第十三話 瞳子の自我①
ゆっくりと、まるで全てを理解したかのような表情で――清水瞳は俺の前に立つ。
「……やっぱりお前か。メビウスってのは俺の事か?」
俺が呟く。
「いえ、貴方の事ではありません。……驚かないのですね。私が貴方を観察しているという事に、気が付いていたのですか?」
「いや、十分驚いてるけどな……。気付いたのはたった今だよ。お前、一緒に神社に行った次の日の朝に、『パンツ見たくせに』って言ってたよな」
「七月七日の朝ですね。記録にあります」
「あの時間の、あのトンネルの中じゃ普通暗すぎて見えないんだよ。それに神籬を受けた直後俺の眼は金色に光っていた筈だ。お前はそれを指摘しなかった。お前がここで現れなかったら、気付かなかったと思うけどな……」
その時の俺の視力は、バケモノみたいに上がっている。夜間視もお手の物だ。
「七月六日夜から七日朝。確かにその記録があります。成る程……私が貴方を、普通ではないと知っていた、と言っているようなものですね」
「……まあ、今考えれば、って話だけどな」
「冷静で助かります。現在、周囲の時間を凍結させて頂いています。これから説明させていただきます」
瞳はそう言いながら、俺へと近付いてくる。
やけに頭が冷静なのは、さっき白草から発せられた神籬のお陰だろうか。
しかし、瞳の口調に違和感がある。いつもより滑舌が良く、早口だ。
彼女は続けた。
「まず、メビウスの魅了を受けた人間個体は、風鳴空也が最後となりました。もう出現しないでしょう」
「……そ、そうか、あれで終わりか」
俺は胸を撫で下ろす。
彼女は一度頷くと、更に続けた。
「私の事を説明します。私は背反世界から来ました。特異点、つまり貴方を観察するために作成されたレンズと言います。先ほど榊原凛子が立てた仮説にありました『他次元』からの干渉を唯一可能とされている人間型個体です」
「レンズ……」
俺は言葉を復唱する。そして俺は、特異点……普通ではない何かである、と認識されているらしい。
「この町を中心に、次元間エネルギーの往来が激しくなっています。あの説明だけを聞いて多次元の可能性に辿りついた榊原凛子もまた、特異点に認定されました」
今までにないくらい、ハッキリとした口調で話す瞳。まるで別人のようだ。
「凛子さんも、監視されるって事か?」
「それはありません。私の観察対象は、貴方とメビウスの動向のみです」
周囲に、動くものは無かった。風一つ発生しない。瞳は、真っ直ぐ俺を見詰めてから、再び口を開いた。
「事の発端はこの町の中心に隠されていた蛇の卵です。山の中心に眠っていた、唯一レコードに記されない存在、我々がメビウスと呼び、貴方達が蛇神と呼んでいるものです」
「……蛇神を、知っているのか? 瞳」
「はい。既にフェインは二千九百九十九回目、それを排除しています。ただ、また出現します。その兆候があります」
……メビウス、イコール蛇神か。フィルは「様々な呼ばれ方をしておる」と。そう言った。
「メビウスの呼称を蛇神と固定します。蛇神は今現在この町の近くで発生し、ここを目指しています」
……ついに、動き出したのか、蛇神が。
俺は、先ほどの瞳の言葉からいくつかつまんで尋ねた。
「フェイン……ってのは何だ、レコードってのは?」
「背反世界の王です。貴方に認識は出来ません。そういう概念だとお考えください。私は彼の代弁者としての機能も兼備します。ですが今だけは、私の独断で動いています。後者は行程表です」
「行程……表?」
スケジュール。カレンダー。そんな単語が頭を過ぎる。
「はい。貴方達がアカシックレコードと呼んでいるものです」
「聞いた事無いな……」
「はい。運命の記されたノートのようなものと想像してください」
俺は少し考え込む。一気に情報が溢れてきた。頭の中で整理する。
清水瞳は俺を観察していた別の次元の住人。そこには王が居る。運命が書かれたノートがあり、つまり蛇神はそのノートを無視出来る存在である。
「それで間違いないと思います」
頭の中を読まれて、俺はフィルの千里眼を思い出した。
……運命が、分かる? そんな馬鹿馬鹿しい話があるのか? 信じがたい事の連続だが、それでも頭は素直にそれを受け入れている。嘘ではない、それが何故か分かるようだった。
彼女は続ける。
「何故この町に坂が多いか。貴方は気付いていませんでしたか。単なる起伏ではありません。山を削り取った姿になっています」
「そういや……確かに不自然だな」
確かに俺の町は不自然な形をしていると言えなくも無い。本来山として隆起していくであろうその起伏が、スパッと切り抜かれたように平坦になっているのだ。
「今から三千年程前。この地に眠っていた蛇が眼を醒ました時にこのような形になりました」
「お、おい。山一つ、吹き飛ばしたっていうのか……?」
俺はぞっとする。
今までの異能を見てきたからかもしれない。
俺は、蛇神もまた人の姿で現れるのではないかと、そう思っていた。
今の話が本当なら、まるで怪獣映画に出てくる巨大生物じゃないか。そんなものに、この刀一本で太刀打ち出来る筈が無い。
「ご安心ください……以前の接触では、殆どが人の形をしていたとの事です」
俺の考えを読んでか、瞳が続けた。
だが、その表情が曇っているのを見て、人の形を取っていたとしてもかなりの問題があるのであろう事を察した。
「お前はどこまで知ってるんだ。この事件を解決に導く術を、お前は分かっているのか?」
俺はそんな率直な意見をぶつける。もし分かるなら、教えて欲しい。
蛇神は今何処に居るのか。倒す事は出来るのか。
「レコードの閲覧権限はフェインともう一人にしかありません。そのもう一人は行方不明です。私が知らされた事実を、もう少しお話します。……貴方と、鬼について」
彼女はそう言って、俺の眼をじっと見詰める。
彼女もまた、特殊な存在だった。ずっとクラスに溶け込んで、どこにでもいるクラスメイトの筈だった。
俺が変な事件に巻き込まれてから、急に接点が増えたんだ。
(まだ早いわ)
――あの台詞の、理由。
あの時、神籬が発生したのはフィルか白草のものだろう。そこまで怖い感じがしなかった。
ただ、確かに彼女はそう言った。
フィルがその時、まだ出現しないという事実を知っていた?
周囲では、確かに風がびたりと止まっている。今ここで動いている者は誰も居なかった。時間が凍結されているというのは事実だろう。冷静に考えればとんでもない事だ。そんな事まで出来るのか。
瞳は、少し息を吸い込むと静かに淡々と続けた。
「貴方は、恐らく幼少期に蛇神と接触しています。レコードに未記入の期間があり、オーパーツ認定されたアイテムを持っていました」
「オーパーツ?」
「はい。アウトオブプレイスアーティファクツ。それぞれの頭文字を取ってオーパーツと言います。本来、そこに有り得ない時代、年代の物体です。貴方の家にある、あの絵本が該当します」
「……!?」
「あそこに込められていた蛇神の精神干渉コード……貴方たちは『呪詛』と言っていますね、これも統一しましょう。その呪詛に、我々は鬼が出現するまで気が付きませんでした。それは巧妙に仕組まれた呪詛でした」
……いつの間にか持っていた、あの絵本。
そこに差し込まれていた、不自然なページ。そこに描いてあったのは眼。あの金色の眼。
幼少期の頃は、あまり記憶が無い。死に掛けた、というか一度死んだ事が起因しているかも知れない。俺は一度、蛇神に会っている……?
母はあの絵本を知らないと言っていた。他に俺の幼少期をよく知る人物……、入院先の院長、東郷タケルさんくらいだろうか。
「少しずつ少しずつ、貴方を取り込もうとしたのでしょう。その呪いに徐々に蝕まれ、それが発動し始めた今年六月。貴方は無意識下で、それを退けようとしました」
そう言われてハッとする。夢を見た直後、眼が熱かったのを覚えている。そうか、力を使う時に必ず発生する現象じゃないか。
俺は無意識に神籬を展開し、あの眼の呪詛から自分自身を護っていたと言う事か。
「はい。その合間に見ていた複数の違う場面は、貴方が気付いた通り四翼の千里眼の力で間違いないでしょう。その絵本の呪詛自体は、現在復活した鬼、フィルセウルの力で消滅しました」
フィルが燃やしてしまったあの部分だ。
他の異能者と違い、俺は蛇神の声を聞いていない。自己防衛能力が、無意識下で働いたと言う事だ。だから、あそこまで歪む事が無かった。フィルは母親と、ここの土に護られているとも言った。
「そのフィルセウル-ディンアは元々、背反世界に出現したただ一つの奇妙な『エラー』でした。向こうで排除され、そして蛇に因果の強いこの地に落ち、その時に四つに分かれました」
「……フィルは、この世界の住人じゃない、って事か?」
分からないでもない。あの容姿に、あの力。
四つに分かれたというのはどういう事だろう。四翼。四人の巫女。四という言葉に思い当たる節は沢山ある。
「そして貴方の手に握られたアンノウン、くれないは、恐らく向こうのシステムが作り上げたものです」
「システム?」
「はい。フェインすら手が出せないブラックボックスがあります。現在、こちらで発生する説明の付かない現象及び他次元とのエネルギー交換は、我々が『精神感応プログラム』と呼んでいるものが原因です」
「な、何だそれは」
「願えば叶うもの――と説明すれば分かっていただけるでしょうか」
「願えば、叶うだって……?」
魔法、と言ったらいいのだろうか。そんなものがこの世にある訳……と言おうと思ったが、あるんだ。
想う事に、力はあるんだ。それは身をもって知っている筈だ。
瞳は続ける。
「そのプログラムは、今は行方不明のフェインの弟子、アルヴィースが作成し、そして今現在も誰も手を出せず動き続けています」
彼女は一瞬眼を伏せ、そのまま続けた。
「ある奇跡を秘めた聖杯も。世界を求めた男が欲した槍も。その時代に『ある形』を持って姿を現し、そしていつか消え行く。そんな力です。槍を求めた男はそれを手に出来ませんでしたが、その力に魅入られ未来視を手に入れる事に成功しました。その結果絶望し自らの命を絶ちました」
未来視。四翼の淨天眼に似ている。
しかしくれないはそんな物騒なものなのか。俺は背筋が寒くなった。俺はくれないを見る。フィルは神器と言った。自らをも真っ二つにしてしまう、と。
確かに特別な物であるのは、間違いない。
今の瞳の話では、過去の権力者達もその力を持っていたという事になる。下手をすれば歴史を、世界をも動かす力になり得るに違いない。
俺の手に握られている日本刀に、そんな力があるって言うのか……?
俺は口を開いた。
「じゃあ、その『精神なんちゃら』が、この時代では俺の力を借りてこの刀になったって事か?」
「いえ、断定は出来ません。本来は、プログラムにアクセス出来る者のみがそのアイテムの作成に至れるものと考えられます。そして断定出来る程の情報が、その日本刀にはありません。使用されている金属がオリハルコンに酷似しているという情報以外は、不明です。蛇神と同じくらい、情報がないのです」
結局、くれないの正体はまだ分からないって事か……。そのオリハルコンってのは、フィルが言っていたヒヒイロカネみたいなものなのだろうか。
そこまでやり取りした後、瞳は一瞬空を見た。
俺もそれに釣られる。その時。
上空で何か音が聞こえた。
その音は、徐々に大きくなる。
俺は思わず耳を塞ぐ。――確かにそれは、響いた。
金属音に似ている。
フォォンというか、キィィンというか、何とも形容しがたい音。
大砲の音にも似ている。重低音が腹の底に響いた。
そんな音が入り混じった、限りない不協和音が町を包み込むかのように響いた。エコーがかった、気持ちの悪い音だ。
「始まったわ……。これはアポカリティックサウンド。今、世界中でこの音が響いています。これは、終末の始まりを告げる音。世界が、三千回目の崩壊を迎えようとしています」
「……三千回目の、崩壊?」
俺は聞き返す。そんなバカげた事を、と笑い飛ばすのは簡単だ。
だが、今の空気は。瞳の表情は、それが真実だと物語っている。俺はそのまま続けた。
「……蛇神の出現がそれだけの被害を?」
「はい。世界の異常気象。自然災害、天変地異。異常磁気。ありとあらゆる事象が終末へと向かっています。蛇神はいつも、そういう時代に出現します。それに気付いていないのは人間だけでしょう。そして今回、その中心に居るのが、貴方です。新堂至」
「俺が、中心……。この町はどうなる? それは分かるのか? どうしてこの町なんだ……?」
「それはアクセス権限がないため不明です」
俺は空を見る。




