梅雨の記憶
じめじめとした空気と大降りの雨に俺は軽く憂鬱のため息をつきながら俺は折りたたみ傘を開いた。
「あ、透発見!!傘入れてぇ!」
甘い声とともに左腕に絡む細い腕と押し付けられた胸の感触に一瞬だけ身体が震えた。
柔らかい身体とすぐ傍から感じる甘い香りに一瞬だけ理性が崩壊して縋り付いているからだを抱き寄せて無茶苦茶にしたくなる。
「透?」
きょとんと見上げてくる大きな瞳に手入れのされた淡いウェーブのかかった茶色の髪。やや童顔な顔に似合わない女を感じさせる体つき。
どうしようもなく湧き上がってくる恋情は暴力的なほど俺の心に吹き荒れる。
俺の好きな女。決して振り向かない女。俺のものにならない女。
色々な感情をやり過ごしながら俺は幼馴染の仮面をかぶる。
何も知らない女。俺のことを幼馴染としか見ずに無邪気に擦り寄る誰よりも愛おしい女。
俺を見上げる無邪気な笑顔にふと、昼下がりの木漏れ日の下で本を読む女の姿が重なる。
雨の音も湿った空気も消え、ただ、柔らかな空気だけがそこにはあった。
「透?どうしたの?」
結衣の声でそれらは一瞬にして霧散し、梅雨独特の湿った空気を肌に感じた。夢から覚めた心地で俺は頭を振った。
「………いや、なんでもねぇ、帰るぞ」
「うん!」
雨に濡れないためにぴったりと寄り添う結衣。
「ねぇ、透。遠藤さんと付き合いだしたって本当?」
「ああ」
来たなと思った。俺がこいつを吹っ切るために別の女と付き合ったことが何度かあった。だけどそのたびにこいつはいうのだ。
「………透には遠藤さん、合わないと思うな~~~彼女、結構独特だし」
結衣が心配してるという顔でそんな忠告をしてくる。その横顔はどこか不機嫌だ。
俺に恋愛感情なんぞ抱いていないくせに独占欲はある。だから俺に女の影が出てくると不機嫌になるんだこいつは。
お気に入りの玩具を取られまいとするガキとなんら変わらない。こいつにとって俺はいつまでも「結衣が一番な幼馴染」でなければいけないのだ。
きゅうと結衣が腕を掴んで擦り寄ってくる。
「透はなんで遠藤さんと付き合うことにしたの?」
きっと結衣は「向こうから告白してきたからなんとなく」といういつもの答えを期待していたのだろう。
だが、俺の口から出たのは。
「側に居るのが楽だから」
今まで言ったことのない言葉に俺の腕を掴む結衣の身体が一瞬震える。大きな瞳が少し、驚いたように見開かれていた。
「どうした?」
「………ううん。なんでもない」
ぎゅうと再びしがみ付いて来た結衣はそれ以後、遠藤については触れなかった。
空を見上げれは雲から雫が絶え間なく降り注いでいる。
雨が降る。
六月の梅雨が何かを流した気がしたそんな日の記憶。