追憶 第6話
息が詰まるが、遊眞が必死で抑えているのは息と言うより胸が詰まる方が苦しかった。涙が出てきそうだが、穐椰の目の前でそれをすることは絶対にしないようにした。そんな遊眞を見て穐椰は小さく笑った。
「そして、それかラ僕は5年くライ、そこにいタヨ。でも別にキにシナくていいヨ」
違和感のある口調でそう言った。この違和感は薬のせいでそうなっている事を知って少し哀れに感じた。
「でも・・・ひどすぎるよ・・・この話・・・」
「・・・別ニ・・・」
「その、ザスクって・・・最低だよ・・・。穐椰は何にも悪くないじゃん・・・!」
「・・・ふふ」
穐椰が笑ったので不謹慎な感じがして額に力を入れて穐椰を見ると穐椰は顔を少し遊眞から離して笑った。
「いや、別に・・・フカい意味はナイよ。ただ・・・。馬鹿だな、って思って」
「は?!人の心配をしているのが馬鹿だって言いたいわけ!?アンタどこまで!!」
「やっ?!ち、違うヨ・・・!!僕が・・・!!僕ジシンが!」
「え・・・?」
遊眞の剣幕に軽く身を引きながら穐椰が慌てて言った。それから少し悲しそうな表情をした。
「言って・・・欲しかったんだよ・・・『僕は悪くない』って・・・。本当に馬鹿みたい」
違和感の全くないその言葉に遊眞は固まってしまった。
「誰かに、言って欲しかった。僕は何にも悪くないんだって。悪いのは全部・・・」
「そのザスクって奴だよ!!」
「し、シマイ・・・」
穐椰は少し困ったような表情で遊眞の名前を呼んだ。遊眞はふんと、ため息をついて穐椰を見た。穐椰はそんな遊眞の表情を見てまた悲しそうに笑った。
「でも、ケッキョク、僕がやってシマッタことに変わリはないンダけどね」
「そんな事ない!!」
「そう、シマイならそう、イッテくれるダロうって・・・思うかラ」
切なそうに微笑んだ穐椰の顔が遊眞は印象に残った。
「どんなに言っても!穐椰は悪くない!絶対に!」
「そ、そう・・・アリガトウ」
礼を言って笑った穐椰の表情は今までに見たこと無いほど優しげで嬉しげで、それでいて暖かかった。遊眞はさっきまでとは違うもので胸がいっぱいになった。穐椰も少しは吹っ切れたのだろうかと。いや、そんなはずはない。こんな簡単な感情をぶつけるだけで吹っ切る事ができたのなら、燈樵だって出来たはずだ。
「あれ・・・?そういえば、穐椰は燈樵さんにこのこと、いったんだよね?」
「モチろん」
「じゃぁ・・・その時、燈樵は穐椰が悪くないって言わなかったの?」
「・・・ウン。言わなかっタ」
遊眞は意外で仕方なかった。慰めるために燈樵ならそう言う事を言うと思ったからだ。穐椰にそう尋ねたらもっと燈樵らしいことを言ったとうっすらと笑いながら言っていた。
穐椰が燈樵にこのことを話したのは監獄を出て割りと直ぐの事だったらしい。沈んだ穐椰はそれでも自分より不幸な人間は沢山いるんだから耐えなければならないんだろうと言った。しかし、燈樵はそれを否定した。
「お前は世界で一番不幸だろうな。根本的に不幸の具合を他人と比べることなど出来はしない。お前が辛いと思えば、不幸だと思ったのなら、不幸なんだろうな。まぁ、今でもそう思っているって言うんなら改善しないといけないけどな」
「・・・ううん。今ハ、燈樵がイルからシアワセ」
「そうか。そう感じたのならお前は今、世界で一番幸せなのかもな」
「・・・・・うん」
燈樵はそういったきり、何も言わなかった。ただずっと穐椰の傍にいてくれた。
穐椰はぽーっとしながらそう話した。遊眞はその穐椰の様子を見て何かの違和感を覚えた。穐椰は遊眞と殆ど同じ年齢。そう見えるが、今それを話した穐椰の感覚が、それを否定する気がした。それだけではない。幼稚園のときにザスクに出会い、5年ほどそこにいた。それから勾拿に捕まったとすれば、計算が合わない。
「ね、穐椰・・・・あんた、何歳?」
「何でソンなこと聞くンだよ」
「ちょっと・・・思っていた年齢を考えると計算合わなくて・・・・」
もし、穐椰の年齢が今、遊眞の計算した年齢だったとしたら、信じられない精神力を持っていると遊眞は思ったのだ。
「・・・・」
穐椰は言い淀んでいた。気にするなと言ったが、悲しい気持ちを、辛い気持ちを、苦しい気持ちを、無理やり押さえ込んでいる穐椰を少しでも支える事ができたなら・・・・。遊眞は心の底からそう思っていた。
―あぁ、私。今こんな風に思っているけど、初めて会った時は怖くて、怖くて少しでも離れたいと思っていたのにな
自分の心の変換に自分自身が一番驚く。だからこそ、気持ちはいくらでも変化するのだと
確証が持てる。だから、きっと穐椰も変わることが出来る。そう思えた。
「じゅう、に」
穐椰の小さな声。それに直ぐに反応は出来なかった。想定していなかった発言に遊眞は頭の整理が中々つかなかった。そして、頭に浮かんだ三つの文字を思わず口走った。
「小学生!?」
「うるさい!!ソノ反応がイやなんだヨ!燈樵はそんナハン応しなかったゾ!」
「ご、ごめん・・・!!」
穐椰が怒っている理由がよくわかる。想像以上の子供だということに驚いた声を出す、それがいやなのだろう。でも、遊眞はそれに驚いたわけじゃない。確かに、子供だということに驚いたのだが、わずか12歳の小学生で己の運命を受け止めて必死にもがいて苦しんでやっと抜け出せる機会に出会い、それに必死ですがり付いているその姿。わずか12歳でそれをやってのけていることに驚いたのだ。きっと、今の遊眞でも穐椰ほど前を見て生きていることは出来ないだろう。
「自殺、しようとか色々考えたんだよ。それに、何度もした」
薬の影響で呂律が回らないけれど、感情が高まったときなどには元に戻るようだ。それにしてもわずか12歳で何度も自殺の経験を持つなど信じられないほど悲しい事だった。
「でもサ。僕ッテ不死身?だから?死なないんだよね。何度も、なんども・・・・頚動脈、切っテモ・・・死なナイなんて、反則ダヨ・・・」
「け、頚動脈?!」
「うん。ザックりね」
自分の手で頚動脈を切り裂く事がどれ程恐ろしい事か。でも、その恐ろしさよりもザスクの元にいる恐ろしさが勝ったと言う事。どれだけザスクが恐ろしかったか。
「ZASK」
「ゼット・・・ん?」
穐椰が突然言ったので妙な声を上げてしまった。
「ZASK。こレでザスクって読むンだ。ザスク自身はZASだけノつもりなんダケど、世間ハそれの主犯、チュウ心人物って、ことでKをツけて呼ぶコとにしたみたい」
「いや・・・意味が全く、解りません・・・」
「ZAS、つまりZenithal Absolute Slaughterに、Kをつけた。Key-manって意味のネ。コレ、なんて言っていルカわかる?」
「す、すみません・・・ちょっと待って・・・・えっと・・・」
「絶対的虐殺の天頂の中心人物」
穐椰の鋭い言葉に遊眞は眼を見開いた。そんな異名を持つ者と5年の歳月、共にいたなんて遊眞は体の奥底から震えが起きた。平凡な日常を送っている中、そんな危険な者と逆らう事もできずに過ごしてきた穐椰の人生に遊眞は衝撃を受けた。こんなにも救いも無く希望も何もない世界で。いや、一つだけあった。話の中で唯一、希望が。
「あ、ねぇ、その・・・シキミ・・・・って人?彼女はどうなったの?」
遊眞はそれを言ってから後悔した。穐椰が酷く苦しそうな表情をしたからだ。慌てて謝ろうとしたが、穐椰の発言の方が早かった。酷く、重たい声で言った、その発言の方が。
「殺されたよ。愛した男にね」
全身の力が抜けたのを自覚しながらそんな身体に力を戻す事ができなかった。両親を失った穐椰にとって唯一、光を見出せたであろう彼女さえ、そのザスクに殺された?冗談じゃない。そんな悲しい事があってたまるものか。それに、樒はザスクを好いていた。そんな彼女を殺したなど。悲惨すぎる。
「樒姉ちゃんは・・・・お母さんと一緒だった。『いいの、これでいいの』って言いながら笑って死んでいった。お母さんも・・・笑っていた・・・・」
目の前で二度も大切な人を殺され、救う事の出来なった自分がくやしくてたまらない。穐椰は悔しそうにそう言っていた。泣きそうな表情で。
「穐椰・・・そういえば泣かないね。私なんて・・・必死で堪えている感じだけど・・・」
「ダから気にしナクていいって言ッタのに。僕が泣カナイのは泣けないから。涙なンテもう何年もデテいないよ。ザスクのとコろに行って1ヶ月足ラズで涙なんて涸レテしまったから」
「ぁ、そ、そう・・・・か。ゴメン」
「何でアヤまるのさ」
「いや・・・・」
「いいんダよ。そんナキにされる方がシンどい」
「うん・・・」
穐椰の口調がだんだん普段の感覚に戻って来ているから少し安心する。しかし、そのザスクと言うものが一体どんな人間なのか、知りたかった。会ってみたかった。こんなにも人を苦しめて、人の心も命もなんとも思っていないような残虐な奴が、悪魔そのものがどんな顔をしているのか、知りたかった。
「なんとも。違うよ、シマイ」
「え?」
「ザスクは人の命のオモさも、人の心ノ必要性も恐らくチャンと知っている」
「はぁ!?そんな奴がどうして人を・・・!!」
「だからこそ、カナ」
人の命が尊きものであると知っていて、尚且つ、それが失われてしまえば悲しむ人の心も知っている。そして、それを壊す事が快楽になる。それがザスクなのだと。
「そうだ、シマイ。君がコノ話をシンじるかどうかハ知らナイけど。不可思議ナ話をキカせてあげる。樒姉ちゃんがコッソリ教えてクレたこと」
「え?」
遊眞は穐椰の話に耳を傾けた。
ザスクはただ犯罪組織を作っている訳では無い。ただ血の気が多く、人を殺す事をいとわない人間を集めているわけじゃない。そういった類の人間にザスクは興味を示さない。ザスクが己のZASとつけた組織に加える人材は頭脳が大きく関与していた。そもそも、人体を人体の領域から飛び出す薬を開発している時点でザスクの周りに居る人間は科学者のようなものが多くいることがよくわかる。これはザスクから直接聞いた話だから確かな事だが、穐椰の身体に打ち込まれたこの薬はまだ試作品の状態で、完成品ではなかった。子の薬は酷く人体を破壊する危険なもの。体内に入れただけであちこちに破壊活動が起こり、たちまち人は死に至る。ただの強力な毒薬のようなもの。しかし、とある特異体質にのみ真の力を発揮する。発揮したのはザスク本人の体と、穐椰の体だったらしい。まぁ、ザスクから聞いたのはここまででここからは樒の話だ。樒自身、正確な情報ではないから鵜呑みしないで欲しいと言っていた。
「あの人はね、不死薬を作ろうとしているのよ」
樒はそう言った。当時の穐椰にその意味を正確に理解するだけの知識が無かった。学校になんて行っていないから。ザスクの求めていたものは不死。実際、穐椰やザスクは不死の肉体を手にしている。それでも未だ、完成品と言うには少し遠いのだが。それに、ザスクは完全に不死の肉体と言うわけではなかった。
「どう言う事?だって・・・穐椰よりすごいんでしょ?」
「それはあくまでさっき話したところまで」
ザスクの肉体は完全ではなく、薬の投与をし続けなければいつかその力は失われ本来のあるべき姿になってしまう可能性がある。本来の姿。そこに更に問題がある。そもそもザスクの年齢は不詳。若いのかそうでないのか、全く以って解らない。しかし、樒曰く。その薬を使ってかなりの長命を手に入れているとか。穐椰と共にいた5年の間にザスクの容姿は何の変化も見せなかった。それどころか、樒とであったときから既に姿かたちが変わっていなかったらしい。その状態を維持するにはとにかく薬の投与。しかし、その薬とて無限に存在する訳では無い。いつかは底を尽きてしまう。そんな折、穐椰と言う適切な身体を持った少年がザスクの手元に転がり込んできた。薬と合致した穐椰の中に流れる血液こそ、その薬のようなもの。致命傷を負っても直ぐに回復する穐椰ならほぼ、無限にあると言っても過言ではない代物となる。
「じゃぁ、ザスクってもしかして・・・穐椰の・・・」
「そうだよ。5年カン、一体ドノくらいクワれたか・・・・オモイ出したクモないよ」
眼を閉じて嫌そうな表情をして穐椰は応えた。ザスクが求めていたのは不死の力。それを手に入れかけている。しかし、本当にそんな薬を作ることが出来るのだろうか。
「そんなもの、ホンとうに作れル訳がナインだよ。ただ、体の中の老朽カしていく細胞ヲ薬の力によって維持するようニなるッテわけ。まぁ、一旦体中の細胞がぶっ壊れるような刺激があるみたいだけど」
「みたいって・・・穐椰だって・・・」
「僕は薬とアイ性がよかッタからソんなに・・・カナ」
流すような視線で遠くを見つめる穐椰。とにかく、今はあまり深く聞き過ぎるのは良くないかと思ったが、気になることが沢山ありすぎて頭がパンクしそうだった。
「僕の髪は・・・ムカシ、お母さん似で茶系ダッタヨ。瞳のイロもこんな浅くなくてモットフカイ緑色しテいたよ」
「え?」
「薬の副作用デ、こんなニなった」
「それで珍しい色をしていたんだ」
「ザスクも・・・メズラシイ色だった・・・。あ~~、思い出すだけで震えがトまらない」
穐椰は蹲って身震いしていた。
「でもまぁ、今は安全だし、そんな心配する事ないでしょう?」
「ナニ言っているの。危険ナことニハ変わりないサ」
「え?どうして」
「だって・・・」
「そのザスクが菰亞を求めてそこら中を探し回っているだろうからな」
ありもしない声に驚いた二人。慌てて声のしたほうを見ると燈樵が呆れたような困ったような、そんな表情をして立っていた。驚いている二人の様子を確認してから穐椰を見た。
「気付かないなんて、珍しいな。よほど、話に夢中になっていたのか?」
「え・・あ・・・ウン・・そうかも」
穐椰の様子が少しおかしいのは何故か、考えたが、次の燈樵の言葉で納得した。
「雪芽妃が酷く怯えて下で震えていた。事情は大体聞いた」
「ごめんなさい・・・」
雪芽から聞いたとなると、かなり穐椰に部が悪いように語っている可能性がある。遊眞は穐椰の弁護に入ろうとしたが、燈樵を相手にそれは無駄だと思い知らされた。
「大丈夫だよ、縞井。別に雪芽妃の言ったことを全て鵜呑みにした訳では無いから。菰亞があんな無謀な事をするとは思えないしな」
穐椰の頭を軽く叩きながら言った。穐椰は俯いていたがどこか嬉しそうな顔をしていたから遊眞は安心した。
「まぁ、お前が自分のことを語ることが出来るようになったのは、俺としてはいい結果だと思っているよ」
燈樵はそれだけ言うと部屋を出て行った。恐らく雪芽と話をするために出て行ったのだろう。残った遊眞と穐椰はしばらく沈黙の中いた。遊眞は考えにふけっていたが、穐椰はどちらかと言うと何も考えていないように思えた。まだまだ幼く、本来なら学校で楽しくわいわいやっている年齢であろうはずが。こんな残酷な運命へと導かれる事になるなんて、哀れだった。しかし、そんな穐椰へ同情してはいけない気がした。かわいそうだとおもってはいけない気がした。本人が必死になっているのに同情の眼を向けるのは酷なものである気がしてならなかった。