決意
空は雲一つない快晴。
風は穏やか。
空気は冷たいが、外套を羽織ればどうということはないし、少し体を動かせばたちどころに汗が出る程度だ。
そんな中、多くの兵士たちが集結し、それぞれに出発の準備に取り掛かっていた。
馬に藁を食ませる兵に、荷車に積み荷を運ぶ兵。
装備を点検する兵もいれば、配下の人数を確認している兵もいる。
士官ともなれば各隊からの報告を聞き、傍付きの兵と一緒にそれを纏めてさらに上官へと報告をあげる伝令を放つ。
その報告はやがて私達のところまで届き、私達もそれを受けて、一覧にした準備項目の進捗を都度確認していた。
ここはディットラー領都の城郭外に臨時で設置されている出撃準備のための区画。
私達は一昨日から、この場で出撃のための準備を急ぎ進めていた。
「第二歩兵隊の準備が遅れてるな」
「あぁ…新しく百人長に昇格させたソランの隊だからかしらね」
「そうか、ソランのところか…それならまぁ、仕方ない。一応、確認のために誰か出してくれ」
「ええ、分かったわ」
「あ、咎めるようなことを言うようなヤツは避けてくれよ」
「分かってるわ、気の利きそうな誰かに頼んでおく」
天幕も陣幕すらもない野外の仮設本部で、荷馬車に括りつけた板に張られた一覧を見ながら、ティアとベアトリスがそんな言葉を交わしている。
二人の分担は、兵員の管理だ。
各隊の指揮系統、構成人員を集約して戦力を評価するのがその大きな目的となる。
バイルエイン家の兵達は多くが忠誠に篤く、それでいて精強。
しかし皆がそうとは限らないし、部隊規模で運用しようとすれば得手不得手が出てくるし、編成によってはムラが出る。
その辺りを事前に把握できていれば、指揮も執りやすい。
部隊の指揮に関してはティアと話し合った結果、私が歩兵隊と弓兵隊を率い、騎馬隊と工兵隊、輜重隊とミーア配下の“夜鷹”および伝令の兵からなる情報隊はティアが管轄することになった。
騎馬隊の指揮に関しては、ティアに任せるのが最良だろう。
彼女は戦場全体を見ることは苦手だが、その場その場の状況判断と思い切りは良い。
元々得意としている騎馬隊の運用にも目を瞠るものがあるし、適任だ。
私の方も、これまではどちらかと言えば歩兵や弓兵の用兵をする経験の方が多かったので助かる。
何しろノーフォートの私兵団には大規模な騎馬隊はなかった。
大量の馬を確保して世話をするのは、そうとうの資金が必要になってくる。
それができるバイルエイン家は、やはり伯爵家らしい身代なのだ。
そんな私達のためにティアの御父上、ジリアン・バイルエイン伯爵様が調達してくださった隊旗は、仮設本部の部上に高々と掲げられていて風にはためいている。
旗にある二頭の狼は、一方は黒毛、一方は金毛だ。
意匠は、ティアと私を現しているのだろう。
このディットラー領都で作らせた急ごしらえのもののようで、とても上等と言えるような代物ではなかった。
しかし、それでもこんなものまで用意くださるということに、伯爵様からのティアや私への信頼を感じられる。
私にとっては光栄なことだし、ティアも重圧は感じているかもしれないが、嬉しさがないという風でもなさそうだ。
現に、視界に映る彼女はベアトリスと一緒になって、落ち着いた様子で精力的に差配をしている。
オルターニア王都で少し復調していたものの、御父上に、部隊を率いてゴルダ領に向かえ、と言われたときには不安げで自信なさげな様子を見せてはいた。
しかしその後、伯爵様との話を終えて宿舎に戻ってきた彼女は不思議と力強く思えた。
伯爵様に何か励ましでも受けたのかもしれないが、その辺りのことはまだ聞けていない。
ミーアやベアトリスに自分の身の上を話した私は、そんなティアにも同じ話を伝えた。
話をする前はティアが感情的になるのではないかと危惧していたが、彼女は思いのほか落ち着いて聞いてくれた。
聞き終わってからも別段取り乱す様子もなく、むしろ
「大変だったんだな…辛かっただろう…」
と優しく声を掛けてくれたくらいだ。
そのときの彼女の表情は…どこか、今まで以上に穏やかで包み込むような安心感があったのを覚えている。
その感覚は…日を追うごとに彼女に馴染んで、安定しているようにも感じられた。
不意に、人の出入りが激しい仮設本部に今までになかった気配がした。
視線を向けてみるとそこには、ミーアが配下の商人のような身なりの男を一人連れて小走りに駆け寄ってくる姿がある。
「ティアニーダ様。ご当主様が南部に派遣されていた班が戻ったのですが、報告してもよろしいですか?」
「あぁ、それは助かる…あ、ちょっと待て。アレク、ちょっと来てくれ」
呼ばれると思っていたので、私は自分に割り当てられていた補給物資の積み込み状況の報告をまとめる手を止めて、ティアの方へと小走りで向かう。
「アレク、南部方面の情報らしいんだ」
「あぁ、聞こえていた」
「良かった、一緒に聞いてくれ」
ティアがそう言って、商人風の男に視線を向けた。
男は少し戸惑った様子でミーアに視線を向ける。
それにミーアが頷いて見せると、男は軽く頭を下げてティアに改めて向き直り姿勢を正して礼を取った。
「申し上げます。十日前から、ハラック領、ミザエル領、ノーフォート領に外偵に出ておりました。いずれの領地にも、領都にサラテニア軍の兵が詰めております」
「規模はどの程度だ?」
「はっ、ハラック領には500、ミザエル領に700、ノーフォート領に500程度かと」
「そう多くもないな…まとまられると厄介だが、各個で相手取るなら問題はなさそうだ」
「そうね…逆に、一気に通り抜けるって選択も悪くはないかもしれないわ」
“夜鷹”の言葉を聞いて、ティアとベアトリスがそう頷き合う。
しかし、偵察に出たのは三家の領地のみ。
ティサナ領についても情報が欲しいところだが…
「ティサナ領については偵察が済んでいないのでしょうか?」
「はっ、サティナ領に関しては人員の不足から後回しとしております」
「ティサナ領に一万いる、とかだったらまずいか」
ティアがそんなことを言って渋面を浮かべた。
しかし、それを聞いて“夜鷹”の男は頭を下げる。
「いえ、それはまずあり得ないかと。事前に調査した物量の流れから、ティサナ領にはサラテニア軍の駐留がほとんどないとみております。それもあって、外偵を後回しにした次第」
「ふむ、そうか…」
そう応じたティアが私に視線を送ってきた。
何か意見を、ということなのだろう。
おそらく、“夜鷹”の読みに間違いはないと思う。
ティサナ領は、元々国境線の守りを任されていた領地だが、基本的には南部の守りの主力はミザエル領で、サティナ領はその穴を埋めるように配されていた。
そのため、規模もそれほど大きくない。
領都は城郭都市にはなっているはずだが、一万もの大軍が駐留するのに適しているかと言われると難しいだろう。
「サティナは小さい領地だ。そこに一万を置くくらいなら、ノーフォートかミザエルに置く方が自然だと思う」
私の言葉に、ティアは納得したようにうなずいた。
「ご命令あらば、これよりサティナ領都へ潜るための人員を集めます」
ティアの様子を見てか、“夜鷹”の男はそう進言してくる。
しかし、ティアはそれを聞いて首を横に振った。
「いや、それには及ばない。戻ったばかりなのだろう?しばらくはこのディットラーで休め」
「しかし…その、よろしいのでしょうか?」
「侵攻路に関しては先だって外偵一班を派遣しているし問題ない。それよりも、三班には被害が出たりはしていないか?」
「はっ、物資輸送に見せかけて潜入しておりましたので全員無事に戻っております」
「それなら良かった。一人の損耗もなくこれだけの情報を集めてくれるとは、改めて頼もしく思う」
「ありがたきお言葉…痛み入ります」
ティアの称賛を受けて、“夜鷹”の男は深々と頭をさげた。
それを見たティアも、ホッとしたような表情を浮かべる。
「兵装や物資の状況など、詳細の情報も持ち帰っております。詳しくお話させていただきたく」
「分かった。ミーア、聞き取ってもらえるか?」
「はい、承りました」
ミーアがそう応じて、恭しく頭をさげた。
“夜鷹”の手前、努めて家臣らしいふるまいをしているらしい。
ティアには居心地が悪いのか、苦笑いを浮かべていた。
それにしても、サラテニアはずいぶんと軍を引いたらしい。
確認できるのは二千弱。
油断は禁物だが、ティアの言葉の通り各個撃破できるのならあえて潰しておくのも手だろう。
一方で、ベアトリスが言ったように追撃に気を配りつつ一気に抜けてしまうというのも選択肢に入ってくるだろう。
救援に向かうことを考えれば、ベアトリスの案の方が良いように思うが…
この出撃準備に先立って、ノイマール国内の状況をバイルエイン家の士官、バーナットから聞き取った。
直近の情報では、ノイマール軍は現在、国軍が一万五千、王政派の貴族家の私兵団が一万ほど残存しているらしい。
国軍の一万はすでに王都周辺で守りを固めているようだ。
残りの五千は、北部戦線でのオルターニア側からの反攻作戦阻止のため、ノイマール北部に展開していて、貴族家の私兵団のうち、五千程がそちらに同道しているとの情報だ。
残りの貴族家の私兵団五千は、各地に散って解放軍の牽制に動いているらしい。
これから私達が向かうゴルダ領で父様達の軍を抑えているのも貴族家の私兵団で、数はおおよそ二千程だそうだ。
国内では、国民の間で厭戦感情と王政への反感が高まっているようだ。
最初のオルターニア侵攻から動員され続けている軍を維持するために、市場では食料から衣服、薪や油といった燃料の類に至るまで、価格の高騰が始まっているらしい。
冬を控えて食料や燃料の消費がただでさえ激しくなるこの時期にそんな状況では、反感を持たれるのも当然だ。
そう考えると、バイルエイン伯爵様がこのディットラー領都で行っている配給は有効だったことだろう。
そんなノイマール国内の南側、サルダー街道を進む計画の詳細はこれから練ることになる。
その前に、準備をしっかりと整えねば。
私は自分の持ち場に戻って作業を再開する。
すると、
「アレクシア様」
と不意にそう私を呼ぶ声が聞こえた。
ハッとして顔をあげると、そこには書類の束を手にしたエリクの姿があった。
どうやら私が戻るのを待っていてくれたらしい。
「あぁ、エリク。どうした?」
「はい、部隊単位での物資の確認が終わりましたので、報告書をお持ちしました」
「助かる。それで、量は十分か?」
「ご指示の通り、武器と装具に関しては速度を取ることを重視して少量に抑えました。糧食に関しては、三週間分を各隊の荷馬車に積載させています。詳細はこちらに」
「順調に行けばゴルダ領までは七日だ、それだけあれば十分だろう」
私はそう応じつつ、エリクからの報告書を受け取る。
そこには、どの部隊がどの品目をどれほど輸送しているかが詳細に書かれていた。
輜重隊を連れているとはいえ、すべてを任せるほどの輸送力はないし、状況によっては輜重隊にはこのディットラー領都に帰還して追加の物資を運んでもらう可能性もある。
そのため、各隊の荷馬車にも分けて積載する必要があった。
あとはこの内容で問題がないかを詰めるだけだな。
「あの、アレクシア様」
そんなことを考えていると、エリクが再び私の名を呼んだ。
まだ何かあるのかと思って彼の顔に視線を向けると、彼は心配そうな表情で私を見つめていた。
「その…お加減はいかがですか?」
その言葉の意味は分かる。
これから私は、故国ノイマールと戦おうとしているのだ。
しかも、向かう先はゴルダ領。
事情を知っているものなら、気にしてくれることもあるだろう。
「ああ、問題ない…むしろ、逸りそうなくらいだ」
「逸る…?」
「ああ」
私はエリクにそう応じて頷く。
こんな日が訪れるとは思ってもみなかった。
しかしあの日、殿軍としてオルターニア国内に残され、バイルエイン家の人質となったことで風向きが変わったんだろう。
我が家はオルターニアに亡命を希望し、私はバイルエイン家の兵を任されてノイマールを侵攻する。
あの男に、刃を突き付けることができる機会が巡ってきたんだ。
「私はフィトディアール・ノイマールの首を刎ねる…リーリニアの仇を討つんだ」




