夢
「おめでとう、エルデール」
「おめでとうございます、エルデール様」
「頑張ったな、エルデール」
バイルエイン領都にある屋敷の二階の広間は、普段からたくさんの人が集まる場所だ。
でも、今日ほど多くの人が集まったのはアタシの記憶にはない。
父上に母上、ガルイード兄上にエルデール兄上、叔父上のディルハザール・バイルエインとリタリール叔母上、そしてアタシの従兄姉に当たるミーア姉様達三人の兄妹。
屋敷に勤める使用人や家令、軍の主だった士官達に、警護を務める衛兵達。
さらには、領都街の商会の会頭達に、付近の農村の代表なんかもいた。
その皆が、笑顔でエルデール兄上を讃えている。
皆に声を掛けられたエルデール兄上は、照れたような、恐縮したような苦笑いを浮かべていた。
今日は、4つ上のエルデール兄上の15の誕生会。
集まった人たちのお腹に収まるかどうかも分からない程の量の食事に、お酒はもちろん、アタシ達向けの果実水なんかもたくさん用意されている。
贈り物は、会に参加してくれている人たちからだけじゃない。
王都の陛下やアレンデオール殿下、妹君のファーファニル・オルターニア殿下の王家の方々、ガーダイン伯爵様をはじめとする親交の深い貴族家の方々からも届いていて、広間のテーブルの上に山のように積まれていた。
エルデール兄上は、小さいころから領地経営や王国の法律、農業のことや、灌漑のことなんかも一所懸命に学んでいた。
剣術や乗馬、軍略は苦手みたいだけど、それでも苦労しながら身に着けようとしている。
そんなエルデール兄上は今のアタシくらいの頃には、領地の南にある農業村の税収の取りまとめを任されていた。
今では、領地全体の税収の取りまとめだけじゃなく王都への納税、商業の振興や街道の整備、各農地や宿場町の調査まで、いろんな仕事をこなしている。
そのおかげで、エルデール兄上はいろんな方々に覚えめでたいんだ。
「ガルイード様だけでなく、エルデール様もご活躍とは、バイルエインのお家は今後も安泰に間違いはございませんね」
「ええ、その通りですね。我が商会もいっそう励まねばなりません」
領地南部の農村の代表と、領都にある商会の会頭がそんなことを話しているのが聞こえた。
二人の言っていることはもっともだと思う。
エルデール兄上だけじゃなく、上のガルイード兄上もすごいんだ。
5つ年上の一の兄上は嫡男として父上にいろんなことを教わっている。
剣も、馬術も、机上演習も、領地経営もたくさんたくさん修練を重ねていた。
一の兄上は、今のアタシと同じくらいの歳のときには、剣の他に馬術もすごかったらしいし、机上演習なんかもやらせてもらっていたらしい。
父上と一緒に王都へ行って、いろんな会議に同席もしていた。
今では父上の代わりをこなせるくらい、バイルエインの嫡男としての力量を備えていると思う。
「エルデール様、これは侍女達からのお祝いです」
「お気に召していただけたら幸いにございます」
「気を遣わせてすまない、感謝するよ。開けても構わないかな?」
「えぇ、是非とも」
身辺係達の返事を聞いた兄上は、受け取った小さな飾り袋の中から細長い箱を取り出した。
蓋を開けるとそこには、黒とべっこう色をしたペンが収まっている。
それを見るなり、エルデール兄上は満面の笑みを浮かべて見せた。
「きれいだ…重みのある、良い色だな」
兄上はそう言いながら、そっとペンを手に取った。
ペン先や握りをしげしげと見つめてから、書き物をするときのように指先で握って感触を確かめた兄上は、
「とても気に入った。本当にありがとう」
と身辺係達に礼を取る。
それを受けた身辺係達も、ホッとしたような表情を浮かべてそれに応じた。
「エルデール様、こちらは、街の商会からの贈り物でございます」
次いで、さっき話をしていた商会の会頭が頭を下げながら少し大きめの箱を兄上に差し出した。
ペンを大事そうに懐に収めた兄上は、その箱を丁寧に受け取ると同じように開けて良いかと尋ねてからその蓋を開ける。
出てきたのは、紺色の帽子だ。
装飾や刺繍なんかは控え目だけど、その分、色使いや配置が考えられているように見える、とっても上品な代物だった。
兄上は笑顔でそれを被り、会頭がその姿を見て褒めそやしている。
周りに集まっている他の者達もおんなじだ。
「エルデール様も成人となれば、若様も頼もしく思われるでしょう」
エルデール兄上の方を見ていたアタシの耳に、不意にそんな声が聞こえてくる。
なんとなくそっちに目をやると、ミーアお姉さまの御父上、ディルハザール・バイルエイン叔父上がガルイード兄上に声を掛けていた。
「うん、そう思うよ叔父上。エルデールは俺よりも土地の治め方を知っているからな。いっそ領地の経営はエルデールに任せてしまうというのもありだと思っている」
「ほほう、それでは若様の立つ瀬がなくなってしまうのでは?」
「俺は王都や各家との軍の連携を図って行かねばならない。どうにも外に出ることが多くなるから内政はエルデールに任せることが多くなる…その辺りは、父上と叔父上も同じだろう?」
「私は内政もいたしますが主たる役割は影役でございます故、お役に立っていることなど、微々たるものですな」
「それは謙遜だ。叔父上がいなければ、父上は今頃は疲労でもっと老け込んでいたかもしれない」
そんな言葉を交わして、二人は声をあげて笑う。
心の底から嬉しそうな、楽しそうな雰囲気だ。
兄上が言うように実際ディルハザール叔父上は、父上が不在の間は内政の全権を担うことが多い。
それに加えて叔父上は、“夜鷹”と呼ばれる密偵部隊の統括もしている。
父上とは違った方向で優秀な人だって言うのは間違いない。
「フィルニールももう五歳になった。あれが成人したらどのような力量が備わるのか…それも楽しみにしている」
「フィルニール様も、順調に勉学に励んでいらっしゃるようですしね。若様が外政、エルデール様が内政となれば、フィルニール様は私の後任ということでも良いかもしれませんな」
「“夜鷹”はノーラック達に引き継がせるのでは?」
「さて、それはご当主様のご意向によりますな。私個人としては、ノーラック達は士官として内偵と外偵それぞれの部隊の指揮を任せるのが良いのではないかと思っております」
そんな言葉に、私はギュッと心臓を掴まれたような感覚になる。
こんな想いになるのは、何もこれが初めてじゃない。
もっと幼いころから…アタシは、同じような気持ちを何度となく味わっていた。
ガルイード兄上も、エルデール兄上も、アタシのことを当てにしていない。
父上も、母上も、アタシに何か役目を与えたりもしてくれなかった。
そんな家族のことを見ているなんだと思うけど、ディルハザール叔父上も、他の臣下達も、アタシが何か役目に就くなんて考えてもいないようだ。
父上も母上も、兄上達もアタシにはとっても優しい。
臣下の皆だって、アタシをとっても大事にしてくれている。
けれどアタシは、ずっとずっと、家族の中に居場所がないような気がしていた。
一緒にいるのに、手が届かない。
家族の一員なのに仲間外れにされていて、ずっとずっと一人きりのような感じ。
それはとっても不安で、とっても恐ろしいことだった。
心臓が握りつぶされちゃうんじゃないかって思うくらいに。
だからアタシは、その場のことを憚れずに父上に聞いてしまった。
「父上。アタシは、いつからお役目に就けるのでしょうか?」
アタシの言葉を聞いた父上は、にっこりとした笑顔を浮かべてくれる。
「お前は何もしなくて良い。なんの役にも立たないのだから」
父上の言葉に、アタシは息が詰まった。
「父上の言うとおりだ」
不意に、耳元でそう声がしたので目をやると、そこにはガルイード兄上とエルデール兄上がいた。
「お前は何もしなくて良いんだ」
「そうだぞ、ティア。お前は役に立たないんだからな」
どうして?
父上も、兄上達も、どうしてそんなことを言うんだ。
どうして、どうしてそんな…
アタシは、助けを求めて母上の方を見る。
まだ幼いフィルニールの手を引いた母上は、アタシに呆れたような顔つきをしていた。
「母上…アタシ…」
「ティアニーダ、あなたは私達の迷惑にならないように、大人しくなさい」
母上はアタシにそう告げるとそっぽを向いて、フィルニールの手を引きながら足早に広間から出て行った。
父上と兄上達も、そのあとに続いて出て行ってしまう。
「待って…待ってよ!」
助け船を出してほしくて周りを見回したアタシは、愕然とした。
部屋に誰もいなかったからだ。
広間の真ん中にポツンとアタシ一人がいるだけだった。
途端に、どうしようもなく怖い感覚に胸が締め上げられる。
アタシは、部屋から掛け出て屋敷の中を走り回った。
どこへ行っても、誰の姿もない。
怖くて、怖くて…涙になってあふれ出た。
「父上…母上…兄上…!」
何度も何度もそう叫ぶ。
でも、誰の姿もない屋敷の中にむなしく響くだけで、誰からの応えも聞こえてこない。
どうして?
なんで?
アタシは家族と同じになりたいだけなのに…
バイルエインの家の一員として皆の役に立ちたいだけなのに…
どうして?
なんでアタシは何もさせてもらえないんだろう?
どうしてアタシには何もできないんだろう?
寂しい…怖いよ。
一人っきりは、怖いんだよ。
アタシはついには床にへたり込んだ。
こみ上げてくる気持ちにボロボロと涙をこぼしながら、声の限りに叫び声をあげる。
「怖いよ、ミーア姉様、ベアトリス!」
* * *
呼吸が苦しい。
四肢はまるで重しでも付けられているかのようで身動きができない。
その上、体が熱い。
汗ばんだ夜着が皮膚に張り付き、得も言われぬ不快感がある。
そんなだから、アタシが目覚めたのも当然だ。
目を開けてみれば、窓の外から差し込む月明かりが部屋全体をうっすらと青白く染め上げていた。
角灯はすでに消されている…いや、油がなくなったか、芯が燃え尽きたかして勝手に消えたのかもしれない。
アタシはぼんやりする意識のままに体を動かそうと思って、全身の自由が利かないことに気づいた。
何事かと思ってみたら、なんのことはない。
左側からはミーアが、右側からはアレクが、それぞれアタシを抱きしめるみたいな恰好で寝入っていたからだ。
息苦しかったのはアレクの腕が首元にあって、圧迫されていたからだろう。
おかげで…とんでもない夢見だ。
起こすのも悪いなと思いつつ、アタシはそっとその腕をどかす。
幸い、彼女は穏やかな表情で寝息を立て続けていた。
二人がくっついていたせいか熱がこもってだいぶ汗をかいているらしい。
そもそも酒を飲んだあとでもあったから喉が渇いたし…厠にも行きたい。
そんなことを思って細心の注意を払いつつ身じろぎをして二人の間から抜け出ようとしていると、
「どうしたの?」
と微かな声が聞こえた。
左側からだ。
チラっと目をやると、ミーアがまるでずっと起きていたんじゃないかと思えるほどはっきりとした顔付きでアタシを見ていた。
身辺係としてなのか“夜鷹”としてなのか、どちらにしてもミーアはこういう気配には敏感だ。
「ああいや…厠と…喉渇いて」
アタシが言うと、ミーアは
「あぁ」
なんて声を漏らしてから、そっと私に回していた腕を解いて、寝台の上に仰向けに寝転がった。
そんな彼女と、一向に目を覚ます気配のないアレクにも気を付けながら、アタシは寝台から這い出る。
寝室から居間に出ると、夜番の兵士がまだ起きていたので軽く声を掛けてやってから部屋に備え付けられている厠で用を済ませて寝室へと戻った。
テーブルの上には、夜会の際に準備しておいた水の瓶が残っていたので、適当なマグに少し注いで喉を潤す。
酒と汗で体から出て行った水分が補給されて全身にいきわたるような感覚に、ほっと息が漏れた。
「ティア、私も欲しい」
不意にそう声が聞こえた。
見れば、寝台の上のミーアが体を起こしてアタシに視線を送っている。
「ん、まだある」
アタシはそう返しながら、もう一つのマグに水を注いだ。
それを見たミーアがもぞもぞと寝台から降りてきてテーブルまでやってくる。
アタシが差し出したマグを受け取ると水を一気に飲み干し、ほうっと息を吐いた彼女は
「私も厠行ってくる」
とだけ告げて、マグをテーブルに戻して寝室から出て行った。
そんなミーアの後ろ姿を見送ってから、汗で体に張り付く夜着の不快感が気になって裾をパタパタと煽る。
着替えようかとも思ったけど、着替えるにしても体が火照ったままの今ではないかなと思いなおして、アタシは寝室の吐き出し窓からバルコニーに出た。
バルコニーにはイスとテーブルのセットが置いてあって、眼下の手入れされた庭を眺められるようになっている。
アタシはそのイスに腰かけた。
夜の冷たい空気が肌に触れて、芯から熱くなっていた体をジワジワと冷ましてくれるような感じがする。
アタシはイスの背もたれに体を預けて、大きく息を吐いた。
空には、左弓の細い月が浮かんでいる。
ふとまた、斥候を迎え撃った日のことが思い出された。
生き残ったサリアとヒッテはさておき…死んでしまった他の隊員達の顔が浮んでくる。
アタシには、あいつらが国のために命を捧げたなんてどうしても思えなかった。アタシが突撃を決断しなければ、あいつらは死ぬことはなかっただろう。
それは、誰が何といっても、事実に変わりない。
あいつらが…アタシのせいで死んだのか、それとも、国のために命を捧げたのか…それは、捉え方に依るんだろう。
そんなことを考えながらぼんやりとしていたら、珍しく気配をさせて、ミーアがバルコニーに姿を現した。
「飛び降り?」
ミーアが少し意地の悪い顔をしながらそんなことを聞いてくる。
アタシは、そんな彼女に肩を竦めてみせた。
「するかよ」
アタシの言葉に、ミーアはなおもからかうような表情を浮かべたまま
「そう」
と言いつつ、隣のイスに腰かけた。
気持ちよさそうに伸びをしたミーアは、それからふぅ、と大きな息を吐く。
「で…気分は?」
気分、か…
夢見は最悪だけど…不思議と、あんまり嫌な感じはしなかった。
夢だったんだ、っていう感覚というか…そういう感じだ。
ホッとしたと言ってもいい。
アタシはミーアに笑みを返して、それから満天の星に視線を向けて応える。
「……安心した」
「安心…?」
アタシの言葉に、怪訝そうなミーアの声が聞こえてきた。
それもそうだと思う。
寝入っちゃう前は、散々っぱら泣いてたんだ。
ちょっと脈略がないって思うのも無理はない。
「夢を見たんだ」
「うん…?夢…?」
「そう、夢。次の兄上の誕生会をやってたんだけど、気が付いたらアタシの周りに誰もいなくなっちゃって、一人ぼっちで屋敷に取り残される夢」
「うん…そっか…うん…ううん?」
ミーアがさらに変な声をあげたんでチラっと視線を向けたら、彼女はアタシを怪訝な表情で見つめていた。
視線が合ったミーアは、促すように首を傾げて見せる。
そんなかわいらしいしぐさに、思わず笑い声がこぼれてしまった。
「一人ぼっちで、すごく怖くて、すごく寂しかったんだ。苦しくって、悲しくって…アタシは泣いて騒いじゃってさ」
「それは…なんていうか、怖い夢だね…?」
「うん、怖かった…でも、目が覚めたら、ミーア姉様とアレクシアがくっついて寝てて…なんか、安心したんだ」
アタシが言うと、ミーアはちょっと驚いたような表情を浮かべて
「あぁ」
とだけ声をあげた。
そう。
なんていうか…そうなんだ。
夢の中みたいに、家族に役立たずだなんて言われたことはない。
アタシはずっと大事にされてきたし、アタシのことを気遣ってくれていた。
でも、アタシ自身が小さいころからずっと、バイルエインの家の役に立てていないって感じてたのも本当だ。
そのことが寂しいと思っていたことも、役に立てずに一人前になれないのが怖いと思っていたことも。
いや、それは今も変わってない。
失敗が怖いんじゃない。
役に立てないことが怖いんじゃない。
アタシが怖いのは、バイルエインの家に相応しくない自分が家族から孤立しちゃうこと。
一人になっちゃうことだ。
でも、目が覚めたときにはミーア姉様とアレクシアがいてくれた。
ちょっと離れたところにはベアトリスも寝てた。
ミーア姉様とベアトリスは、小さいころからずっと一緒に居てくれた。
二人は今後もずっとアタシと一緒にいてくれるだろう。
アレクだって同じだ。
突撃を仕掛ける直前に思い出したのはアレクのことだった。
突撃をした日の夜、アレクと抱擁してアタシは安心したはずだった。
それを思えば、アタシにとってどれだけ大切な存在なのかは、考えるまでもない。
二人と比べたら期間はずっと短いけど、これから先もアタシと仲良くしてくれるだろう。
だからアタシは…失敗して、あり得ないことだけど、家族から勘当されるようなことになったって、一人になんてならない。
野戦のあとも、屋敷に帰ってきてからも、アタシは彼女達から孤立してしまうことすら恐れていた。
でも、それは気落ちしたアタシの一方的な思い込みだったんだろう。
そんな実感があったから、自分でも奇妙に感じるくらいに安心して、ストンと気持ちが落ち着いた。
「ミットリー、って分かるか?」
「え?…あぁ、ミットリーは…騎馬隊の百人長だっけ?」
「うん、そう…そいつに言われたんだ。アタシが突撃を選ぶのは、自棄になっているからなんじゃないか、って。本当なら、自分も配下も死なせないために、必死で方策を考えるんじゃないのか、って」
「………不敬ね…殺そうかな」
ミーアの冗談めかした発言に、アタシは思わず笑ってしまう。
…え、冗談だよな?
「やめてくれよ、ただでさえアタシの突撃に付き合って怪我してんだ」
「…まぁ、ティアがそう言うなら」
…半分くらい、本気だったのかもしれない。
アタシは内心、そんなことを思いつつ、それでも込み上げた思いを吐き出す。
「…正直、本当にそうだって思ったんだ。失敗して、家族に白い目で見られるんじゃないか、役立たずだって思われて家の中で孤立しちゃうんじゃないかってのが怖くて…だからアタシは、失敗しないように自分にできないことはやらなくなったし、どうしてもやらなきゃいけないときは失敗したら死ぬような選択肢を選んでたんだと思う」
それから、アタシは、大きく息を吸って、震える声を絞り出すようにして言った。
「その結果…配下を大勢死なせた…」
アタシの言葉に、ミーア姉様は反論しなかった。
チラっと目を向けると、彼女はアタシを心配そうな表情で見つめている。
アタシは、そんな彼女に笑みを返した。
「このままじゃ、本当にダメだよな、アタシ」
アタシの言葉に、ミーア姉様は一瞬黙って、それからふぅと息を吐き
「そうだね」
と応じてくれた。
本当にそう思ってるわけじゃないだろう。
でも、アタシがそう思ってるんだ、ってことを認めてくれたような気がして、なんだかホッとした。
「アタシ、頑張るよ」
アタシは自分に言い聞かせるために、そう言葉に出した。
具体的に、何をどう頑張ったら良いかは良く分からない。
でも、少なくともこれまでのようじゃいけないし、今のまま腐ってるワケにはいかない。
「無理してない?」
ミーア姉様がそう聞いてくれた。
「うん」
アタシは、ミーア姉様の方を見てそう頷く。
ミーア姉様達が居てくれるんなら…アタシは、きっとあの怖さとも戦える。
「…ミーア姉様、アタシと一緒にいてくれてありがとう。これからも、アタシのそばでアタシを支えて欲しい」
アタシは、ミーア姉様の目をジッと見つめて、そう伝えた。
それを聞いたミーア姉様はサッとイスから立ち上がると、アタシの目の前に傅く。
「我が身は貴女を守る盾、我が腕は貴女を守る矛。我が身命の一切を捧げるは、貴女への忠誠の証」
彼女が口にしたのは、臣下の礼を取る際の騎士の文言だ。
貴族家が王家に忠誠を誓う際にも、似たような礼がある。
そんな大事な言葉を、片目をつぶりつつ、冗談みたいな顔つきで言ってのけた。
そのミーア姉様の様子に、アタシはまたホッとする。
それからアタシもイスを立って、ミーア姉様の手を取った。
「我が献身は臣が為、身を奉じるは民が為。我が身命の一切を以って、その忠に報ずることをここに誓う」
アタシは、そう答礼をしてミーア姉様の手の甲に口付ける。
これは忠義を捧げた臣下に、主があるべき姿を誓う宣言だ。
アタシとミーア姉様が最初にこのやり取りを交わしたのは、10歳のとき。
ちょうど夢に見た次の兄上の誕生会のあった時期だったような気がする。
いまさらながら、本当に大事な言葉の通りだと思う。
アタシは忠義に応えるために、その身と命を賭けなきゃいけないんだ。
怯えている暇なんかない。
「それで…もう大丈夫そう?」
アタシの答礼を受けたミーア姉様は、傅いたままそう言ってアタシを見上げて来る。
そんなミーア姉様の手を引いて立ち上がらせてから、アタシは肩を竦めてみせた。
「どうだろ?頑張ろうとは思えてるけど…大丈夫かどうかは、ちょっとまだ自信がない」
「ふふ…正直でよろしい」
アタシの言葉を聞いて、ミーア姉様…ミーアは、満足そうに笑みを浮かべた。
それから
「不安になったら、頼れば良い。我が身命の一切は、だからね」
なんて言ってから、あくびをもらしつつ大きく伸びをした。
「ありがとう」
「とりあえず私も安心したよ。あぁ、そうそう、アレクともちゃんと話をしなさいね?」
「うん、分かってる。ちゃんと話して、謝るよ。アレクの話もちゃんと聞く」
アタシがそう答えると、ミーアは満足そうにうなずいて見せる。
それから首を縮こまらせると、自分の両肩をギュッと抱いた。
「さて…寒くなってきたし、暖かい寝台に戻らない?」
「そうだな…アレクが寂しがってるかもしれない」
「あの様子じゃ、朝まで起きないと思うけど」
アタシ達はそんな言葉を交わしながらバルコニーから部屋へと戻る。
寝台では、相変わらずアレクとベアトリスが幸せそうな顔して寝入っていた。
アタシはミーアと一緒に、さっきと同じ位置に身を横たえた。
ふと、隣に寝転んだミーアの手が、アタシの頭にそっと載せられる。
「よく頑張ったね、ティア」
彼女のささやくような声が聞こえた。
アタシは眼を閉じて、そんな彼女の想いを胸いっぱいに受け取る。
「ありがとう、ミーア姉様」
もうあんな夢はみないだろう。
そんな確信に包まれながら、アタシはまたまどろみの中へと沈んで行った。




