最終章 惨慄 第3話
愛したが為に傍にいた。そしていたかったというのも本心だっただろう。だが、それを凌駕して快楽を求めるようになったのは何時のころだろうか。その女と知り合って14年の歳月が経った。ここまで生かしておけた自分を褒めたいくらいの気分になった。
「いい女だったよ?」
ザスクは笑った。燈樵の手に先ほどまでとは違う力が入っている事にザスクは気付いていた。そしてそれと同時に衝撃的な事実にうすうす気づき始めている事も知っていた。だからあえて言ってやろうとザスクは思った。
「なぁ、稔。母の髪と目は黄色だった。その妹は母の血を受け継ぎ黄色。血の匂いも全く同じものだった。だが、お前はどうだ?瞳は確かに黄色だが、髪の色が青。どう考えても母の血ではなく、父の血だろう?お前の血の匂い、確かに母の匂いはわずかにしかしなかった。何が言いたいか解るか?」
「・・・俺は父親譲りの方が多い」
「その通り!」
嬉しそうに声を上げたザスクに対し、燈樵の声は異様に沈んでいる。しかし、その沈み具合もまた、ザスクを高揚させる材料だった。
「なぁ、稔。お前のことをここまで知っているオレはおかしくないか?」
何も言わない燈樵。その言わない理由はザスクにはわかっている。だからそのことについて何も言わない。ただ話を進めるだけ。
「オレはお前の父親だ」
聞きたくなかった事実。そのことに燈樵は確かに衝撃を受けた。とんでもない大きな衝撃を。体が震えて制御できないほどに震えていた。こんな最悪な犯罪者であるザスクの血を自分は色濃く受け継いでいる。
「その・・・髪は・・・副作用、か・・・?」
「ん? あぁ、そうさ。銀髪の餓鬼も同じだろう?」
ザスクからしてみれば燈樵が生まれてきたとき、笑いたくなった。薬の副作用で確かに黒くなってはいるが、もともとの地毛の色は青。その青さを髪に宿して生まれてきたときは可笑しくてたまらなかったのだ。それあって、燈樵を突き刺したとき、あふれ出た血が『自分のもの』であるように思えて奇妙な信じがたい感覚に襲われ痺れたような感じになったのだと、後になって気付いた。そしてその場から自分のいた痕跡を消すために家を燃やした。何もかもを抹消するために。父親の遺体がないのはおかしい。ザスクは己の身体を引き裂いて致死量の血を玄関元にぶちまけたのだ。
「・・・・。もう、とやかく問うつもりはない。過去の所行も全て俺はどうでも良い。だから・・・・」
力の抜けた燈樵をザスクは開放した。そして燈樵を見下ろしてくる。
「だから何だ?『あのガキ』に手を出すなと?そんなくだらない条件、オレには必要ない。許しを乞うつもりが一切無いからな」
目の前で歯噛みしている青髪の男を見て可笑しくて仕方がない。
黒い髪と目。この黒さは前にも一度みているらしい。でも一向に思い出すことが出来ない。
「お前は・・・・何が目的なんだ・・・・?」
もう、怒りとか苦しみとか、憎しみとか。そんなものは何処にもなかった。ただ、胸の奥から這い上がるようにこみ上げてくる悲しさだけが、どうしようもないうねりを上げていた。
「目的?」
「そこまでアイツを欲する理由が・・・・解らない」
「・・・・だろうな。満ち足りた人生を送っているお前にオレのしたいことなど理解は出来まい。オレはただ、快楽を求めているだけ。『あのガキ』は少なからずオレに快楽を与えてくれる。なんせ、アイツは死なないからなぁ」
「だから?だから何だという?己の欲求のためだけに、一人の人間の魂を殺しても良いというのか・・・・?!」
「オレに善悪など説くだけ無駄だと思え、稔。長年生き続けたオレに、最早善悪の境界線などありはしない」
目の前で平然と言って退けるザスクに一体今、どんな目を向けているのか自分でも解らない状態だった。
「オレは自分のすることに善悪など一々考えなどしない。気の向くまま自由に生きるだけだ」
「だが・・・・っ」
「諄いっ!オレが何をしようとお前に止めることは出来ないんだよ。なぁ、稔よ。オレを止めたいか?なら殺せ。さすれば止まる・・・・いや・・・・そうでなければオレを止めることなど出来やしないがな?」
「殺すことを解決になどしたくない。そもそも・・・・死ぬのか・・・・?お前」
「くくく・・・・。いやいや。『あのガキ』じゃないんだ、オレだってお前等と同じ、死があるよ。ただ・・・・普通より遠いだけだ」
ニヤリと笑うザスク。燈樵はぐっと歯噛みする。この男との会話で一体何回歯噛みしたことか。
「さて。ぐーたら話をするのも飽きた。稔。お前はオレにどのくらいの快楽を与えてくれる?ククク・・・・」
気味の悪い笑いの後視界から消えた。慌てて身構えたが激しい痛みが右の脇腹を刺激した。
「くっ・・・・」
脇腹を押さえて数歩後ずさる。
「ふーん。なるほどなるほど。中々面白い感覚だ。あの女ヤったときに比べたら断然快感は落ちるが・・・・が、何よりおもしろいっ!自分をヤるみたいで興味が沸く!」
燈樵は軽く身構えた。痛いなど言っている場合ではない。本気でやっても勝てるか解らない相手。少なからず恐怖したのを無理矢理払いのけてザスクを睨む。
「臆したか?得体も知れぬ大敵を前に」
奇妙な笑いを浮かべる。燈樵は一度目を閉じて再び睨み返した。
「・・・・ふん。覇気が戻ったな・・・・。ったく。強気というか何というか・・・・少しオレに似ているなぁ」
「一緒にするな」
その言葉を合図にザスクが姿を消す。が、今度はその動きを何とか追った。左に存在を確認して攻撃をガードする。しかし。ガードした左腕がたったの一発で数カ所折れた。尋常ではないその腕力、瞬発力に加え、その判断力に圧倒的な差を付けられる。的確な急所を狙ってくる。
「っー・・・・!」
左の肩が動かなくなったのを感じる。致命的な急所を避けようと身体を捻るが、それですら急所を狙って当ててくる。
「痛いか?オレは少しずつ快楽が沸いてきたから楽しいんだが」
「・・・・。お前・・・・何が目的なんだ・・・・?」
「さっきも聞いたな。稔よ、お前の脳はそんなに記憶しておけないのか?」
「違う。お前のしたいことが解らない。目的は何だ?」
「・・・・。ほぅ。さすが・・・・としか言えんなぁ。その感性はオレ譲りか?」
「・・・・」
「言いたいことは解るよ。オレとて馬鹿じゃない。一緒にされたくないと言ってもそのDNAは確実にオレの物が刻み込まれているんだからな」
燈樵は痛みが治まったのを確認して立ち上がる。
「お前の目的・・・・生きることか?」
「いや、違う。生きることはオレにとって意味など成さない。このどうしようもない枯渇を潤したいだけだ。血によって」
ザスクの言葉に偽りはないと直感で悟った。しかし何か腑に落ちなかった。ザスクの求めている物は本当に人の死だというのか?本当に血なのか?
「解せぬ、そんな顔をしているな。まぁ、お前がどう考えようがオレの知ったことではないな。さて、拳を交えようか。その方が理解できることが在ろう?お前、頭より身体を動かす方がいいんだろう?」
「・・・・あぁ」
ザスクの動きにだいぶ目が慣れた。辺りが異様なまでにゆったりと見える。ザスクの動きは速いが、捉えきれないものではなくなっている。落ち着いて追えば反撃も。
「ぃって! もう目が慣れたのか?!はぁ~オレの考えが甘かったなぁ~」
ザスクは足を踏ん張った・・・・その勢いで真っ向から向かってきた。スピードとかそう言った次元の問題ではない。そのパワーが何もかもを凌駕して襲いかかってくる。
「ぐっ・・・・!!」
辛うじて避けたものの、打撃によって生まれた衝撃波でまたも左の腕に激痛が生じる。
「切り返しもしてこないとは意外だな」
「余裕がないんだよ・・・・」
「何処が。まだまだ余裕のクセして」
燈樵は使える右手で構えた。衝撃波によって軽く足にも支障が出ている。あんな凄まじい衝撃をもう一度受ければただでは済まない。ならそれをさせないだけの連撃が必要となる。
「ほらほら、余裕じゃん。そんな連撃打ってさぁ!」
燈樵の連撃を受けながらザスクは楽しそうに言う。だが、二度も受けた衝撃に左の腕が悲鳴を上げている。しかし、痛いとかそんな温いことを言っていては全てをもっていかれる。
「あれ・・・・?稔、その短刀・・・・」
「・・・・。アンタのだ・・・・」
「ずっと持っていたのか?稔の匂いが染み込んでいるからなぁ?」
ずっと持っていた。記憶のない自分が唯一家族と繋がっていられる物だったから。それなのに。
「抜けよ、稔」
ザスクが突然求めてきた。燈樵は無意識に短刀を隠すように身体を傾けた。
「オレの短刀・・・・何処まで使いこなしているのかみてみたい」
「・・・・残念だがその期待には応えられない。俺はこの短刀を戦闘に於いて抜いたことは一度もない」
燈樵の言葉に意外そうな顔をしてその後すぐに笑みに戻った。
「そうか。恨みの血は吸わせたくなかったと?」
「・・・・そう言えば、よく聞こえそうだな」
「違うのか?じゃなんだ?」
「知る必要があるのか?」
「・・・・。ないな」
ニヤリと笑ってザスクは手を伸ばしてきた。慌てて身を引いたが遅かった。が、痛みは何処にも走らなかった。ただ。
「ほう・・・・こんなにも手入れされているのか・・・・。大事にされているなぁ」
「か・・・・。・・・・」
「・・・・。返せ、か?止めたのは偉いな。そうさな。元々はこれ、オレのだもんなぁ」
ザスクは珍しいものでもみるように短刀を観察していた。
「稔よ。この短刀は随分お前に懐いているようだ。お前にくれてやっても良いが・・・・、欲しいと思うか?オレなんかの形見、あっても嬉か無いだろう?ここで叩き折ろうか。オレには『剣』など必要ないからな」
「・・・・いや、貰えるなら貰う。愛着という物はあるからな・・・・」
確かに愛着は持っている。記憶のある限りで一度も手放していないこの刀。心の奥底では自分の家族を壊した犯人が現れたら引き抜いてやろうと思っていた面もあった。しかし、実際はそうもいかない。何より、それを抜いた後の結果が怖かった。
「そうか。なら・・・・くれてやっても構わんが・・・・使え」
ザスクの言った言葉を理解し損ねた。ザスクは基本、素手。それが短刀を相手にするなど、馬鹿げている。いや、この思考自体がもしかしたら馬鹿げているのかもしれない。
「オレとの戦いに於いて、この短刀を使用しろと言ったんだ」
「・・・・!俺は・・・・」
「使いたくないんだろう?だがオレは理由を知らん。無理にでも使わせたい。稔が・・・・どれほど強いのか・・・・知りたい。興味がある!嫌だというなら折るだけだ」
「・・・・俺はお前が思っているほど強くはないぞ」
「そうか?そう言うことを言う奴に限って強いんだよ」
「・・・・俺がその刀を一度も抜かなかったのはただ単に怖かったからだ」
父も母も妹も全ての記憶が欠落してしまっている。しかし、誰かに殺されたことだけはよく覚えていた。だから・・・・怖かった。傷つけることが。
「逃げていたと?」
「そうだ。ただの臆病者だ」
「・・・・。なるほど。だがオレは稔が臆病者であっても問題ないと思うぞ。人間とはその臆病あってこそ、本当に強く成れるものだと思っているからな。その点、オレにはその恐怖はない。お前の方が強いかも知れないな。肉体と精神。どっちが強いか・・・・よくわかるじゃないか」
何を言っても無駄なのだと燈樵はザスクは見た。その目を見て思考を理解したのかザスクは楽しそうに笑って言う。
「無論。オレはお前とヤりたいんだ」
ザスクは燈樵の足元に短刀を放り投げた。
「右をつぶさなくて良かったよ」
足元に転がる唯一の家族とのつながり。あの火事の中でこの短刀だけは庭に放りだれており火の被害を受けなかった。
「拾わないのか?拾って鞘に収めることも出来るだろう?」
「殺気丸出しでよく言えるな」
「あははは!ヤりたくてしょうがないんだよ!拾った途端にたたみかければ構えてくれるかと思っていたんだよ。いやぁ、恐れ入ったよ、稔。お前本当に・・・・最高だよ」
高らかと笑うその姿を見て名も知らぬ、いや、記憶にない父を見て胸が痛む。
「・・・・ザスク・・・・」
「父の名すら覚えていないか」
「あぁ。何もかも」
「ほぅ。そうか。天満だ。燈樵天満。それがお前の父の名だよ」
「・・・・。そうか・・・・。あんたの名前が・・・・」
「まぁ、そう言うことだな。隠しても意味がないからな。さ、拾いなよ」
「・・・・御免被りたい」
「あはははっ!ならこのまま死ぬことを選ぶか?オレに武器なしで勝てるって・・・・まさか思っちゃいないよな?」
「思っては。ただ・・・・戦いたくない」
「流石に父とはやりたくないか?」
「いや・・・・誰とでも」
「なるほど。平和主義者か。偽善者め!」
今までと打って変わった怒りの読みとれる口調に燈樵は少し身を引いた。
「そうやって偽善者気取って今まで押し通してきたのか?下らんな」
「違う」
「何を否定する?お前は・・・・」
「言ったはずだ!俺はただ怖かっただけだと!偽善でも何でもない!ただの臆病者なだけだ!」
燈樵の言葉に言葉を詰まらせたザスク・・・・いや、天満だった。
「・・・・そうか。それは悪かったな。取り乱したよ」
「てん・・・・」
燈樵は言葉を切った。父とも呼べぬ、名でも呼べぬ。そんな存在を前に呼べる字はただ一つ。
「ザスク・・・・」
「名を呼ぶ気にもなれないか」
「別にそう言うわけではない。ただ・・・・呼びようがないだけだ」
「そうか」
天満の目つきが変わった。戦闘態勢だ。燈樵は諦めの言葉を頭に刻んだ。