第七話 紅月
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『四翼』は、鬼から『千里眼』を与えられていた。
その力は、ごく近い未来を見通す力『淨天眼』。
そして魑魅魍魎を見る能力『淨眼』に分けられた。
一度その家は大きく分かれており、四翼そのものの特徴を色濃く残した華京院、淨眼に特化した祓魔、そして本家となった淨天眼の四翼、その三家となったらしい。
本家はいつしか、女性しか生まれない家系となっていた。婿を取り、再び女児が生まれる。そうして細々と血を繋いできた。
時々男児が生まれると、決まって強い力を持っており、五歳を待たずして不慮の死を迎えたらしい。時に四翼の存続を脅かす事態すら招くその四翼の男児を、一族は『忌み子』と呼び嫌っていた。
時に取り上げられた直後に縊られ、その存在を無かった事にされる時もあった。
その千里眼によって栄えた一族も、戦後から急に廃れ始めた。生まれる女のその悉くが、眼に障害を持って生まれるようになったのだ。
一族にも現代の技術の進歩に伴い、排他的な風習を嫌う若い者が現れた。老いた者たちはそれを嘆いた。
千里眼が、血が弱い。そう一族は思い始めた。
前に『お役目』が来てから既に二百数十余年。このままでは、満足にその勤めは果たせまい。
『お役目』は、大事だった。鬼から特殊な力を貰えるのだ。この世の理から外れたその力は、それだけで一族を支えるだけの力となり得たからだ。それだけで一族を支える希望にもなるからだ。
その時、男児が。『忌み子』が生まれた。これから来る一族の夜明けを信じ、暁と名付けられた。
一族のために、血を濃くせねばならない。もう一人子を儲け、それが娘だった場合忌み子と交わるようにしてはどうだろう。ある老いた者が提案し、それは現実となった。――近親結婚だ。
そして生まれた妹奈央は、稀代の千里眼使いだった。
暁と奈央は、そうして結ばれる運命となった。自らの意思とは、違う所で。
四翼暁は、小さい頃から不思議な力を持っていた。自らの血を、モノに変える力だ。力を通せば物質化し、力を抜けばただの血に戻る。
ただ、従来の忌み子と違ったのは、外に向けてその力を誇示しなかった事だ。
魑魅魍魎に感知される事なく、四翼暁は育っていった。ただ、悪戯に自傷行為を繰り返してはいたので、どこか歪んでいたのだろう。暁はその力を――くれないと呼んでいた。
四翼奈央は、美しい娘に成長した。
四翼の女は、その全員が眼になんらかの障害を持って生まれていたが、奈央は素晴らしい眼を持つ事が出来た。
そう、自らの不遇すら見通してしまう程の千里眼を。
◆
俺は、母さんの言葉を――静かに聞いていた。呼吸が重い。空気が重い。
神楽も同じようで、息苦しさを感じているようだった。
「私と暁は、何の疑念も無く結ばれ、そして子を儲けた。一族の者達は喜んだ。私は、その喜びが別の事に向けられていると言う事に、気が付かなかった。その千里眼を持ってすれば、きっとすぐに理解出来たであろうに。そうして生まれた赤子は、真実に至る者、として『至』と名付けられた」
……俺は自分の本当の父親の事を知らない。
俺が生まれてすぐに、亡くなったと聞いていたからだ。
彼は、何故死んだのだろう。
俺は、どうして死に至ったのだろう。
その理由は、母さんの口から全て語られた。
「至が生まれてすぐに、暁は自分の異変に気が付いた。自分の力が、そっくり無くなっているという事実に。
全ては、至に移ってしまったのだと、そう思ったのだろう。そして、暁にはそれが、耐えられなかったのだと思う。ある蒸し暑く、紅い月の晩、それは起きてしまった」
母さんの暗い瞳に、蝋燭の明かりが揺れるのが見えた。まるで泣いているように思えた。
母さんは言葉を続ける。
「私の淨天眼に突如映りこんだのは、刃物を持った暁と、血だらけの至の姿だった。これはすぐに起きてしまう事だ。そう感じ、私は走った。いつも私の隣に寝ていたお前は居なかった。暁が連れ出したのだと、直感した。
さっきの光景から、暁がお前と離れに居るというのは分かっていた。私は直ぐに暁を見つけ、止めようと思いその匕首に飛びついた。だが――」
一瞬、母さんは口を噤んだ。それでも、搾り出すように、俺を見詰めたまま話す。
「……間に合わなかった。お前は、背中に三箇所の切り傷を負い、その場で、死んでしまったんだよ。至」
その眼から、ついに涙が零れ落ちた。
母さんは、涙声で続ける。
「私は、この眼を呪った。愛する我が子を護れぬ力など要らない。暁は笑っていた。これで力はまた僕のものに戻る。そう、叫んでいた。
私を支配したのは、途轍もない憎悪だった。落ちていたその刃物を拾い、私は彼を……」
母さんは、再び言い淀む。俺は、母さんの手を握って首を左右に振る。言わなくて良い。そう、伝えたかった。
それを感じたのか、母親は涙を湛えながらも、僅かに微笑んだ。そうして、続きの言葉を紡ぐ。
「私は、自らの目をその刃物で傷つけ、至の亡骸を連れて直ぐに家を出た。その後の事だが、一族は、その事実を隠し通し、そうして世継ぎが消えた一族は、もうその最盛を取り戻す事は不可能となった。分家にも愛想を付かされ、もうどうすることも出来なくなった四翼に残った者は、全て――絶命した。理由は様々だ。命を自ら絶ったものもいる。謎の事故に巻き込まれたものもいる。
ただ、四翼の血は私を最後に途絶えた。そう思った」
母さんは、「だが、それでも良かった」と続けた。
フィルは何も言わず、じぃっと母さんの顔を見続けている。頷きながら、その話を聞いていた。
母さんは、ゆっくりと更に続ける。
「その時は、下働きをしていた新堂佳影が眼の見えなくなった私を連れ出してくれた。私の不遇を、一番傍で見ていてくれた一人だ。
私は至の亡骸を抱え、泣き続けていた。だが――至は確かに、四翼の血の力を、持って生まれていた。
その血が自在に動き、正確に切られた傷を繋ぎ合わせてしまったのだ。その小さな身体で、死にたくないと。生きたいと。そう、頑張ってくれたんだ。
――お前が息を吹き返した時、私は本当に、本当に嬉しかった。もう何も要らない。お前が居れば何も。そう、心から思ったんだ」
そう言いながら、母さんは笑った。俺の手を握り返してくれる。その手は温かかった。
俺の手を握ったまま、母さんは続ける。
「背中の傷は全く見えなくなっていた。だが、乳を上手く吸えなくなっていたお前は、五歳まで東郷医院の一室で育ったんだ。
家族ぐるみで付き合いのあった佳影の息子、正影が、眼の見えなくなった私の世話をしてくれた。正影はその頃妻と死別していて、既に神楽を娘に持っていた。
私は、そんなやり取りの中で、『普通の家族の幸せ』を……知ってしまったのだ。あの歪んだ家で育っていたら、そんな事には絶対に気付けなかった。とても大切な、些細な幸せに」
そう言って、少し困った顔で微笑む。
「表向きは、お前は養子だ。だが、正真正銘、お前は私が腹を痛めて生んだ子だよ、至。すまない、伝えるのが遅れてしまって、本当にすまなかった。
そして神楽。私が愛している夫は、貴女のお父さん、正影ただ一人。そしてもちろん、お前も心から愛している。
今の話を聞いて、お前達は私を嫌うかも知れないが……今の言葉は、私の本心だ。嘘偽り無い、私の心からの声だよ、二人とも」
「お母さん……」
神楽が立ち上がり、顔をくしゃくしゃにして泣きながら、母さんの首にぎゅっと抱きついた。母さんは、泣きながら神楽を抱き締め、そして横に居た俺も一緒に抱き締められた。
こんな風にされたのは、初めてだ。
フィルは、そんなやり取りを微笑みながら見ていた。暫くしてから、彼女は母へとこう尋ねる。
「して、いたるのその力は、どうなったのじゃ?」
「はい。至はその後、全くその力を使う事はありませんでした。正影の薦めで古流剣術の道場へと通わせ、身体は丈夫になりましたが、指を切ったり擦りむいたりした時も、血を動かすような事は、ありませんでしたから」
幼少期の怪我の折――さっき母さんが言っていた事だ。
母さんは普通の生活を強く望み、そして俺はその四翼の力とやらを消滅させてしまった。
だが、俺の中に、沸々と沸き続けていた力だった、と言う事だ。
俺はフィルの後ろの日本刀を見る。
神器。彼女はそう告げた。どれほどの力を秘めているのか、俺には想像も付かない。
「あの鞘は? フィルが用意したのか?」
俺が尋ねると、フィルはふふんと笑って答える。
「わしは木々を操るくらい造作もないのじゃ。柄と同じ木を増やしてな? さやにしたのじゃ。どうじゃ上手いものじゃろ? きれいじゃろ?」
そう言ってカッカッカと高笑いを始めた。
だが直ぐに、フィルは表情を曇らせる。
「……そうか、わしが千里眼を与えた事が、四翼を不遇な道に導いてしまったのじゃな……。なおよ。本当に申し訳ない事をした。このとおりじゃ、赦して欲しい」
そう言って、フィルは頭を下げる。
母さんは、慌ててフィルへと駆け寄った。
「お顔を上げてください……!! 私は、今の幸せを護れればそれでいい。フィル様、よろしければ、至と、神楽を、御守りいただけないでしょうか。
私の影読みでは、もう遠見は出来ませぬ。ましてや、さきの話では、輩は得体の知れぬ者と聞きました。どうか、あなた様のお力で、お願い致します――」
母親も、同じように頭を下げる。
「……分かった。この真名に賭けてそれを約束しよう。代わりと言っては何だが……」
「はい」
「……ごはんが食べたいのじゃ。住まわせてくれとは言わぬが、せめて白いごはんが食べたいのじゃ。それだけは、お願いできぬか?」
……本当に鬼なのかこの人は。
「衣、食、住においては全てご用意させていただきます。ご安心ください」
母さんは笑って言う。
「お母さん、今夜はごちそうだね?」
神楽が嬉しそうに言う。
え? 一緒に住むの?
俺とか正影さんとか居るよ?
俺の心配をよそに、神楽とフィルは手を取り合ってごはんだごはんだと踊っている。
「至」
母さんが、俺に声を掛ける。俺が頷くと、言葉を続けた。
「あの刀。暁の力『くれない』で作ったものだとしたら、いつ消えてもおかしくない。だが、あれほどハッキリと形になっている。遣い方を間違えば、怪我では済まない。今の私の眼にも見えるんだ。強い力だ」
全盲の眼でも、物体の影を捉える事で感じる事が出来るのが『影読み』だと母親は続ける。
電灯よりも蝋燭の火の方が、夜は見易いらしい。無機物よりは生き物の方が、影は読み易いらしい。だが、今床の間に置いてあるあの刀だけは、肉眼で見るよりも更に強く、紅く、輝いているとの事だ。
「いたるよ。その刀に、銘をつけてやれ」
「めい? 名前の事か?」
俺がフィルに尋ねると、彼女は頷く。
「名は大事じゃ。ぬしが名付ける事で、より強く、より迅く、手足のように振るえるじゃろう。きっと、今までよりもずっと、戦い易くなる」
フィルの声を受け、俺はその刀を、握る。
眼が、熱くなる。
鞘からすーっと刃を滑らせる。紅い、乱れ文様の木目に似たその刀身。まるで血の赤だ。さっきの話を聞いて、銘なんて決まっていると思っていたが、名付けるという事が、人生に何度あるかなんて分からない。
これは、縁だ。きっとかけがえの無い絆だ。
改めて、俺は叫ぶ。
「――くれない。お前の名だ!」
リィン、と頭の中であの音が鳴った。まるで、その刀が答えたかのように、とても涼やかな音。
まだ、異能の者たちが来る。俺の決意は変わらない。来る連中の能力を軒並み消し去って、そして蛇神とやらを、引き摺り出してやる。
悪戯に命を弄ぶようなやつを、俺は絶対に許さない。
俺は、その決意を込めるかのように、刀を再び鞘へと戻した。
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