余禄 第3話
家のチャイムが鳴った。まだみんな眠っている朝の気配が消えていない時の事だ。燈樵は迷惑そうな表情をして玄関の扉を開けた。そしてそのチャイムを鳴らした者が誰であるのかを理解して燈樵の全身に力が入った。
「よう。こんな朝早くに申し訳ないね。遊眞ちゃんには隠しておきたいんならこの時間がちょうど良いと思ってね」
黒い瞳が愉しそうに煌めいている。
「・・・何用で来た?」
「何用?わかっているだろう。返してもらいに来た」
「ふざけるな。何が返せだ。お前が自らこちらに渡してきたんだろう」
燈樵の眼が怒りで光る。それに対する眼は相変わらず挑発するように愉しそうだった。
「ひしょ・・・?」
眠そうな声が後ろから聞こえた。燈樵は全身の毛が逆立つようなぞわっとした感覚に襲われた。慌てて振り向いたがもう遅かった。玄関に誰が来たかを理解した穐椰は眼を見開き硬直していた。
「よく起きてきたな」
「ザスク・・・!」
震える声で穐椰が言った。遊眞はケキラといっていた。偽名ではあるとわかっていたがまさかこいつがそうであるなど、思ってもいなかった。ザスクは黒い髪を掻き上げ笑う。
「さて。餓鬼もきたことだし。稔よ」
違和感のあるその名に燈樵はしかめた顔をしてザスクを睨んだ。
「宣戦布告だ」
指を伸ばし燈樵にむけてザスクは言い放った。
「お前の選択肢は二つ。そこの餓鬼をこちらに渡せ。渡せば何もしまい。お前の世界を壊さないでやる。但し、渡さないというなら、お前の世界を壊す。天秤にかけろ?どっちをとるかなんてわかりきっているよなぁ?」
喉を鳴らすように笑うとザスクは立ち去って行った。震える穐椰の元に駆け寄って抱き寄せる。小刻みに揺れている穐椰。ザスクの言った言葉が何とも言い難く腹立たしい。
「僕・・・は・・・」
小さな声で穐椰の言った言葉が聞こえた。燈樵は頭に手を置いてからはっとした。
「菰亞、何を考えている?俺はあいつにお前を渡すつもりはない」
「何言ってんの!あいつは壊すといったら躊躇い無く壊すぞ!世界って!なんだか解っている?!燈樵の命じゃ無いぞ!燈樵、取り巻く全てだよ!全部壊したら結局僕を連れていくんだ!だったら今のうちに僕が・・・」
「ふざけるなっ!」
穐椰はビクッと肩を揺らした。今までの震えは止まった。今は驚きで動くことが出来なかった。燈樵がこんなに声を荒げることは今までに無かった。そんな燈樵が声を荒げて今、穐椰を怒鳴り付けた。意外なんてものではなかった。燈樵は穐椰の眼を鋭く見詰めた。そして、落ち着いた声で穐椰に言った。
「お前一人の精神を壊してこっちには生きていろというのか?お前を犠牲にして俺達は生きていかないといけないと言うのか?」
「でも・・・」
「それに菰亞は負けると言うのか?」
「なっ!?何を言っているの?!あいつに常人が叶う訳無い!」
「やってみないとわからないだろう」
「わかる!アイツは僕と同じで、いや、僕以上に化け物だ!」
「比較にならんな。お前は化け物なんかじゃないから」
穐椰は言葉を詰まらせた。時々感じるあの感じが穐椰の腹の底で波打っていた。震えて穐椰は燈樵にしがみついた。
「何か・・・あったんですか?」
穐椰とは少し違った震え方をした声が聞こえた。先程の叫び声で眼が覚めてしまった遊眞が降りてきた。
「いや、気にしなくていい」
穐椰を抱えるように奥の部屋へ行ってしまった。遊眞はなんだか二人にそのまま置いていかれているような寂しい感じがして仕方なかった。
ある日、放課後に璃沙と話をしながら帰っていると天満の影をみた。遊眞は何も考えずに走り出した。あまりの突然の動きで呆気にとられて動けずにいた、そんな璃紗を放って遊眞は走り出してしまっていた。
声をかけて振り向いた天満は少し驚いていた。その驚きが意外で遊眞も驚いた表情になった。
「天満さん・・・」
「そっちは駄目って」
「す、すいません・・・」
遊眞は天満を見つめた。
「何も聞いてないのか?」
「え?」
「いや、聞いていないなら良いんだが」
天満の不審な発言。天満だけではない。皆が皆、自分を外して世界を動かしている。それがとてつもなく孤独で寂しかった。天満はそんな遊眞を見下ろしていた。俯き、悲しげな表情でいる遊眞に天満は遠くの記憶の欠片を呼び起こす。やたらとこの少女に話しかけていた理由もその記憶の欠片を少しでも前へ持ってくるため。でも、そんな事をしては決してならないと解っているのに。今こうしてこの少女と接してしまっている。それがどれ程己の首を絞めて更にこの少女の首を絞めることになるか、わかっているのに。
「遊眞ちゃん。オレはもう、二度と遊眞ちゃんとは会えない。だからコレでお別れにしよう」
「え?!何を言っているんですか?!納得できると思っているんですか!?」
「しなくて良い。ただ、オレは遊眞ちゃんの前から消えるだけ。そのほうが良い」
「皆ずるい!」
遊眞の発言に天満は驚いた。感覚的には憤慨しているように思える遊眞に天満は目を見張った。ふわふわとした柔らかく何にも明るく振舞っていたこの少女がこんな風に声を荒げるとは思っていなかった。しかも言っている言葉もよくわからない。
「みんな私には何も言ってくれない!そりゃぁ、私はただの居候ですけどぉ!」
「ゆ、遊眞ちゃん・・・?」
「ひどい!ずるい!みぃんな私をのけ者にするんだ!」
どこの我が儘な子供かと思えるほど言い方が幼く思えた。天満は呆気にとられたが何だか可笑しくなった。憤慨している遊眞を前に天満は吹きだした。
「な、何笑うんですか!」
「だって、遊馬ちゃんったら子供みたいなんだから・・・」
「だ、だって!」
「確かに遊眞ちゃんは外されているかもしれないね。でも、それはあくまで君を守るため。稔の気持ちもわかってやれ」
「え・・・、あ・・・うん・・」
曖昧な遊眞の返事に天満は首をかしげた。
「天・・・ケキラさん、どうして燈樵さんを名前で呼ぶんですか?」
「え?呼び方なんて個人の自由だろう?」
「そ、そうですけど・・・初めて会った人にいきなり・・・」
「稔はオレの事を覚えていないだけさ」
「え?」
遊眞の反応が可笑しかった。そんな風に驚いている人は簡単に捲くことができる。天満はさっと踵を返して遊眞の前から姿を消す。
追いかけたが、追いつく事ができなかった。スタートダッシュが遅れた事もあるが、天満の歩くスピードは異様に速い。歩いているようには思えないほどの速さだった。追いかけていたのに、ふと気付いたときには見失っていた。あんなに目立つ容姿だからそう簡単には見失わないはずなのに。それも含めて気になることが沢山ある。天満は燈樵をよく知っているような口ぶりだった。しかし、燈樵は知らないと言った。嘘をついているとしたら燈樵になるだろうか。名乗っていない燈樵の名を言った天満が知らない訳では無いだろう。遊眞の頭の中はパニック状態になっていた。それに気持ちもわかってやれと言ったことも気にかかった。守るために燈樵も穐椰も天満も遊眞に対して内密にしているというのだろうか。解らない事だらけで遊眞はふっと溜息を吐いて頭を白くした。もう、何も考えない。とにかく今、周りにいる者たちを信じて待つだけ待とう。いつかきっと、わかるときが来る。遊眞は自分にそう、言い聞かせた。
玄関を開けると穐椰がいきなりダイブしてきたので遊眞は心臓が破裂するかと思った。失神近くな精神状態で穐椰を離して言葉にならない言葉で猛抗議したが、あっけらかんとした穐椰が飄々として中に入っていった。その後を追いかけた遊眞は途中で燈樵とすれ違ったが、そんな事は今、どうでも良かった、とにかく目の前を逃亡していった穐椰をとっ捕まえる。
「いたい!」
遊眞は見事に穐椰へ飛び蹴りを入れた。その拍子に穐椰が前のめりに倒れた。
「ひどいなぁ~。ちょっとトビコンだだけジャないかぁ~」
「冗談じゃないわよ!どれだけびっくりしたと思ってんの!」
「何があった・・・?」
燈樵が後から部屋に入ってきて様子を尋ねた。
「鬼の形相で走っていったから結構、驚いたけど」
「な!? ひ、燈樵さん!そんな言い方!」
「いや、事ジツだよ。怖かっタもん」
「うっさい!」
「鬼だ~鬼だ~~!!」
「待ちなさい!!」
逃げ出した穐椰を猛スピードで追いかける遊眞。それを見て燈樵は硬直こそ、していたが、どこか嬉しくて小さく笑った。その笑みに敏感に反応したのは穐椰だった。
「ひしょっ!?今、笑った!?」
「え?!」
追いかける事を一時停止して燈樵を見つめた。
「え・・・あ、いや。縞井が」
「え?私・・・?」
「いや、良かったと思って・・・」
微笑みながら燈樵が応えていた。遊眞に対して内密にしていることを少なからず申し訳ないと思っていたのだろう。遊眞はそれを感じて更に待とうと強く思えた。それからふっと思った。初めて燈樵に会った時から比べると燈樵の表情が表に良く出てくると感じるようになった。始めの時は笑うことなんて一切無かったし、微笑む事も無かった。なんだか気が許せる関係と燈樵が感じてくれていると思うと嬉しかった。
穐椰が遊眞を見ながらそうっと動いているのを遊眞は横目で確認した。反射的に穐椰へ手を伸ばした。しかし、穐椰の反射神経の方が高いため、見事に伸ばした手は空を切った。そのまま追いかけっこが始まった。燈樵はまたクスリと笑った。
学校でプレゼントを貰って少しウキウキ気分で帰ってきた。その異様な空気に奇妙な恐怖を感じたらしく穐椰がものすごい勢いで怯えるように逃げた。廊下の隅に隠れて顔だけ出してびくびくとした表情でこちらを見ている。
「な、何よ!何も変な事なんてしてないわよ!」
「やややや、なんか・・・キモチワルイ・・・」
「うっさい!」
「騒がしいな」
「シマイ、気持ちワルイんだよぉ」
「気持ち悪くない!」
燈樵は頭をかしげたが、そんなに気にしていないようだった。穐椰を連れて二階に上がってしまった。遊眞は学校の荷物を置きに、部屋へ向かった。貰ったプレゼントを開けてにやついているとドアの開く音が聞こえてそちらを見るとまたしても恐怖した穐椰の顔があった。
「もう!ナンなのよ!」
「それ、こっちのセリフ・・・。学コウ、帰ってからズゥっとにやにや・・・正直キモイ」
「うるさいわね!!」
「わぁ!鬼が怒ったぁ!!!」
「誰が鬼だー!!」
どたばたと家の中で走り回る音がする。最近、やたらと聞こえる音だなと燈樵は上を見た。振動で電気が揺れている。この揺れ具合からしたら穐椰がとんでもない勢いで飛び跳ねているのだろうと推測できた。頬杖を吐いてこの状況がいいような悪いような。そんな妙な感じを胸に抱きながらふいに燈樵は真剣な表情になって考え始めた。
追い回しが終わってへとへとになった遊眞とへらへらした穐椰が降りてきた。遊眞が愚痴を聞いてもらおうと部屋に入ろうとしたとき、穐椰に止められた。今までの事もあって自覚して穐椰を睨みつけた。少し怯んだが穐椰は指をぴんと一本立てて口の前に持っていって遊眞に言った。
「シー。多分、今燈樵、ネテいるよ」
「え?」
「解る」
そう言った感覚は確かに優れているから穐椰を信じてそっと部屋に入った。内心、穐椰が自分をはめるため言った事だと思いながら。しかし、穐椰の言ったとおり、燈樵はソファで頬杖を吐いたまま寝ていた。その顔がどこか疲れを感じさせたのは遊眞の気のせいだろうか。
「僕のこと、疑っタでしょ」
「う・・・」
燈樵をかがんで覗き込みながら目だけを遊眞に向けて言ってきたので遊眞も目だけ穐椰に向けて反応した。
「なに、してんだ・・・?」
「へ?」
「あ、おきた」
二人の気配を察知してか目を覚ました燈樵は目の前でひそひそと話している二人を見て、困ったような、呆れたようなそんな表情でこちらを見ていた。
「い、いや・・・特に意味はありません!全く!」
「寝てイルからねぇ~観サツしテたよォ」
「人の寝ているのを観察して何が楽しい・・・」
「していません!断じて!!」
遊眞は慌ててその場から逃げようとした。しかし、穐椰に呼び止められて穐椰を睨むように振り向いた。びくっと肩を震わせた穐椰。
「今日、誕じょーびでしョ?」
「え・・・なんで知っているの?!」
「燈樵から聞イタよぉ~」
「ひ、燈樵さんがどうして知っているんですか!?」
「そりゃ、最初の調書で書いただろう?」
「え・・・・あ・・・・はい。よく覚えていますね・・・」
「まぁ、多少のステータスは覚えているさ」
簡単に言ってのけたが、それって結構すごい事だと思うが。遊眞はそんな気になりながらそれで、と穐椰に向かった。呼び止めた理由を尋ねると穐椰は握った手を突き出してきた。遊眞がそれを見ていると、穐椰が受け取るように催促してきた。だから、両手をお椀のようにして前に出した。相手が穐椰だとなんだか身構えてしまうが、予想に反して手の乗ってきたのは石だった。それもただの石ではなく綺麗に光る宝石のような。
「こ、これ・・・何・・・?」
「願光石。昔は願いを叶える石と伝わっていた不思議なものだ。まぁ、今はそんな迷信、信じる者なんていないがな」
「それネ、水につけるト綺麗だよ」
「え?」
遊眞は水道に向かって水につけた。するとその石は虹色の光を乱反射し、輝いて見えた。その美しさに遊眞は一瞬、言葉を失った。
「す、すご!? 何コレ!?」
「アゲル」
「え?!いいの!?」
「うん」
「ありがとう!」
穐椰の返答にその石を水から出してタオルで拭くと握り締めた。どこか石が暖かく感じたのは何故か。
「燈樵にも礼ヲ言っテヨ」
「え?」
「燈樵がオシえてくレたんだモン」
「あ、有り難うございます・・・!!」
「いや」
シアワセな誕生日。遊眞は小瓶に水を入れてその中に石を入れた。本当に綺麗だった。それを机の隅に置いた。七色の光を放って石はそこに在る。なんだか微笑んでしまう。
穐椰が外出した。一人で出歩くなんて珍しいと思いながらも窓の外を見ながら勉強をしていた。ふと、気晴らしに飲み物をと思って席を立った。冷蔵庫にあるお茶を飲んで二階に上がった。ふと、燈樵の部屋の扉が少し開いているのに気づいた。何気無く中に入った。
「ぎゃ!?」
「ん?あぁ、縞井」
「すす、すいません!!!」
「いや」
中で燈樵が着替えていてその最中に入ってしまった遊眞は慌てて外に飛び出した。扉の前で息を切らしていると扉が開いて燈樵が出てきた。その身に纏っている服装を見て遊眞はきょとんとした。
「どうした?何か用か?」
「え・・・あ・・・いえ、特には。ただ、制服・・・」
「あぁ、今日は勾拿所にちょっとお偉いさんが来るから制服を着ていくんだよ」
「そうなんですか・・・」
遊眞は俯いた。そしてふと気づいた事があった。それを尋ねようかどうしようか悩んでいるとそれを察知した燈樵が尋ねてきた。言いよどむ遊眞に笑みを送る燈樵。その笑みに負けて遊眞は尋ねる事を決めた。
「左肩と言うか、胸と言うか・・・。傷跡のようなものがあったんですけど・・・どうしたんですか?」
「あぁ」
燈樵はその傷跡のあった所に触れた。それから小さく笑って子供のときについたものだと教えてくれた。燈樵のような人間に傷跡が残るというのは不思議な感じがした。
「記憶が無いんだ」
唐突に燈樵が言った。遊眞は頭が空っぽになった気がした。燈樵も話が突然すぎた事を自覚しているようで遊眞の反応をあまり見ずに話を進めた。