第十二話 凛世界~二重螺旋の宇宙~①
ガァン
ドアを叩く音が響く。
彰は静かに日本刀を抜く。彼の愛刀は『風月』と呼ぶそうだ。
凛子さんは俺の後ろに隠れ、そしてドアの様子を伺っている。
ガァン
再度音が響いた。
壁を登ってくるような異形は居ないようだ。こいつらは、物理的制限および重力には逆らえない。
だが、半透明だ。この世の理が、どこまで働いていると言うのだろう。
「凛子さん。まずはここから逃げましょう。このままでは危険ですよ」
見ると、緊急脱出用のスライダーはあった。真っ直ぐ下に下ろし、中を螺旋状に滑り降りる構造になったものだ。
「だっ、ダメだぞ、私はそれには入らない!」
彼女が後ずさりし、しきりに首を左右に振る。勘の鋭い女性だ。
「……だとしたら、あの連中の中を突っ切って行くしかないな」
彰が呟く。それに合わせて凛子さんが慌てたように口を開いた。
「至、あれは何だ。虫のようだが、とても気持ち悪い……。あんな生物は、何と言うか、有り得ないだろう」
凛子さんは、突然変異か、放射能か生物実験か……と続けて呟いている。
俺と彰は互いに顔を見て、そして同時に頷いた。
「凛子さん。あれは魑魅魍魎と言います。有体に言えば……妖怪のようなものです」
「よっ」
彼女はその言葉を繰り返そうとして、詰まった。
「そんな話を、信じろと言うのか? 馬鹿にしてる」
怒気を孕んだ口調で続ける。
「見ましたよね? 事実です」
俺が彼女の眼を見て言うと、彼女は少しだけ険しい表情をした。
ガァン
少し音が甲高くなり、ドアが変形するのが見えた。
「至、会長を頼むぞ。急には走れない、方向転換も難しいという事を忘れないでくれ」
彰が呟くと同時に、ドアが壊された。三匹の異形が、生徒会室へと雪崩れ込む。
同時に、彰が神籬を展開した。異形は一瞬怯み、そして刹那、彼の繰る風月に霧散させられた。
奥の景色が少し見える。
まるで深海に落ちた餌に群がる深海魚。そういうシーンをテレビで見た事がある。
うぞうぞと蠢くその姿は、見るものに不快感を与えた。
「なっ、なんだこの空間は、空気の色が違う……」
凛子さんが天井や壁を見渡しながら呟く。
……神籬にも反応しているのか?
「……行こう二人とも。会長、至から離れずにゆっくりと付いてきてください」
彰がそう言うと、ゆっくりと廊下に出た。
刀の風斬り音が二~三聞こえて、そして部屋の前は静かになる。
俺と凛子さんは、慎重に廊下へ出た。
若干疲れが出ているのだろう、彰の足取りが若干ふらついているようにも見える。午前十時くらいから、現在午後十時、約半日間飲まず食わずでここまで来てしまったんじゃないだろうか。
……どこかで、一度休むべきかも知れない。
歩きながら、凛子さんは俺に尋ねてきた。
「君たちが古流剣術をやっているのは知っていたが、まさかこういう事を生業としているのか? 小説みたいだな」
「……俺は最近始めたばかりですけどね」
「詳しく教えてくれ。もしかして、至が最近巻き込まれた変死事件と何か関わりがあるのか?」
……鋭い。
俺は彰を見る。彼は一瞬俺を見た後視線を戻し、そして口を開いた。
「神籬にも対応している。眠らせる事はもう無理だ。話すのが賢明だろうな」
「……そうだな」
俺は、出来るだけ噛み砕いて、最初に起きた事件から、今に至るまでの経緯を凛子さんに説明した。
その間にも、次々と魑魅魍魎が襲ってくる。時に教室から飛び出てくる。俺は咄嗟にそれを斬り付け、凛子さんの背後を護った。
「……君は今まで人殺し共と渡り合い、そして勝ち続けてきた。特殊な力を証明するのが難しいため、警察にも頼れない。……理解した」
彼女は頷きながら、歩く。だが、すぐにこう呟いた。
「……有り得ない。無からの、物質の召喚……」
彼女は暗い声で、そう呟いた。
「……信じられないのは、分かります。俺だって何度夢だと思った事か」
俺が答えたが、彼女は俺の言葉を制して続けた。
「通常、何も無い場所から何かを発生させる事は出来ない。質量とエネルギーは等価なんだ。それだけの質量のものを、何も無い場所から発生させるなんて、不可能なんだ」
彼女は言う。少し語調を強め、更に続けた。
「物質をエネルギーに純粋に変換出来たとしたら、一グラムの物体から十万トンの氷を沸騰させるエネルギーが取り出せると言われている。電気量に換算すれば、地球の消費電力の一日分に相当する」
……一グラムから、地球一日分のエネルギー?
俺はぽかんとした顔で、凛子さんの真剣な表情を見詰めるしか出来なかった。
彼女は続ける。
「そして零からは何も生まれない」
そう言うと、彼女は少し考え込んでしまった。
「だけど、事実これは俺の手に握られている。俺は嘘は言っていませんよ?」
俺が言うと、彼女は頷いた。
「分かっている。君は嘘を吐かない。つまりだ、君はどこかから『持ってきた』のだ。必ず代償がある。その質量を、どこかから借りてきたんだよ至、そう考えるのが自然だ。その方法が分からないが……」
……俺の力を考慮するなら、それは俺の血だ。くれないという、俺の本当の父親、四翼暁の力。
仮にコレが血液から造られたとしたら――約一キロ。それだけの血液が体外から失われて、生きていけるのだろうか。
凛子さんに尋ねたら、俺たちくらいの年代だと二千ミリリットルの血液が失われると失血死の危険性があるらしい。だとしたら、一キロなら現実的な数値ではある。だが、その量を失えば確実に貧血の症状が出るとの事だ。
あの時、美雨音を背負って家まで帰れる程度には動けたし、眩暈なんか起きなかった。
ガサガサと、様々な場所で聞こえる異音。
教室の窓からは月明かりが見える。ベージュの床をずっと先まで照らしていた。
「彰、こいつらに弱点は無いのか?」
俺が尋ねる。
「……光を嫌う。電気を付けて見よう」
そう言うと、彰はゆっくりとスイッチに手を伸ばした。
パッと教室の一つに明かりが灯ると、確かに一、二匹の異形が光から遠ざかった。
だが、俺達三人の姿を認めると、真っ直ぐに向かってくる。
電灯の下であってもだ。
「……ダメか、やっぱりいつもとは様子が違う……妙だ」
彰は言う。
やがて、一階まで続く階段が見えてきた。
「――階段だ、会長、下りる事は出来ますか」
彰の声を受け、俺は周囲を警戒する。
凛子さんは力強く頷いた。
手すりに触れながら、慎重に、階段を下りる。
まるでゴキブリのように這ってくる数匹を、彰が斬り伏せた。霧のように消えていく異形。
「……こいつらも、死体も残さずに消滅している。成る程、物理法則を無視しているな」
階段を下りながら、更に凛子さんは続ける。
「物質を完全に消滅させた時、途轍もないエネルギーを得る事が出来る。電子と陽電子の対消滅が有名だ。物理的に物体に干渉する力を持った者が、その身をチリも残さず消滅するというのは不可能だ。相当のエネルギーが発生している筈なんだ」
いつもの薀蓄のようだが、真剣に今の現象を考察しているようだった。
「そのエネルギーは、何処へ行く……?」
顎に手を当て、彼女は呟く。
そのまま階段を下り続ければ、すぐに正面玄関へと辿りつく筈。
敵は増えず、少なくならず、という感じで出現する。
物理的制限を越えては来ない筈……と言う事は、学校のどこかが開放されている。窓が割れている? 開きっぱなしのドアがある?
若しくは、どこかこの学校内に発生源でもあるのだろう。
「……そうか」
凛子さんは呟く。そして続けた。
「以前、別次元の話をしたのを覚えているか、至」
「……最初に図書館で話し込んだ時のですか?」
「そうだ、我々には認知出来ない多次元の概念だ。その時少し話した超ひも理論。まだ物理学の中枢を担う程の研究が進んでいないが、その理論によればこの宇宙は十次元だ」
「じゅ、十次元? 俺達の居る世界がですか?」
「まあ、概念的にはそうなる。最も、二次元のものが三次元を認識出来ないように、我々がそれを概念として捉える事以外は出来ない」
「……見えない、認識出来ないけど、『あるという事にする』っていう事ですよね……? すごい世界だ」
「全ては仮説と証明の連続だよ至。我々の先人たちは、そうした概念を、実験で証明して見せている。ニュートリノ観測実験施設はここ日本に有名なものがあるし、先日発見された重力に関する素粒子は、世紀の大発見だぞ?」
彼女は嬉しそうに笑う。そして続けた。
「話を戻そう。メビウスの帯を知っているか? 表と裏が同時に存在する。だが同じ場所の表裏に立っている者は、同じ場所に立っているにも関わらず互いを認識出来ない。別の次元とは、そういうものらしい。
いや、時間経過、移動速度の違いで会ってしまう事を考えると、けして交わる事のない二重螺旋、DNAの塩基配列の方が表現として正しいかな?
――この一連の現象は、傾いだ他次元の干渉を受けているという仮説を提唱しよう。何らかの方法で、そことのエネルギーの交換が行われている、そう考えれば……」
◆
「レンズからフィルムへ」
「 」
「マスター、特異点が二つに増えました」
「 」
「いいえ、全く別の場所です。観測対象には入っていましたが……」
「 」
「はい。レコード通りかと思われます。ですがメビウスは……」
「 」
「……それを調べる為では?」
「 」
「いえ。了解しました、観測を続けます」
ぱしゃり。屋上から写真を撮る人影。彼女の、暗い瞳がその光景を見下ろしている。
◆
「君の敵は何だ。至」
階段を下りながら、凛子さんは尋ねてくる。
「……蛇です。蛇神と言います」
俺は、起きた現象の原因となった所を、掻い摘んで説明した。
彰と前衛を交代し、階段を上ってくる魑魅魍魎を斬り伏せながら、ゆっくりと階段を下りてゆく。
「蛇。蛇か。その超ひも理論にも、蛇が関わっているかも知れんな」
「……え?」
俺は思わず後ろを向く。すぐ近くに敵が居なかったのが幸いした。
「そのひもは、宇宙開闢のエネルギーを全て担った目には見えぬ十のマイナス三十乗センチという素粒子よりも細いひも。だがその質量は一億トンの一億倍。そんな化け物が、近付いたもの全てを切り裂きながら、光の速さで超振動しつつ宇宙を漂っている。そういう説がある」
「宇宙の、蛇……?」
俺は呟く。
「先日その存在が証明されたヒッグス粒子の海から、真空の相転移時に生まれた銀河の母。そういう理論だ。もっともこれは物理概念だ。意志も無ければ生命でもない」
……神話の次は宇宙と多次元か。まさかそんな話から『蛇』が出てくるとは思わなかった……が、何だか気になった。
もし宇宙に意志があるのだとしたら……その意志は何処に向くというのだろう?
リィン――
くれないが、頭の中で鈴を鳴らす。
階段を降り切り、俺達は玄関へと向かう廊下に出た。
そこで――彰の身体が、大きくぐらついた。
「彰!」
俺は走り寄り、その肩を押さえる。
「あ……、悪い、至。ちょっと……」
そう言いながら、彼はその場へと崩れ落ちる。




