41話 「初めての迷宮」
わたしは絵本を読んで文字の勉強をする。
夢の世界なのになんて不親切設計。
でも文句を言うのも、言われるのもわたしなのだろうな。だってわたしの夢の世界だから。
ずいぶんと長い夢。
だけど、夢から覚めればまたあの冷たい現実に戻るだけ。それなら、こちらにいるほうがいい・・・夢の中ならば、いつかあの子にも会えるかもしれない。
「それに勉強は嫌いじゃないわ」
また1ページめくる。
絵本は文字が読めなくても、何となく話がわかる。
これは、1人の女の子が巨大な怪物とお友達になる話。
1冊読み終えて少し休憩をする。
今日はあの濃い化粧の女はいないようね。いつもはわたしから離れないのに。
まあいいわ。・・・もう1冊、本を手に取ろうとして気付く。
「ん・・・?何か、外が騒がしい気がする・・・」
洞窟の外がガヤガヤと騒がしい。そして微かにだけど血の臭いも。
何かあったの?
「エメランディス様」
しばらくして洞窟の外から濃い化粧の女が戻ってきた。今日は珍しく焦っているようだ。
いつもは感情を表に出さないのだけれど。
「何があったの?」
「どうやら邪悪の手下どもに嗅ぎ付かれたようです。どうか脱出の準備を」
「ふーん」
「エメランディス様!」
濃い化粧の女、確か名前はイザベルとか言っていたと思うけど・・・の声は甲高くてとても耳障りで不快に感じる。
消すほどじゃないけれど。
「逃げるというの?」
「はい」
「何故、逃げなければならないの?そんな必要なんてどこにもないのよ?」
そうね、何がいいかな。
ん・・・そうだ、美術のデッサンの時に使ったあれがいいでしょう。
デッサン人形。
木製の、人間と同じ動きを表現出来る関節を持った顔の無い人形。
小さいながらも、初めて見た時は気持ち悪いものを感じたっけ。
創造し、生命として固定。
材料は石。腕は・・・4本、手の指は5本で大きめに。そして・・・体のサイズは巨大に。
体の中から、何か力のような物がゴッソリ抜けていくのを感じる。
これは・・・魔力?
「あなたの名前はカノープスよ」
それは巨大な、4mはあろうかという人形。
細く長い手足。球体で出来た関節、そして電球のような丸い形の頭部。
洞窟の天井よりも大きいので、今はヒザを折り曲げ四つん這いの格好をしてる。
「あなたに命令するわ。表のゴミを綺麗に片付けてちょうだい。一つ残らず」
「お、お待ちください。表にはまだ私たちの仲間が・・・」
「それで?」
「え・・・?」
「それで何か問題があるの?」
絶句するイザベル。
わたしは何か、おかしな事でも言ったの?
「邪教の使徒どもめ! ヴァルラム帝国、青の騎士団の・・・」
「・・・」
「・・・」
騎士らしき格好をした男性が洞窟に入ってきた。
だがカノープスの巨大さに圧倒されたのか、見上げるようにして呆けている。
何か言っていたみたいだけど・・・もういいわね。
「カノープス。中に入って来たのも、ついでに掃除しておいてね?」
カノープスは、目も口もない電球のような頭でコクリと頷いた。
そしてゆっくりと、そうゆっくりとその巨大な手を、騎士に向かって伸ばしていく。
「ひっ、うわぁぁ!!!」
騎士はブンブンとその手に持った剣を振り回す。
まるでイヤイヤをする駄々っ子のよう。
だけど、固い石で出来たカノープスには多少傷が付く程度。
「く、来るな、化け物め!!! 来るな来るな来るな来るな!!!」
「勉強の続きでもしましょうか」
「・・・」
多少騒がしいけれど、BGM代わりだと思えばそんなに気にならない。
わたしは掃除をカノープスに任せ、再び本のページをめくる。
「ぐしゃり」という音が聞こえたのは、それから30秒後だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「とりあえず、迷宮に1度行ってみたいんだけど」
「深き迷宮か?」
「そう。どうかな?」
朝。俺は食事の席で話を切り出した。
冒険者ギルドで依頼をこなし、お金を稼がなければいけないのは分かっているのだが。
深き迷宮の探索は俺の目的のためには必要なのだ。
第2王子ヴォルフの話では、邪神召喚の書はここで発見されたという。なにより異界への門が存在しているかもしれないのだ。確かめに行く価値は十分にある。
「深き迷宮・・・わたくしは賛成いたしますわ!!」
「確か歩いて2時間で着けるんだったな。だったら行ってみるか」
シャーリーもコクリと頷いてくれる。
よし。今日は「深き迷宮」へ初チャレンジだ。
だが、しっかりと準備を整えていかないと大変な事になる。何しろ、これはゲームとは違うのだ。
浅い階層だからといって、弱い魔物しか出ないということはない。迷宮への第一歩で全滅する事だってありえるのだから。
死んだらそこで終わり。生き返る事も出来ないしな。
朝食後、各自部屋に戻り出発の準備をする。
迷宮探索などした事がない。いったい何が必要なのかまだ分からないので、背負い袋に携帯食、ロープや羽根ペン、マッピングするための紙の束など色々な物を放り込む。
少々重くなってしまったが仕方あるまい。
「よし、僕は用意出来たよ」
「私もだ」
「わたくしも出来ましたわ! 噂に名高い『深き迷宮』、相手にとって不足はありませんわ!!」
「私はもう準備万端です」
部屋を出て、皆に声を掛けると次々と返事が返ってきた。
うん。みんなの荷物も重そうだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから2時間後。俺たちは後悔の中にいた。
時々、道の真ん中を走り抜けていく馬車。そこには冒険者風の格好の人たちが乗っている。
目的地は俺たちと同じだろう。
「乗合馬車に乗るのでしたわ・・・」
「・・・そうだな。まさか、迷宮に入る前からこんなに疲れるとは思わなかった」
「同感・・・」
「・・・」
わずか5シラをケチったばかりに大変な事に。
歩くだけならともかく荷物が重たすぎる。
街を出るときに、「深き迷宮」行きの乗合馬車があるのを発見したのはシャーリー。
ただ、その時にはもう定員一杯だったので、次を待つよりは歩いたほうがいいと判断した。
お金の節約が頭にあったのは事実なのだが・・・。
やっと見えてきた迷宮の入り口を前に、次来るときは馬車で来ようと誓う俺だった。
深き迷宮。その入り口は大きな鍾乳洞だった。
話によれば、その中ほどに迷宮への本当の入り口があるということだが・・・。
「とてもじゃないけれど、緊張感とかなさそうだね」
「迷宮の前だというのにな」
俺たちがたどり着いた場所、鍾乳洞入り口の前はちょっとした村ぐらいの規模があった。
なんというか、雰囲気的には・・・お土産屋さんが建ち並ぶ、観光名所に来たかのようだ。
もちろん売っているものはお土産ではなく、薬草だったり、木の棒の先に布切れを巻きつけた松明、ロープや油など迷宮探索に役立つ物ばかり。
街で買うよりも、ずいぶん割高だったりするんだけど。
「へぇ、地図とかもあるんだ」
一軒の店の前で足を止める。
今は買い足す物があるとかでバラバラに行動している。一緒にいるのはシャーリーだけだ。
その店は、色あせた紙をくるくると丸めて留めた物を大量に並べていた。見本に1枚、壁に掛けてある。
迷宮の地図。たぶん1階かな。
むむー、と眺めていると体格のいい店主が話しかけてきた。
「見ない顔だな」
「そうなんです。ここに来るのは初めてなんですけど」
「そうかい、初めてかい・・・だったら地図は必要だな。うちのは階段の位置から罠までちゃあんと書いてある優れものだ。まだ当分は使えるぜ」
罠?罠とか言ったか?
罠というと、落とし穴とか吊り天井とか毒ガスとかか?
「この迷宮、罠とかもあるんですか?」
「ああ罠もあるぞ。地図に書かれてるXのマークが罠だな。1階から地下3階までなら、1枚10シラだ。買っておいた方がいいと思うがね・・・これっぽっちの金で安全を買えるんだから」
「か、買います!」
「ついでに、この浅い階層に良く出る魔物図鑑はどうだ?特徴とか、よくやる攻撃方法とか載っているぞ。1冊70シラだが」
「ええっと、それも下さい」
「じゃあ、全部で110シラだ」
十数ページ程度の薄い冊子だが、俺は迷わずに買う。
ふう。これで一安心だ。
良い買い物をした・・・振り向いた俺の目に、微妙な顔をしたシャーリーが。
「ど、どうしたのシャーリー」
「その・・・申し上げ難いのですが・・・。罠とか浅い階層にある物はもう解除されているのでは・・・?」
「え?」
「・・・」
「・・・・・・・・・い、いや、地図は必要だよ。うん必要。魔物とかの情報もね」
「そ、そうですね。ご慧眼、恐れ入ります」
まあいい。自分を無理やり納得させ、鍾乳洞の入り口で姫とミュウを待つ。
魔物図鑑をペラペラと眺めながら。
へー。ダークハウンドとかも出るんだここ。
「待たせたな」
「お待たせいたしましたわ!」
姫とミュウの声。
俺は冊子から顔を上げる・・・・・ええと・・・。
「ですが、良い物を手に入れましたわ! 何とここの地図ですの!! 魔物図鑑もある・・・」
「・・・」
「・・・」
ミュウの視線が、俺の手元と自分の手に持っている物との間を行き来する。
俺もミュウの手に持っている物を注視する。
まったく同じ物。
「えーと。ミュウも・・・買ったんだ」
「そう言うあなたこそ買ったんですのね。・・・さすがはわたくしのお友達ですわ。目の付け所が違いますわ!」
買ったものは仕方がないと諦めよう。返品など出来ないだろうからな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鍾乳洞の中は、所々に置かれたロウソクのユラユラした明かりに照らされ・・・今にも怪物が襲ってきそうな雰囲気に満ちていた。
天井から垂れ下がった鍾乳石や石柱、タケノコのような石筍など・・・もし、元の世界で見たならば自然の織り成す神秘に言葉もなく立ち尽くすだろう。だが、ここは魔物が徘徊する世界なのだ。
ロウソクの明かりの届かない、あの暗闇に怪物がいたらと思うと感動などしていられるはずもない。
「ひっ」
突然聞こえた、「キキッ」という声に反応して悲鳴が漏れた・・・蝙蝠らしき影。
ああ。みんなの暖かい視線が居た堪れない。
何故みんなは平気なんだろう?
やはり現代社会は明かりに慣れすぎているのか。
「ここですわね」
「ひいっ」
「・・・」
ごめんなさい。急にミュウが喋るもんだから、ついびっくりしました。
今度からは、喋る前に一言お願いいたします。
「まあいいですわ・・・ここが迷宮への入り口のようですわね。看板も掛かっているようですし」
「深き迷宮、入り口はこちら・・・か」
そこは明らかに鍾乳洞とは違っていた。
石で組まれた四角に切り取られた出入り口。中には見通せない闇がわだかまっている。
「明かり」
シャーリーの声が響く・・・空中に描き出された奇妙な紋様。
「とりあえず、杖の先にくっつけておきますね」
目を焼く眩しい魔法の光。
それによって闇は追い払われ・・・出てきたのは石で出来た通路だった。
人の手による人工物。
「入ってみるぞ」
姫が先頭に入る。そして俺、シャーリー、最後にミュウ。
だが、迷宮に入った姫とミュウはしきりに周りを気にしている。
「どうしたの?」
「いや、どこからか特定できないが・・・見られている」
「ええ、わたくしも視線を感じますわ!」
「えー、僕は何も感じないけどな・・・」
シャーリーの方を見ると、俺と一緒で困惑顔だ。
これはあれか、動物的なカンとかいうヤツか?
「まあいいや、広域知覚起動」
頭の中にいつものように平面図が浮かびあがり、光点が・・・ってこれは!?
今いる場所、そして知覚できる迷宮内の全てが光っている。
これが意味するところはつまり。
「この迷宮は生きている・・・って事?」