそれに答えるかのようにリィン……と涼やかな音を立てた。
話はそこから二ヶ月程、遡る。
梅雨が明けたばかりの、記録的猛暑が続いたある日。
全てはそこから始まった。
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