追憶 第2話
必死になって頭を下げる両親。穐椰は俯いて何も言わない。いや、言うことが出来なかった。家に帰ったら父親からこっぴどく叱られた。
「どんな理由があったとしても、人を殴ることは許さん!」
「はい・・・・・」
穐椰の平手を喰らった少年は顎の骨がずれるという重傷を負った。自分も頭を打ち付けて確実に怪我をした。周りの友達も穐椰は流血したと主張したが、家に戻った時の穐椰には傷痕一つ残ってはいなかった。穐椰の中でこの力が確かなものになってきた。自分の持つこの力は、人には絶対に向けてはいけないものだと小さな頭で思うのだった。
それからというもの、穐椰は一人で遊ぶようになった。それ自体はべつに苦ではなかった。しかしあれ以来、父親の態度が変わりつつあったことが気になって仕方なかった。いつも優しかった父が素っ気なくなり何処か避けられている感覚にすらなる。
幼稚園を止めさせられる。そんなことが起きたのはあれからすぐの事だった。事態は最悪、意識不明の重体に陥った。表向きの原因は突き飛ばされた事による頭部損傷。しかし本来怪我を負ったのは穐椰の方だった。それなのに重体になったのは相手の方。
近所に非常に怒りやすい子供がいた。そんな子供が穐椰に構ってきたのが事の発端。庭で遊んでいた穐椰を後ろからいきなり押し倒したのだ。驚いて振り向くとニヤついた少年がそこに立っている。穐椰はどうしてこうなるのか考えたが、結局のところ解る訳もなかった。少年は再び穐椰に襲い掛かった。逃げようとしたが足が縺れて転んだ。そんな穐椰に何度も躊躇なく撲りつづけた。穐椰は涙目になりながらもようやくその手から逃れた。が、少年は又しても穐椰を襲う。そのせいで勢いよく倒れた穐椰の後頭部に積まれた煉瓦が直撃する。見たことも無い量の血が出てきて穐椰は恐怖のあまり硬直した。少年は奇妙な声で笑っている。感じたことの無い痛みに穐椰は混乱した。高笑いする少年は穐椰の近くでしゃがんだ。
「いたい?いたいよねぇ?クスス・・・・・。もぉっといたくなりなよぉ~」
そういった少年の言葉を聞いて穐椰は血まみれの手を少年へ伸ばした。少年は嬉しそうな顔でその手を掴んだ。その時だった。穐椰の中で何かが抜けていくものを感じた。そしてそれが何であるかは、自分の頭の痛みと目の前の少年の行動で理解できた。
頭部の怪我が痛みを消した。そのかわり同じ所から多量に出血している少年がいた。立ちすくんで穐椰は思った。
-あぁ、こんな事まで出来てしまうんだ
と。自分に未知なる力があるということは、子供の穐椰でも理解できていた。目の前で苦しんでいる少年を穐椰は見ていることしか出来なかった。自分に何が出来るかまでは解らなかったから。
穐椰は家から出ることを止めた。もう、どうしようもないこの不可思議な力を人にぶつけないために。
「菰亞?大丈夫?ご飯、一緒に食べましょう」
母親に声をかけられて怖ず怖ずと立ち上がって居間へ向かった。父親が穐椰の顔を見ただけで表情を強張らせた。
「お前は一体何なんだ?何度同じ事をしたら気が済む!?しかも今度は意識不明の重体だ!わかるか?!」
正直、園児である穐椰にとって父親のこの言葉はわかりにくかった。それでも父親がひどく怒り、そして何処か恐怖していることは理解できた。
「お前みたいなのはっ・・・・・」
「落ち着いて・・・・・。菰亞が可哀相だわ・・・・・。この子だって悪気があった訳じゃ・・・・・」
「うるさいっ!」
「あっ!?」
振り上げた父親の手が母親の持っていた盆をひっくり返した。母親は軽く腰を着いた。
「おかあさんっ?!」
「大丈夫よ・・・・・」
心配した声で母親に駆け寄った。笑いながら答える母親の笑みが穐椰には痛く、苦しかった。父親は怒りと恐怖とそれから悲しみで震えていた。しかし、当時の穐椰に悲しみを理解する事は到底出来る事ではなかった。
「出て行け!」
父親の怒号に穐椰は酷く怯えて別の部屋へ駆け逃げた。頭を抱えて泣く事しかできない。それ以来、父親は穐椰の顔を見なくなってしまった。それが悲しくて寂しくてたまらなくなって苦しくなった。それでも穐椰にはどうする事もできなくて・・・・。
―あぁ、ボクはにんげんじゃなくなったんだ
そう、穐椰は思った。切なく・・・・しかし強く。
穐椰の不可思議な能力の事はじき、親の耳に届いた。そのせいで父親は穐椰を『化け物』と呼ぶようになった。その時には既に、穐椰の心は大分動かないものになっていた。奥底にある芯は別として。
「大丈夫よ、菰亞。お母さんは何時まで経っても菰亞の味方、菰亞のお母さんだからね」
母親だけはいつもそう言ってくれていた。前からも父親と違って話しかけてくれていたがそれはあくまで偽善であって心など無いものだと思っていた。しかし、母親は・・・この人だけは味方でいてくれた、何も恐れてなどいなかった。本当に我が子だと思ってくれていた。母だけは・・・自分を人間だと思ってくれていた。そんな母を信じる事のできなかった、怖かった自分が恥ずかしくたまらなかった。そしてそれと同時に嬉しくて仕方なかった。
「その化け物から離れろ!そいつは人間の皮を被った悪魔だ!」
父親が部屋の中に張ってきて叫び声を上げた。悲痛な表情を浮かべて父親に抗議する母。
「この子はそんな子ではありません!悪魔なんかではないわ!私達のかわいい子です!」
母の言葉は『私達』に力が入っているように思えたのは気のせいではないだろう。怖い、怖い。父親が怖い。でも、それ以上に自分が怖かった。昔の父は優しかった、一緒に公園で遊んでくれたし遊園地にだって連れて行ってくれた。一緒に海に行って・・・全てが遠い昔のように思えた。あの父親の優しさを向けて笑ってくれていた父を自分は裏切ってしまった。なら、こんな呼ばれ方をされても仕方がないとしか穐椰には思えなかった。
「菰亞は子供です!この子のどこに非があるというのですか!」
母の言葉。穐椰は涙を流す事しかできなかった。
夏休みも残りが少なくなって来た。しかし、今の穐椰にとってはそんな事関係なかった。今ではもう幼稚園に行く事はできなくなってしまったから。何もかもが解らなくなってただただ呆然と自分を否定する事しかできない穐椰。何も考えずに外を歩く。大好きな母。大嫌いな世界。母だけは優しい。穐椰菰亞と言う存在をただ一人見てくれた人間。人間の心として保たせてくれているたった一人の優しいヒト。
「お母さんが好きかい?」
唐突に声がして驚いた。今、丁度思っていたことをずばりとされたその質問に驚いたのだ。そして、近くに人が来ている事に気付かなかったことにも驚いた。
奇妙に身体能力が上がり、己の外傷を相手へ移す事ができ。そんな力にはどんどん特典がついてくる。日が経てば経つほど。視力が異様に発達し、他にもありとあらゆる五感が発達した。つまり、嗅覚で近くに誰か来ようものならすぐにわかるというのに。
その相手が誰であるのかを知るために振り向いた。そこにはにこやかな顔をした青年が立っていた。どこかで見たことがある気がしたが、どこで見たのか思い出せなかった。
「おかあさん、すき」
ぼそっと応えた穐椰。その言葉を嬉しそうに笑って青年は言う。
「それはいいね。ところでキミ、幼稚園は?行かなくて良いの?それともサボりかい?」
「ううん・・・。いっていナイ」
「行っていない・・・?どういうこと?」
「きてほしくナイっていうの」
「なんて哀れな・・・。キミほどの人間を欲しなかったということかい?」
穐椰は硬直した。この青年の言った事を理解しかねたからだ。どういうことか尋ねると爽やかな笑顔を見せて青年は穐椰の眼の高さを同じにした。
「キミみないにすばらしい子供を他のヒトは否定したのだろう?それはそれが馬鹿だったんだ」
穐椰は少し嬉しくなった。だが、この青年は自分の力を知らないからこう言っているのだと思い直し、青年から一歩離れ、自分は化け物なんだと告げた。
「化け物? 一体何が出来るんだい?」
青年はにこやかに笑いながら尋ねる。穐椰は青年に向けて手のひらを向けた。
「おかあさんにもいっていないコト。ついさいきん、できるようになっちゃったヤツ」
「見せてよ」
「ざんねんだケドみせることはできない」
「どうして?」
「コロしてしまうから」
穐椰がそういうと青年は少し表情を柔らかくした。優しく、穏やかに。
「苦しいかい?その力を得て」
青年が聞いてきた。穐椰は小さく頷いた。青年も同じように頷いていた。青年を見る。この青年は自分が生物を殺してしまう力があるといっても怯える表情を一切見せないし逃げるそぶりすら見せなかった。それどころか、穐椰に積極的に会話を進めてくれる。
「ねぇ・・・どうして、おにいさん。ボクをこわがらないの?ひとトカ、ころせちゃうんだよぉ?」
「あははは!子供の言うことだからな」
あぁ、そういうことか。納得した穐椰。目の前の青年は自分が子供でいわゆる嘘を言っていると勘違いしているようだった。しかし、本当のことなのだ。穐椰が生物の命を奪い取る能力を持っていることは。
先日、庭で鳥同士がもめている所を見た。一匹の鳥が勝ち、一匹の鳥は死んでしまった。それを見て、穐椰はなんだか辛くなった。そして勝った鳥を捕まえた。並外れた運動能力を身に着けた穐椰には造作もないことだった。そしてその鳥をよく見ていた。この鳥がいなければ今足元で動かなくなっている鳥は自由に空を飛ぶことが出来たのに、と悔やむ思いで手に持つ鳥を見つめた。意識はしていなかった。しかし、鳥の中から穐椰の中に何かが流れ込んできたのを感じた。穐椰は驚いて鳥を手放した。その鳥は手放した勢いで空を待ったが、まるでゴミのように地面にぼとりと落ちた。穐椰は身を引いた。そしてそっとその鳥の傍によると、その鳥は死んでしまっていた。感覚でわかった。コレは自分のせいだと。
庭の隅に小さな墓を二つ作った。泣きながら作った。