46話 「モデル」
見渡す限りの草原。背後には広く透き通った湖。
俺から漏れるため息には戸惑いの成分が多量に含まれている。
「モデルってどうすればいいの?」
マルティンから「モデルをやって貰えないか」とお願いされ、それを受けたのはいいのだが・・・。
そんな経験ないしな。そもそも男だったし。
「ええと、そうですね。その辺に立ってください」
「ここ?」
「そうです。それで、体は少し横向き加減で・・・右手は髪に当ててください」
「こ、こう?」
「違います」
色々注文が飛んでくる。うー、これは結構恥ずかしいな。なんか姫がニヤニヤしているような気がするし、馬車の方から一角馬のアリオンもつぶらな瞳でこっちを見ている。
だが、一番視線が鋭いのはメイドのヘレーナさんだ。さっきからチクチクと敵意が感じられるのだが。
もしかして・・・これはあれか?財産を狙ってるとか思われてるか?
考えてみれば、マルティンは優良物件かもしれない。男爵家の跡取りで両親はいない、兄もいないそうだし、病気でそう遠くない内に死ぬ予定だ。財産目当てならばこれ以上のカモはそうそういないだろう。
ヘレーナさんが俺たちを警戒するのも無理は無い、か。
そんな気はないといっても信用などしてもらえそうにないな。
メイドの用意したパラソルの下、三脚型のイーゼルに向かうマルティン。周りに絵の具とかは見当たらないので、今日は下絵だけなんだろうか?
マルティンの横に控えているヘレーナさんを見ながら、俺も今から何時間も突っ立ったままなんだろうかという不安が頭をよぎった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へえ、結構上手いじゃないか」
姫の声に意識を引き戻される。
絵を描き始めるとマルティンの目は真剣なものとなり、迂闊に口を挟めなくなった。メイドからのチクチクとした視線の事もあって、半ば現実逃避しながら景色を見ていたのだが。
「上手く描けてる?」
「ああ。アフィニアの特徴を上手く捉えているな・・・まるで妖精のようだぞ」
姫がからかうかのように笑っている。
くそう。俺も見せてもらおうとしたら「動かないでください!」とマルティンに怒られてしまった。
前の依頼でチラリと見た時も、かなりレベルの高い絵だった気がするので期待大。
でも。あの話をするのなら今だよね。
メイドのヘレーナさんは邪魔だけれども・・・。
「マルティンはさ・・・こんな所まで来て絵を描くのってやっぱり病気の事があるから?」
「ええと。いきなりですね、お姉さん」
「ここって、やっぱり危険な所だと思うしね」
「危険だから皆さんを雇っています」
「それはそうだね」
姫も辺りを警戒しながら話を聞いているようだ。
「そうですね・・・手もいずれ動かなくなる、と言われてますから今の間にというのはあるかもしれないです」
「絵描きさんになりたいの?」
「なりたかったです」
以外と冷静に受け答えするマルティン。冷静でいられなかったのはメイドの方だった。
ズカズカと詰め寄ってくるヘレーナさん。
「ど、どういうつもりですかっ!! 坊ちゃんがどういうつもりでいると思って・・・!!」
「ヘレーナ、ボクは大丈夫だから・・・」
「もしもだけど・・・その病を治せる可能性があるとしたらどうする?」
絶句するメイドさん。
「そんな冗談は・・・」
「冗談じゃないよ。失敗するかもしれないし、最悪命を落とすかもしれない。でも、わずかだけどその病を治す可能性はある」
「・・・一介の冒険者風情が、何を言っているのですか!?王都の中で一番と言われているお医者さんでも、神殿の司教様たちですら駄目だったんですよ!!」
「ええと、ヘレーナさんは黙っていて貰えると・・・」
その言葉を聞いて、ますます怒るメイド。姫も黙って見ているだけで何も言ってくれない。
はぁ・・・・。
「五月蝿いです、少しお静かに願います。・・・眠りの霧」
「・・・!?」
効果範囲の中にいる相手に眠りを与える魔法だ。
とはいえ、ヘレーナさんが俺に詰め寄っている以上、今は自分も効果範囲に入っているので発生する霧を吸い込まないようにしないといけない。知っていればこの魔法を防ぐのは簡単だ。
俺とヘレーナさんのまわりに突然発生する霧。
「おっと」
糸が切れたようにぱたり、と頽れるヘレーナさん。倒れないように彼女を抱きとめる。
うっ、姫の視線が冷たくなったような気がする。絶対零度だ。・・・こ、これは不可抗力という物です。
腕の中の感触を楽しいんでなんかいませんよ?
「今、杖なしで魔法を使いました?」
「き、気にする所はそこ?」
以外と冷静なマルティン。彼はすでに絵を描くのを止めて、こちらをじっと見ている。
あまりにも真剣な目に、若干気圧される。
「さっきの話は本当ですか?」
「それは本当・・・僕の知り合いの神官さんに頼めば、もしかしたら治せるかもしれない。ただし、失敗するかもしれないし、さっきも言ったように死ぬ可能性すらある。何しろ病気を治す魔法は今は存在しないから」
「ではお願いします」
「随分と即答だね・・・いいの?このまま何もしなければ、少なくとも何年かは生きられるんだよ?」
「足も手も動かない状態でなら、死んでいるのと変わりません」
「そっか」
俺はメイドさんを地面に寝かせる。
そしてゆっくり歩いてマルティンのもとへ向かい、右手の小指を差し出す。
「ええと?」
「これはね、僕の生まれた所に伝わる『指切り』という約束の誓いの儀式。マルティンも小指を出して」
俺は立ったまま、マルティンは座ったままで互いの小指を引っ掛け合う。
指切りは本来、約束を守れなかった時の罰則を言いながらやるものだが今はいいだろう。
拳骨1万回と針千本だっけ?
「じゃあ、約束。必ず君の病気を治してあげる」
「はい、待っています」
「じゃあ、マルティン。君の体、調べさせてもらうね?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヘレーナさんが目を覚ましたのは、シャーリーやミュウが戻って来てからだった。
ここへ来てからずっと立ちっぱなしだったし、なにより馬車はずっと彼女が操っていたのだ。恐らく帰りもそうなのだろうと思う。だったら少しでも眠らせておこう、と俺たちは彼女を起こさなかった。
「あら?・・・私はいつの間に寝て・・・?」
「疲れていたのではないですか?ぐっすりとお休みでしたよ」
「よく思い出せません・・・は! 坊ちゃま、真に申し訳ございません!!」
「え、ええと・・・」
深々と頭を下げるヘレーナさん。マルティンは困った顔でこちらを見てくる。
だが、眠る前の事を思い出されて騒がれても困る。
忘れているのならばその方がいい。無理に思い出させる事はない。というわけで、俺たちは基本我関せずだ。
マルティンの絵は結局今日中には完成しなかった。もともと下絵だけで、色塗りとかは自宅でやるつもりだったそうなのだが。
下絵だけでもかなりの腕だと感じたが、完成したならばどれほどの物になるのか楽しみではある。
せっかくモデルをやったんだし、完成したものを見せてもらいたい所だ。
多少、恥ずかしくもあるが。
「せっかくここまで来たのに何もありませんでしたわ」
「ミュウ様。綺麗な景色が見れただけでも良いのではないでしょうか」
「魔物とか出なかった?」
「グレーベアの死体ならば転がってましたわ」
ああ、姫が倒したやつだ。・・・・・・でも姫はやはり凄いと思う。あの魔力で身体強化を行う事の出来る技、俺は密かに『魔闘技』などという名前をつけていたのだが。
いつの間に習得していたのだろうか。俺はやり方を教えた事は無かったはずだが。
でも、姫が強くなるのに不満などあるわけが無い。
「セラフィナ・フォースフィールド! アレはあなたが倒した物ですわね!?・・・ずるいですわ! 自分ばっかり楽しむのはマナー違反ですわ!」
「それは仕方ないだろう。たまたま偶然出くわしたのだから」
偶然、ね。
「まあまあミュウ、そう怒らないで。まだ帰りもあるんだから。帰ってる途中に魔物たちが襲ってくるかもしれないよ?」
「・・・そうですわね」
メイドが冷たい目でこちらを見ているが気にしない。
確かに護衛の依頼中に、魔物に襲って来てほしいなどと望むのは変なのだろうが。
「ではそろそろ出発しよう。でないと街門が閉まってしまうからな」
「あー、それもあったね。街の外で一泊する事になるのは避けたいね」
姫の言うとおり、王都の街門は夜になると閉まる。時間としては10時頃だが、時計の無いこの世界では結構曖昧で担当者の気分で変わる。
時間までに戻れなければ、初めて王都に来た時のように街の外で野宿する羽目になるだろう。
ちなみに朝は4時頃に開く。
「でも、それも面白そう」
「坊ちゃま、街の外で野宿など危険すぎます!」
「そうだねー。まあ、僕たちも何の準備もしてないしね。急いで帰るとしましょうか」
「そうですわね」
俺はそう言いながら、愛馬アリオンに乗る。
姫たちも次々と馬車に乗り込み、湖を出発した。
王都への帰り道。俺が言ったせいかどうかは分からないが魔物の襲撃があった。
ダークハウンドの群れだったのだが、この魔物はジンバル王国にいた頃から相手にしてきた初級モンスターだ。もはや20匹程度では驚くには値しない。
ミュウは多少物足りなそうではあったが、一応戦えて気が晴れたみたいだった。
それ以外では何の問題も起こらず、馬車は無事に王都コルネリアへと着いたのだが・・・。
真の驚きは、家に帰ってから訪れたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあ、マルティン。目処が立ち次第、家に行くから・・・待ってて」
「・・・はい」
マルティンは緊張気味に答えてくれる。
まあ、横のメイドさんは俺が何を言っているのか分からんだろうが。
結局俺たちは王都に、何とか門が閉まる前に辿り着くことが出来た。魔物の襲撃に遭った時は不味いかなとは思ったものの、さほど手こずる事もなく処理できた。これは俺たちの個々の能力が上がっているおかげだろう。
姫もあの『魔闘技』を自由に使いこなしているし、ミュウも破壊力が前よりも格段に上がっているようだ。シャーリーも前は使えなかった魔法を使っている。
俺も負けられないな。
「報酬の方はギルドで受け取ってください」
「分かりました。ではマルティン、ヘレーナさん・・・また会いましょう」
「またです、お姉さん。皆さん」
「またな」と多少素っ気ない口調の姫。
「さ、さようならですわ!」ミュウは顔をほんのり染めながら。
「では、またの依頼をお待ちしております」そつが無いのはシャーリー。
俺たちはこうしてマルティンたちと別れた。
あの約束がある以上、また会う事になるのだが。・・・いや、なるべく早めに会えるように頑張らねばな。
「はー、楽しみにしていたのに初級の魔物としか戦えませんでしたわ・・・」
「まあ運が良かったんだと思うけど・・・それで残念がるのはどうかと」
「まあ私が戦ったグレーベアも魔物としては中級だが、その中では下のランクだしな・・・それにあいつはあまり体も大きくはなかった」
姫の戦ったグレーベアというのは、平均で2.5m近くにもなる凶暴な熊で、大きいものだと3mを超えるものもいるという。大きさが強さの全てではないが、やはりその1つではあるのだ。
そしてその性格はとても攻撃的。特に今は冬眠から・・・こっちの世界の熊もするのかどうか分からないが、お腹を空かして出てきたのだろう。
「体を動かし足りませんわ・・・。セラフィナ・フォースフィールド! 帰ったら、わたくしの訓練に付き合うのですわ!」
「ああ、私は構わないぞ」
「僕も今日は何もして無いしね・・・参加していい?」
「あなたがですの?」
話をしながら家への道を歩く。街壁の近くにあるので、あまり歩かなくて済むのはありがたい。
あれ?家の前に人影が見える。
「何かあったか?あれはリーゼロッテだな」
「姫、こんなに暗いのによく見えるね・・・」
しかしリーゼロッテさんがなんであんな所で待ってるんだ?また叔父のエゴールさん絡みか?
彼女はこちらを見つけると足早にやって来た。
「遅いわよ」
「いえ、これぐらいになる事は言っておいたはずですが・・・?」
「そうだった?聞いてないと思うんだけど」
「言いました」
「そう?」
「リーゼロッテ様、こんな所でお待ちとは何かありましたのでしょうか?」
俺では話が進まないと見たのか、シャーリーが尋ねる。
「ああ、そうそう。あなたたちにお客さんよ」
「お客さん?」
「誰だろうな?」
「えーと、確か名前は・・・ササラ・パルテノと言ってたかな」