追憶 第5話
変な冷や汗が額に滲む。言葉以上にきっと想像を絶する映像だったに違いない。遊眞は目の前の少年を荒い呼吸を抑えて見つめた。少年はそんな遊眞の瞳を真っ直ぐに見てくる。今までこんな風に目を合わせたことが無かったから変に緊張した。
「僕のカラだはその1週間で急激ナ変化ヲミせたよ」
穐椰はそう言った。穐椰の不思議な違和感のある口調。これはその薬のせいだと知って遊眞は少し気の毒に思えた。既に慣れているから本人は気にしていないようだった。
「そ、それで・・・無事に家に?」
「ん?あぁ、ウン。家にはカエること、出来タよ」
「・・・・なんか、意味深・・・」
「だろうね。結局僕はそのザスクのトコロに戻ルことになったんだから」
「え?!」
穐椰の眼が遊眞を捕らえた。遊眞は少し俯いた。穐椰は窓の方へ顔を向けた。そして、ぼそっと言った。違和感の無い、重い口調で。
「僕の人生、第2幕はそこから始まったんだよ」
遊眞はその言葉に嫌な予感しかしなかった。
家について母の顔を見て嬉しくて涙が溢れた。母もほっとしたような表情をした。その後ろで父親が苦々しい表情をしていた。母に飛びつこうと思って足を踏み込んだ、その直後、隣にいたザスクにそれを遮られた。一瞬で穐椰の全身を寒気が走った。それと同時にもう、自分に幸せな時間など二度と来ないと思った。ギチギチとした動きで上のほうにあるザスクの顔を見た。とても爽やかに笑っている。それとは裏腹に穐椰は恐怖で戦慄いた。母は疑問と不安の混ざった表情でこちらを見ていた。そんな母へザスクはにこやかに微笑んだ。
「本当に素晴らしいお子さんですね。こんな素晴らしい人間を、今まで生きてきた中で見たこともありませんよ」
「そ、そうでうか・・・。それは、良かったです」
母の表情が緊張していた。穐椰は震えて声も出なかった。動く事も出来なかった。ここからすぐさま逃げ出したい気分になっているというのに。
「そうだ、奥さん。ザスク、って知っています?」
穐椰はザスクの顔を、眼を見開いてみた。自分のことを言うなど、思っても見なかった。それに母の反応も予想外だった。
「え、えぇ・・・知っていますよ。ZASK・・・、ですよね?」
「それがナンだというんだね?」
後ろの方から父親が言った。穐椰はザスクと両親を交互に見た、。そして、何度か見た後、ザスクの顔を見て穐椰の方の力は抜けた。
―あぁ、もう終わった
そう思って。その青年は笑みを浮かべている。この笑みの時は絶対的に穐椰が激痛を与えられるものだった。
「何、大したことではありませんよ。ただ、自分がそれなもので」
爽やかに笑って見せたザスクの表情とは裏腹に恐怖で支配された両親の顔を見た。穐椰は幼少ながらに思った。もう、自分達に逃げる道はないと。
「おい、餓鬼。お前があの二人、始末して来い」
「?!」
いくらザスクからの命令とは言えそれだけはきけない。そんな事、出来るわけも無い。穐椰は勢いよく首を横に振った。
「いやだ!ぼくはひとヲきずつケルのはしたくない!」
「ほう。初めて抵抗してきたな。なら、それに免じてこの二人はオレがやってやるよ」
「やめて!」
穐椰の叫び声に父親がびくついた。母は硬直している。その抵抗する言葉を聞くとザスクは嬉しそうに微笑んだ。
「殺されたくないか?なら、お前がやって来い。手伝いくらいはしてやる」
にこやかな表情を近づけてザスクは言った。そして穐椰の首根っこを掴むと凄まじい勢いで母へと投げ飛ばした。母は飛んできた穐椰を受け止めようとした。
「だめだ!にげて!!」
本能的に察知した穐椰はそう叫んだが、間に合うわけも無い。相手は普通の人間だ。体勢を変えることの出来ない穐椰の身体は、穐椰の手は・・・・。無残にも母の胸を突き刺した。生まれてはじめて感じる人体を通過した感覚。あまりの気持ち悪さに吐き気を覚えた。そんな中、母はゆっくりと倒れていった。穐椰は絶望で震えた。
「おか・・・さん?」
「こ・・・・あ・・・?」
微かにする母の声に穐椰は涙を流す。後ろに殺気を感じて振り向くと、ザスクが手を伸ばしていた。その手から逃れようと立ち上がろうとしたが、首根っこを捕まれ逃れる事ができなかった。そして、そのまま父親の方に投げ飛ばされた。抵抗する事も何も出来なくて父親へ突っ込んでいった。父親のその時の恐怖に満ちた表情は脳裏に焼きついた。母同様、父親の身体を貫いて穐椰は父親と共に地面に付した。その父は即死だった。身体をがたがたと震えさせて振り向く。母は微かに動いていた。穐椰ははっとして走り出した。今、触れれば母を助ける事が出来るかもしれないから。ザスクが出来たように自分にも相手の傷を自らの身に移す事が出来るかもしれないから。母に向かって手を差し伸べる。母もそれに応じて手を微かに動かした。しかし、その伸ばした手は母に届く前にその勢いを失ってしまった。
「なっ・・・?!」
手の勢いが失われたのは伸ばした手の甲に鋭い切っ先が突き刺さったからだった。全くの無表情で何も感じていないかのように穐椰の手に日本刀のようなものを突き刺したからだ。刀は穐椰の手を貫通して地面まで突き刺さっている。動かそうにも痛くて動かす事が一切出来ない。縋るような目でザスクを見た。しかしザスクは凍るような凍てつく目で見下ろしてきた。そのままザスクは穐椰に背を向けて玄関の方まで歩いて行き、玄関元で寄りかかって腕を組んだ。穐椰は母親に眼を戻した。震える瞳が互いにぶつかった。穐椰は突き刺されていない方の手を伸ばした。母も手を伸ばし、二人の手は絡み合った。しかし、母の傷が移ることは一切無かった。それがなぜかは理解できる。自分に能力を使う力が足りないからだ。
「おか・・さん・・・」
「こ、あ・・・。だい、じょうぶ、よ」
震える声が穐椰の耳に届く。その二人を何の感情も入っていない顔で見るザスク。観察しているようにも思えた。
「ごめ、な、さい・・・ぼくの・・・せい、で・・・」
「ちがうわ・・・こあ。・・・あなたは、なにも、わるくないわ・・・」
涙ぐみながら母はそう言った。弱い、弱い、消えてしまいそうな声で。
「だいじょうぶ。こあ。いつでも、かあさんは、あなたの、かあさんだから・・・・」
「だって・・・だって・・・」
「こんな、ことになっても・・・かあさんは、あなたを・・・」
穐椰の悲痛な声が部屋中に響いた。無表情だったザスクがやっと表情を作った。にやりと笑った不敵な笑みを。穐椰はこの時の惨劇を、一生をかけて忘れる事はない。母の言った最後の言葉を・・・二度と忘れない。
―あなたを、ずっと愛しているから・・・・