『最高の縁談を』を求めていた完璧公爵令嬢が挫折を通して気づいたこと。
【1.婚約者候補の話はなかったことに】
「ケイト。申し訳ないわ。マーシェルの婚約者候補として3名選ばせてもらったけど、その話はなかったことにしてもらいたいの」
突然王妃の私室に呼ばれ、そう切り出されたので、ケイト・ブライルド公爵令嬢は「えっ」と驚いて目を見張った。
王妃の顔を食い入るように見つめる。
「どういうことですか? 他の2名のどちらかがマーシェル王子の相手に決まったということですか?」
「ああ、違うの。マーシェルったら、こっそり好いている娘がいたみたいで。このたびその娘との縁談が纏まりそうだから、私が選んだ3名には辞退していただけないかとお話させてもらってるの。とても心苦しく思っているわ」
王妃は心から申し訳なさそうに言う。
「マーシェル王子には好きな女性がいたということですか?」
「そうなの。あの子ったら何も言わないものだから。私、そんな相手がいるなんて全く知らなくて。しびれを切らして婚約者候補を選んだら、今になってマーシェルったら『別の女性がいい』というのだから……。とはいえ、私が先走ったの。あなたはじめ、ほかの二人の候補者にも申し訳なかったわ」
「……。その……マーシェル王子の好きな方……その方との結婚はもう決まったのですか?」
「ええ。まあ決まりでしょうね」
王妃がはっきりと言うと、ケイトは自分にはマーシェル王子と結婚する道が完全になくなったことをようやく理解した。
「そう……ですか……」
ケイトは苦しそうに言葉を絞り出した。
信じられない。
自分がマーシェル王子と結婚すると思っていたから。
マーシェル王子が別の女性と結婚する?
っていうか、好きな人がいた? あんなに女性とかに興味なさそうにしていたマーシェル王子なのに?
この私を差し置いて、別の女性だなんて。
その女、いったい誰よ?
私以上の令嬢なんてこの国にはいないでしょう?
ケイトは誰よりも自分がマーシェル王子に相応しいと思っていたのだ。
ケイトは透き通るような金髪に眉がきゅっと上がったきつめ顔の美人だ。
顔立ちが整っているだけではなく、高級で派手なドレスを堂々と纏い、流行最前線の髪型に、発色のよい希少な化粧品を外国から取り寄せ、死角のない完璧なたたずまいを持っていた。
なにせブライルド公爵家は宰相を輩出するほど政治的に強い名門貴族である。長女のケイトも幼少から礼儀作法を教え込まれ、勉学を怠けることも許されなかった。おかげでケイトは成長してから才女として名が通り、今やあちこちにサロンに引っ張りだこである。
大臣経験者相手にも物おじせず意見するのだ。
老齢の大臣経験者も、美しくて若い令嬢が真正面から真面目に話をしてくるのが珍しくて、皆ケイトを孫のように可愛がっていた。
こうもできのよい娘を持つと、ブライルド公爵も野心を持つものである。
もともと名家であるうえに、ケイト自身も才色兼備で名高いときた。王家との縁談も狙えると強く期待していた。
幸いわが国にはケイトと同年代の王子が二人いる。第一王子ジェームスと第二王子マーシェルだ。
野心的な王弟が臣下を束ね政治的攻勢をかけたため、王嗣殿下は王弟アントンと決まったが、ジェームス王子もマーシェル王子もれっきとした王家の人間でありケイトの相手として不足はない。
またケイトの方も、父ブライルド公爵の下心をずっと感じてきたため、ジェームス王子やマーシェル王子と結婚することに異論はなかった。
例えジェームス王子が勉強嫌いで女にだらしなく、マーシェル王子の方は結婚にまったく興味を示していなかったとしても。
特にマーシェル王子は、兄ジェームス王子と違って真面目で、金髪碧眼のたいへん麗しい王子である。
ケイトは、ジェームス王子だろうがマーシェル王子だろうが王家相手の結婚なら文句は言わないつもりだったが、心の中ではマーシェル王子の方がいいなとこっそり思っていた。
そして、話はいい感じで進んでいたのである。
王妃は、いいかげんよい歳になったマーシェル王子に「結婚相手をそろそろ決めなさい」と言い、国中の貴族令嬢を集めた婚約者選びのパーティを開催した。そして、マーシェル王子が全然お妃選びに乗り気でなかったため、王妃が自ら3名の婚約者候補を選定したのである。その中にケイト・ブライルドの名前もあったのだ。
ケイトはまだ3名の候補者のうちの一人であるとはいえ、自信満々だった。このままマーシェル王子に婚約者として選ばれるのは自分だと強く信じていた。
自分以外の二人は確かに美人で名門貴族出身だったが、自分が一番だと思っていた。
それが、いきなり『別の女性』である。
ケイトはすぐには受け入れられなかった。
「お相手はいったいどなたなんでしょうか?」
とケイトは聞いた。
「コルウェル伯爵家のメルディアーナです」
と王妃が答えるので、ケイトは驚いた。
えっ!?
コルウェル伯爵家? 成金の新興貴族じゃないの!
メルディアーナという令嬢本人の評判も聞いたことがない。なんか騒がしい令嬢という噂だけは耳にしたことがあるが、そんな人のことは相手にする必要もないと思い噂も聞き流していた。
なぜそんな令嬢に私が負けるの?
そんなの到底受け入れられないといった様子のケイトを見て、王妃はため息をつきながら言った。
「まあ相手がメルディアーナというのはねえ。私も、一般的に王子のお妃になるべき令嬢とはわけが違うと思いますよ。でもまあ、マーシェルが選んだのです。母としては認めてやりたいと思っているのです。家の格がと言われるかもしれませんが、国王の跡継ぎとしては今のところアントンもいるし、ジェームスもいるし……。マーシェルの相手までは厳しく言われないでしょうから」
「そうですか……」
母として認めてやりたいと言われれば仕方がない。
ケイトは悔しい気持ちをぐっと飲みこんだ。
「ケイトには私が責任を持ってよい縁談を探します。だって、王子の婚約者候補に名を並べておきながら一方的に破棄されたなど、あなたの名誉にかかわるでしょう? そこは王妃の名で必ずやあなたの顔を立てますから。せめて私があなたの結婚の仲人になればまだ世間も納得するでしょう。私もとても悪いと思っているのです」
「王妃様、ではぜひ私に相応しい最高の縁談を用意してくださいませ……」
ケイトは残念で堪らず、そう言って威勢を張るのが精いっぱいだった。
物分かりの良い令嬢を装う。
ここで取り乱し泣きわめいてはブライルド公爵家の名が廃る。
私は完璧な令嬢なのだから、あるべき姿でい続けなければならない……。
胸がいっぱいになり目頭が熱くなったが、ぐっと我慢して平静を取り繕った。
「ええ。約束するわ。あなたに相応しい『最高の縁談』を用意します」
と、王妃は大きく頷いて請け負った。
【2.言いたいことがあるなら私が代わりに聞きますよ】
一週間後、王妃主催の馬の品評会があった。
ケイトは出席したくなかった。
思わぬところからマーシェル王子をかっさらわれたことにイライラしていたし、とっくに貴族たちの間ではケイトが婚約者候補から外されたことは噂になっているはずだったから。ケイトは他人の好奇の視線が嫌だったのだ。
それに品評会……。
例年通りであれば、まずは各地の予選を勝ち残った馬の大々的なお披露目会があるはずだった。数名の馬術に長けた貴族の若者に混じって、ジェームス王子とマーシェル王子も馬にまたがり、エントリーされた馬を披露して回るだろう。
今のケイトは、そんな凛々しいマーシェル王子を見たくなかった。
私のものになるはずだったのに、他人に奪われた美しい王子。その王子が名馬にまたがり人々の喝采を受ける? 惨めになる。
ケイトはずーんと重い気持ちになり、大きなため息をついた。
しかし、一度はマーシェル王子の婚約者候補に選んでくれたり、ケイトを慮って『最高の縁談』を約束してくれた王妃の好意を思うと、ずる休みするわけにはいかない。
ケイトはしぶしぶ身だしなみを整え、馬の品評会に出かけて行った。
王宮から少し離れた離宮の乗馬コースが会場に指定されている。
品評会ということであちこちに柵が設けられ、出席の貴族が休めるように椅子とパラソルがたくさん準備されていた。
ケイトは軽く王妃に挨拶をしただけで、すぐにはずれの方にある目立たない席に座ろうと思った。
あまり人とお喋りする気になれなかったのだ。
いつもサロンの中心にいるケイトが喋らないということで、きっと皆は「可哀そうに、王子の婚約者候補でなくなったのがショックなのね」とか「プライドをズタズタにされて恥ずかしいんでしょう」とか陰口を叩かれるかと思ったが、「陰口言いたい人は勝手に言え」と思うくらいケイトは鬱々としていた。
ケイトが無言で下を向きながら会場のすみっこの木陰の席に座ろうとすると、
「え?」
といった声がした。
ケイトは、「ほらさっそく来た」と身構えた。
どうせ次は「ケイト様ほどの方がこんなすみっこに座るなんてどうしたんですか?」とか聞かれるに違いない。
しかし、声の主はまったく違った調子で、
「こんなところで会えるなんて!」
と言ったのだった。
予想外の言葉にケイトの方が驚いた。
誰かと思ってぱっと目を上げたが、しかし、ケイトは目の前の人が誰か分からなかった。
ケイトがきょとんとしていたからだろう、声の主は警戒心を緩めさせるような柔らかい声で、
「ジニングス侯爵家のポールですよ。2年ほど前に一度だけ夜会でダンスを踊っていただきました。それ以来なかなか声をおかけする機会はありませんでしたが」
と微笑んだ。
それから慌てて、隣にいたおとなしそうな男性を紹介したのだった。
「こちらはクローンショー公爵家のギルバート。お知り合いですかね?」
「お名前は存じておりますが、話したことはないかと思います。私はブライルド公爵家のケイトです」
とケイトがギルバートに自己紹介すると、ギルバートはおっとりした雰囲気の中にほんの少し荒んだ空気を感じさせながら、
「どうも」
と短く返事をした。
ポールはケイトと話せたことに少し浮かれた様子だったのだが、横のギルバートが素っ気ないので、眉を顰めた。
「ギルバート、なんでそんなに不愛想なんだよ?」
「ケイト嬢は僕とあんまり話したくないと思うよ」
「どういう意味」
「ちょっと前まで僕はメルディアーナをよくエスコート……いや、メルディアーナのお世話係だったからね。ケイト嬢からしたら愉快じゃないと思うよ」
その途端、ケイトがびくっとなった。ギルバートをじっと見る。
メルディアーナ嬢のお世話係?
メルディアーナ嬢って、あの、マーシェル王子の婚約者の?
このギルバートって人は、メルディアーナ嬢のことをよく知っているのかしら……?
ケイトの強い視線にギルバートは困ったように首を竦めた。
「何でしょう? 言いたいことがあったらメルディアーナの代わりに僕が聞きましょうか?」
「いえ……」
ケイトの方は何かすごく言いたいことがあるのにうまく口にできない。
メルディアーナ嬢のことを知ったところでケイトに何かいいことがあるわけではないのだが、ケイトは何となくやっぱりメルディアーナ嬢のことが心の奥底では気になっていたのだった。
どんな人なのだろう?
しかし、こんなところでメルディアーナに近しい男性に直接聞くのもなんだか露骨で変だなと思った。
ところが、ポールがきょとんとしてギルバートに聞く。
「え? ケイト嬢がメルディアーナに言いたいことって?」
「え……と。マーシェル王子をメルディアーナに取られたのだから、言いたいことの一つくらいあるんじゃないかってことだけど……?」
ギルバートは一瞬ちらっとケイトを見てから、躊躇いがちにそっと言った。
すると、いきなりポールが笑い出した。
「ないだろう! あのポンコツなメルディアーナだよ!? 同じ土俵に立とうって思う方が変じゃないか! だって、こちらの方は名高いブライルド公爵家のケイト嬢だよ!?」
ギルバートはもっともだといった顔をしながらも苦笑する。
「まあ、ポールの評価はそんなもんだろうし、それには僕も賛成なんだけど。メルディアーナをよく知らないケイト嬢からしたら、メルディアーナはマーシェル王子を横取りした悪女に見えるんじゃないかと……。僕たちからしたらメルディアーナなんて『どうしようもないもの』でしかないけど、ケイト嬢にはなかなか分からないかもと思ってね」
男性二人が躊躇なくメルディアーナを酷評しているので、ケイトは首を傾げた。
「あの、さっきから何を仰って? 『どうしようもないもの』って何なのですか?」
「だから、あなたがマーシェル王子の婚約者候補を外されたのは、あなたがメルディアーナと比べて決して劣っているわけではないんですよ! もう、ただただね、メルディアーナという変な生き物がひょんなことからマーシェル王子を射止めただけだってことを言いたいんです」
ポールはケイトを真っすぐに見ながら、大真面目に言った。
「は?」
ケイトは普段聞きなれない言葉に思わず聞き返す。
変な生き物? ひょんなこと?
しかし、ポールの言葉を無視して、ギルバートは優しく言った。
「メルディアーナに言いたいことがあれば代わりに聞きますよ。あなたほどの方がこんな端っこの席に座ろうというのですから、もしかしたらマーシェル王子のことを苦に思っていらっしゃるのかなと推測しますので。失恋は……つらいですよね……僕も分かりますから」
すると、ケイトは慌てて答えた。
「あ、いえ、そんな失恋というほどでは……」
マーシェル王子のことはちょっといいなと思っていたけど、王家の人間なら誰でも良かったわけで、必ずしもマーシェル王子に固執していたわけではないのだ。
どちらかというと、このブライルド公爵家の才色兼備の私が、どこぞの無名の令嬢に負けたというのが悔しいのだ。
「失恋じゃない? ってことはマーシェル王子のことは好きじゃなかったってこと?」
ポールが何かを期待するように少し明るい声で聞き返したが、それを聞くとギルバートはハッと顔を強張らせた。
「ってことは、もしかしてプライドの問題ですか? メルディアーナに負けたとか思ってます?」
その瞬間、ポールが弾けるように笑い出した。
「ははは! そんなバカな! でももしそんなこと思っちゃうようでしたら、実際のメルディアーナを見てごらんなさい! メルディアーナを知ったら、きっと『私は何を悩んでいたんだ』と気が軽くなるんじゃないでしょうか? マーシェル王子のことは、ただどうしようもないことだったってことが身に沁みて分かると思いますよ!」
「え?」
ケイトが戸惑っていると、ギルバートがはあっとため息をついた。
「ケイト嬢。よろしかったらメルディアーナをご紹介しましょう。……いや、紹介するほどじゃないか。ちょっとこっそり覗いてみましょう」
「え、覗く?」
ケイトがびっくりしていると、何だかノリノリの様子のポールと、ぐったり疲れた様子のギルバートは席を立ち、ケイトを連れて歩き出した。
【3.私の考えは間違っているのかもしれない】
すでに会場はたくさんの招待された貴族でにぎわっていた。
招待客たちはめいめいでグループを作り、楽しそうに談笑しているが、一部の人たちはケイトを見るなり意地悪な視線を投げかけてきた。「マーシェル王子の婚約者候補に選ばれてさぞ鼻が高かったろうに、別の女に取られて残念ね」「ざまぁないわね」といった視線だ。
しかし、同時に好奇な視線も感じた。
ケイトは、ポールやギルバートという、独身のそれなりにしゅっとした高位貴族男性を二人も引き連れているので、「まあ、さすがね。あのイケメン男性をどうどうと従わせている風情をごらんなさい」「もう別の男性を確保しているの? マーシェル王子のことは引きずっていないのね」といった声がこっそり聞こえてきた。
ケイトは噂話の『どうどうと』とは裏腹に周囲の視線が痛くてすぐにも逃げ帰ってしまいたい気持ちになっていたが、ポールとギルバートはどんどん前を歩いて行くし、メルディアーナを紹介してもらえるというので一応着いて行く。
すると周囲の視線に勘付いていたのか、ポールがそっと歩みを緩めてケイトのすぐ隣、肩が触れるところまで来た。そして耳元にそっと口を近づけると、
「気にしなくていいんじゃない? あの人たちまさか俺たちがメルディアーナのとこ行くなんて思ってないでしょ。しょせんあの人たちの頭の中に浮かぶレベルのことしか噂できないんだから放っておきなよ」
とこそっと囁いた。
ケイトはハッとしてポールの顔を見つめた。
ポールはケイトの目を見返す。そして、ちょっと微笑んだ。
ポールとギルバートは、品評会会場の正面の方へケイトを連れて行った。
正面の特等席なので招待客がたくさん座っている。ここは特に高位の貴族や古くからの名門貴族といった、名の通った家の貴族が前の方を陣取っていた。
貴族の中でも特に礼儀作法に厳しい家の者たちであるので、賑わっている会場の中でもここだけは空気が凛としていて、選ばれし者だけが近寄ることを許される雰囲気だった。
もちろんケイトの両親ブライルド公爵夫妻も正面の一番前の席に座り、隣に座る国王の従妹君とおしゃべりしていた。
ブライルド公爵夫妻は娘に気づいて「こっちよ」と手を振ったが、ケイトは無視する。今日はこんな針のむしろには座りたくない。
すると、ポールとギルバートが前方の席に背を向けて、周囲にキョロキョロと目を向けてから後列の方へケイトをいざなった。
「後ろ?」
とケイトが聞くとギルバートは無言で肯いた。
「マーシェル王子の婚約者とはいえ、成金コルウェル伯爵家では前の方の席は無理か……。まあそうよね、結婚前だし、成金伯爵家の分際で、ここで出しゃばって公爵家の横に座ろうものなら反感買うものね……」
と、ケイトがそんな風に思っていたら、ポールとギルバートはどんどん後ろへ歩いて行き、ついに貴族の輪から抜け出てしまった。
「え? どこへ?」
とケイトが驚いて聞くと、ポールが笑いをかみ殺しながら指を差した。
そこには、何やら奇妙な動きをしている令嬢が一人いたのだ。
ギルバートは頭を抱えた。
「メルディアーナ、何をしているのかな?」
すると声をかけられたメルディアーナは、
「ああ、椅子をね、積んでるの。マーシェル王子が馬に乗って来るところなんて絶対かっこいいじゃない? 高いところからならきっとよく見えるわ!」
そう、メルディアーナは近くに椅子を6個も7個も持ってきており、それを一生懸命高く積もうとしているのだった。今は5つ目の椅子を積んでいる最中だった。
「なんで後ろにいるの。マーシェル王子が見たいなら前の方に行きなよ」
とギルバートが呆れながら言うと、メルディアーナは唇を尖らせた。
「だめよ、あんなお母さまが座るような中途半端な場所じゃよく見えないじゃない。名門公爵家とかが前の方に座ってるから、人の頭が見えるだけよ。そんなのマーシェル王子のかっこいい姿が見えないじゃない!」
「だから一番後ろの方にいるわけ?」
「そうよ、ここなら椅子を積んでも文句言われないでしょ?」
「椅子を積んで、まさか乗る気?」
「そうよ、悪い? 上から見るのよ」
「やめなよ、危ないよ! 落ちたらどうするの」
「私運動神経いいから大丈夫」
「そういう問題じゃないだろ、仮にも貴族の令嬢なんだよ、メルディアーナは……。おとなしくご両親と一緒に見なよ。また怒られるよ」
そうギルバートがメルディアーナを窘めると、
「え、怒られる? もしかしてギルバート、お母さまに何か言ったの?」
とメルディアーナはぎくっとしてギルバートの顔を見ようと振り返った。メルディアーナは厳しい母が怖いのだ。
その瞬間、積んだ椅子のバランスがぐらぐら崩れて、一番上の椅子がメルディアーナの方に落ちてきた。ごちんっ!
「痛っ!」
メルディアーナは額を押さえながら呻いた。
「だ、大丈夫……?」
とギルバートが血相を変えてメルディアーナに駆け寄ると、そのとき品評会開始のアナウンスが聞こえてきた。
王妃が品評会開催の挨拶のために人々の前に立っており、ジェームスとマーシェル両王子がその横ににこやかに立っている。
「あっ! マーシェル王子! かっこいい王子の姿を見なくっちゃ……」
メルディアーナは駆け寄ったギルバートをどんっと突き飛ばすと、転がっていた近くの椅子の上に上ってすっくと立ち、オペラグラスを取り出して一心不乱に王子を観察しはじめた。その動きはなんだかキモイ。
メルディアーナとギルバートのやり取りを呆気に取られて見ていたケイトだが、メルディアーナに突き飛ばされたギルバートをふと見ると、一瞬少しつらそうに唇を歪めているのが見えた。
あれ? 何か違和感。もしかして? ギルバートはメルディアーナが好きなのかな……? なんかよく分からないけど。女の勘がそう言ってる。
でもメルディアーナはマーシェル王子一筋でそれしか眼中にない様子。実際メルディアーナはマーシェル王子の婚約者だ。
そう思うと、温和な印象を与えるギルバートがほんの少し荒んだ空気を纏っていたのもなんだか納得できた。失恋、なのかな。
「そうか、私だけじゃない」とケイトは思った。
他にもマーシェル王子とメルディアーナの婚約にこっそり傷ついている人がいるんだ。
しかもこの人は、私がマーシェル王子を想っているよりずっと強くメルディアーナのことを想っていたに違いないのだ。
ケイトはほんの少し自分が恥ずかしくなった。
そのときギルバートはケイトを振り返った。
「あ、えーっと。ケイト嬢。こちらがメルディアーナ。当のメルディアーナはマーシェル王子に忙しくてケイト嬢のことは目に入ってないでしょうが」
と紹介した。
すると聞こえていたのかメルディアーナがぱっとこっちを見る。
「ケイト嬢?」
「ええ、ブライルド公爵家のケイトですわ」
ケイトはなんだか吹っ切れた気持ちになりかけていて、少し余裕をもって朗らかに名乗ることができた。
するとメルディアーナの目が驚きで見開かれた。
「え?」とケイトは思う。そしてドキッとする。
私がマーシェル王子の婚約者候補の3人に選ばれてたことに気づいたのかしら。
そりゃメルディアーナからしたら、いい気分にはならないわよね……。こんなにマーシェル王子のことが好きなら、一時的でも婚約者候補に挙げられた令嬢なんか……。
しかし、突然メルディアーナは素っ頓狂な声を上げた。
「なんでブライルド公爵家の方がこんな後ろの方にいるの? ブライルド公爵家っていったら最前列でしょ? あなた見ないなら私に席代わってよ!」
ケイトはぽかんとした。
「え、それ?」
メルディアーナは、ケイトがマーシェル王子の婚約者候補だったことなど、すっかり忘れているかもしれなかった。いや、そもそも名前も覚えられてなかった可能性も……?
「えーっと?」
ケイトは戸惑ってうまく返事ができなかった。
するとポールが腹を抱えて笑い出した。
「ね? ケイト嬢。これがメルディアーナです。こんな女と張り合おうとか思います? ただのアホなんですよ、こいつ。これでマーシェル王子がずっと探し求めてた女だって言うんですから。真正面から張り合うなんてアホらしいとか思いません?」
「え、ええ、そうね……」
確かにケイトはもうマーシェル王子のことはどうでもよくなっていた。
ポールとギルバートが『変な生き物』『どうしようもないもの』と言っていた意味が分かるような気がした。私にはメルディアーナのようなあんな要素は残念ながらない……。
そしてメルディアーナを心配そうに見つめるギルバートのせつない眼差しがケイトの胸を抉る。
私は結婚をどうやら勘違いをしていたようだ。
「王家なら誰でも」「私に相応しい相手」という考え方はちょっと違うのかもしれない。
メルディアーナが不満そうにポールに言った。
「なんか私の悪口言ってる? 張り合うって何?」
「いいんだよメルディアーナ。君は何も知らないままで」
ポールが苦笑し、それからケイトに向かってこっそりウインクした。
ケイトはポールのウインクがあまりに自然だったので思わず見とれたが、ふと我に返ると慌てて空を見上げた。
【4.この気持ちは何?】
何をしでかすか分からないメルディアーナを放っておけないとギルバートはメルディアーナの側にいることになったので、ポールはケイトのエスコート役になることになった。
「一人でいるよりはいいでしょう、ケイト嬢」
とポールは言うが、役得と思っているのかほくほく顔だ。
ケイトはくすっと笑ってから優雅にお辞儀した。
「そうね、一人だと視線が痛いから、助かります。あの、呼び方、ケイトでいいです」
ケイトはなんだか素直な気持ちになっていた。
メルディアーナにすっかり毒気を抜かれてしまっていたのだ。
「あ、じゃあ俺もポールって呼んでください!」
ポールは有頂天だ。
ケイトとポールは元の会場のすみっこの木陰の席に戻ると、ポールがなんだか申し訳なさそうに言った。
「不思議な生き物だったでしょう?」
「あ、ええ、まあそうね。私、マーシェル王子の婚約者候補から外されたときに、メルディアーナと自分をどうしても比べてしまって。私がメルディアーナに比べて劣ってるのかなーとか」
「そんなことはないですよ!」
「ええ、そうよね。劣ってるとかじゃなくて……。私にはメルディアーナのような無邪気さはないかもしれないわ」
「アレを無邪気だなんていいように言い過ぎです。もう別の生き物と思って吹っ切った方がいいです」
「吹っ切れてはいます! そりゃ私はメルディアーナみたいにはなれないもの……。マーシェル王子に選ばれるには、ああいう女性でないといけなかったのね」
そうケイトが言ったとき、ポールは「え」といった顔をした。
それから少し深刻そうに眉を寄せて考えてから、やがて何か思いついたように一番近くにあった椅子に手にかけ、「はい、これ」と椅子をずりずりケイトに手渡した。
「え? 何ですの?」
ケイトが驚いてポールの顔を見ると、ポールは自分でも何を思いついたんだろうと困り顔で苦笑していた。しかし、悪戯っぽい目になって言った。
「そこの椅子の上に、積んでみてください」
「え?」
ケイトは訳が分からず聞き返す。
「積むだけやってみたらいいですよ。メルディアーナがやってたみたいに。5つくらいは積めるみたいだから」
「ちょっと、ポール、あなた何を言ってるの?」
「じゃあ、2つでいいや。今持っているやつだけ、その椅子の上に積んでみてください」
「え……?」
あまりにポールが勧めるので、ケイトは訳が分からないまま椅子を1つ積んでみた。会場の隅っこの方とはいえ人が全くいないわけではない。ケイトはとても恥ずかしかった。
するとポールが、
「じゃ、椅子の上に乗ってみる?」
とケイトに聞く。
「え? いえ、まさか!」
ケイトは勢いよく首を横に振ったが、ポールは、
「乗ってみなよ」
と強く勧めた。
「ちょっと、さすがにそれは!」
とケイトが腕でバツ印を作りながら断ると、ポールは「はは」と笑って大股でケイトに近づくと、ひょいっと抱き上げた。
「え、ええ!?」
ケイトが驚いて叫んだが、ポールは平気な顔してケイトを2段に積まれた椅子の上にそっと置いたのだった。
屋外イベントとはいえ、王妃主催の催しということで、椅子も安物ではなくふかふかのクッションが張ってある。積まれた椅子は安定感なく少しぐらぐらと揺れた。
「ちょっと、怖いわっ! お願い、手を離さないで!」
この高さでは落ちたところで死ぬことはないけれど、安定感のないものの上にいるというのは恐怖を感じさせるものである。ケイトは顔を歪めて、強い力でポールの腕にしがみついた。
ポールはもちろん手を離さない。ケイトがしがみついていない方の腕では、ケイトの腰をしっかり支え、椅子からずり落ちないように固定していた。
「大丈夫、手は離さないから」
ポールが優しく言うと、ケイトはほんの少しだけほっとした顔でポールを縋るように見る。
「降りる?」
ポールはすぐに聞いた。
「ええ!」
ケイトが叫ぶように即答すると、ポールは抱きかかえるようにしてケイトを椅子の上から降ろした。
ケイトはポールの首に腕を回し、しっかりと抱きついている。
足が地面に触れると、ぱっとポールから離れ、キッと強い目でポールを睨んだ。
「何をするんですか!」
しかし心臓はなぜかドキドキしていた。
椅子の上が怖かったから? 何なのかよく分からないけど、心臓がぎゅっと締め付けられる。
別にしょせん椅子の上だし、そんな怖かったわけじゃないけど……なんで、なんで?
そして、自分の目を覗き込んだポールが、
「ね。メルディアーナと比べるなんて変だろう? こんなことメルディアーナは平気でしようとしてたんだよ? メルディアーナとケイトはだいぶ違う。比べなくていいんだよ」
と言うので、その優しい目に、ケイトは釘付けになってしまった。
なんで……! この人……。
「え、ええ……」
動揺しながらケイトは答えた。
何か大事なことをポールは言ってくれているような気がするけど、話が半分しか入って来ない。
ケイトが困惑の顔でポールを見つめているので、ポールは困ったように微笑んで、それからそっとケイトの頭をポンポンっと撫でた。
「マーシェル王子は――まあ色々二人の間には何かしらあったんだろうけど、ああいうメルディアーナの気質が好きだっただけ。ケイトは、ちゃんとケイトの気質を好きになってくれる人がいるから大丈夫」
「え」
ケイトは思わず撫でられた自身の頭に手をやる。あ、頭を撫でられた……。温かい手で優しく……。
それから少し照れ臭そうにポールは言った。
「陰ながらケイトのこと見ている人はちゃんといるよ、俺とかさー。まあ、俺のことは冗談で済ましてくれてもいいけどさー」
「あ、じょ、冗談だなんて……」
ケイトは急に顔がかっと熱くなる気がした。
え? 冗談? どういう? えっと、冗談なのに、なんで私の顔が赤くなるの……?
「分かった?」
ポールが柔らかい口調でそっと聞く。
「え、ええ……」
そう答えながらケイトはドキドキが止まらなくなっていた。
な、なにこの気持ち。
メルディアーナと私は違うってポールは言ってくれているのに――ただそれだけのはずなのに――、なぜ私の胸はこんなに心臓が速く打っているの?
こんな気持ち知らない!
どうしちゃったの私の心臓。どうしてポールの目から視線をはずせないの……?
私、マーシェル王子と結婚したかったはずなのに!
なんで今日あったばかりの男性に対してこんな気持ちになるんだろう……。
【5.未来の王妃!?】
ケイトは、王妃主催の馬の品評会の日から少し考え方が変わった。
マーシェル王子との婚約の話は無くなったけど、でも結婚って、マーシェル王子に相応しいとかそういうことではなく、まず相手の人柄とかそういうのに真正面から向き合うものなのかもしれない。
そう考えるとふとポールの顔が思い浮かび、とくんと心臓が跳ねる。
ちょっと待って。
この気持ち。まるで私がポールのこと好きみたいじゃない!
違う違う、ポールは確かに私の考え方を変えてくれたけど、そういうのじゃないはず!
そう思っていたら、ある日、ケイトは王妃から呼びだしを受けた。
「ケイト、あなたに縁談の提案を、と」
王妃は少し畏まって言った。
「あ……。」
ケイトは気まずさを感じた。
先日自分は王妃に『最高の縁談を』と言ってしまったのだ。
今はそういう考えを改めようとしているところだ。
縁談の話も、今は嬉しくない。少し気になる人がいて、なんだか他の人との縁談とか聞きたくない……。
ケイトが顔を暗くしたので王妃は不審に思って聞いた。
「どうしました? まさかまだマーシェルのことを……」
「あ、いえ、違います! あの……お相手というのはどなたでしょう?」
マーシェル王子への気持ちを否定しながら、ケイトは縁談に興味を持つふりをして一応相手の名前を聞いた。
「アントンです。国王陛下の弟君の」
「えっ! アントン様!?」
ケイトは飛び上がってびっくりした。
王嗣殿下ではないか!
王妃はふふっと笑った。
「アントンは数年前に妻を亡くしているので後妻ということになりますが。国王陛下とは年の離れた弟で……あなたからしたら10歳くらい年上になりますか? どうです? アントンは次期国王ですもの、悪くない話では?」
「そんな……王弟殿下が私を後妻に?」
「ええ。アントンとはあまりこういう話をしないから、いずれ後妻を娶るつもりがあるのかとか分からなかったのですけど。こないだちょっとした機会に軽く聞いてみたら、意外と後妻を娶ることに乗り気なようでね。あなたのお話をしたら興味を持ったようで、一度直接会ってみたいと言うのよ」
王妃は微笑んだ。
ケイトは返答に困って縮こまってしまった。
会ってみたい? 王弟殿下が私に?
でも、私、まだ結婚について迷っているのに。どういう結婚がしたいか、相手がどういう人がいいか、これからゆっくり考えていこうと思っていたところなの……。
王妃はそんなケイトの乗り気でない様子を見て、首を傾げた。
「アントンではまだ不満かしら? あなたにとっての『最高の縁談』ではなかった?」
「いえ、そんな! 不満だなんてとんでもない!」
ケイトは慌てて否定した。
どうしよう、王弟殿下。悪くないどころか、以前のケイトからしたら望みうる限りの『最高の縁談』ではないか! 『王家なら誰でも』『私に相応しい相手』どころか、今度のお相手は王嗣殿下――つまり、私は『未来の王妃』だ!
しかし、そんな条件とは裏腹に、ケイトは心の中では困り果てていた。
でも、どうしよう。あんまり乗り気に慣れない。「ぜひお願いします」と今ここで即答できない。
即答できないのはなぜ?
それは、私が以前のような価値観の結婚を今は望んでいないから……。
せっかく気になる人が現われて、少し自分が変わったような気がしていたから……。
どうしよう、私は今王妃様に何て言ったらいい?
助けて、ポール……。
と、そこへ、いきなりメルディアーナが勢いよく入って来た。
王妃がハッとして、咎めるように目を上げた。
「何です、メルディアーナ。今お客さんがいるのよ。ここに猫はいません!」
「あ! 今日は猫を探しているわけじゃないんです!」
メルディアーナが慌てて弁解するように言ったので、王妃はため息をつきながら、こっそりケイトに耳打ちした。
「うちの嫁――あ、まだ嫁じゃないか――は、毎日猫とかくれんぼするのが日課でね」
王妃のしぐさを見て、メルディアーナがじとっと王妃を見る。
「王妃様、何かよけいなこと言ってます?」
「いいえ、こっちの話よ。それで、何ですか、メルディアーナ」
「ケイト嬢とアントン様の結婚、私反対です!」
メルディアーナが憤然とした様子で言うので、王妃は驚いた。
「え!? 何を言い出すの、メルディアーナ。ケイトはマーシェルをあきらめてくれたのよ。あなたからは本来しっかり謝罪をしなければいけないのに、それどころか、アントンとの結婚に反対ですって? あなた、どこまでケイトの幸せを邪魔しようとするの。さすがに目に余るわよ!」
「それは分かってます、王妃様。ケイト嬢が呼ばれたと聞いて、きっと王妃様はアントン様との結婚のお話をされると思いました。でも、ケイト様の本当に望まれる相手ってアントン様なんでしょうか。ケイト様、よかったらこれ食べて」
メルディアーナは早口でそう言うと、ケイトに向かって、おしゃれな小瓶に入ったカラフルな可愛らしいドルチェを差し出した。
「何ですの?」
ケイトは困惑の表情でメルディアーナとドルチェを見比べている。
「食べたら分かります、ぜひ」
メルディアーナは強く勧めた。
メルディアーナのことをよく知っている人だったら、決してメルディアーナの勧めるものを食べようとは思わないだろうが、ケイトはまだあまりメルディアーナのことを知らなかった。
だから、ケイトは疑いの目をしながらも、ドルチェを一つ摘まんでそっと口に入れたのだった。
なんで食べるよう勧めたのだろう、とケイトが思っていたら、ひくっとしゃっくりが出た。
「え?」
ケイトは慌てて口を押えた。何? しゃっくりなんて、困るわ。今食べたドルチェに関係しているのかしら。
そう思った瞬間、とたんに腹の底からわっと何か込み上げるものがあった。
うっ!
ケイトは口を手で覆うと、前かがみになる。
何々!? 何を食べさせられたの!? まさか、体調が悪くなる薬では!?
しかし、腹の底から湧き出る何かは止まらない。
一生懸命ぐっと抑え込んでいたが、少し息苦しくなり、一瞬口を覆っていた手を離した瞬間、いきなり言葉が口からこぼれ落ちてきた。
「私は王弟殿下との結婚は乗り気ではありません!」
思っていたよりはっきりとして大きな声だった。
「えっ!」
ケイトは驚き、慌てて口を手で押さえた。
何これ、何これ!?
何てことを口走ってるの、私!?
いったい、どういうこと!? さっき食べたドルチェって……?
するとメルディアーナは少しも驚いておらず、涼しい顔で、
「このドルチェ、『お話グミ』っていうの。商人からは、緊張とかであんまりお話ができないときにこのグミを食べるとお話ができて、『仕事のプレゼンとか、講演会とか、弁論大会とか、そういう失敗できないときに有効です』って聞いたんだけど。スズメに食べさせたらジュンとかグェアーとか鳴きだしたから、なんか腹に溜め込んでる思いとかも吐き出せるのかと思って」
と説明した。
メルディアーナがどことなくドヤ顔なのは、『お話グミを食べさせるなんて、我ながら名案』と思っているからだ。
「プレゼンでも講演会でもないけど……」
王妃が呆れて突っ込んだが、メルディアーナはどこ吹く風である。
「ま、そうとも言えますわね、王妃様。でも、ほら、ケイト様、はっきり言いましたわね? 王弟殿下との結婚はいやですって」
【6.私の幸せの形】
そこへ、「ぎゃはは」と笑い声がして、王弟アントンが入ってきた。
「そのグミ使ってるところ初めて見たよ。人間には使うもんじゃねーだろ!」
「何でよ、結婚相手の本音聞きたいって言ったのそっちじゃない!」
メルディアーナがアントンを軽く睨みながら唇を尖らす。
「確かに。義姉上、相手はブライルド公爵家のケイト嬢って聞いて、条件的にはいい話だなと思ったんですけど。ほら、俺はいろいろあって、ジェームスやマーシェルを差し置いて王位継承することになったんでね、支えになる賢い嫁や後ろ盾になる名門貴族が欲しかったんで。もともと賢い女がタイプだし。だからケイト嬢が乗り気なら話してみたいなって興味は湧きましたけど。でも、さすがに、俺との縁談を望んでいない令嬢を後妻に迎えたくありません」
アントンは王妃の方を向いてきっぱりと言った。
「あ……」
ケイトが口を押えたまま真っ青になった。
王弟殿下は嫌だと、失礼なことを言ってしまったのだ、自分は。
すると、ケイトが青ざめているのに気づいて、メルディアーナはケイトに近づき、優しく背をさすってやった。
「大丈夫です、ケイト様。アントン様にはそんな気を遣わなくても大丈夫なんで」
「えー。俺の前でそれ言う?」
アントンがムッとして言うと、メルディアーナは大きく頷いた。
「言っても平気です。なんならもう一回はっきり言ってやった方がいいかも。嫌ですって」
「俺が嫌なんじゃなくて好きなヤツでもいるんだろ」
アントンが言い返すと、不意にケイトの口からまた言葉がこぼれ落ちる。
「はい、気になっている人がいます」
ケイトはまたハッとして、慌てて手でぎゅっと口を覆った。『お話グミ』のせいだ! 心の奥底で思っていることを素直に口走ってしまったことに自分で驚いている。ペラペラと。自分に呆れてしまう。
「ほら。他に気になってるヤツがいるんだって」
アントンが苦笑しながら王妃に言うと、王妃は初耳とばかりに目を見開いた。
と、そこへ、マーシェル王子が息せき切って入って来た。
「叔父上! またメルディアーナにちょっかい出してるんですって? 今日は何です、また猫どっちが先に見つけるかゲームですか!?」
「別に」
入って来たマーシェル王子をうんざりした顔で眺めながら、アントンはそっけなく否定した。
「暇人なんですか! 人の婚約者で遊ばないでくださいよ」
とマーシェル王子が強く抗議すると、アントンは呆れたように答えた。
「いやーだって、午前の仕事はとりあえず全部終わったからさ、息抜きしてるんだよ。仲いい奴は出張だし。メルディアーナ見つけたからさ。そんなに言うならおまえが『猫どっちが先に見つけるかゲーム』やればいいじゃん」
「メルディアーナが誘ってくれるんなら、いつでもやりますよ!」
マーシェル王子も売り言葉に買い言葉で強く答えた。
ケイトは目を丸くする。
マーシェル王子ってこんなこと言う人なの? 全然知らなかった。
それから、またしても以前の自分がいかに結婚に対していいかげんだったかを思い知らされたのだった。
私ったら、マーシェル王子のこと何も知らないのに、自信たっぷりで結婚するつもりだったんだなあ……。結婚は条件だけじゃなくて、ちゃんと相手を見るところからしなくちゃ……。
そのとき、王妃が気まずそうにマーシェル王子に言った。
「マーシェル。こちらケイト・ブライルド公爵令嬢。あなたのお相手にと思った方なんだけど」
マーシェル王子はハッとして、さっきまでの嫉妬深そうな様子はどこへやら、礼儀正しくケイトの方を向いた。
「あっ! そうでしたね。その件ではご迷惑をおかけしました。私のはっきりしない態度がいけなかったんです。もしあなたの気持ちを踏みにじってしまっていたらと……。今もつらい思いをされているようなら……」
「あ、いいえ! そんな気持ちはすっかり消えたんです」
ケイトがかぶりを振って否定すると、王妃が横からそっと言った。
「今はアントンのお相手にどうかと思って。ケイトには『最高の縁談』を私が用意すると約束したの」
それから王妃は、今度はケイトの方を向いて言った。
「アントンでダメなら、私にはあなたに『最高の縁談』は用意できないわ。でも、どうやら他に気になる方がいるみたいね。私はどっちかというと、その方との縁談の方が『最高の縁談』なような気がするけど……」
「あ、あの、気になっている人はいますけど。その人の気持ちもありますし、それに、私が本当にその人がいいかということも、これからちゃんと見極めようっていうか。あ、私ったらまたペラペラと……」
ケイトはこんなことを人に言ったことはなくて、恥ずかしそうに下を向く。
すると王妃は優しく微笑んだ。
「ふふ。そう。素直な気持ちを聞けるのは嬉しいわね。では、あなたは自分で相手を見つけるということね?」
「はい」
ケイトは力強く肯いた。
王妃も満足そうに頷く。
「それがいいと思うわ。少し私も心配していたから、その方がいいと思いますよ」
「え、心配していた?」
ケイトが聞き返すと、王妃は悪戯っぽく言った。
「結婚相手の条件ばかり気にしているというか、他の令嬢と比べてばかりというか」
「お恥ずかしい……」
確かにそうだったなと思ってケイトは苦笑した。
「ふふ、いいわ。結婚相手を決めたら私に言ってちょうだい。仲人は私がするわ。王妃の私があなたの結婚に太鼓判を押してあげます」
「え、いえ、そんな、大丈夫です! もう、そういうの、少し違うかなって思えてきたので」
とケイトが恐縮して遠慮しようとすると、王妃はにっこりした。
「私、あなたのこと好きになってきたの。だから、私がしたいのよ、仲人」
「そうですか。ご厚意嬉しいです」
ケイトは王妃の好意を感じで胸が熱くなった。
するとそこへ、ポールが騒がしく走ってきた。
「すみません、呼ばれました!」
「呼ばれましたって誰に?」
王妃が驚いて周囲を見回すと、
「あ、私です」
とメルディアーナが小さく手を挙げた。
「メルディアーナ? いったい何で?」
と王妃が驚くと、
「ケイト嬢はポールのこと好きみたい」
とメルディアーナとアントンがハモった。
マーシェル王子がムっとして、メルディアーナの腕をぐいっと引き、アントンを軽く睨む。
「私の婚約者とハモらないでください」
しかし、そんなの目に入らないくらい、ポールは耳までまっ赤になっていた。
「え、え、え?」
「ポールのことが気になっています」
またケイトの口から言葉がこぼれ落ちた。
ケイトはハッとして、真っ赤になり、また口を手でぎゅっと押さえた。
ちょっとちょっとちょっと、今の発言ポールはどう思ったかな!?
いきなり『気になっています』だなんて、ポール気持ち悪く思ったかな? だって、ちゃんと話したのってこないだが初めてだったし。それなのに『気になっています』って。チョロいとか思われてる?
だいたいマーシェル王子の婚約者候補からはずされて、まだそんなに経ってないし……。いいかげんな女とか思われてないかしら……。
ていうか、なんなの! この『お話グミ』のせいだわ!!
もう、『お話グミ』の効き目っていつまで続くの!?
メルディアーナは頭を掻いてポールに弁解している。
「ごめん、ケイト嬢に『お話グミ』食べさせたー」
「は!?」
ポールが「何してんだ」とばかりに呆気にとられると、メルディアーナはにやっとした。
「だって、ギルバートから聞いたよ。ポールとケイト嬢がいい感じだって」
「いい感じっていうか……ちょっと距離が縮まっただけだよ! やめろよ、ケイトに失礼だろ!」
「ケイトって呼び捨てになってるし。ってゆか、ケイト様自身がポールのこと気になってるって今言ったし」
「メルディアーナいいかげんにしろ!」
ポールはまっ赤になって喚いている。
王妃はポールに近づいて、ポンっと肩を叩いた。
「ま、うまくやんなさい。私は全ての恋愛に賛成よ」
ポールはハッとしてケイトの方を見る。
ケイトは顔を赤くし、ポールを見つめながら小さく微笑んだ。
(終わり)
最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
こちらは、
『【全14話】浮気者の公爵令息に婚約破棄されましたが推しの王子を愛でるので問題ありません――と思っていたら、推しの王子とまさかの両想いでした。やったぁ……っ!』
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の関連作として執筆しました。
とはいえ、前作を読まなくてもよいように書いています。(主人公も違います。)
前作で、「王子の婚約者候補に選ばれたのに、メルディアーナのせいでその話がなくなってしまった令嬢」が気の毒で、この話を書きました。
名まえも付けてもらっていなかったので(大汗)幸せになってもらいたくて。
本作に、かぐつち・マナぱ様(https://mypage.syosetu.com/2075012/)より素敵なイラストを賜っております!
『お話グミ』を差し出すメルディアーナのイラストです♡
どうもありがとうございました!
こちらのお話、もし少しでも面白いと思ってくださいましたら、
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