28話 「転落」
森の奥、木々の間から姿を現したそいつは・・・高さ3mを超える肉食恐竜だった。
頭のなかに何故か鳴り響くゴジラのテーマ。
な、なん・・・恐竜!?
そいつは巨大な顎から涎を滴らせ、俺たちを高みから見下ろす。
やや前傾姿勢ぎみで2本の後足で立ち、長い尻尾と鋭い爪と大きく裂けた口を持つ肉食恐竜。ティラノサウルスとかアロサウルスとか名前が頭に浮かんではくるものの、もちろん実物など見たことはない。
圧倒的な威圧感をともなってソレはそこにいた。
「ウィニアドラゴン・・・!?」
ララサさんの呆然とした声。ドラゴン。ドラゴンなのかこれは。
半開きの口から見えるびっしりと生えた鋭く真っ白な牙。赤く濡れた舌。目に浮かぶのはただただ喰いたいという圧倒的なまでの食欲。そこには一片の知性すら感じられなかった。
ぐるるるるる・・・、という唸り声とともに、あたりに広がる生臭い臭い。
「みんな動いたら駄目、動いたら駄目よ・・・」
「ララサさん、こいつ一体・・・?」
その恐竜から俺は目が離せない。みんなもだ。離した瞬間、襲い掛かって来るだろう。
そんな予感があった。
「こいつは・・・ウィニアドラゴン。昔ここらに生息していたらしいんだけど・・・もう絶滅した、と言われていたの。最後の目撃例は100年前よ」
「絶滅していなかった、という事だな」と姫。
「・・・」恐怖のためか、言葉もないシャーリー。
「こいつは食欲の固まりよ?昔の話だと出たら最後、村の一つや二つは胃袋の中よ」
「そこの山トカゲを喰わせて、その間に逃げるというのは?」
「駄目でしょうね。こいつの好物は生きた新鮮な獲物だから。・・・私達を美味しく食べた後になら喰うかも」
駄目か。モルドレッドも怯えている。
「戦って勝てます?」
「無理だと思う。だって上級ランクの魔物だから。・・・みんなで逃げれば1人ぐらいは助かるかもしれないわね」
「・・・そんな」
上級ランク。魔物にもランクがある。冒険者ギルドが勝手に決めた物だが目安にはなる。
ランクは5段階。初級ランクはもちろんダークハウンドなど、初級の冒険者でも対処できるもの。
中級ランクは魔獣サラディオルなどのそれなりに経験を積んだ者しか対処できないもの。
そして上級ランクは国が自ら討伐隊を組み、犠牲者を出して倒すレベルだ。この上に至高ランク、神話ランクはあるが、一般人は覚える必要がない。
会う事は恐らくないだろうし、会ったならば死ぬだけだ。
こいつを倒しうる呪文はある。『圧壊』と名付けた呪文だ。
この呪文は重力加圧の改良強化版で、魔法の威力はつぎ込んだ魔力に比例する。
だが、前にテストした時は魔力を限界以上に消費し死にかけたのだ。
左胸にある呪紋を無意識に撫でる。
俺の迷いを感じたのか、それとも他の理由か・・・ウィニアドラゴンは俺に狙いを定めた。
静から動への一瞬の移行。その巨体にまったくそぐわない速度で。
気付いたときには目の前に大きく開かれた口があった。
「アフィニア!」
それに反応できたのは姫で・・・俺は姫の手で地面に引き倒されていた。
俺、今、死にかけた・・・?
「はあっ!」
すぐに立ち上がり果敢に攻撃していく姫。長剣がウィニアドラゴンの皮膚を切り裂き血を噴出させる。だが、それだけだった。ウィニアドラゴンは痛がりもしない。
「もうやるしかないっっ!!」
「がうっ!」
ララサさんとモルドレッドが飛び掛る。それと同時に魔法の矢がどこからか飛んできて、ウィニアドラゴンに当たる。ダメージは無い、だが。
シャーリー。
「姫っ! 加速レベルAを掛けるから注意して!」
「分かった」
ウィニアドラゴンの攻撃範囲から逃れつつ呪文を唱える。これで姫のあらゆる動作は1.5倍の速さとなる。
もう秘密がどうとか言ってる場合ではなかった。
生き残ることが専決だ。
全員で。
5対1。
だが、その1は桁外れに強かった。
ウィニアドラゴンは巨体のくせにとても素早い。
その上、皮膚が硬くしかも斬られたとしても痛いと感じているのかすら怪しい。
なによりその3mという高さが問題だ。ウィニアドラゴンが噛み付いてくる瞬間しか頭部を攻撃できないのだ。
「はああっ!」
加速した姫が攻撃をかわして連続攻撃を腹に叩き込む。だがそいつはやはりダメージを受けた風もなく尾を振り回し、姫の頭に叩き付けてくる。視覚外から来るこの尾の攻撃も厄介だ。
姫は盾で受け止めようとせず、地面を転がってかわす。
その尾の付け根に背後から両手で斬りかかるララサさん。だがこれは察知されたのか簡単に避けられ、体勢の崩れたララサさんを噛み砕こうとウィニアドラゴンが顎を開く。
「目、閉じて! 明かり」
それを阻止すべく俺の魔法が発動する。
手の中に現れたその光球を、ウィニアドラゴンの目にめがけて投げつける。
「ギオオオオオオッ」
光に目を焼かれ、さすがに苦しむ。
それを逃さぬようにそれの顔面に向かって、俺の背後から青白い稲光が一直線に走る。
電撃。
絶叫をあげのたうちまわるウィニアドラゴン。
好機。
だが、飛び掛ったモルドレッドは尾で弾き飛ばされてしまった。
・・・ゆっくりと立ち上がるソレ。
左目あたりが焼け焦げていて。そして、あたりに撒き散らされる強烈な怒りのオーラ。
ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。
そして・・・勝ちの見えない、絶望的な戦いが始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦いが始まって何十分経ったのか。
姫の円盾は粉々に壊れ、左腕から血を流している。
モルドレッドは弾き飛ばされた後、悲鳴とともに動かなくなった。
シャーリーは魔法の使い過ぎで気を失った。
ララサさんは怪我はしていないが、さっきからゼーゼーと荒い息を吐いている。もう限界なんだ。
そしてウィニアドラゴンの尾の一撃を受けてゴロゴロと転がっていく。
遠くに弾け飛んだ剣。
彼女は立ち上がる事はなかった。
「やらせるかっ! 火球」
ララサさんに噛み付こうとしたウィニアドラゴンに向けて紅蓮の巨大な火球を撃つ。
火球は背中に着弾、直後に起きる大爆発。
この期に及んでも俺はあの魔法を使えなかった。
確かにこの恐竜は怖い。仲間を死なせたくは無い。だけど、あの魔法で体験した、あのどこまでも引きずり込まれるような死がとてつもなく恐ろしかった。
さすがに火球は痛かったようだ。こちらを見る目にあきらかな憎悪が見える。
こちらを向き、標的を再び俺に定める。
あ、これは死んだな。
ウィニアドラゴンが飛び掛ってくる・・・先程と同じように。
呆然と立ち竦む俺。
だが。
そこに俺を庇うようにして姫が飛び込んでくる。
「姫っ!?」
何故か姫が笑ったような気がした。
姫がなんで?
死ぬ?―――――姫が?
どうして死ぬんだ?―――――このトカゲだ。このトカゲが喰い殺すのだ、姫を。
俺の目の前で。
駄目だ。
駄目だ。
駄目だ。
俺の姫をこんなデカイだけのトカゲが喰う?
俺の大切な姫を?
―――――ふざけんな。
ああそうだ。ふざけてんじゃねぇぞ、このトカゲもどきが!!!
心に浮かぶのは純粋な怒り。不甲斐無い自分に。そしてこのふざけたトカゲもどきに!
思考は一瞬。だったら。
「潰れろ」
抑揚のない声が出た。だが、湧き上がる感情すべてを込めて、それを使用するという意志がこもっている。
そう、『圧壊』を。
俺は全ての魔力を叩き込んだ。
ぐしゃ、という音が聞こえたかどうか。
その魔法はウィニアドラゴンを押し潰した。
頭も体も骨も、顎から滴っていた涎も、断末魔の叫びも、噴き出た血でさえもあらゆるモノを押し潰し、1ミリ以下の平べったい肉塊へと変えた。
呆気なく。
その肉塊を中心に地面に大きな放射状の亀裂を残し、魔法は消失した。
俺に見えたのはそこまで。
意識が引きずり込まれる。どこまでもどこまでも。
後ろに倒れたのは覚えている。だが、いつまでも地面の感触はなかった。そして落ちていく感覚。
最後にだれかに飛びつかれたような気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夢を見ていたような気がする。
そこにいたのは亜美乃先輩か、それとも姫か。
分からないが・・・ただ、誰かに抱きしめられる温かさを失いたくなくて夢に執着する。
まだだ、まだ俺は起きたくはない。
(あれ?心臓の音が聞こえる)
俺の心臓の音と違う。とくんとくん、と聞こえるそれは、何かとても安心させてくれる音だった。
薄っすらと目を開ける。そこにあったのは肌色だった。
「えっ?」
慌てて起き上がる俺。そして目が合ったのだ、ハダカの姫と。
俺は座った姫の胸にだっこされていたのだ。
「え、ちょ、何?」
「ふむ。覚えてないか?」
覚えてない?俺いつの間にそんなイベントこなしたんだ?いや、その前に・・・。
「何で姫はハダカなの!?」
「いや、下着は着けているが。アフィニアもそうだぞ?」
「・・・え?」
笑いながら言う姫。見てみると俺も下着姿だった。なんで、どうして。
疑問はあったが、あまりの寒さに体が震える。
「早くこっちに来い。私も寒い」
「え、えーと。・・・はい」
座ったまま両手を広げて言う姫に従って、おずおずとくっつく。姫は俺を確保すると再び布に包まった。
あ、これ。
「ああ、アフィニアのマントだ。濡れてないのがこれしかなかった」
「はあ」
「アフィニアは落ちた事、覚えていないか?」
このマントは防水仕様だからな。
周りをぐるっと見渡して、ここが洞窟のようなところの入り口だという事が分かった。そして服がまとめて置いてあるところを発見する。・・・びしょびしょだ。
・・・・・・え?落ちた?
頭に浮かんだのはウィニアドラゴンの最後と、意識を失った事。
どうやら死なずに済んだらしい。
「アフィニアは足を滑らせて斜面に落ちたんだ」
「あの斜面に・・・」
底の見えなかった急な斜面だ。あんなところへ落ちて良く無事だったな。
そう考えてから気付いた。気を失う寸前、誰かに抱きしめられた事を。
姫が助けてくれた?
「ひ、姫! だ、大丈夫なの!?」
「あー、まあ命は無事だ。運が良かった」
「その・・・左腕・・・」
姫の左腕はパンパンに腫れ上がっていた。おそらく骨折だろう。
「す、すぐに治すから!」
「ああ、頼む。落ちた後、雨が急にひどくなってきて・・・なんとか雨宿りできるところを見つけたんだが、もうすでに手遅れなぐらい濡れていた」
「・・・・・・」
「火とか起こしたかったんだが、この腕だからな。服だけ脱がした、という訳だ」
腕の怪我を上級回復で治す。姫は簡単そうに言うけれど、片腕を骨折したまま人一人を運ぶなんて並大抵のことではない。足も捻挫しているようだし。・・・まだそれほど魔力が戻っていないが、今やらなくてどうするというのか。
それから回復した姫と火を起こした。もう外は真っ暗なので今日は動くことができない。
だから、みんなと合流するのは明日になるだろう。簡単にいけばだが。
「アフィニア。あの魔法は凄かったな」
「・・・うん」
「・・・」
「・・・」
姫との会話が途切れる。
しばらく黙っていた姫だが、意を決したように話始める。
「アフィニア、言いたく無いならそれでも構わない。だが、もし私を信用してくれるのならば、アフィニアが出会ってからずっと隠している事を教えてくれないだろうか?」
「・・・」
「頼む」
姫。・・・俺は少しの時間悩んだが・・・打ち明ける。そう、決めた。