大樹白草③
授業中。
それは突然起きた。
「……っ!?」
眼が、急に熱くなる。
二時限目、生物の授業中。俺は突如、目がおかしくなった事に気付いた。まるでくれないを持った時のような、あの熱さだ。
キィィ……という、まるで高周波に似た感覚も受ける。何かに反応している可能性がある。周りに気付かれるとマズイ。この時、俺の目は金色に光っているはずだ。俺は手でそれを隠す。
「……先生、少し具合が悪いのですが」
前方で声が上がり、そこを見ると彰が立っていた。
目を瞑り、顔を押さえている。
「そうか、保健室は行けるか?」
初老の生物担当教師が、彰に声を掛ける。
「はい、大丈夫です」
彰は、前のドアから教室を出て行った。……顔色が真っ青だったな。大丈夫だろうか。
俺の目も直ぐに治まる。
何か、近くに来ていたのだろうか。
昨日の風呂での出来事を思い出す。
「これは驚いた、四翼の淨眼じゃ」
そう、フィルは言っていた。魑魅魍魎を見るのに特化したその力が、俺にも軽微ながら備わっているようなのだ。
その後、彰は教室に戻ってこなかった。
「そっか……彰お兄ちゃん、心配だね」
「ああ。身体はそんなに弱くない筈だからな、よっぽど具合悪かったんだと思うけど……」
放課後、玄関で待っていた神楽と合流した。そのまま二人で帰る事にする。
神楽の部活は今日は休みだそうだ。
今日は木曜日だ。いつもなら彰の家の道場で稽古がある。夜にはフィルとの約束があるが、稽古の時間はいつもみっちり休み無く二時間程度で終わる。
そこからでも遅くはないだろう。
木刀を折ってしまった事をどう説明するか、そこに頭を悩ませる。くれないを持って行って見せるべきだろうか。じいちゃんは真剣にも詳しいはずだ。
だが、あの力を人に見せても良いのだろうか。ここはフィルに相談だな。
一度家に帰る事を神楽に伝える。彼女は分かった、と短く答え、ぴったりと俺の横に並んだ。
「お姉ちゃん見て、みんなびっくりしてたね」
「お姉ちゃん? フィルのことか?」
「うん、そう呼んでもいいって」
千年生きた鬼をお姉ちゃん呼ばわりもすごいな、と思ったが俺もガッツリ呼び捨てだ。人の事は言えまい。
「……お兄ちゃん、私寝ちゃったけど、フィルさんから聞いたよ? お風呂、一緒に入ったって……」
じいっとこっちを見る神楽。
「……待て、大きく誤解がある。突然乱入されたんだ。俺は被害者だ。すぐに出たし、見ないようにしたぞ」
見えちゃった部分は伏せておこう。
「お兄ちゃん、おっぱい大きい人が好きだからなぁ……」
バレてる。これは死ねる。
神楽は自分の胸に両手を当て、くいくい動かしてから溜息を吐いた。
「……大きくなるといいな」
俺が言うと、尻を思い切り蹴られた。コンプレックスらしい。
家に着くと、フィルが玄関先で立っていた。その目は金色に輝き、どこか遠くを見ているようだ。
今朝は肌襦袢のままだったが、今は和服の一種、紬を着ているようだ。藤色で、帯は少し濃い紫に似た色のものだ。これも母の持ち物だろう。
髪はまとめて結われ、かんざしが挿してある。耳の前には髪が垂れ下がっていた。
先日までは見えなかった耳が良く見えた。尖っていて俺たちよりは少し大きく見える。耳たぶには、赤い石のピアスをしているようだった。
よく考えたら胸のサイズも母親と一緒くらいか。
フィルには恐ろしく似合っているが、この格好は胸が強調されないのであまり面白くない。
しかし今重要なのはそこではない。
「フィル。人に見られるぞ」
俺が言うと、フィルは遠くを見たまま頷き、そして口を開く。
「魑魅魍魎が発生しおった。尋常な数ではない。山の奥で暴れておる」
「え……マジかよ」
俺はフィルと同じ方向を見て、少し集中する。
一瞬、目が熱くなるのを感じた。授業中に感じたそれと同じ感覚。
「神はなく、巫女の神力もない。この地において、これだけ魑魅魍魎が少ないのは不思議じゃったが……誰か、戦っておるな」
「……本当かよ」
俺には何も見えない。
ただ、遠く見える林の奥に、何か異様な感じを受けた。
「わしのちからはそろえておきたい。すぐに出る事は出来るのかえ?」
フィルが言う。
「剣術稽古があるんだ。それ終わってからでも良いか? いつもは二時間くらいで終わるんだけど、今日は早く戻ってくる」
誰かが魑魅魍魎……この町にとって良くないものと戦っているなら、手伝ってあげたい。俺がそう答えると、にじかん、と彼女は呟く。
「えーと、一刻だ」
一刻、二時間の筈。
「心得た」
フィルは笑って答える。うーむ、いつ見ても美人だ。和服の似合う外国人、って感じだろうか。
フィルにくれないを人に見せて良いか尋ねた。誰に見せるかを問われ、剣術道場の師と答えると、しばし考え込んでから、彼女は頷く。
部屋に取りに戻ると、正影さんがやってくれたのだろうか、くれないの横に「刀剣登録証」なるものが置いてあった。
手紙が添えてあり、毛筆で手数料六千三百円也。小遣いから引くものとする、と書いてある。
……一ヶ月分の小遣いでも足りん。
制服を脱ぎ、Tシャツとカーゴパンツに着替えた。木刀を入れていた竹刀袋にくれないを入れ、その外側についたポケットに刀剣登録証を仕舞った。自転車で彰の家へと向かう。坂を上りきってしまえば大きな起伏もないため、道場へは自転車で問題なく行けるのだ。
だが、道場は締め切ってあった。誰も居ない。彰の具合が悪いならば家には居る筈だろう……と思ったのだが、人の気配が無い。
「じいちゃんまで居ないとは……」
俺は呟く。普段なら彰の母ちゃんはともかく、じいちゃんは居る筈だ。
俺は若干納得出来ないまま、彰の家を後にした。
「そうか、予定より早いのぅ」
フィルがまんじゅうを咥えたまま言う。
「早いに問題はないんだろ?」
俺が問う。
「人目に付きとうないのじゃ。しばし待つがよい……ふむ、これはうまいな。なお、もう一つ食べてよいか?」
そう良いながら、彼女はお茶を自ら淹れて、テレビを見ながらまんじゅうに手を伸ばす。誰か戦ってるなら、急がなきゃいけないんじゃないのか? どれだけ馴染んでるんだ。
ちなみに母さんはパートには出ずに家に居た。休みにしたらしい。
全盲である事が判明したが、何も見えずに今までメールとかをどうしていたのか聞くと、同僚に読んで貰ったり、返信して貰ったりしていたそうだ。ちなみにパートは、スーパーの品だしをしているとの事だ。慣れればその影読み、とやらだけでも可能だろう。
……ちょっと貯金して、来年の母の日には少しいいものを買ってあげようと思った。
「晩飯はすぐ食えるように用意しておく。フィル殿、不肖の息子を宜しくお願い致します」
母親が玄関口で頭を下げる。
「むすこどのをお借りする。かぐら、留守をたのむぞ」
「うん、気をつけてね」
神楽も来たがっていたが、やはり物騒なので家に居て貰う事となった。フィルがまじないとやらを施してくれたので、蛇神の力を持った異能者が来ても護ってくれるとの事だ。
「まずはあそこじゃの」
フィルは動き易い格好になっていた。
髪はポニーテール。上はピンクのスポーツブラに首周りの緩い白Tシャツ。下はタイトジーンズだ。ストレッチが効いたものなので、多少走っても問題はないらしい。
靴は俺のお下がりしか入らなかったが、母親の服の流用が効くので助かる。
フィルが指差した先は、あの大樹。神社の方向だ。
フィルの首が安置されていた首塚。先日美雨音と戦った場所だ。
「身体ごなしじゃ。走るぞ」
「大丈夫か? 転ぶなよ?」
「たわけ。わしの脚はカモシカよりも速いのじゃ」
「明日動けなくなっても知らねえぞ!」
そうして、並んで走り出す。
「いたる。わしはむかし、自分の身体を分けて、四方に分けたのじゃ」
「ああ、それは知ってる」
共に走りながら言う。
「その身体各々が、特殊な力を持っておる。本来、その場所には魑魅魍魎は近づけない筈なのじゃ。ただ、今はあの場所にわるいものを近づけさせない事よりも、蛇神を討つのが先じゃ」
その意味はわかる。
ここ最近発生した、蛇神の呪縛を受けたもの達の力。それはフィルの知らない力だと言っていた。だから、あの首塚が戦場になってしまったんだ。
ただ、感知は出来るとの事だ。その方法を後で教えると、彼女は言う。
先日、フィルが復活した際に通った道を行く。
再び木がざわめき、そして道を作った。くれないの柄から鞘を作ったり、木を動かしたりという力はフィル特有のものなのだろう。
直ぐに、大樹の根元へとたどり着いた。
「さあ、着いたぞ。まずはいたる、わしの首を持ってきておくれ」
「ああ、あの中にあるんだよな? 鍵とかかかってないのか?」
「そうじゃな、見てみよう」
以前開けようとして瞳に止められた、その中心のお社。
見ると、鍵はかかっていないようだった。
「それを持って、あの木の前まで来ておくれ」
そう言いながらフィルは、木の根元へと歩いていく。
俺は、意を決して、再び靴のままゆっくりとその池に入り、慎重に小さな扉を開けた。
中には、お札が一枚。それをそっと右に避けると、木の箱が見えた。木の箱を取り出す。
もう何年経ったものだろう。茶色く変色し、その蓋は札で封をしてあるようだった。
フィルは何も言わない。この札を剥がす事に問題はないのだろう。
札を剥がして、俺は蓋を取る。
独特の臭いがして、中から白い布に包まれた何かが出てきた。そこにも札が一枚。俺はそれもそっと外し、木箱の蓋に置いた。
ゆっくりと布をめくると、中に入っていたのは紛れもない、人間の頭のミイラのようなものだった。
落ち窪んだ眼球。皮膚は完全に乾き、頭蓋骨に張り付いているようだった。髪は黒い。フィルの頭だというのにプラチナブロンドではないようだ。こんなふうになった人間の亡骸を、俺は初めて見た。
素手で問題は無いのだろうか。
俺はその頭の両耳に当たる部分を、ゆっくりと持ち上げる。
落としてはいけない、そう思うと慎重になる。
……ここまで来て、今のやり取りを、一度経験したことがあるという感覚に陥った。
強烈な既視感。
ミイラを持ったまま、思い出す。何故だろう。
そして、突然思い出した。
これは、夢で見た光景じゃないか。完全に一致していた。今思い出すまで気が付かなかったが、全ての行動において、まるっきり夢と同じだ。
あれは、瞳と一緒にここに来て、そしてその夜に見た、夢。
……夢? 違う、俺はこれを知っている……!!
――これは、四翼の千里眼……!!
間違いない。時々夢に出てくる、やけにリアルで脈略のない夢。
それが、母さんの語っていた四翼の千里眼、その中でもごく近い未来を写すと言われる、淨天眼なのだとしたら。
……俺には、一体いくつの力が備わっているというのだろう。
「フィル」
俺はミイラの頭を抱えたまま持ったまま彼女に駆け寄り、そして今の一連の考えを話した。
「……成る程、四翼の男児が忌み子と呼ばれる訳がこれか。本来、そんな目を持つような者は今まで居なかったはずじゃ」
フィルは言う。
「時々可能になる、未来視か……」
蛇神にたどり着くまで、これが有効に働く事もあるかもしれない。
……一回フィルとアレしてる夢見ちゃった気がするけど、それは今は考えないでおこう。
「では、そのあたまをわしの前に持ってきておくれ」
俺は言われるままに、彼女の前にそのミイラを持ち上げる。
「よし」
彼女がそう言うと、手を広げて目を瞑った。
ミイラから青白い光が広がり、それは周囲を照らしている。やがてゆっくりと、ゆっくりとフィルへと吸い込まれていった。
ミイラは残っている。
「終わりじゃ。次へ行くぞ」
早いな。
「えーと、これはもう必要ないんだな? これは本当にフィルの頭なのか?」
俺はさっきの木箱に、ミイラの頭を先ほどと同じように戻していき、尋ねた。
「うむ、わしが生まれた時に、入り込んだ人間のものじゃ。共に生き、共に死んだ千年前のからだじゃ。この身体が『遥』と言った。よい娘であった。……わしが、全てをくるわせてしまったのじゃ」
そう、彼女が表情を曇らせる。
そこまで言った時。目の前の大樹が、ざわざわと揺れた。
フィルはそれを見上げ、そして微笑む。
「そうじゃな、白草。お前が言っていた通りであった。少し留守にする。護りが減るが、ここを頼むぞ」
そう、呟いた。
「……木と喋れるのか?」
頭のミイラを小さなお社に入れて戸を閉めてから、俺は彼女の横に並んで木の天辺を見上げて尋ねる。
「これは大樹白草。四枚の翼がひとつ。わしと共にこの世に生まれ、全てを護って木になった。千年経とうとも、この地と弱きものを護ろう。それが、白草の願いじゃった」
俺は無言で彼女を見る。聞いてもいいのだろうか、その時の話を。
「そうじゃな、いつか聞いておくれ。わしの『罪』も含めてな、おしえてやろう」
フィルは寂しそうに笑う。少し、その笑顔を見て胸が締め付けられたような気がした。
お前は、一体何を抱えているというんだろう。
今は、急がなければならない。それは分かっているつもりだ。
「……弱気な顔は似合わないぞフィル。行こう、次はどこだ?」
俺はフィルの肩を抱いて、強引に歩き出した。
「う、うむ、次はこっちの方向じゃ。ひがしじゃな」
「ああ、そうだ、華京院の娘が待っているって言ってたな、そこに行ってみよう」
華京院の家は、坂の下にあると聞いている。恐らく東の方向だろう。
俺の提案に、フィルは「わかった」と呟く。
だが、彼女は一瞬立ち止まった。俺が振り返ると、突然首元に抱きつかれ、耳元で彼女は呟く。
「心配してくれているのじゃな、いたる。ぬしはやさしいのぅ」
「ばっ、こら、放せよ。急がないとダメなんだろ?」
「カッカッカ。愛いのぅ」
ぱっと笑って手を離すと、フィルは走り出した。
俺は、苦笑いをしてその後を追う。
リィイ……と言う音と、眼が熱くなる感じがした。
誰かが、戦っている。俺に、何か手伝える事があるのだろうか。
以前、正影さんに言われた。
自分に出来る事だけをしろ。それでいいんだと。
だが、俺はこの町が好きだった。
この町が脅威に曝されている時、俺に力があったなら、きっと全てを護れるのに。そう思ったのは確かだ。
そして、俺の力が、今この竹刀袋で眠っている。この熱い眼が、きっと全ての助けになる。
……誰だか知らないが、待っててくれ。死なないでくれ。俺も、この町を護りたいんだ。許されるならばこの眼に映るもの、この手に届くもの全てを護りたい。
俺もきっと、すぐそこに辿りつくから。
横目で、白草を見る。
俺もあんたと同じ気持ちだと思う。
そう心の中で思うと、大樹がざわめいたような気がした。
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