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拝謁と夜会

周辺図

挿絵(By みてみん)




オルターニア王国の王都は、バイルエイン領から北東に街道を一日進んだところにあった。

二重の防壁に囲われた堅牢な地で、規模はバイルエイン領都の3倍はありそうな巨大な街だ。

人口は十五万ほどにもなるのだという。

それを聞くだけでオルターニアの発展具合が分かるというものだけど、実際に足を踏み入れその様子を間近で見ると、いっそうそれが実感された。

バイルエイン領都も賑やかで活気があったが、王都はそれ以上の賑わいだった。

行きかう人も物もさまざまで、戦時だというのにそれをほとんど感じさせない。

民がこの地で安心して生活しているのだということが、実感できた。


そんな王都の中央通りを、私は馬に乗って進んでいた。

先頭には、ティアとベアトリス。

私とミーアがその背後に続き、私達の後ろには警護を名目に、ジーマというティアの配下と、他に騎兵が9名控えている。


あの晩、王都へでかけるという案を出し、私とベアトリスの同意を得たミーアの動きは速かった。

翌朝彼女はエルデール様に渡りを付け、ティアに王都へ向かって国王陛下と王太子殿下に拝謁し、直接南部の戦闘経過を報告するよう指示を出してもらうよう頼みこんだ。

エルデール様も、ティアのことが気がかりだったのだろう。

その案に賛成してくださり、すぐにティアを呼び出したようだ。


実際に、良い手だと思う。

何せ、これから報告をするのはご家族や私達のような身近な者ではなく、国王陛下だ。

そのような方から賞賛を受ければ、今のティアにも響くかもしれない。

それが叶わなくても、この王都には娯楽がたくさんある。

エルデール様は、二、三日滞在してきても構わないと仰ってくださったので、私達でなんとかティアの息抜きをさせる算段だ。


ティアは、相変わらずのようだった。

エルデール様に呼び出された際には、南部での野戦の時と同様、一見すれば何でもないように振る舞っていたらしい。

しかし、ミーアから見れば、無理をしているのは明らかであるようだった。

私とベアトリスに同行するように頼みに来たが、特に私のことを避けているような態度だったように思う。

嫌われたのでは、などとは思わなかった。

私に心配を掛けないよう…負担にならないよう、距離を置こうとしている…彼女は、そういう性質の人だと分かっていたからだ。


「これがオルターニアの王都か…想像以上の賑わいだな」

「バイルエインでもそうだったけど、今は冬支度の時期だからね。人出は多い方だよ」


私の隣で馬を並べているミーアがそう応じてくれる。

普段身辺係用の服を着ている彼女だが、今回に限ってはきちんと騎士の礼装をしていた。

こうしてみると、確かにティアの血縁だと思える。

普段の砕けた雰囲気とは違う、凛々しさと武の気風らしい勇ましさが感じられるように思えた。


「ノイマールの王都って、どんな雰囲気だったの?」


ミーアはそう私に聞いてきてから、あっと声をあげて少し気まずそうな顔をした。

私はそれに肩を竦めて返す。

良い思い出はないが…取り立てて気を遣われるようなことでもない。


「それなりに賑わってはいたが…これほどではなかった。特に今時分は、どちらかと言えばもっと殺伐としていた気がする…ノイマールはオルターニア程税収も豊かではなかったし、作物も豊富ではなかったからな」

「そう…食べ物の心配がある、っていうのは、怖いね」

「うん。だからこそ、国内の開発に力を入れなければならなかったのだが、な」


私が言うと、ミーアの表情が歪んだ。

それは…私を悼むような、そんな面持ちだ。


「…報告は、聞いてる」


彼女は、小さな声でそう言った。

“夜鷹”の情報網だろうか…まぁ、ノイマールの貴族家の動向を探れば、どのみち行き当たる話ではあるだろうな。


「……気にしないでくれ、過ぎたことだ」

「何かあったら言ってね…?力になるから」


私の言葉に、彼女はそう言ってくれた。

本当にありがたい…そう想ってくれる人が身近にいるだけで救われる心持ちだ。


「うん…ありがとう、ミーア」


礼をすると、ミーアは請け負った、という意思表示なのかどうか、自分の胸をトントンと叩いて表情を明るくした。


「そうだ、王都と言えば、新しい甘味が流行ってるって聞いたよ」

「甘味か、どんなものなんだ?」

「確か…クレープ、って言ったかな?薄く焼いた生地で果実とかカカオ砂糖とかを包んでるんだって」

「ふむ…興味あるな」

「拝謁が終わったら、お店探してみようか」


ミーアはそう言いながら、前方を進むティアに頭を振って見せる。

そうだな…そういうのは、良さそうだ。

甘いものは好きだし、ティアも肩肘張らずに楽しめるだろう。

実と利を兼ね備える、良い案だ。


「うん、そうしよう」


私がそう返答すると、ミーアも嬉しそうに笑顔をみせた。



そうこうしているうちに私達は中央通りを抜け、王都の中央にある城壁へとたどり着いた。

門を守っていた兵士の一人にティアが名乗ると、固く閉ざされていた門が開かれる。

どうやら、事前に話は通っているらしい…というか、昨日の今日で国王陛下や王太子殿下との謁見を許されるというのは、普通じゃない。

先日、王太子殿下がバイルエイン邸を訪れたことからして分かっていたことだが、伯爵家は王家に篤く信頼されているようだった。


城壁内へと進み、案内された厩舎で馬を降りた。

厩舎に居た係の者に馬たちを頼んでから、また別の案内係が来て、私達は城の入口へと連れていかれる。


さすがに王城ということもあってか、バイルエイン家の清廉さとは異なる、豪華絢爛な佇まいだ。


「ティアニーダ・バイルエインだ。サラテニア軍撃退のご報告に参った」


入り口を守る兵に、ティアがそう告げる。

相手は、門兵や案内係の兵とは違った、少し豪華な鎧を着こんでいた。

立場の程は知れないが、それなりの役職を担っている者に見える。

その兵は、ティアの言葉を聞くなり私達に視線を走らせて


「アレクシア・ノーフォート様はどちらか?」


と尋ねてきた。


「私だが?」


私がそう応じると、兵士は顔色を変えないまま、今度は


「貴殿は敵国の貴族。帯剣したままの入城と拝謁には障りがある。剣をお預け頂きたい」


と言ってくる。


…快くはない…が、まぁ、当然の配慮ではあろう。

少なくとも、我が家は未だバイルエイン家の預かりで、オルターニアに正式に亡命を認められているわけではないのだ。

それをお認め頂くための南部防衛線への参戦だったという側面もあるし、“身内”に加えてもらうのはこれからのことだ。


「ふざけるな!ノーフォート嬢はその指揮でサラテニア軍を撃退した功労者だぞ!?」


しかし。

私が剣帯から剣を外そうとする間もなく、ティアがそう怒号をあげた。

ミーアも、ベアトリスも、そのことに少々驚いたようだった。

もちろん、私も驚いた。


「存じております。しかし、それとこれとは別のこと。入城するには、儀礼を遵守頂かねば」

「儀礼!?アレクシア…ノーフォート嬢に礼を失しておいて、儀礼を守れだと!?」


兵士の言葉に、ティアはますます声を荒げる。

私のために怒ってくれている、というのは、嬉しいと思う部分もあった。

しかし…ちょっとこれは、どうするべきか悩んでしまう。


普段のティアだったら、私やベアトリス辺りが制止しても問題はないだろう。

私のために怒ってくれてありがとうと、そういえば収めてくれるはずだ。

だけどそもそも…普段のティアだったら、こんなところで怒り出したりはしないと思う。

ムッとしつつも、悪いな、とかなんとか言って、私に剣を預けるように頼んできたことだろう。


ティアがそうできなかったのは…私への気遣いか、それとも報告を任されたという責任感が故か…

なんにしても、今のティアを下手に制止することは、彼女の気持ちに新たな“失敗”の意識を生んでしまうような気がした。

そうはいっても…兵の言葉にも一理あることは確かなので、押し通すのも少々違う気がするし…どうしたものか…


「失礼ながら」


私が困っていると、不意にそう言う声が聞こえた。

見れば、私の傍らでベアトリスが鋭い視線を兵に向けている。


「貴殿は、リックラン・オルターニア家のスベロン殿であらせられるな?」


ベアトリスは、低い声でそう言った。

リックラン・オルターニア家…あの侯爵家の血筋の者なのか…?


「相違ない」


兵士はそう言って、妙に得意げに頷く。

しかし、ベアトリスはそれに動じた様子は見せなかった。


「承知した。ティアニーダ様、ここは彼の者の言を聞き入れるべきかと」

「ベアトリス…!」


ベアトリスの言葉に、ティアの鋭い視線が投げかけられる。

それでもベアトリスは小揺るぎもしていない。

彼女は相変わらず鋭い視線を兵士に向けつつティアに進言した。


「斯様な次第になった旨を殿下にご報告すれば、ノーフォート様の名誉は殿下がお守りくださるでしょう」


ベアトリスの言葉に、ティアは一瞬、ハッとしたような表情を見せた。

それから、わずかに逡巡したような様子を見せてから、彼女は私に視線を向けてくる。


「アレク…すまないが」


そう、掠れそうな声で投げかけてきた彼女に、私は努めて穏やかな表情を保ちながら頷いて返した。


「承知した」


私はそう応じて、剣帯から二本の剣を外して、そばに寄ってきた別の兵士に預ける。

そちらの兵は恭しい態度で剣を受け取ると、豪奢な布で丁寧に剣を包み始めた。


「これで障りないな?」


ジロリと視線を向けたティアに、スベロンと呼ばれた兵は得意げな様子で


「もちろんでございます」


と告げると、別の兵に声を掛けて両開きの扉を引き開けさせた。


扉の向こうは大きな広間になっていて、そこには近衛兵らしい装備に身を包んだ一団と家令、そして使用人達がいた。

近衛兵は常の警備のようだったが家令と使用人達は私達の接待役らしく、城の中に足を踏み入れるなり近づいてきて、先頭のティアに頭を下げる。


「バイルエイン様、殿下より此度の歓待を仰せつかりました」

「痛み入る、急なことで申し訳なかった。よろしく頼みたい」

「かしこまりました」


ティアの言葉にそう応じた家令は、控室に案内する、といって先導を始めた。

そのあとについて歩いていると、不意にティアが私を振り返ってくる。


「アレク、すまない」


その顔には、やはりどこか力がない。


「いや、私のために怒ってくれたのだろう?嬉しかった」


私はそう礼を言う。

しかし当のティアは、少し表情をこわばらせて


「殿下には、必ずさっきのことは伝えるからな」


と念を押してきた。

私としては、そこまで背負い込むようなことでもないと言いたかったが…やはり、なんと声を掛けて良いのか分からなくなる。


「ありがとう」


結局のところ、私はそうとだけ応じて彼女に笑顔を見せた。

それでひとまず納得してくれたのか、ティアは頷いて視線を前に戻す。

ふと、隣を歩いていたミーアに肩を叩かれたので視線を送ると、彼女は肩を竦めて苦笑いをしてみせた。

気にするな、と言うことだろう。

私は彼女にも笑みを見せて頷いた。


控室に到着した私達はカウチを勧められ、そこで使用人達が準備したお茶を頂く。

ジーマ達も私達から少し離れた場所に用意された席について、歓待を受けていた。

頂いた紅茶は伯爵家で頂いたもの以上に華やかな香りがする逸品で、家令の話では海の向こうから取り入れている品らしい。

そう言えば、バイルエイン家のあのたくましい軍馬も海を越えた東の大陸から仕入れたものだと言っていた。

ノイマールの土地柄もあって、海の向こうの世情には疎い。

しかし、もし今後、オルターニア王家を支える貴族となるのなら、その辺りのことも学んでいかねばならないだろう。


そんなことをティア達と話している間に、再び家令がやってきて、陛下と殿下の御準備が整われたと伝えられた。

ジーマ達警護をこの部屋に残し、ティアと私、ベアトリスとミーアの四人はそのまま控室を出る。

ティアと私はともかく、ベアトリスとミーアが一緒に拝謁するというのは、大丈夫なのだろうか?

心強くはあるが…今回の拝謁は対サラテニア戦の報告が主題だ。

ベアトリスやミーアは戦闘に参加したわけでもないし、そもそもバイルエイン家の血縁とはいえ、家臣格には違いない。

立場的に、拝謁なんてそうそう賜れるようなものではないと思うが…オルターニアでは普通のことなのだろうか?


そんなことを考えているうちに、私達は謁見の間の控えに到着していた。

途端に、緊張で空気が張り詰める。

ティアも、ベアトリスも、ミーアも、そして当然私も、だ。


「では、拝謁となります」


家令がそう声を掛けて来た。

それを聞いて、ティアが私に視線を送ってくる。


「アレク、アタシの隣に。儀礼は…大丈夫だよな?」

「うん、オルターニア特有のしきたりでもない限りは」

「それは大丈夫だ、特に変わったことはない」

「それなら問題ない」


私はそう言って頷き、一度大きく深呼吸をした。

それを確かめていたのかどうか、家令が両開きのドアを押しあける。

その先には、真っ赤なじゅうたんが敷かれていて、その先には三段の高台があって、その上の玉座に紫のマントを羽織った初老の男性が座っておられた。

その傍らには、正装に身を包んだアレンデオール・オルターニア殿下がいらっしゃる。


「陛下、バイルエイン家より戦勝のご報告です」


家令が、そう恭しく声をあげる。

すると玉座に座っていたオルターニア国王陛下は大仰に頷き、アレンデオール殿下に視線を向けた。

それを受けた殿下が


「ティアニーダ・バイルエインと共の者。陛下の前まで進み出よ」


と命じられる。

そのお言葉を待って、ティアを先頭にして私達は足元に視線を落としつつ、謁見の間に足を踏み入れた。

しばらく歩いた後、じゅうたんに金色の刺繍が入ったところまで進むとティアが立ち止まり、その場にサッと傅く。

それに続いて、私達も手を胸に当て膝を折った。


「ティアニーダ・バイルエイン。陛下への直言を許す」

「はっ!先ごろ、ヒルダナ男爵領南部から侵入しましたサラテニア軍一万五千を封殺せしめた旨、この場にてご報告いたします」


殿下の言葉に、ティアはそう完結に応じる。

すると、次いで、低く重々しい声色の声が、謁見の間に響いた。


「ティアニーダ、見事なことよ」

「お言葉、恐悦至極に存じます」


陛下のお声だったのだろう。

ティアは深々と頭を下げたままそう礼を言った。

しかし、その直後、


「なれど」


と言葉を継ぐ。


「戦勝はこちらに帯同願った、元ノイマール王国子爵家令嬢、アレクシア・ノーフォート様の指揮あってのこと。叶いますれば、ノーフォート様にこそお言葉を賜れますよう」


いや、その…それはちょっとまずいんじゃないだろうか?

国王陛下に、しかも直言で、自分への言葉はいらないから私を褒めてやってくれだなんて…


しかし、そんな私の心配をよそに、殿下が


「アレクシア・ノーフォート。表をあげよ」


と声を掛けてくださった。

私は、恐る恐る頭をあげ、殿下と国王陛下に顔をお見せする。

お二人は、私をジッと見つめていた。

その表情は…その、なんというか…ちょっと困っているというか、そんな感じのお顔だった。


「ふむ、良き目をしておる。ノーフォートは我が国への亡命を希望していると聞いているが、相違ないか?」


そんな困り顔のまま、しかしその表情とは不釣り合いな重々しい声色で国王陛下がご下問される。


「はっ、戦争が終わり、我が家が一つところに集まることができたそのときには、オルターニアの庇護を頂きたく」

「よかろう。そのときが来たら、願いでよ」

「はっ!ご厚情、ありがとうございます!」


私が答えると、国王陛下はチラっと殿下に視線を送られた。

それに気付いた殿下は、微かに肩を竦めつつ、小さく頷く。

それからキリッと表情を引き締めると、


「ティアニーダ・バイルエイン、顔をあげよ」


と声を掛けた。

おずおずとティアが顔をあげる。

国王陛下も先ほどまでの困った表情を真剣なものに変えて、ティアに視線を送った。


「ティアニーダ。さすがの器量であるな」

「えっ…?あ…えと、はっ」


陛下の言葉の意味を掴みかねたようで、ティアはそんな、ちょっと困惑したような声をあげる。

私も、ちょっと意図が組めずにポカンとしてしまう。

しかし、陛下はそれを気にする様子もなく、お言葉を継がれた。


「その方には幼き頃から、他者を引き付ける独特の雰囲気があったが…覚えておるか、その方が謀反を起こしたこと?」

「いやあの…それは、えとっ…」


ちょっとどころじゃなく、とんでもないお言葉が飛び出した。

謀反?ティアが?

思わず言葉に私は動じてしまうが、背後に控えるベアトリスとミーアにはその気配がない。

二人は、知っていることなのだろうか…?


あわあわと言葉を継げずにいるティアに、陛下は優しく微笑んだ。


「あのときも、そうそうたる顔ぶれを引き連れて私に弓引くと啖呵を切りおったが、それが今や、あのとき以上に優秀な配下達と、たぐいまれなる盟友すら得ておる。他者を魅了し、引き付け、味方に付ける…それがその方が持つ最たる器量よ。もし王家の娘に生まれておれば、嫡男のアレンデオールではなく、その方に王位を譲ったかもしれぬ…その方の力は、そういう類のものだ」

「いやあのっ…アタシは決して、王家を打倒しようなどとは…」

「分かっておる。謀反を起こしたときも、私がアレンデオールを廃嫡するのだと早合点したのが始まりであったろうに」


そう言って、陛下はクククと、低い声で笑った。

ティアは…なんだかモゴモゴと言い訳をしようとしているものの、何一つ言葉になっていない。

それを見た陛下は殿下と顔を見合わせ、またちょっと困ったような顔を浮かべる。

しかし、そのお顔はどこか、優しさが感じられるようだった。


…まさかとは思うが…もしかして…そういうことなのだろうか…?


「ティアニーダよ」


陛下が、ティアの名を呼ぶ。


「は…はっ!」


それを聞いて、慌てていたティアは、ハッとして深々と頭を下げる。

そんな彼女に、陛下は穏やかな声色で告げられた。


「今後とも、その器量、その才で、バイルエインとオルターニアを確と支えよ。良いな?」

「はっ!必ずや!」


ティアは、再びそう応じて、さらに深々と頭を垂れた。

陛下と殿下は、それを確かめると、小さく息を吐かれる。

それから殿下が、少し気の抜けたような声色で


「謁見は、以上である。下がるがよい」


と命じた。

それを聞き、ティアがゆっくりと立ち上がる。

それに続いて、私と背後に控えていたベアトリスにミーアも姿勢を正した。

ティアが礼をしたのに合わせて私達も頭を下げ、そのまま国王陛下と殿下が退室されるのを見送る。

お二方を見送った後、ようやく私達はホッと息を吐いた。




*  *   *




少し離れたところに見える王城が、夕日に染まって橙に輝いて見える。

空はうっすらと藍色掛かり、中央通りに面した店々には角灯の明かりがともり始めていた。

昼間通過した際には商人や旅人が多かったが、この時間は兵士や職人など、この街の住人らしい者の姿が多く目につく。

そんな中、私はバイルエインの警護兵3名と、ミーアと一緒に歩いていた。


王城から下がってすぐ、私とミーア、ベアトリスとティアの二組に分かれて、夕食後の“楽しみ”を仕入れてこようと言う話になった。

私とミーアは甘味や肴、ベアトリスとティアは酒を探しに王都の繁華街へと紛れた。

私達は昼間話題に出たクレープに、お茶菓子に、ちょっとした揚げ物や漬物なんかを買い込んで、伯爵家が王都に滞在する際の常宿に戻っているところだ。


「買いすぎちゃったかな?」


不用心にも、両腕に買い込んだあれこれを入れた袋を下げつつ、ミーアが楽しそうな笑顔を浮かべてそんなことを言ってくる。


「いや、四人もいるし問題ないだろう。多ければ、警護の皆にも振る舞えば良い」


私は、周囲を固めてくれている兵に視線を送ってそう答える。

兵士達も私の言葉を聞いて、どこか嬉しそうに表情を緩めた。


「なるほど、それもそうか…じゃあ、もう一品だけ、あそこの角にある串焼きのお肉が美味しいから、あれも良いかな?」

「うん…?あぁ、確かに…食欲をそそる香りだな、これは」

「でしょ?」

「分かった。買ってくるから、待っていてくれ」

「はい、よろしく」


私はミーアにそう断って、店へと足を向ける。

警護の兵が一人、そっと付き添ってくれていることを確かめつつ、店主に頼んで20本を包んでもらった。

代金を支払ってミーアの元に戻ると、両腕一杯のはずの彼女はそれでも串焼きの包みを私から引き取る。

私は荷物を一切持っていないが、どうやらミーアの気遣いらしい。

それは子爵家の令嬢に荷物を持たせられない…という類の話ではなく、万が一の際に剣を抜けないような状態にさせないように、ということのようだ。

ここは王都だし、そこまで気を張る必要があるとは思わないが…その辺りは、“夜鷹”としての意識なのだろう。

いや…本人は剣どころかナイフすら持てないような状態ではあるのだけど…


「いやぁ、こういうの良いよね。ティアが社交界に出てた頃は、よくやってたんだけど」


ミーアが楽しそうにそんなことを口にする。

私は…正直に言って、こんなことをした経験がないから、新鮮な楽しさがあるが、ミーア達にとっては違うようだ。

そんな話を聞いて、私はふと、昼間の陛下のお話が思い出す。


「ミーアは…昼間、陛下が仰っていた謀反の話って、知ってるのか?」


私がそう聞いてみると、ミーアは


「あぁ、あれね」


と可笑しそうに顔を緩めた。


「確か、私達が12か13くらいの頃だったかな?アレンデオール殿下が…確か、当時任されていた直轄領の税収をまとめた書類を紛失しちゃったかなんかして、陛下に大目玉を食らったことがあったの。で、そんな話に尾ひれがついて、社交界に顔を出すために王都に居たティアの耳に入ったころには廃嫡されるんじゃないか、って噂になっていてね。ティアは、慌ててあちこちに声を掛けて、人を集めて陛下に直訴しに行ったのよ。殿下を廃嫡するのなら、陛下に弓引く覚悟です、って」


それを聞いて、私はすぐに言葉を継げなかった。

何かの例えとか比喩的な意味で謀反と言っていたのかと思っていたんだが…弓引く、とまで言っちゃったのか…

…それ、良く首が飛ばなかったな…


「…なんというか…すごいな、いろんな意味で」

「殿下は当時からガルイード様とも仲が良かったし、貴族からも民からも評判も芳しかったから、そんな殿下を廃嫡するのは国益に反する!って、ね。まぁ、勘違いだったんだけど、そのときの顔ぶれが、殿下の妹君に、宰相の御令息に、軍司令官の嫡男に…ってな具合だったから、もう大変よ」

「…なるほど、さすがに連座で打ち首にする訳にはいかないな、それでは」

「まぁ、その辺りは陛下がご寛恕してくださったというか…子どもの成長だな、アレンデオール殿下が治めるオルターニアの未来は明るい、なんて言って済ませてくださったのだけど…伯爵様はそれはそれはお怒りになってね」

「あぁ………うん」


ミーアの言葉に、今度も私はそうとしか言葉を継げなかった。

あの伯爵様が烈火のごとく怒られている姿は、想像するだけでも恐ろしい。


「私もベアトリスもティアも、そりゃぁもうひどい目に遭ったわけよ…」

「なるほど、二人もその謀反に参加していた、というわけか」

「私は、噂なんだからちゃんと真相を確かめた方が良いって諫めたんだけどね」

「諫めきれなかったのなら、連座だな」

「まぁ、そうよね」


私の言葉に、ミーアはそう言ってなんだか嬉しそうに声をあげて笑った。

今になってみれば、面白おかしい思い出の一つなんだろう。

ティアにとっては、恥ずかしいものかもしれないが。


…それにしても、そうか…社交界でうまくやれなかった、というのは…


「それが原因で、ティアは社交界を諦めたんだな?」

「あぁ、うん、そう。さすがだね。そんなことをしでかす令嬢には近づくな、ってお達しが出た家が結構多かったみたい。味方してくれる人も少なくはなかったんだけどね」

「しかし個々の関係性ならさておき、社交界では致命的だな…」

「そういうこと。あのときも、ティアの落ち込み方はひどかったっけなぁ」

「そんな折は、常に二人が支えていたのだな」

「今回のことを思うと、支え切れていたかどうかはちょっと疑問だけどね」

「そんなことはない。二人が居なければ、ティア今のようになる前に、どこかで折れてしまっていたかもしれない」

「そうかな?そうだと良いけど…」


そう言ったミーアは、特に気負った様子もなく、またクスクスっと楽しそうに笑った。

でも少ししてその笑いを治めると、


「それにしても、昼間の陛下のお言葉は、ちょっと驚いたかな」


とこぼすような口調で言った。


「ミーアはああなる流れを知っていると思っていたのだが、違うのか?」

「あぁ、うん。エルデール様が殿下に話を通して、なんとかティアを励ましてほしいって頼んでらしたのは知ってたよ。でも、あんなお言葉を頂けるなんて…陛下はティアのこと、しっかりと見ていらっしゃったんだなって思っちゃったよ」

「他者を引き付ける器量か…確かに陛下の仰る通りだ」

「そうよね、アレクシアも絆されたわけだし?」

「ふふふ、違いない」


ガルイード様とアレンデオール殿下の関係性をみれば、伯爵家が王家と親しい関係にあるというのは納得できる。

しかし、それでも陛下がティアの人となりをしっかりと捉え、わざわざ彼女を励ますためにお言葉を賜るなんて、正直に言って驚いた。

それも…もしかすると、ティアの器量があってこそなのかもしれない。

そう考えると、確かに得難い力だ。

自信がないと落ち込むことはないように思うけど…そればかりは本人の捉え方の問題だから難しい。


そんな話をしていたら、私達はいつの間にか宿の前に到着していた。

押戸を開けて中に入り、カウンターにいた係の者に声を掛けるとすでに部屋に戻っていると言われた私達は、念のためにと少々警戒しつつ、部屋へと戻る。

最上階のその部屋は寝室が4つもある大きな部屋で、伯爵家が常宿にしているのもうなずけるしっかりとした作りになっていた。


警護の兵が部屋のドアをノックして声を掛けると、しばらくして応えがあり、中からはティア達に付いて行った警護の兵が顔を出す。

二人は互いの顔を見合わせるなり、ホッとしたような表情を浮かべた。


「おかえりなさいませ、ノーフォート様」


部屋から出て来た兵士がそう言って、ドアを開け私達を出迎えてくれる。


「うん、ありがとう」


そう礼を伝えつつ、警護の兵を先頭にして部屋の中に入ってホールを抜け、居間へと足を踏み入れるとティアとベアトリスがカウチに腰を下ろして寛いでいる姿があった。


「あぁ、帰って来たわね」

「二人とも、早かったんだな」

「そっちがゆっくりだったんでしょう?」

「そうだな、ミーアがいろんな店に案内してくれたんだ」

「あぁ、ミーアは行きつけ多いからな」


私とベアトリスの会話に、ティアが自然にそう入り込んできた。

そのことが少し安心するような、嬉しいような、そんな感情を呼び起こす。


「ベアトリス、これ氷室に入れといてくれる?」


私の隣りでミーアが身を捩るようにして、腕に掛けていた布袋の一つを膝の先で突きながら言う。


「クレープだな、私がもらおう」


ベアトリスの反応を待つまでもなく、私は彼女の腕に下がっていた袋の一つを引き取った。

それに続いて、ティアとベアトリスがカウチを立って


「ほら、抱えてるのはこっちに寄越せよ」

「ホント、どれだけ買って来たのよ…太っちゃうんじゃない?」


と口々に言いながらミーアから荷物を引き取り始める。

当のミーアは


「えへへ、悪いね」


と懐っこい笑顔でその扱いを受け入れていた。


「あぁ、そうだ…今夜はもう外には出ないから、楽にしててくれ」


ミーアから受け取った品をカウチの前のテーブルに運ぼうとしていたティアが気付いたように顔をあげ、警護の兵に声を掛けた。

それを聞いた兵達が、


「はっ」


と返事をして、ホッと肩の力を抜いたのが分かる。

そんな彼女の様子に、私はふと、陛下のお言葉を思い出していた。

こういう小さな気遣い一つ一つが、ティアの器量ということなのかもしれない。


そんなことを思っていたら、ティアは今度は私とミーアに向かって


「準備しとくよ。アレクとミーアも、汗流したいだろ?」


と声を掛けつつ、私が抱えていたクレープの包みを預かってくれる。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらう?」

「うん、そうさせてもらおう」


聞けば、ティアとベアトリスはすでに先に済ませていたらしい。

ミーアが先を譲ってくれたので、私は手早く部屋に備え付けられていた湯浴み場で汗を流し、着替えも済ませた。

買い込んだ食べ物を大皿に広げ、乗り切らなかった分は警護の兵達に託したころにはミーアが湯浴み場から出て来たので、そのまま四人で寝室へと引っ込んだ。

一応部屋には小さなテーブルがあり、私はそこで楽しむものだと思っていたのだが、ティアとミーアは大皿を持ったまま寝台に座り込む。

どうやら、それが彼女達の流儀らしい。

そうとなれば私も遅れをとるわけにはいかず、そのまま寝台に上がり込んだ。


「懐かしいね、こういうの」


ミーアが嬉しそうな顔でそんなことを言う。

買い物中にも同じことを言っていたが、ミーアにとってこういうのは思い出深いことなんだろう。

領都では身辺係兼“夜鷹”としての仕事もあって、気を抜く暇もないのかもしれない。

それとも、出かける機会が少ないのか。

なんにしても、そんな彼女の様子に私もつられるように気が緩む。


「さっきからそればかりだな、ミーアは」


私が言うと、ベアトリスがクスクスっと声をあげて笑った。


「確かに懐かしいわよね…こんなのはもう7,8年ぶりじゃない?」

「うん、たぶん8年かな?ティアが王都から放逐されて以来だもん」

「放逐って…もうちょっと言い方あるだろ?」


ミーアとベアトリスの話を聞いて、ティアがイヤそうな表情を浮かべながら口を挟む。

しかし、そんな様子を見た二人は今度はケタケタと笑い出した。


「そのときの話はミーアにチラっと聞いた。ティアは昔から変わっていないようだな」


私が言うと、ティアはミーアに鋭い視線を向ける。

しかし、当のミーアは怯む様子もなく笑い声を大きくした。

そんなミーアの反応に、ティアは表情を渋面に変えて


「昔に比べたら、ちゃんと分別は付けられるようになってるよ」


と主張してくる。

あぁ、そうか…そっちの捉えになってしまったか…


「いや、違う、そうじゃなくて…昔から、皆に慕われていたんだなと言いたかったんだ」


私が言うと、ティアはあぁ、と声をあげた。


「それは、ありがたいって思ってるよ…うん」


そう言ったティアは、なんというか、嬉しそうな表情とも違う、曇った顔つきをしていた。

その辺りも、すんなりとは受け入れられないようだ。


「はいはい、その話はとりあえず置いといて、飲もうよ!」


そんな私とティアの会話を割って、ミーアが木製のマグをそれぞれに押し付けてくる。


「ティアは何飲む?」

「あぁ…うーん、アタシは、その玉黍酒がいいな」

「ふむ、玉黍というのは、あの黄色い粒がたくさんついた作物のことか?」


玉黍というのは穀物の一種だ。

甘藷のような大きさで、硬い芯のようなものに黄色い粒のような実がたくさんついている。

そういうものがあるとは聞いたことがあったし、ノイマールでもごく稀に市場に出回ることはったが、オルターニアではかなり流通しているらしい。


「あれ、ノイマールには玉黍ないの?」

「ないことはないが、あまり見ないな」

「玉黍の栽培は水を多く使うらしいから、ノイマール向きじゃないのかも」


私とベアトリスの話に、ミーアがそんなことを教えてくれる。

なるほど…確かにノイマールのような山間には向かない作物なのかもしれない。


「そうなんだな。どんな感じか、興味があるな、私もそれにしてみるか」

「おすすめだ、きっと気に入るぞ」


私の言葉に、ティアが少し嬉しそうな表情でそう言ってきた。

そんな私達をよそに、ベアトリスとミアが


「あ、果実酒があるじゃない!私はこれにするわ!」

「ミーアはどうするんだ?」

「私はもっぱらワイン派だよ」

「ワイン派っていうか、ワインバカよね」

「バカっていうな、バカって。せめてこう、愛好家とかそういう風に言ってよ」


なんてやり取りをしながら、自分達のマグに酒の瓶の栓を空けて好き勝手に自分のマグへと注いでいく。

全員が注ぎ終えると、ティアが乾杯の音頭をとってくれたので、木製のマグを打ち合わせた。


マグに口をつけると、まず感じたのは酒精の強さだ。

カッと喉が熱くなる感覚のあとに、ふわりとした玉黍の風味が広がる。


「これは…強い酒だな…蒸留酒か?」

「あぁ、そうそう。火酒と似たようなもんだな。あっちは大麦だけど」

「なるほど…果実酒や、麦酒の勢いで飲むと危険だな」

「そうねぇ、チビチビやる酒でしょうね」

「肴も欠かせないな」


私はベアトリスの言葉にそう返しつつ、皿に乗っていた串焼きを一本手に取ってみせる。

そんな私にティアが


「大丈夫か?」


と聞いてきた。

この手の酒は、苦手な者もいるだろう。

ティアはその辺りを心配してくれているらしい。


「あぁ、良い酒だ。この風味が良いな」


私はマグを掲げてティアに笑顔を返す。

それに安心したのか、彼女も少し頬を緩めた。

しかし、そんな私にミーアが怪訝な顔を向けてくる。


「蒸留酒なんて邪道!酒はできたそのままを味わってこそだよ?」


そう言ったミーアにすかさず

「あぁ、もう始まった!酒の講釈はいいから、ミーアは黙ってこれでもかじってなさいよ」


とベアトリスが口を挟んで、ミーアの口にチーズの欠片を押し込んだ。

そのとたん、ミーアは顔を蕩けさせて口の中のチーズを食み始めた。


「それにしても、本当に三人は仲が良いのだな。小さい頃から一緒だったと聞いているが、実際どれくらいから一緒なんだ?」

「本当にずっと、だな」

「ベアトリスの母上はアタシの母上付きの側仕えだったんだよ。ベアトリスが生まれた三か月あとにアタシが生まれて、一緒に育てられたんだ。要するに乳姉妹ってやつだな」


ティアがそう言って、ベアトリスと顔を見合わせる。

なるほど、父姉妹か。

仲が良いのも納得だ。


「なるほどな、それは親しくもなるだろう。ミーアの方は?」

「私は、年齢で言うとティアとベアトリスの一つ上なんだ。私の父は伯爵様の弟で、一緒にお屋敷で育ったから物心付いたころにはもう一緒だったよ」


ミーアはそう言いながら、ワインを一口飲んで恍惚としたような表情を浮かべる。

チーズとワインに舌鼓を打っているようだ。

そんな彼女に、私は思わず笑ってしまった。


「アレクシアは、ノイマールに親しい友達みたいな人はいないの?」


そんな私に、ベアトリスがそう尋ねてきた。

ミーアが、私をチラっと見やってくる。

そんな彼女に笑みを返しつつ、


「臣下や親類にベアトリスやミーアのような間柄の者はいないな…貴族家には二人ほど気心の知れた者はいたが、こんな親交の深め方はついぞする機会がなかった」


とベアトリスに答えた。

すると彼女は少し意外そうな表情を浮かべつつも、


「そっか…それなら、これからもっと楽しんでもらわないとね」


と言ってくれる。

これから、か…

本当にそうだな。

ティアにしても…ベアトリスとミーアにしても、こんなに気持ちを許せる相手というのは、本当に得難いものだと思う。

臣下と主人でも、貴族同士の付き合いでもない。

肩書や立場の違いを気にせず、一人の人間として向き合うことのできる相手だ。

安心できて、心地良くて…何より、心強い。


チクリと胸の奥が痛んだ気がして、私は玉黍酒の入ったマグを煽った。

それからベアトリスに


「邪魔でなければ、今後とも輪に加えてくれ」


と笑顔で返す。


「邪魔なわけないでしょう?むしろ、入ったら最後離さないから、そこのところは覚悟してほしいわね」

「それは言えるね。それぞれがどこかに嫁入りすることになったとしても、毎月呼び出すから」

「ふふ、望むところだ」

「できれば、おばあちゃんになってもこうしてたいものね」


私は、ベアトリスとミーアとそんなことを言い合って笑う。

二人には、新たに私を加えてくれようとしていることに感謝しなければならない。

そして…私をバイルエインに連れて来てくれたティアにも、だ。


そんなことを想って、私はティアに視線を向ける。

すると彼女は…目に、涙をいっぱい貯めていた。


「ティア…?」


思わぬことに、私はハッとして彼女の名を呼ぶ。

すると、ティアもまたハッとした様子で顔をあげた。

その途端、目からハラっと涙がこぼれる。


「……ごめん…アタシ、こんななのに…」


彼女は…絞り出すようにそう言った。

何か声を掛けようと思ったら今度は静かにしゃくりあげ始め、両手で顔を覆って完全に泣き出してしまう。


あまりに突然で、私は思わず息を飲んでしまった。

ギュッと胸が締め付けられるような感覚になる。

急に空転し始めた頭で、なんで泣き出したのか、今のやり取りの何が彼女の琴線に触れたのかを考えるが、いまいち思い当らない。

なんと声を掛けたら良いか…どう対応してあげたら良いか…それが分からず、私はただただアワアワとしてしまう。

しかし、そんなティアを見てベアトリスが


「バカね」


と口にして笑みを浮かべた。

それからティアの傍にそっと這いよると、彼女の肩を抱きしめる。


「私はティアがバイルエインの令嬢だから仲良くしてるんじゃない…あんたが優秀だろうが、役立たずだろうが、気にもしないわ。私達があんたの傍にいる理由は、あんたと一緒にいたいから。あんたと一緒にいたいから仲良くしてる…それじゃあ不満かしら?」


ベアトリスの言葉に、ティアは泣きながら首を横に振った。


…ベアトリスの言うとおりだと思う。

私がティアのそばにいるのも…根本的には同じ理由だろう。

もちろん、それらしいことを言おうと思えばいくらでも言える。

立場や家の力、才能ある彼女の家族も彼女の価値で、一緒にいることで得られる利はたくさんある。

でも…もし彼女が例えば市井のしがない商家の娘でも、出会うことがあったらきっと私は彼女に好感を持っただろう。

そして、きっと友誼を結ぶに違いない。

彼女という人は、そういう魅力のある人だ。

だから、ティアが無理に気を張る必要も、立派で優秀でいる必要もないのだ。


…ただ、それと泣き出したのとでは、やはりなんだか結びつかないが…しかし、よくわからなくても、ティアの中で何かの変化があったんだろう。


「ベアトリスの言うとおりだ、ティア…私も、ティアと一緒に居たいと思うからここにいる。それは、ティアが自分自身をどう思うかとは関わりのない、私の意思だ」


そう言って、私はティアの手を取る。

すると今度は、ミーアがティアの頭をポンポンと撫ぜながら


「まぁ、元気になったらお返しはねだるつもりだけどね」


といつもの彼女らしい悪戯っぽい口調で言う。


ティアは私達の言葉を聞いて


「…ありがとう…」


と絞り出すように言うと、それからしばらく、さめざめと泣き続けた。




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