残暑の記憶 7
その夏の夜に見た花火の光は……もう二度とともに見ることが叶わなかったあいつとの最初で最後の夏の記憶。
「え?夏の遊び?あれ?遠藤さん甚平?なに?一体あなた達どこになにしていてこれから何するの?」
突拍子のない遠藤の言葉に結衣がしきりに瞬きを繰り返しながらぶつぶつと疑問を矢継ぎ早に投げかける。いや、俺に言われてもわかんねぇし。
それに、遠藤。お前はなぜ自分の甚平姿をまじまじと見下ろしたのちにぴんっ来た!って顔で頷いているんだよ。
俺ごときでは手に負えない。一人ならまだしも二人は無理だ……。ってか先ほどまでのシリアスを遠藤の一言が一気に払拭しやがったよ。
ちらりと傍らの結衣を見るがその顔には翳りは見つけられず、ただただ満面の笑みで「どうだ!」と自慢げに仁王立ちしている甚平姿の遠藤を凝視し続けている。
あ、頭が痛い……。
「……なんだ、これ。空気が一気に108度変わりやがった」
本当になんだ、この状況。よかったような気がするがなんか納得いかねぇ気もすげぇするし……。
そして遠藤は眉間のしわを押さえる俺をドヤ顔で見ている。
遠藤に珍しくそれはやけにテンションの高い顔だった。
……テンションが高い?
いや、基本的にあいつは変なことは言うけどここまで興奮したような姿は見たことがなかったような……。
何かいつものと違う。
そう思ったときにはもう、あいつの暴走は始まっていた。
「二人も辛気臭い顔はやめるのだ!これから夏らしい遊びをしようではないか!……という訳で」
勝手に決めて、勝手に宣言した遠藤がびしっ!ととある方向を指でさす。
「君達はこの先にある河原で待機だ。私はもろもろの準備をし、根回しをしたら合流する」
思わず結衣とそろって指差された方向を向いてしまう。確かにこの先には河原があるが……そこでこいつは一体何をする気なんだ……。
じわじわと不安が広がっていく。
奴は変人だ。
俺の知る中で飛びぬけて変わった女だ。
何をしでかすか凡人である俺には想像もつかない。
とめなければ。
そう思ったときにはもう、遅かった(二回目)。
遠藤のほうへ向き直ればその姿はすでに遥か彼方に遠ざかっていた。っておい。あいつ下駄だろ!
なんで物音一つ立てずにあんな距離移動できるんだよ!
「え?あ?おい!お前なにをする気だよ!」
行動が異様に早い遠藤を追いかけようとするがそれを阻止するかのようなタイミングで遠藤が大きく手を振る。
「では頼む!あ、暗いから気をつけるよ~~に!」
その言葉で結衣をおいてあいつを阻止するわけにはいかないことを思い出し、走りかけた足を止める。あのやろう。一体何をたくらんでやがるんだ。
がごがごと盛大に下駄を鳴らしながら(先ほどは鳴らなかったのになぜだ)物凄いスピードで遠ざかっていく背中に俺は盛大に舌打ちすることしかできなかった。
「…………」
「…………」
そして奇妙な沈黙。
あれ?
そういえば俺らってわりと険悪な空気かもし出してなかったか?
いまさらのようにそんなことを思い出したりして非常に気まずい思いが湧き出してくる。
あ~~あ~~~~あ~~~~~~、どうすりゃいいんだ、俺ら。
突風のようにあのどろりとした空気を吹き飛ばした張本人はただいま下駄でどこかを爆走中である。
……この気まずさは吹き飛ばしてくれない。
「あ~~結衣?」
「えっと透?」
「「え?」」
声が重なってしまい同じタイミングで黙り込み探るように相手を見る。
お前言えよ、いや、透が……という譲り合いが目でかわされそして……。
「あの、とにかく河原にいかねぇか?」
「あの、とにかく河原にいこうよ」
ほぼ同じようなせりふを再び同時に相手に言っていた。
「…………」
「…………」
遠藤が君達は非常に良く似た反応をするな、と言っていたけど本当にそうだな。
ずっと一緒だったから、思考回路も自然と似てきちまう。
翔と結衣と俺とずっと一緒だったんだから。
俺はこのとき、結衣が初恋の女の子というだけではなく翔の彼女だというだけでもない子供の頃からずっと一緒に育ってきた俺の幼馴染だということを思い出していたのかもしれない。
上手くいえねぇけど、そんな複雑な気持ちなんて知らないでただ無邪気に三人で遊んでいた頃の気持ちに近いものが今の俺の中にはあったのかも知れねぇ。
「ふ、ふふっ……」
不意に結衣が笑い出す。堪えきれず笑った顔には翳りがない。
「あ、ははははっ」
俺も笑っていた。なんだか馬鹿みたいな流れだなって、思う。
笑うしかない、みたいな。
夜道で二人ひとしきり笑って俺達は遠藤に指定された河原へと急いだ。
そして、十分が過ぎ。
「まだこないね。遠藤さん」
二十分が過ぎ……。
「え、えっと何かあったのかな?」
三十分が過ぎていく……。
「と、透?肩、震えているけど、落ち着いて……ひょあ!」
俺の顔を恐る恐る覗き込んだ結衣が何を見たのかすっとんきょんな声を上げて離れる。だが、俺はそれにかまっていられない。怒っているからだ。
あの馬鹿!
人を待たせておいて三十分も雲隠れとはどういう了見だ!
しかも!
俺は手元の携帯を睨みつける。何度かけても繋がらない携帯。相手はもちろん遠藤だ。あいつはまた、出方がわからないとか言って出られないんじゃないだろうなぁ!
「あ、あははは。透が切れてる」
怒りに打ち震え、携帯を睨みつけてもう何度目になるかわからない電話を再びかける俺に結衣が乾いた笑いをこぼしていた。
「どこに行ってたんだ何だその荷物はここでお前は何をする気だ!」
お待たせと笑顔で大量の荷物とともに現れた遠藤の肩を俺は思わず揺さぶって詰問してしまう。
だが遠藤はそれにはこたえずどうどうと俺を落ち着かせるように逆に肩を叩くといくつもある大量のビニール袋とバケツを地面に置いた。
置いた拍子に開いたビニールから覗くのは沢山の花火。しかもコンビニ一件分どころじゃない量だ。
花火に気づいて座り込んだ結衣が「こんなに一杯……」と驚いている。
「お前、まさか」
夏の遊びって、お前、これをするつもりか?
俺の声にしなかった言葉を正確に読み取ったのだろう遠藤が楽しそうに笑う。
まるで子供のようにわくわくした顔でビニール袋から取り出した手持ち花火を俺達の鼻先に突き出してくるものだから反射的に受け取ってしまう。
「夏といえば花火!これから皆で花火をしようではないか!」
ライターと自分の分の花火を両手にもち遠藤は高らかに女王がごとく花火をすることを宣言した。
「……は?」
「え?」
そしてついていけない俺と結衣。その反応が気に食わなかったのか遠藤は唇を尖らせた。ずいぶんと今日の遠藤は子供っぽいというか……いつものどこか泰然とした感じが思いっきり薄れているぞ。
「むっ?なんだい?嫌なのかい?君達は花火がそれほどまでに嫌いかい?見るのもおぞましいと嫌悪し唾棄すべきものと蔑んでいるのかい?」
「いやいやいや!何言ってんだよ!お前!」
「違うのかい?違うのなら花火をするのが君の運命だ!」
こぶしを強く握り締めて何を宣言しているんだ、こいつは!
駄目だ。おかしい。明らかに遠藤がおかしい!
「お前いつもと明らかに違う方向にテンションが高いだろ!どうした!」
熱病かそれても入れ替わりか実は別人双子説……精神だけどっか別の奴といれかわりとか~~!
がくがくと肩を揺らしながら問い詰めても遠藤は笑って流すばかり。
らち明かねぇ~~!
「えっと……あれ?私、家に帰ってきたら透が夏祭りに出かけたって聞いて……それで……でも遠藤さんと一緒だったけど……遠藤さん、甚平でなんていうか……デートっぽくないし……それになんで花火?どうしてこんな流れに?あれ?」
結衣は結衣でここまでの流れに再度疑問を抱いて回想という名の現実逃避に入りやがったしぃ!
「ぶつぶつと言っているその隙にきみの花火に点火」
「ふぇ?うぁ~~!」
遠藤は素早くライタの火をつけるとそれを結衣のもっている花火に着火させる。勢いよく白い光があふれて結衣は驚きのあまりおろおろしている。
っておいこら待て遠藤!
「おいこら遠藤!いきなり花火に火をつけたら危ない……」
「君の花火も点火」
いつの間に近づいていやがったのか俺のもっていた花火にも遠藤は着火をする。途端にあふれる赤い光に思わず動きがとまってしまった。
「おい!」
「そして打ち上げ式の花火の五連発~~!!」
楽しそうに少しはなれた場所にいつのまにやら置かれていた据え置きの花火に遠藤が着火していく。
真っ暗な空に次々と花火が打ち上げられていく。光の花やパラシュート沢山の種類の花火
コンビニで売っているような花火なのになぜだか俺の文句はのどからでることはなく俺の視線は空に釘付けになった。
そんな俺の腕が急に重さを増す。あわててバランスをとりながら左腕を見ればいつのまにか遠藤が楽しそうな顔で飛びついていた。遠藤の右腕には俺と同じように飛びつかれたらしい結衣の姿が見える。
空を見上げながら遠藤が笑いながら定番のあれを叫ぶ。
「さぁ、皆さんご一緒に!た~~ま~~や~~!」
馬鹿みたいに浮かれていた遠藤。馬鹿になって楽しんだもの勝ちなのだよとしたり顔で言ってきた時は殴ってやろうかと思った。結局この夜、遠藤が買い込んだ沢山の花火はその全てが使用されバケツの水の中に沈められることとなった。
「それでは!」
花火の片付けを終え、さぁ帰ろうとう時、若干まだテンションの高いらしい遠藤が普段よりも少し高い声で俺達に敬礼をして(なぜ敬礼?)一人で歩き出そうとする。
「まてまてまて!お前は一人で何帰ろうとしているんだ。送る」
それをあわてて引きとめる。ついでに後ろにいた結衣に「遠回りになるがこいつを先に送っていっていいか」と了解を取る。結衣も女の子の一人歩きは危ないと思ったのかごねることもなく頷いた。
俺の対応は普通の対応だ。女の子を夜道で一人帰らせるわけにはいかないから送っていく。当たり前の行動。常識だ。
しかし、常識というものを重視しない自由な人間というのも世の中には存在するわけで。
「え?なぜ、遠回りしてまで私を送る必要があるのだい?私は一人で大丈夫だよ」
そんなことを平然と言い放つ女子高生に俺と結衣は頭を抱えた。
何かこれ、ここで言い聞かせてもきっと理解してもらえない気がする。
遠藤という女と一般常識の間に広がる溝は深く険しい。
「いや、だから女の子の一人歩きはあぶない……」
「私は多少の護身術は身に着けているが?」
「だから……その……」
「それにこの格好の女子に性的興奮を覚えるマニアックな御仁はなかなかいないと思うがね」
「それは……そうだろうけどよ……万が一ということも」
「それに私の家はこの河原から十分ほどだ」
「あ~~」
「それに岬結衣くんのような年頃のお嬢さんをいつまでもつれまわすのは感心できない。むしろ私が君達を送る……」
「それは駄目だ!」
お前はどこまで男前なんだ。遠藤。そしてつれ回した原因の多くはお前が占めているぞ。
結局、遠藤の家が近いということとあいつが首からぶら下げていた防犯ブザー(そんなものを隠し持っていたとは)を見せたことにより渋々ではあるがこちらが折れる。
「いいか。何かあったら叫べ。防犯ブザーを鳴らせ。なるべく街灯のある人通りの多い道を選んで帰れよ」
「君は私の親かね」
「もし変質者にあったら容赦なく急所を狙うのよ!大丈夫。変質者に人権はないから」
「いや、気持ちはわかるが一応、人権は認めてあげたまえ」
珍しく突っ込み役に回っている遠藤。その顔は物凄く呆れていた。
「君らは本当に変なところでシンクロするなぁ~~」
遠藤にしみじみとなぜか頷かれてしまった。そこまで思うほどシンクロした覚えは俺にはない。
「まぁ、名残惜しいが本気で帰りが遅くなるからここらでお別れだ」
遠藤が俺達に背を向ける。
「気をつけろよ~~!」
「……君は案外心配性なんだな。石崎透くん」
ちょっとだけ振り返った遠藤がからかうようにそう言う。「あほう」と軽口を返すと遠藤は小さく笑ってそのまま歩いていった。