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ソトス領

周辺図

挿絵(By みてみん)

南部地図

挿絵(By みてみん)




「いやぁ…これはちょっと想像してなかったな…」

「うむ、ソトス子爵に限ってこんなことになるとは思えないのだが…」

「使者はもう到着してるかしら?」

「使者に出したグレンと付き添いは足が速いから、たぶん今頃は取り次ぎを願っているとは思うけど…」


サティナ領での野営をしてから二日。

私達は速度を優先して南部四領を進み、昨夜はノーフォート領の北辺で野営をした。

今朝方にはザルダー川を渡り、ノーフォートを出て南部四領を超えてソトス領を進んできたのだが、そこで問題に遭遇してしまった。


「軍や私兵団ならともかく…まさか領民に躓くなんてなぁ」


ティアが馬の上で腕組みしながらそう呟いて前方に視線を投げた。

その先には小さな町がある。

外壁も、防御のための堀もない、ごくごくありふれた街道沿いの宿場町だ。

しかし、その町民達は農具や手製の槍、古くなった剣で武装し、町の出入り口に木柵を作って私達の進行を妨げている。

私達はひとまず町から十町程離れた位置に仮陣を敷いて、状況を把握しようとしているところだった。


ティアの傍らに控えた特徴のない中年の男が、申し訳なさそうに背を丸めている。


「先日まではあのような様子ではなかったのですが…」


“夜鷹”の一員らしい彼は、そう言ってさらに身を縮こまらせた。


「そう気にするな。こっちの接近を察知して慌てて整えたんだろう…こっちがいくらノイマール解放だなんだとは言っても、ノイマールの民にとっては侵略者と変わらない。略奪を警戒して守りを固めたくもなるさ」


そんな男に、ティアは軽い口調でそう声を掛け、小さく笑い声をあげる。

それからはぁ、と大きくため息を吐いて


「…それに、これはソトス子爵に先触れを出さなかったアタシの手落ちだ。味方してくれると思い込んでからな。もし敵対する意思を持ってたら領内に引き込まれて罠でも張られていたかもしれない。そうならなかっただけ、運が良かったよ」


と肩を竦めて見せた。

そのことについては、私にも非がある。


「子爵様が反王政派だと報告したのは私も同じだし、子爵様の人となりを進言したのも私だ。私の認識に過誤があったんだ、すまない」

「過誤かどうかは分からないだろう?ソトス子爵の指示じゃなく領民たちが自発的に行動を起こしたって可能性もある。とにかく子爵のところに出した使者が戻るまでのんびりしていよう」


ティアは、私にそう言って笑顔を見せてくれた。

それから彼女は、組んでいた腕を解いて大きく伸びをする。

自分の手落ち、とは言いつつも、それほど気にしている様子はない。

私を気遣ってくれるほどの余裕もあるようだし…以前のように変に気負っているわけではなさそうだ。

私はそのことを感じて内心、ホッと胸を撫でおろしていた。


そんなとき、少し離れたところに居たバーナット殿が手綱を引いて私達の方に馬を寄せてきた。


「ティアニーダ様、少々よろしいでしょうか?」

「あぁ、バーナット。どうした?」


ティアが尋ねると、バーナット殿はやや声を抑えて


「敵兵ならともかく、市民と対峙しているこの状況は士気に影響します」


と進言した。

士気、か…確かにバイルエイン家の兵達にとっても思わぬ出来事だとは思うが…


「バーナット様、士気とはどういうことでしょう?」


すぐそばでやり取りを聞いていたベアトリスがバーナット殿にそう尋ねる。

私もティアも、ミーアやエリクも彼に視線を向けた。

すると、バーナット殿が大きく頷いて口を開く。


「今回の侵攻は、オルターニアに侵攻してきたノイマールに対する反撃が主目的です…少なくとも、兵達はそう認識しております。しかし、市民を相手取るとなると、先ほどティアニーダ様がおっしゃったような『侵略である』という意識がこちら側に芽生えかねません。そういった意識は、我が家の兵には不向きかと存じます」


なるほど、確かにバーナット殿の指摘はもっともかもしれない。

特にバイルエイン家の兵達はきちんと教育されている。

敵兵と戦うことに怯えを見せるようなことはないし、今回の進軍だってオルターニア侵攻への反撃だという正義を掲げているはずだ。

しかし、相手が軍ではなく市民となるとその正義も揺らぐし多少なりとも同様するかもしれないというのは分かる。

ティアもその辺りに気が付いたようで、ハッとした表情でバーナット殿に頷いて見せた。


「バーナットの言う通りだ、良く気付いてくれた」


ティアはそう言って、ふぅ、と大きくため息を吐く。

それからわずかに逡巡するような表情になると、ややあって


「バーナット、士官たちに兵へ伝達するよう指示をだしてくれ。『ソトスの市民たちは、国内の混乱で敵味方の区別が容易でないようだ、戦闘に発展するようなことはないから説得するまで気楽に待て』ってな」

「…それは、あまり良い策ではないかと…万が一戦闘に至った際には、不信感が強まりますぞ」


ティアの言葉に、バーナット殿が意見する。

しかし、ティアは迷いのない表情で首を横に振った。


「いや、戦闘にはさせない。市民を攻撃したら、ノイマール打倒後にオルターニアが敷く治世に影響がでるからな」

「ですが…万が一、ソトス子爵が我らに敵対していて市民を徴用しているのだとしたら?」

「それなら、戦うべきはソトス子爵家だ。市民には生活の安堵を約束して、それで不足なら手持ちの糧食を配るなりしてこちら側に引き込む」

「…うまくいきましょうか?」

「なんとかするしかないさ」


ティアの発言は、すでに考えを決めたように明確だった。

バーナット殿も、私も、ベアトリスやミーアですら、怪訝な表情を浮かべるしかない。


「ティア、ここから街道を逸れて南に進路を取れば、ファスター領内を通過できるはずだ。無駄に手を回すより、そちらへ転進する方が無難だと思うが…」


思わず、私はそう伝えつつミーアに視線を向けた。

彼女もティアの様子に疑問があったのだろう。

すぐさま


「ファスター領の領主様が解放軍に参加しているのは確実だから、そちらに進路を取るのは安全ではあると思う。迂回する形になる上に険しい道のりにはなるけど、それでも三日か四日余分になるだけで済むと思う」


と説明した。

しかし、ティアは首を横に振った。


「いや、時間が惜しい。何とかソトス領を通してもらえるように手を打つ」


そんな彼女の様子に、やはり疑問が残る。

サラテニアに奪われた南部四領についてはあれほど慎重だったにも関わらず、ソトス領に対しては頑なだ。

ゴルダ領で父様達解放軍が対峙している王政支持派の貴族軍に増援があった、という情報を重視しているのだろうか?

先触れの使者を出していなかったことを悔いたり、失敗だと過度に思い込んでいる様子には見えない。

それなら、なにか別の思惑があるのか…


ティアの言葉に、バーナット殿は顔をしかめつつ


「しかし、どのように?」


と尋ねる。

その問いを聞いて、ティアはミーアに目線を送った。


「ミーア、“夜鷹”はどれくらい待機してる?」

「進路上の確認と後方の警戒に大分人を出してるから、すぐに動けるのは五人程かな」

「よし…二、三人見繕って、あの町に入れることはできそうか?」

「ええ、分かった。二名を選抜して送り込む」

「中の状況が知りたいだけだから、無茶はさせないよう言い含めてくれ」

「了解」


ティアからの要請を聞くなり、ミーアは傍らに控えていた“夜鷹”とおぼしき女性の士官に目だけで合図を送る。

彼女はそれに微かに頷き返すと、すぐさま馬で走り出した。

ティアは、その後ろ姿を見送ってから、落ち着いた様子で私達に視線を送ってくる。


「中の状況が把握でき次第、一度話し合おう。それまでは待機だ」


そう言った彼女は、小さく息を吐くと馬の上で大きく伸びをしてみせた。

今のティアから、以前のような怯えは感じられない。

ヒルダナ領での戦闘後、配下を死なせたことを悔いていた彼女とは、明らかに様子が違っていた。


「兵達には小休止を取らせるとしよう。バーナット、さっき言ったことを士官達に伝達するのと、歩兵隊に交代で見張りをするよう指示してくれ。エリクは糧食の中の干し果実を振舞うよう輜重隊に指示して欲しい」


ティアの指示に、バーナット殿とエリクが、しぶしぶと言った様子で


「はっ、仰せの通りに」

「承知しました」


と応じて馬の腹を軽く蹴り駆け出していく。

そんな二人の様子もまた、ティアは穏やかな顔付で見送っていた。


彼女から焦りは感じられない。

多少、緊張しているような硬さはあるような気がするが、今の状況を大きな障害だとは思っていないようだった。

そんな彼女が、私にとってはなんだか不思議に感じられた。


「ティア、どうしてそんなに落ち着いているんだ?」

「落ち着いてるかな…?まぁ、考えが煮詰まってはいないとは思うけど…」


私の問いにティアは首を傾げつつ、返って不思議そうな表情で私に答える。

やはり、そんな彼女がなんとなくしっくり来ず、思わずベアトリスに視線を向けてしまう。

すると彼女もティアに視線を送って


「アレクの言う通りだと思うわ…別に不安とかそういうんじゃないけど、なんかちょっと、ティアじゃないみたいよ」


と言葉を添えてくれる。

するとティアは、なんだか照れくさそうに顔を緩めて笑い声をあげた。


「そっかそっか…正直に言えば、不安がないわけじゃないし、迷ってばっかりだよ。でも、あんた達がいるし、親父殿にも励ましてもらったし…腐ってる場合じゃないって割り切れてるだけさ」


そう言われてしまうと、これ以上追及するのは彼女を疑っているように感じさせてしまうかもしれない。

私は彼女への違和感を飲み込んで、


「そうか、それなら良いのだが…何かあれば相談してくれ」


と伝えるだけにとどまってしまう。

しかし、ティアは嬉しそうに


「あぁ、頼りにしてる。ありがとな」


となんとも素直な様子で答えるばかりだった。

それから、改めて大きく伸びをする。

その表情にも、気負いのようなものはほとんど感じられなかった。


周囲では、兵達が休憩のために行軍隊形を崩しだし、輜重隊の隊員達が数名、木箱を抱えて各隊に干し果物を配布し始めている。


輜重隊は私達のところにもやってきて、甘橙の干し物を配ってくれた。

半分ほどをかじり取って口に含むと、ほのかな酸味と優しい甘味が口の中に広がる。


ティアとミーアが、今年は甘橙の出来が良いだのと話をしていると、不意に騎馬が一騎、駆け足で本陣へと近づいてきているのに気づいた。


「ティア、伝令のようだ」

「ん?あぁ、あれか」


私が声をあげると、ティア達もその騎馬に視線を向ける。

しかし、どうやらソトス領都に向かった使者ではないようだ。

あれは…後方に残してきた“夜鷹”の一人ではなかったか…?


思った通り、その騎馬はティアではなくミーアの傍に馬を寄せて、何やら小声で報告をする。

それを聞いて、彼女は険しく表情をこわばらせた。


「ミーア、後方か?」


そう聞いたティアの言葉に、ミーアはコクリと頷いて続ける。


「サラテニア本国が動いたみたい。ミザエル領に三千が進入、ミザエル領都の守備兵を吸収してノーフォート領へ進軍中」




*   *   *




一刻程のち、私達は町へと進路を取っていた。

と言っても、向かうのは全軍ではない。

ティアを筆頭に、私とミーア、それからミーアの配下の兵装をした“夜鷹”が5名。さらにティア配下の騎馬隊から選抜した5名の13名のみだ。

本隊は現在、バーナット殿とベアトリス、エリクの指揮で休憩を解き改めて進軍の隊形に変換を始めている。

これから行う交渉がうまくまとまれば、すぐにでも進軍できるように、だ。


「しかし…交渉なら私やベアトリスでも良いだろうに」


私は胸の内に抱えていたモヤモヤを吐き出すように、ティアにそう小言を言ってしまう。

するとティアは、苦笑いを浮かべて肩を竦めて見せた。


「まぁ、そう言うなって。条件のすり合わせで行ったり来たりしながら進めるより、手っ取り早くて済むだろう?」

「それはそうだが…しかし、危険だぞ?」

「ある程度は承知の上だ。万が一のときにはアタシだってそこそこ戦えるし、それにアレクと“夜鷹”に騎馬隊の腕っこきも連れてる。危なくなっても切り抜けるくらいはできるさ」


ティアは、一切気負いのない顔色でそう言った。


サラテニア軍の追撃が来ているという報を聞いたティアは、すぐさま町へと交渉に向かうことを決断した。

ベアトリスやミーア、私はファスター領への迂回を改めて提案し、バーナット殿は部隊をいったん後方に下げてノーフォート領との領境にあるザルター川に布陣して迎撃する案を具申した。

しかし、ティアはそれらを拒んで頑なに交渉すると言い切った。

バイルエイン家の臣下であるバーナット殿がティアの決定に意を唱えられないのは当然だが、ベアトリスやミーアの制止さえ聞かなかった。

私の言葉も同じように、きちんと聞いてくれたものの、取り上げられることはなかった。


そんなこんなで、私達はティアの守りを固めつつ、町へと交渉に向かうことになってしまった。

武装した市民で数も相当にはなるだろうけど、ティアが言うようにこの面々であれば全員が騎乗しているということもあって逃げ出すくらいわけはないだろう。

しかし、それでもティア自身があえてそんな危険を冒す必要性があるとは思えなかった。


馬を町のすぐ傍まで進めると、出入り口を塞ぐ木柵と、その周囲に槍を抱えてこちらを警戒する市民の姿が数人見えてきた。

どの顔も、緊張と不安の色に満ちている。


「あぁ…ごほん。我々は、オルターニアより来たノイマール解放のための軍である!我らはこの先のゴルダ領で戦う解放軍の支援に参った!通行の許可を求む!代表者はいるか!?」


ティアが、そう大声で呼びかける。

すると、入り口を守っていた市民達がそれぞれに顔を見合わせだした。

しかし少しして、その中の一人が槍を握りしめつつ声をあげてくる。


「こっ…ここはソトス子爵様のご領地だ!勝手に通すわけにはいかん!」

「現在、ソトス子爵様には現在問い合わせているが、それでは時が掛かってゴルダ領の民が危険だ!それとも、ソトス子爵様はゴルダの民を見殺しにすることをお望みか!?」


ティアの反論に、市民達が困惑したような顔色になる。

しかし、市民の中の一人は


「そ、そうだとしても、ソトス様からお許しを得ていない!」


とさらに言い募ってくる。

それを聞いて、ティアは苦笑いを浮かべた。

先触れの使者を出していないのはこちらの…ティアの落ち度ではあるので、彼女もその辺りは突かれると痛いらしい。


「諸君らの忠義、見事だ!しかし、事態は喫緊の状況にある!ここで我らの進軍を妨げるのであれば、子爵様とソトス領民はゴルダ市民を見殺しにしたうえ、王政支持派の一員として悪政を認めているのだと見做されかねない!それが子爵様の益となるのか!?」


ティアが再び声をあげると、市民の表情はさらに曇る。

反応を見るに、どうやらここの防衛はやはり市民が自主的に行っているのだろう。

自領を守るために、子爵様の命令なしに独自の行動をとっている可能性が高そうだ。


反応を待っていると、不意に市民達に動きがあった。

町の中央から、数人が出入口にやってきたようだ。

その中の初老の男に、守備についていた市民の一人が何かを話す様子が見える。

話を聞き終えた初老の男は、槍を手に木柵の傍まで進み出ると


「私は、この町を任されているデラック・マーランと申す!貴官の姓名を伺いたい!」


と声をあげてきた。


「アタシは、オルターニア王家の臣、バイルエイン伯爵家のティアニーダ・バイルエインだ!我らは、悪政を敷き我が国土をも脅かしたノイマール王政を打倒するために軍を進めている!町を通されたい!」

「すぐに返事をするわけには行きません!しかし、お話は伺いましょう!」


男はティアにそう声を掛けると、守備についていた市民達に命じて木柵の一部を開けさせた。

どうやら私達を中へと通すつもりらしい。


私はティアに視線を送る。

他の者もティアを見つめていた。


「危険だよ、ティア」


ミーアが小声でそう警告する。

しかし、当のティアは気にする様子は見せなかった。


「問題ない、あんた達を信じてるからな」


そう言ったティアは


「感謝する!」


と笑顔で応じ


「行こう」


と言うが早いか馬の腹を軽く蹴って前進を始めてしまう。

あまりの行動の速さに、制止する暇もなかった。


「仕方ない、アレク、騎馬隊員の指揮を執ってティアの直掩を。“夜鷹”で周辺警戒に当たる」

「…よし、了解した」


咄嗟にそう提案してきたミーアの言葉に応じつつ、私達もすぐに馬を前進させてティアの周囲を固めた。


馬を進めた私達は市民が守る木柵を超えて、町の中へと通された。

大通りがまっすぐに伸び、その両側には商店らしい軒先が数多く並んでいる。

所々には槍を持った市民の一団が居て、こちらを警戒した目つきで見つめていた。


「我が屋敷へとご案内いたします、バイルエイン様」


先導してくれていたデラックという初老の男が、警戒しつつも丁寧な仕草でそうティアに進言する。

しかし、ティアは人懐っこい笑みを浮かべつつ


「いや、それには及ばない。迷惑を掛ける気はないんだ…そうだ、あの広場の一角でどうだろうか?」


と通りの先にあった町の中央らしい広場を指さす。

デラックは、その言葉に怪訝な反応を見せた。


「しかし…伯爵令嬢様をお迎えするにあたって、露天などでは…」

「ははは、そんなにかしこまらないでくれ。歓待なら…そうだな、白湯か温かいお茶を振舞ってくれるだけで十分だ」

「左様ですか…そう仰るのであればそのようにいたしましょう」


デラックは、一見すれば恐縮した様子でそう応じて頷き、同行していた若い男に何かを指示する。

男は二度、三度と頷いて、小走りにどこかへと走って行った。

彼らにしてみれば屋内に押し込める方が安心度は高いだろう。

こちらとしては、身動きしやすい屋外の方が都合が良い。


ほどなくして、私達は広場に到達した。

すぐさまティアは馬を降りる。

私は騎馬隊の面々に馬を降りティアの周囲を固めるように指示を出し、自分も馬を降りた。

鞍に備えつけてあった簡易の留め杭を地面に突き立て、そこに手綱を括りつける。

剣の留め紐を解いて、いつでも抜けるよう準備を整えた。


ミーア達は馬に乗ったまま、私達から少し離れて周囲を囲むようにして散っている。

そんな中を、デラックに声を掛けられた若い男が、折り畳みのイスを持ってやってきた。

それを受け取ったデラックは、それを広げて


「おかけください」


とティアを促す。


「あぁ、感謝する。気を遣わせてすまない」


ティアは笑顔でそれを受け入れ、イスに腰を下ろした。

それを確かめたデラックは、改めて軽く礼を取る。


「改めまして…この町を治めております、デラック・マーランと申します。先々代にソトス子爵家より騎士爵として取り立てて頂いております」

「なるほど、士爵位だったのか。町の皆が頼りにしているようだったからそれなりの立場なのだと思ったが、なるほど、納得だ」

「はっ…ありがとうございます」

「しかし、出入口の防御に関しては少々気がかりだったな。木柵の幅は良かったのだが、あれは一列では意味が薄い。せめて三列、贅沢を言えば五列は揃えておかねば、容易に突破されよう」


確かに入口の木柵は一列しか置かれていなかった。

本気で防御を考えるのなら、三列は作っておくべきだというのは分かる。

今、この状況でそれを彼に伝えることの意図はくみ取れないが…


「はっ…ご助言ありがたく」

「兵法に関しては、あまり強くはないのか?」

「代々、文官として勤めておりますれば…」

「なるほど、そうだったか。では、この度の事態には大分気を揉んでいるだろうな…ノイマール各地で物資不足が起こっていると聞いている。糧食や燃料なんかの備えはあるのか?」


ティアが尋ねると、デラックの表情が微かに強張った。

内情を探られているとでも思ったのだろうか。

ティアにその意図があるのか同課は定かではないが…


「は、十分とは申せませんが、なんとかやりくりをしております」

「やはりこちらでもそうか…他領でも似たような状況にあると聞いている。我らも行軍がある故十分には支援できないが、糧食ならある程度は提供できる。多少時間が掛かっても良いなら、オルターニア本国からの輸送も手配可能だから、必要があれば申し出てくれ」

「は…ご配慮、ありがとうございます」


デラックはそう応じてティアに頭をさげた。

世間話ではあるが、ティアの意図がなんとなく分かった。

防衛に関する助言をして、さらには糧食や物資の提供を持ちかけることで、敵ではないということを暗に伝えようとしているのだろう。

デラックにもそれが伝わったのか、幾分か表情から険しさが薄れていた。

ティアも、それを認めたらしい。


「それはともかく、今回は突然こんなことになってすまないと思っている。ソトス子爵様の許に使いは出したんだが、どうやらこちらが到着する方がはやくなってしまったようでな」


彼女は努めて穏やかな口調でそう切り出した。

事実ではないのだが、そう伝えておいた方が角は立たないだろう。

それに対して、デラックも多少は警戒を緩めた様子でかしこまった態度を示す。


「こちらでも領都の子爵様へ伝令を出しております。できれば、その者が戻るまでこちらにてお待ちいただけますと幸いなのですが」

「こちらもそうしたい気持ちはあるのだが、ゴルダ領の状況があまり良くないらしくてな。北から攻め下ってきている王政派の貴族軍に増援があったようなんだ。今は軍道の要所を抑えて抵抗しているらしいが、王政派の軍の圧力が強まれば一気に崩される可能性がある。だから、できるだけ早くに救援に駆けつけてやりたいんだ」

「そのような状況でしたか…しかし、子爵様のご領地に他国の軍を勝手に引き入れたということになりますと…」

「うん、特に臣下たる其方の立場ともなれば、軽々しく許可を出すことができないというのは道理だな」


ティアは渋い表情を浮かべて頷いてみせ、それから腕を組んで考えるような仕草をみせた。

ややあって、彼女は


「よし、それではこうしないか?」


とデラックに視線を送って言った。


「アタシを人質にでも使えばいい」


その言葉に、私は一瞬言葉を失った。

自分を人質に?

いったい…何を考えているんだ!?


「ティアニーダ様、一体どういうおつもりですか!?」


声をあげたのはミーアだ。

彼女の立場からしたらいさめなければならない場面だし、そもそもそんなことを認めるわけにはいかない。


「そうだ、ティア。お前は部隊の指揮官なんだぞ!?」


私もついつい大声で訴え出てしまう。

しかし、ティアはそんな私達の反応をみて、満足そうな笑みを浮かべた。


「分かっている。たけどな、デラックの言うことはもっともだろう?自領に勝手に他国の軍を引き入れたとなれば、子爵様は他の臣下らの手前、彼を背信に問わねばならなくなるかもしれない。場合によっては士爵位を剝奪されて、刑に処される可能性だってあるんだ」

「それは分かるが…」

「だから、子爵様の使者に状況を説明するためにアタシが残る。もし子爵様が我が軍の進行に異を唱えられたときには、その責はアタシが負えばいい」

「馬鹿なことを…自分を犠牲にするとでも言いたいのか?!」

「犠牲だなんて、大袈裟だ。アレクと同じようなもんだ、ソトス子爵様は少なくとも現王政の敷く悪政を善しとされるような方ではないんだろう?」


ティアはそう言って、デラックに話を振る。

彼は驚きに揺れていた表情を引き締め、ティアに頷いて返す。


「は、子爵様は常に、我ら領民のための統治を敷いてくださっております。現王の施政に対しては、反対のお立場です」

「ほらな。だからまぁ、叱られるくらいのことはあっても、首を取られるってことはないさ」


デラックの言葉に、ティアはヘラヘラと笑って応じる。

そんな彼女の様子に、私はいら立ちを覚えた。

これまでにも違和感はあった。

しかし、ここにきてはっきりした。

彼女は口では「頼りにしている」などと言い、折々に意見を求めながら、その実はすべてを自分で背負おうとしているのだ。

大事な決断は、私達に何一つ相談せず己で行い、あまつさえ自分を犠牲にしようとしている。

これでは…以前の彼女と大して変わっていないじゃないか!


「ティア…!お前は、自分を…周りにいる私達を、なんだと思っているのだ!?」


気付けば、私はそう声を荒げていた。

ティアは驚いたような表情を浮かべているが、そんなことに構っていられるような心持ちではない。


「ベアトリスも、ミーアも…それに私も!御父上や御兄弟、陛下までもがお前のことを案じているというのに、お前は未だにそのようなことを言うのか!?」

「ちょ、ちょっと…アレクシア…」


そう言って制止しようと近寄ってきたミーアの胸倉を私は引っ掴む。


「ミーア!お前は悔しくないのか!?こんなティアが、情けないとは思わないのか!?」

「気持ちは分かるよ、でも、今は…」

「今言わないのなら、いつ言えというんだ!?」


私はそう怒鳴って、ティアに視線を向ける。

しかし、当のティアは泰然とした態度で…いや、ややもすれば微かに笑みを浮かべているようにも見える表情で、私のことを見つめていた。


「アレク、私のことで怒ってくれることは嬉しい。けど、これは前のときとは違うんだ。アタシにはアタシにしかできない仕事があって、それに身を投じるだけだ」


彼女の口調は落ち着いていた。

しかし、それで私の気持ちが凪ぐはずもない。


「では、部隊の指揮はどうする!?ゴルダの救援の指揮は誰が執ると言うんだ!?」

「あんたがいるだろう、アレク。あんたがいるから、アタシはアタシの仕事に専念できるんだ」


ティアの反論に、私は寸瞬、思考が止まった。

しかし、そんな私にティアは続ける。


「一応、アタシは部隊の指揮官だ。でも、実際の軍の指揮を執るのはアレクだろう?部隊運用でのアタシの役回りは、基本的には全体の方針を最終決定するだけだ。あとは全部、アレクやバーナットに、それから各隊の士官に任せることになる。最悪アタシが居なくても、局所戦を進めるのに支障はないはずだ。でも、それだって楽な仕事じゃない。戦なんだ、命の危険は常にある…でも、それは部隊としての命の張りどころだ。実際の戦闘になれば、アタシは後方で成り行きを見守る他にない。その分、アタシはこういうところで体を張るんだ。それがアタシの役割だろう?」


確かに、そうかもしれない。

ヒルダナ領での戦闘では、ティアは本陣に待機させて絶対に動かさなかった。

それは彼女が無茶をしないようにという配慮ではあったが、しかし、だからといって彼女の情緒が安定していれば前線に投入するなどということはありえない。

彼女はバイルエイン家の令嬢であり、この部隊の実質的な指揮官だ。

それが許される立場ではない…だが、そうは言っても…


「だ、だからと言って、ティアがそのような役回りをするなど…」


ティアの言っていることが間違っていると言い切れなかった。

怒りが急速にしぼんでいくが、それでも反意させようと何とか言葉を継ぐ。

しかし、ティアは私の目をじっと見て、落ち着いた口調で言った。


「じゃあ、他に誰かいるか?アタシ達はバイルエイン家の部隊だ。そのバイルエイン家を代表できる立場の人間なんて、アタシしかいないじゃないか」


ついに、私は言葉に詰まった。

そう…そうなのだ。

この状況は、貴族家同士の折衝が必要な場面。

ティアが直接、ソトス子爵か子爵家から全権を任された人物と擦り合わせることが最善だ。

だからティアは残ると主張しているのだと、頭が理解してしまった。


「アレク、アタシ達の目的は?」

「…ゴルダの救援、そして王政の打倒だ」

「うん、そうだ。そのために、お互い最善を尽くそう。部隊運用に関しては心配していない、アタシ達の部隊旗は双頭の狼。あんたさえいれば部隊は機能する。そうだろう、アレク?」


ティアはさらに、私の目をじっと見つめて言葉を継いだ。

そんな彼女に、私は返す言葉がなかった。


「あぁ、そうだな……分かった」


私は、うつむいてそう応じる。

そんな私に、ティアは満足そうな顔つきで頷いて見せた。


「ありがとう、アレク」


そう言ったティアは、デラックに視線を向ける。


「あぁ…なんか、妙な感じになってしまってすまない。アタシの提案、どうだろう?受けてくれるか?」

「はっ…そのような次第であれば、承ります」

「ああ、いや、待ってくれ。その前に、もう二つ条件がある。身の回りの配下は一緒に居ても構わないか?ここにいる者達だけで構わない。それから、アタシは指揮官の立場にあるんで、後方からも先へ行く部隊からも伝令がくることになる。そいつらの通行も許して欲しいんだが、どうだろう?」

「いずれも必要なことかと存じます。承知いたしました」


ティアの要請にそう応じたデラックの表情は、最初のころに比べればずいぶんと安心しているように見えた。

反対に、私の心はと言えばまるで雷雨の前の曇天のようだ。


「良かった、其方が思慮深い者で助かったよ。子爵様の慧眼に違いないな」

「恐れ多いことでございます」


ティアに褒められ、デラックは恐縮しつつも嬉しそうに笑みを浮かべる。

そんな彼に笑顔で頷いたティアは、私の方に視線を向けた。


「アレク、部隊を頼む。早ければ明日、遅くとも明後日までには追い付くはずだ。ゴルダ領に入ったら、領都と防衛線の両方を睨める位置で待機していてくれ」

「あぁ、了解した」


私の返事を聞いたティアは、ゆっくりとイスを立ち上がってこちらに歩み寄ってくる。

そして、私の鎧の胸甲を拳でゴツンと一突きしてきた。


「頼りにしている、アレク」

「あぁ…分かってる、任された」


私は、なんとか表情を取り繕って彼女にそう応じて見せた。





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